霊界の生活について 3 (体験談)


体験談 「アッツ」島で玉砕した山崎部隊長の話 (地上天国 5号 昭和24年6月25日発行)

日本観音教天国会神光会 OY(28・男性)

「(前半省略) 十時五十二分また憑って来た。

今度は口を切って「先程はどうもすみませんでした。私は山崎部隊長であります。どうもすみませんでした」と言う。そこでまた問答した。

質問「今どこにおられますか」

答え「中有界の上の方におります」


質問「食物はいりませんか」

答え「食物は自由にあります、どうもすみませんでした」


質問「仕事をしているのですか」

答え「善言讃詞や祝詞を上げるのが仕事で他は自由になります。肉体が疲れるから帰らして下さい」

と言って例の如く観音様の御姿を手振りで現し礼拝して帰って行った。この間五分間であった。」




体験談 霊に聞く (地上天国 4号 昭和24年5月25日発行)

地獄・中有界の生活について

場  所 兵庫県佐用郡○○町家内
日  時 昭和二十三年七月二十三日午後及二十九日夜
お浄霊者 TK氏
受けし人 TA子さん(二十三才)
憑った霊 祖父

問「貴方は何故この肉体に憑りましたか」

答「本年二月十七日佐用の鎌井様のお宅で、この肉体は思いも寄らぬ観音力を戴き、観音様を御祭りして戴き、嬉しくてうれしくて歓びに出て来ました。」


問「貴方は観音様をお祭りして戴く前、霊界のどこにおられましたか。」

答「地獄の十段目におりました。」


問「どんな仕事をしておられましたか。」

答「軽微な労働をしていましたが、遊ぶ暇はありません程でした。」


問「今はどこにおられますか。」

答「中有界の十五段目におります。」


問「どんなお仕事をなされていますか。」

答「上からお聞きした事を下の者に話しています。他には何にも仕事はなく遊んでいます。」


問「霊界は天国中有界地獄各六十段に分れ、全部で一八〇階級に分れ、その上に最上天国かありますね。」

答「はい、その通りです。」


問「霊界は随分明るくなって来ましたか」

答「はい、そうとも、私も生きていた間は地獄、極楽はこの世にありと思っていましたが、決してそんなものではありません。

霊界の生活が現界の生活の何層倍長いものか、私は皆の者に何とか知らせてやりたい。

若い娘や年寄りの男女があの針の山を痛々しく歩いている姿を見、大きな釜の中に毎日数千人もの霊が入れられて行く様子を見て私はじっとしていられない、

地獄の霊は何とか救って貰いたいと一生懸命になって現界の者に知らせている。

私は先の事がよく判るから余計じっとしていられない。

何とか一日も早くこの肉体の父母が観音力を戴いて貰いたいの一心です。」


問「今物や金があっても仕方がないと思われませんか。」

答「そうです。皆の者にこんな大きな家を建ててやり、今では不自由なく暮しておりますが、そんな時ではありません。

今いくら物や金があっても駄目です。こんな家があってもちょっと地震が起ればペチャンコです。

立派な額があがっているようですがこんな物紙屑にもなりません。

天幕張りをしてもよい木の根を食べてもよい、大光明如来様の御神体と観音力を皆の者が戴き、屏風観音様を戴き御額をいただく事です。

これだけあれぱ何も他にはいらない。何よりの宝です。

今一生懸命田畑を耕しているが今年の米も食べられるかどうか判らない。病気だけで人は死ぬのと違う。


問「ではあなたは東京へでも米国へでも行こうと思う所へはいつでも行けますか。」

答「どこへでも行けます。」 (後半省略)




体験談 霊層界の実験記 (地上天国 5号 昭和24年6月25日発行)

日本観音教木ノ花会前野教導所 教導師補 SG(30・男性)

「私に憑依していて浄霊で救われた霊から感謝の意味で私も霊層界に案内されました。私の見た霊層界のありのままを書かせて頂きます。

人間は生きているうちは金とか色情じかけ、口の先泣きおとし、これらの事にて楽な事をすることが出来るが、霊層界ではそのような事は出来ない。

本当の体の曇りまたは浄まり方如何で、その霊の段階に入れられるのである。

人間は死ぬと霊層界に行くのである。

迷いの霊と言うのは逃げ出すので、逃け出したらそのままでは元の段階へ帰れない、霊の体が浄まらんと入る事が出来ない。

霊層界入口の前に川があり、家の中に絶えず帳面をひろげてみている霊界人がおります。

霊層界へ入って来る皆んなの霊は入ロまではどの霊も同じであるが、受付に行き名前をいうとお前は八衢行、お前は地獄行と申し渡されるが、殆んど天国に行く霊はない八衢行の霊は十人に一人か二人位です。

