地獄について 1
明主様御講義 「地 獄」 (昭和10年8月15日発行)
地獄 修羅道
餓鬼道
色欲道
畜生道
「この地獄道は現界で人々が行っていた通りの道へ行くのである。
色欲道で情死したものによく抱合情死があるが、
この人の罪により体が喰付き合って離れる事が出来ぬために、歩く事すら困難を感ずる様な事になる。
霊界に行って楽に暮せるものと思うと大変な違いで、霊界で反って苦しまねばならんのである。
特に主人の妻と姦通しての情死などした時は、一人は立ち一人は逆に体が喰付き歩く事すら出来ぬ事になる。
又死んだら苦痛はなくなると思うと間違いで、これは霊界は現界の延長であるからである。
病苦が霊にそのまま続くのである。
三原山で死んだのは焦熱地獄へ行くのであるが、これは焼死ぬからである。
その焼死ぬ時そのままの状態が続くからなのである。
自殺は皆地獄行きである。
水死は極寒地獄である。
これは水に漬り通しであるからである。
お産で死んだのは血の池地獄である。
病死すれば病気は無くなると思うと大違いである。
決して治ってはいない。
むしろ苦痛が酷くなっている。
それはなぜかと言うと霊は感じが強いから、それだけ痛み苦しみが強いのである。
餓鬼道には供養されない霊が行くのである。
又強欲非道の霊もこの道である。
これは強欲の為に人を苦しめ悩ますからである。
供養の事については、色々の霊は喰うのであるが、本当の神様は食物は召上がらんで、反って神饌(しんせん)物に霊気を入れて下さる。
大神様は森羅万象皆自分のものであるから人の上げるものなぞ召上らんでも良いのである。
召し上りたければ何んでも召し上がれる。
それも決して盗み喰いするのではない。
これに反し餓鬼は店に並べてある食物等やたらに喰う。
この為に店に列べてあるものは不味(まず)くなるのである。
今までの神様は人間の上げるものを食するだけの神様であったのであると言う事がよく判るのである。
畜生道へ落ちる霊は餓鬼道の霊が犬猫の食物を喰っているのを横から取って食べる様なのがあるが、
それが獣と霊がくるみ合って終い、畜生道に落ちるのである。
犬や猫の中によく人間の用をするのがあるが、
これらの霊が生れ更って来たもので人の用をして罪を赦されて次には人間に生れ更るのである。
その霊は人間に祀られるから自然それと同様に霊がくるみ合っている為、
同様に祀られてこの次に生れる時人間に生れてくるのであってこれを転生という。
人が人に生れることを再生と言い、天から下るを降誕と云う。
高貴の人の生れるのを生誕と言い、普通の人の生れるのを誕生と言う。又出生ともいう。
神様等のお生れを降誕と言うているのは良く判る。
地獄で一番長く苦しんでいる霊は六千年であって、
それからは最底の地獄の霊でも許されるのである。底の国とは海底である。
又死ぬ時に想念で一人々々が余程違うのである。
生の執着の多少にて非常に違う。
早く死んで極楽に行きたいと思って死ぬ人は早く生れ変ってこない。
なぜならば、自分の思った所へ行けた為、
再び人として生れ変って来よう等と思わないからである。
これに反して生の執着の強い人は早く生れ変ってくる。
脳溢血等にて急に死んだ人は特に供養しなければならん。
生の執着の為に身寄りに懸って病気をさしたり等するのはこの様な霊に多い。
又親が赤坊の死を嘆くとこの為に早く生れ変って来るのが多いが、余り早く生れ変って来た児は良くない。
これは未だ赤坊の霊が浄化していないからである。
この赤坊が浄化して後ならば立派な児に生れ代って来る。」 (「観音講座 第四講座」より)
明主様御教え 「地獄界の続き」 (昭和24年8月25日発行)
「次に他の地獄界は総括的に書く事にする。
修羅道は、俗に修羅を燃やすという苦悩で例えば闘争に負け、復讐しようとして焦慮したり、自己の欲望が満足を得られないために煩悶したりする心中の苦しみが生前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。
これらは現界でも霊界でも信仰によって割合早く救われるものである。
色欲道は読んで字のごとく色欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪によって陥るのである。
このため地獄においては生前騙され、酷い目に遇った女性群が責めたてる。
その苦痛は恐ろしく、いかなる者といえども悔悟せざるを得ないのである。
