霊界の宗教団体について


明主様御教え 「祖霊と死後の準備」より (昭和24年8月25日発行)

「(一部のみ引用) ここで霊界における団体の事をかいてみよう。

霊界も現界と等しく各宗各派大中小の団体に分かれている。

仏教五十数派、教派神道十三派及び神社神道、キリスト教数派等々それぞれ現界と等しく集団生活があって

死後、霊は所属すべき団体に入るがそれは生前信者であった団体に帰属するのである。

しかるに生前なんら信仰のなかった者は所属すべき団体がないから、無宿者となって大いに困却する訳であるから

生前信頼すべき集団に所属し、死後の準備をなしおくべきである。


これについてこういう話がある。

以前某所で交霊研究会があった際、某霊媒に徳富蘆花氏の霊が憑った。

そこで真偽を確かめるため蘆花夫人を招き鑑定させたところ、たしかに亡夫に違いないとの証言であった。

その際種々の問答を試みたところ、蘆花氏の霊はほとんど痴呆症のごとく小児程度の智能で、立合ったものはその意外に驚いたのである。

それはいかなる訳かというと、生前において死後を否定し信仰がなかったからで、

生前トルストイの人道主義に私淑し、人間としては尊敬すべき人であったに拘わらず

右のごときは全く霊界の存在を信じなかったからである。」




明主様御教え 「霊界の構成」より (昭和22年2月5日発行)

「(一部のみ引用) 前項に述べたごとく、霊界は天国、八衢(やちまた)、地獄の九段階になっており、その段階の差別は何によるかというと光と熱である。

すなわち最上段階は光と熱が最も強く、最低段階の地獄は、暗黒と無熱の世界であり、八衢はその中間で現界に相当する。

現界においても幸福者と不幸者があるのは、天国と地獄に相応するのである。

最高天国すなわち第一天国においては光と熱が強烈で、そこに住する天人はほとんど裸体同様である。

仏像にある如来や菩薩が半裸体であるにみて想像し得らるるであろう。

第二天国、第三天国と降るに従って、漸次光と熱が薄れるが、仮に地獄の霊を天国へ上げるといえども光明に眩惑され、熱の苦痛に堪え得られずして元の地獄に戻るのである。

ちょうど現界において、下賤の者を高位に昇らすといえどもかえって苦痛であるのと同様である。


天国における一段階に一主宰神あり、第一天国は太陽神である天照大御神であり、第二天国は月神である月読尊(つきよみのみこと)及び神素盞嗚尊(かむすさのおのみこと)であり、第三天国は稚姫君尊(わかひめぎみのみこと)である。

また仏界は神界より一段低位で最高が第二天国に相応し、第一天国はない。

第二天国は光明如来(観世音菩薩)、第三天国は阿弥陀如来及び釈迦牟尼仏である。

そうして、霊界においてもそれぞれの団体がある。

神道十三派、仏教五十六派等であり、またいずれもその分派が数多くあって、おのおのの団体には、主宰神、主宰仏及び宗祖教祖がある。

例えば大社教は大国主尊(おおくにぬしのみこと)、御嶽教は国常立尊、天理教は十柱の神等であり、

仏界においても真宗は阿弥陀如来、禅宗は達磨大師、天台は観世音菩薩等々で、

また各宗の祖である弘法、親鸞、日蓮、伝教、法然等は各団体の指導者格である。


この意味において生前なんらかの信仰者は、死後霊界に入るや所属の団体に加盟するをもって、無信仰者よりも幾層倍幸福であるかしれない。

それに引換え無信仰者は、所属すべき団体がないから、現界における浮浪人のごとく大いに困惑するのである。

昔から中有に迷うという言葉があるが、これらの霊が中有界で迷うという意味である。

故に霊界を知らず、死後の世界を信じないものは、一度霊界に往くや安住の所を得ないため、ある時期まで痴呆のごとくなっている。

この一例として先年某所で霊的実験を行なった際、有名な徳富蘆花氏の霊が霊媒に憑依してきた。

早速蘆花夫人を招き、その憑霊の言動を見せたところ、たしかに亡夫に相違ないとの事であった。

そうして、種々の質問を試みたが、その応答は正鵠(せいこく)を欠き、ほとんど痴呆症的であったそうである。

これは全く生前霊界の存在を信じなかったためで、現世においては蘆花程の卓越した人が霊界においては右のごとくであるにみて

人は霊界の存在を信じ、現世にあるうち、死後の準備をなしおくべきである。」




明主様御講義 「神幽現三界の実相」より (昭和10年8月15日発行)

「仏界では毎日何をしているかと言うと、

毎日色々なお説教など聞いているのであって

弘法信者は弘法の霊界へ集り、日蓮信者は日蓮の霊界へ集って行くから、

これらの僧達のお説教を聞いているのである。

今の神界は現界とは少しも関係はないのである。」 (「観音講座 第四講座」より)