入口より五十米程行くと八衢行と地獄行の辻になっており、その辻よりどちらも百米程の道のりがある。

八衢行の道はとても美しい道で急な坂道になっており、この坂道を登るのであるが、霊体が浄まっているから楽に登って行ける。

地獄行はとても凸凹の悪い道その坂道を降りるのである。

地獄は六十階級の部屋になっており、皆一つ一つの部屋には一室一人の頭がいる。その下で働くのです。

八衢は六十の部落になっており我々が住んでいる現界と同じようで大きな家もあり、小さな家もあり、霊位によって違うのである。

正しい働きをしており、八衢で正しい働きをすれば天国にも行けるのである。

天国は一級二級三級と五十八部落になっており、三級の部落の神様は多勢いられる、二級の神様は十二人おられ、一級にまつられております。

その前を通ります時には頭を下けずにはおれない気持です。大先生様の観音力と申します偉大なるお力が生きたお働きをされる事はこの私の一例をあげてもよく解るところであります。何事につけてもお観音様は私共にお教え下さいます。」




体験談 霊界生活 根気をねる修業  (地上天国 15号 昭和25年4月20日発行)

天国大教会芙蓉教会 TN生

「近頃大分霊界の生活にも慣れて来ました。毎日々々、方々を物珍しく見物しております。

私も生前は、死んだらすぐ天国に昇れるものと思っておりましたが、霊界の日常を見ているうちに、そう簡単には天国や極楽に行けるものでない事を知りました。

やはり絶えざる努力と鍛錬なしには、天国の門をさえ見る事が出来ません。

またこちらの世界に来たからといって、誰も彼も、毎日ブラブラと遊んでいるわけでもありません。

それぞれ自分に相応した仕事を与えられ、それに努力しております。

私のこちらでの任務は、貴方方現界の方々に霊界の様子をお知らせする、いわば現幽の通信係です。

その現幽通信を目標として、私の修業が必要なのです。

こちらの世界では何といっても想念の世界ですから、仕事をするに最も重大な事は、心の持ち方です。

私達が現界から持ち越しの悪い習慣や性質を根本から是正する事が、第一の修業なのです。

根気のないものは根気の養成をせられ、見栄の強い人は、見栄を捨てるために努力させられます。

これから僕の体験した根気の修養話をお知らせ致しましょう。


修業をして来いという先生の仰せのままに、私は先生について修業道場の門をくぐりました。

道場はコンクリート造りのような堅い石造りの大きな建物でした。

丁度現界にある刑務所といった感じのする所です。

先生が受付らしい所で僕を道揚の人に紹介しました。

当分の間、僕は先生とおわかれしなければならないのです。

たった一人ぼっちで、見も知らぬ人の中に取り残されるのかと思うと、情なくなり、先生の顔をうらみ顔で、じーっと見つめましたら、「そんな弱気を出すから修業しなければならないのだ。」と先生に叱られました。

道場の人に案内されて、僕は自分の修業室に這入りました。薄暗い部屋です。

むっとする異様な臭気が鼻を打ちます。汗臭いような不愉快な臭いです。

だんだんと薄暗い中で目が慣れると部屋の様子が見えて来ました。

部屋の大きさは百畳敷位でしょうか、部屋一ぱいに、薄黒いもやもやとした物が、山のように積まれてあります。

注意して見れば毛屑の山です。白毛や黒毛や赤毛等取りまじって、ちじれたのや、くせのあるのが、ごっちゃになってもつれ合って、むっとする臭気をただよわしているのです。

何のために、この部屋に入れられたのか、何をしてよいのか分りません。

忙然として立すくんでおりましたが、注意すると向うの方に人の気配がします。

近づいて見ますと、灰色の浴衣のような着物を着けた二十四五歳に見える男の人が、どんよりとした目で、けだるそうにボツボツと髪の毛をつなぎ合せています。

私が近づきましたら、そのどんよりした目で僕を見ながら、「君で三十六人目か。」とつぶやきました。

「三十六人目とは何の事ですか」と聞きますと、「自分がこの部屋に入れられてから、入って来た人が君で三十六人目なのさ。」というのです。

僕は色々とその人から話を聞く事が出来ました。

その人は現界で竹田という名前だったそうです。

竹田君は相当な資産家の一人息子に生れ、両親から甘やかされきって育ったので、生活に困った事もなく、また苦労らしい苦労は一つもせず、努力という事を知らずに育ったのだそうです。