そうしてこの苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、その罪の量とを償うのであるから容易ではないのである。
これによってみても世の男子たるもの、自己の享楽のため女性を不幸に陥らしむるごとき行為は大に慎しまなければならないのである。
右に述べたごとき罪は男子に多い事はもちろんであるが、稀には女性にもあるので、自己の享楽または欲望のため貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩ましたりする事を平気で行なう女性があるが、これらももちろん色欲道に堕ち苦しむのである。
焦熱地獄は放火をしたり、不注意のため大火災を起こし、多くの人命財産を犠牲に供する等の罪によって落ちる地獄である。
蛇地獄は無数の蛇が集って来るので、その苦痛たるや名状すべからざるものがある。
この罪は自己の利欲のため、多くの人間に被害を与える。
例えば大会社の社長、銀行の頭取等が自己利欲のため不正を行い、多数者に損害を与えたり、政治家が悪政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起こした張本人に対する犠牲者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。
蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、小獣等を理由なきに殺生する。
それが蟻となって苦しめるのである。それについてこういう話がある。
その目撃者から聞いた事であるがある時木の上に蛇が巻き着いていた。
見ていると数羽の雀が来て、その蛇を突っつき始めた。
遂に蛇は木から落下して死んでしまった。
そのままにしておいたところ数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。
その蟻が群をなして幹を這い上り、その巣の中のまだ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。
もちろん雀の子は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事がある。
蜂室地獄は無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左のごとき話がある。
以前私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので、ある宗教家の先生を頼んで霊査をして貰ったところ、こういう事が判った。
その友達の御得意であるある芸者が死んで蜂室地獄に落ちて苦しんでおり、救って貰いたいため憑ったというのである。
その霊媒にされた婦人は、その頃某教の信者であったからでそれに縋ったのである。
霊の話によれば人間一人入れる位の小屋に入れられ、その中に何百という蜂群が、全身所嫌わず襲撃するのだそうで、その苦痛に堪えられないから助けてくれというのである。
この罪は芸者として多くの男子を悩まし、大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬のため蜂となって復讐したのである。
次に地獄界は伝説にあるごとく、獄卒として赤鬼青鬼がおり、トゲトゲの付いた鉄の棒を持って、規則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、これは肉体の時打たれるより痛いそうである、
何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれておるからで霊ばかりとなると直接神経に当たるからで実に堪らないそうである。
そうして地獄の幾多の霊がよく言う事に、何程苦痛であっても自殺する事が出来ないので困るそうである。
なる程自分達は既に死んでいる以上、この上死にようがないからである。
この点霊界は厄介な訳である。
また地獄界を亡者が往来する場合火の車に乗るのだそうである。
地獄界の霊は自身の苦行または子孫の供養によって漸次向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。
私がある霊を救い鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。