明主様御垂示 「宗祖開祖は天国または極楽にいる」 (昭和24年5月25日発行)

信者の質問
「宗祖、開祖は八衢(やちまた)にあって教えを垂れているんでしょうか。」


明主様御垂示
「宗祖開祖は天国または極楽にいられる。

八衢で救いをしているのは全部その弟子で、すなわち神主とか僧侶、布教師、伝導師などである。

しかし中には右のような宗教者でも罪のため八衢や地獄で苦しんでいるものもある。

これは間違ったことをしていたからで、その罪は宗祖開祖が一部を引き受ける場合もある。」




明主様御垂示 「宗祖・開祖の霊界活動」 (昭和23年12月14日)

信者の質問
「宗祖・開祖は八衢にあって教えを垂れているんでしょうか。」


明主様御垂示
「宗祖・開祖は極楽にいる。八衢で救いをしているのは全部その弟子で、即ち神主とか布教師あるいは各宗の伝道師である。

しかし中には罪の為八衢や地獄で苦しんでいるものもある。

それは弟子や信者が間違った事をしているとその宗祖・開祖が引受けて苦しむのである。」




明主様御垂示 「親鸞、日蓮の居所」 (昭和25年5月8日)

信者の質問
「先日御願い申し上げました村田操の狐霊を以て霊査いたしました。

いろいろの憑依現象を見せて戴きまして謹んで御礼申し上げます。

つきましてはその真偽を御垂示賜りたいと存じます。」


明主様御垂示
「村田に憑った霊の言は間違った所はない。その通りである。

しかしあまりそれに熱中しない方がよい。熱中すると憑り易い。先方で必要な時だけにする。

親鸞、日蓮は第三地獄にいた。」




明主様御垂示 「仏教開祖の居所」 (昭和23年6月18日)

信者の質問
「日蓮や親鸞が地獄に堕ちておるやに聞きおよんでおりますが、この真相はいかがでしょう。」


明主様御垂示
「私の弟子で日蓮信者があり、身延へ行って日蓮が住まっていた建物で拝んでいたら日蓮が淋しい青い顔で現われたと言ってました。

これより前から私には判ってましたが・・・彼の肝腎な点は法華経を弘通した点ですが、法華経とは法の華です。

日蓮以前は南無阿弥陀仏でありこれは月の教え、陰なのです。

川なぞへ飛び込んで自殺するときは「ナムアミダブツ」と言うように、これは陰気なものです。

それに対して日蓮は法華経こそ本当の教えであり、釈迦七十二歳にして見真実となり説いたものだということを発見したのです。

法華経とは仏教の華を咲かせることであり、その中の普門品二十五は実の髄なのです。

また華は咲いてすぐ枯れるから昔から一代法華と言って一代限りがよいとされてるのです。

日蓮は仏教の陰を陽に変えたのです。だから日蓮宗は威勢がいいのです。

それから四ケ格言と言って念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊として他宗をみな排斥したが、あの排他性はいけない。あの態度はおもしろくない。

法の華が散りその実が育って実相真如になると言われている。

しかしこれは逆で真如実相が本当です。

真如とは月のことで、釈迦は仏法を一言で言えば真如だと言ったが、これは夜の世界のことで、昼の世界は実相世界です。

またすべては空に帰すとか仮の物だとか言ったのも夜の世界のことです。

実の髄の仕事を私がするわけです。だから私が実相世界を作るわけです。


親鸞が地獄だとは私の師匠の出口王仁三郎先生から聞いたのです。

あの人はそうとう霊覚のある人だったが、あるとき親鸞が乞食坊主の姿をして現われたそうです。

弘法大師や法然上人は極楽に任しているそうです。

釈迦は勿論さらに一段高い所にいてとてもふつうは行けぬそうです。」




明主様御垂示 「日蓮宗はまずい」 (昭和26年12月1日)

信者の質問
「そこのお嬢さんが嫁に行き、戦争中に焼けて実家に帰り、浄化いただき亡くなりました。主人は東京のアパートで、日蓮宗で・・・」


明主様御垂示
「日蓮宗はまずいな。日蓮宗はそれだけの・・・何がないんです。

日蓮上人が救われたばかりなんだからね。

日蓮上人は、自分を拝めということは遠慮してできないんですよ。

だから、日蓮上人の霊界というのは、すごく低級なものが行っている。」




明主様御講話 「日蓮宗は悪龍の仕組み」 (昭和27年10月1日)