そして気分の向くままに遊び暮し、気侭を言っている中に両親がつづいて死んでしまいました。以下は彼の身の上話です。


「両親の死と同時にあり余る程あると思っていた財産も、まぼろしのごとく消えて残されていたのは借金ばかりでした。

その頃私は一人の乙女と恋を語っておりました。

その乙女は私が無一文になって無力の一人ぼっちになると同時に、私から去ってしまいました。

今までチヤホヤと、取り巻いていた人にも何時の間にか、一人去り二人去りして、私はたった一人ぽっちで広い世間に取り残されてしまいました。

さて一人立ちになって生きようとして見たものの、それまでの出たらめの生活から来た無気力で何が出来ましょう。

どんな事をして見ても倦き易く、また他人も問題にしてくれず、何事も永続きしませんでした。

ただ他人をうらみ、天を呪うの他なかったのです。

そしてとどのつまり、生きている事が面倒臭くなって自殺してしまいました。

自分の生命を自ら断つという事はなかなかむづかしい事です。

しかし生きる事に全然希望を失った私は、死だけが自分を救ってくれる唯一の道だと信じ、思い切って死をえらんだのです。

すべてが死によって無になると、それが目当で死んだのですが、苦しい思いをして行った自殺行為が何にもならず、生前と同じ苦しみが、依然としてこちらの世界にも伝っていました。

やっぱりこつこつと働く以外ないらしいです。

この部屋に入ってからも随分永い年月が立ちました。

生前のめんどくさいと云う性質がたたって、こんな面倒な仕事をさせられています。

『何くそこれ位』と思った事も、永い間にはあったのですが、無気力さがよくよく魂の底まで泌み込んでいるのでしょう。

すぐ気が抜けてしまいます。この毛を全部つながなければ、この室は出られないという事ですが、何日になったらこの山がなくなる事でしょう。

思えばこんな腑抜けに育てた親達がうらめしくてなりません」。


という彼の話に引き入れられて僕も暗然とした気持で僕に課せられた毛の山の方にもどって来ました。

他人事ではありません。僕も彼と同じ運命の前に立っているのです。

根気のなかった点僕も竹田君と同じ事です。

学生の頃勉強するのにも父母からうるさく叱られて、辛うじて、その場限りの勉強をしていました。

何をやりかけても最後までやり抜いた事はありませんでした。

「ああ」と嘆息まじりにころがって見るともなく天井を見ると、毛の山はどうしてどうしてなまやさしい量ではありません。

頂上ははるかはるか高く、薄暗い中にはどこまであるのか見極めようもありません。

一本々々つないで行って、これがなくなるまで・・・、これが無くなるまで等といって、そんな事は不可能だ、十年経ったって、よしんば百年つなぎつづけていたとてつなぎおおせるものでない。

そう考えると、流石の僕も憤然として怒りがこみ上げてきました。

やり場のない怒りに一時はこの部屋を飛び出そうかとも考えましたが、先生の事を思って、それがなお不可能である事に気がつきました。

何故かというと、僕はもう先生の圏内から逃がれる事が出来ないからです。

無理におし切ってとび出せぱ、更に辛い道場に追いやられるのです。

絶対絶命の中に何かすがりつくものはないかと思っている中によい事を思いつく事が出来ました。

それは竹田君の云った三十五人の事です。

竹田君の知っているだけでも三十五人の人が、この毛の山をつなぎおおせて出て行ったのでありませんか。

何かよい抜け道があるのかも知れない、と僕も勇気を奮って一隅に坐り、一本々々つなぎはじめました。

やって見ると、考えているよりもっと厄介です。

大体僕は指先の仕事など不器用な方なので、一本つなぐのにも相当骨が折れます。

しかし今となっては何とも方法がないので、のろいながらもボツボツとつなぎつづけました。

幾分手が慣れてくると、頭の中に色々な事が浮んで来ます。

こんな情けない境遇に落ちて来たのも、生前の心懸けが悪かったためかと思っている間はまだよかったのですが、指先きが痛くなって来はじめ、血さえにじみ出て来はじめますと、親達や周囲の人たちが恨めしくなり、しまいには先生さえ、にくらしくなって来ました。