その霊いわく。「今日御礼と御願いに参りました。御蔭で極楽へ救われ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持はよくお判りでしょう」という。
なる程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさが込み上げて来る感じである。
次いで霊の御願というのは、「どうか再び人間に生れて来ないように神様に御願して頂きたい」と言うので、
私は不思議な事を言うものかと思いその理由を質ねると、
「極楽は生活の心配がなく実に歓喜の世界であるに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思うように食う事さえ出来ずコリゴリしたこと言うのである。
これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみという事になるが、
それには生きている中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。
次に人霊以外の他の霊の状態を概略書いてみよう。」
明主様御教え 「病気の原因と罪穢」より (昭和11年御執筆)
大部分の人間は地獄に行く
「(一部のみ引用) 人間が一度現世を去って、死の関門を通過するには、肉体という衣を脱ぎ棄てるのである。
人間の肉体は現界に属し、霊体は霊界に属しているものであるから、肉体が病気又は老齢の為に、頽廃(たいはい)して使用に耐えない以上、精霊はその不用化した物質である肉体を捨てて霊界に往くのである。
そうして霊界において再び現世に出生する準備をしなければならない事になっている。その準備とは浄霊作用である。
しかるに大部分の人間は、生存中における罪の行為による穢が相当に多いので、霊界においての厳正公平なる審判に遇って、大方は地獄界に堕ちて行くのである。」
明主様御垂示 「功利的善人は地獄に行く」 (昭和24年9月15日)
信者の質問
「地獄、極楽について御伺い致します。
一、苦しみながら死ぬ人でも極楽へ行く人が御座居ますか。
二、楽に死ぬ人は必ず極楽へ行くので御座居ますか。
三、生前中の行ないが良くても死後地獄へ行く人が御座居ますか。」
明主様御垂示
「一、第三篇にすっかり書いてある。
極楽へ行けないとしたらどっか悪い所がある筈である。
善人でも、功利的なのや交換条件でするのもある。
本当の善事は可哀相な人をみて助けてやる。結果など考えぬ。これが本当で、神様はお蔭を下さる。」
明主様御垂示 「地獄の霊は打たれる痛さを嘆く」 (昭和23年10月13日)
信者の質問
「人間は肉体的に五感を持っておりますが、死んでからでも五官の働きを持っているのでしょうか。」
明主様御垂示
「持っているが、五感は肉体のある時と異う。肉体という障害物がない。
人間は肉体的に感ずる。例えば大阪まで行くのに十時間も十二時間もかかるが、霊だと三分か五分で行く。
高級になると一分ないし何秒である。神様になると一瞬である。
霊は浄化される程軽くなる。
意志想念のままになる。
五感からいうと大体同じである。
地獄の霊などブタれる時の痛さを嘆く。
(神経だけのようなものだから、肉体のある時より何層倍も痛い。死のうと思っても死にようがない。
着物を着る時も、娑婆時代に着た物を想念のまま着る)」
明主様御垂示 「賽の河原について」 (昭和24年7月20日発行)
信者の質問
「賽(さい)の河原とはいかなるものでしょうか。」
明主様御垂示
「賽の河原は仏界にあって子供の地獄で、子供が石を積むとくずされ積んではくずされると言われている。」
明主様御垂示 「賽の河原の位置」 (昭和24年4月21日)
信者の質問
「賽の河原で石を積むと言う事が御座いますが、これについて御教えを御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「本当の子供の地獄界では賽の河原というのがある。
地獄の一番上等で、八衢の最上層部にある子供の地獄である。」
明主様御垂示 「賽河原と地蔵」
信者の質問
「賽河原と地蔵菩薩の話をよく聞きますが、あれは本当で御座いますでしょうか。」
明主様御垂示
「本当であろうが正確ではない。
賽河原は子供の地獄、地蔵尊は阿弥陀の化身で、教の時は法蔵、地面の上で救う時は地蔵となる。」
明主様御垂示 「人間界と畜生界 (天国へ行く鳥)」 (昭和23年11月27日)
信者の質問
「人間の霊界と動物の霊界と異りますか。異りましたらその相違をお願い致します。」