「日蓮宗は狐がやっているのですが、その奥は龍です。

それで「タチバナ」の「タツ」という言霊(ことたま)は、龍ですから、龍の花ということです。

ですから立正安国論というのは「立」は「龍」です。

ですから立正佼成会とか、「立」という字を非常に使うものです。

私はいつか書いたことがありますが、「主」という字の中の「十」をくずして、こう(//)すると「立」という字になるのです。

ですから「十」が神の形ですから、陀の形はホトケと言って、ほどいてそれを龍神が世の中を支配するのです。

つまり神を解いて、神はほどけて、そうして龍が天下を掌握するというわけです。

そうして「正」・・・これは一を止(とど)めるということですが、龍が一を止める安国というのは、暗黒の世界ですから、立正安国というのはたいへんなものです。

やはり悪龍の仕組なのです。

で、日蓮上人は狐になっていたのです。

この間多賀さんの奥さんに日蓮上人の他の坊さん・・・日蓮上人の弟子か何かが狐になって困っているから人間にしてもらいたいと、そんな願いを出していましたが、日蓮上人も一時狐になっていましたが、その部下が狐になっていて、それがたくさんいる。

で、日蓮上人はもう救われましたが、高頭さんの信者さんに、この間お詫びしてくれと言ってます。

だから仏教のほうの教祖なんかもしばらく地獄で苦しんでいたのです。

地獄に行ってないのは弘法大師くらいです。

あとはほとんど地獄に行っている。」




明主様御垂示 「霊魂の永遠を否定した道元のその後」 (昭和24年6月3日)

信者の質問
「道元禅師はその著「正法眼蔵」の中で霊魂の不滅を否定しておりますが、このような人は霊界ではどんな状態におりましょうか。」


明主様御垂示
「ま、道元禅師は霊界でしはらくの間はボヤボヤして救われなかったでしょうね。

しかし、こういう人は霊界で悟りますからね。

改心すればよくなりますよ。

だから曹洞宗の信者でも、そのころ死んだ人は行き所がなかったでしょうが、いまなら霊界でそうとう団体を作ってるでしょうから、そこへ行きますよ。」




明主様御垂示 「宗教発祥地と宗教信者死後の帰属」 (昭和24年10月24日)

信者の質問
「既成宗教の信者は死後その霊魂は各宗発祥の地に集結さるるように御伺い致しておりましたが、観音教団の現在の状態においてはどう考えましたらよろしいので御座いましょうか。」


明主様御垂示
「発祥の地とは決っていない。日本にも出張所があって決る訳である。

神様は地球全体を天国にするのが御目的である。

宗教によっては発祥の地がなくなり、他へ行ってるのもある。

(その事行(や)った土地)例えば日蓮宗なら身延も中山も池上もある。

霊界へ行って教祖が良い所へ違える事もある。

宗教はそれぞれ団体があって、そこへ所属する。

観音教団は大先生がおられる所である。最高の霊界となっている。

前は上野毛だったが、今は箱根、熱海である。」




明主様御垂示 「キリスト教の祖霊は食に困るか」

信者の質問
「キリスト教、特にメソジストでは毎朝の祖霊様の供物はしておりませんが、祖霊様は飢に苦しんでおりますのでございましょうか。」


明主様御垂示
「これはそうである。キリスト教によっては不幸な人が多い。祖霊が憑って知らせるが判らない。全く気の毒である。

外国の霊界は緯で、外国では、外国の霊は殆ど現界と同じようで、一つの、霊界の食物を与えるような所が出来ている。

そして、そこから配給されるようなもので、大きな共同生活式になっている。

それで日本人のキリスト教徒は不幸な人が多い。

それで外国は民主的・・・。」




明主様御垂示 「日本人のキリスト教信徒の死後」

信者の質問
「日本人がキリスト教信徒として死後の霊の帰属について・・・」


明主様御垂示
「霊界ではキリスト教の霊界が出来ており、そこの団体へ入る。

日本では割合い低い所である。第三天国に相当する。仏教の方が上である。

その人の好き好きがあり、霊によっては余り好かぬ霊と好む霊とある。

地獄の霊などは天国へやると苦しくて逃げる。つまり相応の所へ行く。

キリスト教徒などはその霊界で満足する。

ただ祖先を祀らぬから、霊界でも祖先と一緒にならぬ。独自の生活をする。

大抵霊界へ行くとキリスト教をやめる。今は仏界か神界が建設しつつある。」




明主様御垂示 「霊界における所属団体の変更は可能」 (昭和24年5月30日発行)

信者の質問
「あるクリスチャン、御浄霊をいただき感謝しながら死にましたが、このような人はやはり死後キリスト教の霊界へ行くのでしょうか。」


明主様御垂示
「そうですね、ただ感謝しただけじゃ観音様の霊界には行けませんよ。

やっぱりキリスト教のほうの団体へ行きますね。

しかし、まあ霊界へ行ってから、自分は観音様のほうの団体へ行きたいからってお願いすれば行けないこともないですがね。

いったんはどうしてもキリスト教のほうへ行きますよ。」