そんなにして幾日立ったでしょう。目の前の山は少しも減りません。

あふれてくる涙で目がかすんで、指先きは血汐にまみれてしまいました。


そうしているうちにだんだんと、なるようになれと、腹が据って来たのでしょう。

自然落ちつきも出来、無我無中に毛をつなぐ事に没頭するようになりました。

どうしたら早くつなげるかと色々工夫をこらしました。

熟練というものは恐ろしいもので、速度が段々早くなって来ました。

そうなると現金なもので、面白くなり、山の高さも苦でなくなり、ただ仕事に没入して、何もかも忘れているようになりました。

すると毛は自然に動いて来て、目にもとまらぬ程の速さで髪の毛はつながれて行きます。

遂には、指先きをただ髪の毛が走って行くような状態になりました。

気がついて見ると目の前の毛の山が段々低くなり、見ている中に一丈になり、五尺になり、一尺になりして、とうとう皆なくなってしまいました。

今までの血と涙の苦しい努力も忘れて、うれしさにうっとりとしていました。

「ああもうすんだのだ」。と嬉しさに小躍りして毛の山の跡をあるき回りました。

先生のお蔭だ。何でも先生の云われた通りを、わき目もふらず、一筋にやり通しさえすれば出来ない事はないのだ。

苦しさに先生を恨んだ事が申訳なくて、今はただ有難さに涙があふれて来ました。

「根気のなさも要するに熱意の不足からだ。生きている時、これに気がつけばもっともっと大きな仕事な成し遂げたのに」。

等と今更かえらぬ色々な事を思い浮べて思いに耽っておりました。


「光之君、そこです。それに気がつけばよいのです」。突然背後から声をかけられました。

振り返って見ると、見知らぬ老人が笑いながら、僕をじっと見つめています。

「生きている内に根気のない生活をしていたものは、こちらの世界に来てから皆、こんな地獄に落ちてくるのですよ。

そして止むを得ず、根気をつけさせられるのです。

しかし貴方は幸福です。ここへ来てもなかなかそこまで慣れない人があるのですよ、どんな小さな仕事でも根気無しには完成する事は出来ないのですよ。

皆自分の根気のなさ、努力のなさを棚に上げて置いて、やれ條件が悪いの、境遇がさせたのと、不平だらだらと並べて自分の非力をごまかそうとしているのです。

それが人間の通有性ですね。私達も生きている頃、そんな仲間で不足ばかりいっていたので、こちらへ来てから、散々それを苦労して、卒業後はこうして君のような後から来る人達の根気の指導をしているのです。

君等もせいぜいこの根気を大切に持つ努力をして下さい。

君の先生があちらで待っておられますよ。」

老人はそう云いながら、室を出て行きました。


私は竹田君の事を思い出して、そこへ行って見ました。

相変らず、毛の山の蔭で元気のない顔をしてボツボツと仕事をつづけておりました。

「やあまだ済みませんか。」と声をかけると竹田君はぼんやりとふりかえり「ああ三十六人目の君にも先を越されたか。」と云いつつ、泣きそうな顔をしておりました。

僕はその涙を見ると、気の毒で慰めようもなく黙って彼の前の毛の山を見上げました。

彼竹田君は、「どうして何時まで経っても、この山が減らないのだろう。私には段々増えるように見えますよ。皆後から来た人が、出て行ってしまうのに、私だけは何日になったら出られるのか、何という因果な事でしょう。」と言っていました。

なぜだろう。僕も考えたけれどわかりません。

ただ気の毒でたまらないので手伝ってやりたいと思いましたが先生が待っておられると思うと一時も無駄に出来ませんので、

「君元気を出して、工夫をこらしてごらんなさい。僕も自分で工夫して早くつなげるようになったのですよ。」

これだけいうとすがりつくような竹田君の目をふり切って部屋を出ました。」