明主様御垂示
「獣の世界は畜生道で地獄の世界である。人間が堕落すれば畜生になる。
畜生界と人間界は異うが関係はある。
鳥は異う。普通の鳥は天狗界で、孔雀、鳳凰、鶯等特殊の鳥は天国へ行く。」
明主様御垂示 「畜生道と本来の動物霊の転生」 (昭和24年2月22日)
信者の質問
「動物の霊界は畜生道の事で御座いましょうか。
また、最初からの動物霊は絶対に人霊に転生出来ないものなので御座いましょうか。」
明主様御垂示
「この通りである、畜生道は畜生ばかりである。」
明主様御垂示 「修羅道」
信者の質問
「修羅道とはどんな所で御座いましょうか。どんな霊憑りになって出て来ましょうか。右、御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「瞋恚を燃やす。」
明主様御垂示 「焼死者は焦熱地獄に行く」 (昭和24年7月16日)
信者の質問
「父が結核にて死亡(昭和十九年)し、一年後弟の不注意により火事になり、三才の子供が焼死致しました。いかなる因縁によるものでしょうか。
また焼死した子供の霊はいかに供養致したなら宜しいでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「火事・・・罪穢が溜っている。
一つの浄化である。焦熱地獄へ行く。
五六七教会の方・・・。」
明主様御垂示 「血の池地獄にいる先妻の憑依による奇病」 (昭和25年5月18日)
信者の質問
「二十八歳の女、昨年十二月お産して一ケ月位して体に異状を来し、一ケ月程前から臥床(がしょう)現在に至ります。
現在脈搏百二十位、夜は殆ど一睡も出来ず、腹部から首、耳あたりに虫が這うように苦しく、本人は虫だ虫だと言っております。
医者は十人位に診てもらったそうですが原因不明だと言っているようです。
本人は後妻で、先妻は後妻の姉にあたり、やはり産後心臓弁膜症で亡くなっています。
三、四日御浄霊致しました。苦しくなると顔、首あたりを這い上ると言って狂人のように手で払います
血の池地獄にいる先妻の霊の憑依のように思われます
相当医療もしてあり、衰弱致しております。
お位牌だけ祀ってありますが仏壇はありません。
幽世の大神様を御奉斎し、仏壇に御位牌をお祭りすれば御救い頂けましょうか。右、御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「何人医者に診せても駄目である。
虫が這うのは血の池地獄である。
仏壇を作り、お屏風観音様をお祭りする。仏壇を早く作るべきだ。人間で言えば住居である。」
明主様御垂示 「糞壺地獄」 (昭和24年9月25日)
信者の質問
「ある信徒の妻(三十歳)、七年以前の事、お産の催しが来たので、早速産婆を呼びました。
産婆の言葉に従い風呂に入ってから便所に参りましたところが急に産気付き便所壺へ誤って産み落しましたが、四日目遂に死亡したとの事ですが、右は霊的にいかなる原因がありますか。
また死んだ赤ん坊の霊はどのようになるものでしょうか、御教示願います。
その妻は本教に反対で、浄霊は一度も受けておりません。」
明主様御垂示
「勿論地獄である。糞壺地獄である。信仰に反対する位であるから良い事はない。」
明主様御垂示 「地獄の釜」 (昭和24年5月12日)
信者の質問
「霊が地獄の釜の中に投げ込まれて蓋をされ、その後何千年もの間出る事が出来ないという事があるので御座居ましょうか。
またその釜の中に入れられる霊はいかなる霊で御座いましょうか。御伺い申し上げます。
明主様御垂示
「形容したのである。本当に入れられる訳ではない。
地獄のひどい所は釜の中で蓋をされたような刑罰である。」
明主様御垂示 「地獄の釜というのはあくまで形容」 (昭和25年2月28日発行)
信者の質問
「霊が地獄に落ちた場合、地獄の釜に入れられ、ふたをされたままで何千年の間出られないと申しますがいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「これは形容ですよ、本当の釜の中に入れられるわけじゃありませんよ。
お盆には地獄の釜のふたが開くなんて言いますがね。
これはなんでしょうね、地獄の中でもごくひどい所のことを指すんでつまり密閉されてるような格好になるんでしょう。
釜ってのも、ふたをされてるようなっていう形容でしょうね。
だから、字にとらわれないで、ただ地獄のことだと思えばいいんですよ。」