想念界と言霊界について 2


明主様御講話 「想念、言霊の重要性」 (昭和28年1月3日)

「箱根の神仙郷はそれで大体完成です。

それが写って、今度は熱海の瑞雲郷がどんどん進むわけです。

それでいずれ熱海にも美術館を造るつもりですが、これは大体箱根の三倍くらいにしようと思ってます。

敷地がせまいので、もっと拡げるように指図してありますから、もうじきそれが拡がることになってます。

それから京都も四月あたりに行っていろいろ案を立てて、敷地だけをボツボツかからせるつもりですが、

この方の設計は頭の中には大体できましたから、今度は頭から言霊になって、それから物質になるのです。

すべて順序というものは最初は頭の中です。

これは霊界にできるのです。

それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。

それで今は頭の中の霊界では設計ができてます。

それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。


そこで言霊というものは非常に重要なものです。

それは誰がやることでもそうです。

たとえば、ここならここで思いますが、それは霊界にはすぐにできてしまうのです。

私でなくても誰でもそうです。

ただ私がやると霊界でのでき方がはっきりするのです。

ですからはっきりと間違いなくいくのです。

それがふつうの人なら、そういうようにこしらえてもじきに消えてしまったりするから中途でいろいろ故障があります。

中には物質にできあがってからでも中途でオジャンになるのがあります。」




明主様御垂示 「想念界と言霊界」 (昭和24年2月26日)

信者の質問
「姓名の善悪がどうして自分の運命に関係するのでしょうか。御説明下さい。」


明主様御垂示
「言霊といい、言葉の働きである。

いろは四十八文字であるが、本当は父音五十、母音二十五、これが本当の日本の言葉で、一つ一つに働きがある。

空間に・・・霊界中に言霊界といってもいい言霊が働く世界がある。

も一つ奥に想念界がある。それが霊界へ響いて働きが起る。

霊線などは想念界の世界を活動している。

例えば、家を作ろうと思うと、想念界で設計が出来て、出来る。

言葉で大工を呼んで指図すると言霊界へ出来る。

次に現象界へ出来る。

聖書に「太初(はじめ)に言(ことば)あり、万物これによって造らる」とある。言葉で物が造られる。

(言葉に善悪がある)

言葉は非常に働く。言葉の組合せの善い悪いがある。

ア行の字、カ行の働きなど皆ある。

その人の性質にカキクケコを入れると締まる

頑固な武骨者にマミムメモを入れると優しくなる。

サシスセソは自分の言う事を通す。

ひびく・・・。

人が呼ぶと言霊界へ働き、自分がその名を思ってると想念界に働き、自分に働く。それによって運命に影響する。」




明主様御垂示 「想念だけで霊界が変化」 (昭和26年6月2日)

信者の質問
「芸術は言葉をもって表現されることがあります。

そういう意味から申しますと、日本人の言葉は優秀性に富んでおりますが、

昔の純粋の大和言葉が良いのでございましょうか。

それとも新造語のほうでございましょうか」


明主様の御垂示
「いや、それは違う。

七十五声完全に言えるのは日本人の言葉です。

本居宣長が発見したんです。

天井に紐を吊って鈴をつけて、七十五声を鈴で型取った。

その家を「鈴の屋」といったが、有名なものです。

そこで、言霊(ことたま)の研究をした。

だから、言霊というのは一つ一つ意味がある。

それで、一つ一つの綴り方によって、善の働きと悪の働きをする。

これは別に何でもない。

良いことを言えば善の働きをする。

悪い・・・泥棒しようとか、ぶんなぐろうとかいう言霊は悪い意味になるでしょう。

悪い意味になると、人間の耳に入っても良い気持ちはしないです。

あの人を良い気持ちにしよう、とかは霊界に・・・霊界といってもいろいろある。


言霊界(げんれいかい)に言葉は響く。

それから考えですね。

良い考え、悪い考えですね。

それは想念界に影響する。

これは言霊界より、もう一層深い・・・密度のごく濃いわけですね。

だから、気持ちを想うだけで霊界が違っちゃう。

そこで、良い言霊を使う。


そこで御讃歌とか祝詞とか良い言霊を使ってある。

良い言霊と言っても、読んでスラスラと感じが良くなければならない。

良い言霊でも、感じが良く、柔らかく、滑(なめ)らかに、いかなければならないですね。

そうすると、日本の仮名書きなんか、ごく上等になっている。」




明主様御垂示 「音声と機械的音との反映力」 (昭和24年5月25日)

信者の質問
「人間の口より発する善言讃詞と機械的、例えば蓄音機、録音機等から発す善言讃詞とは言霊界にいかように反映致しましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「人間の口から出るのは霊が入っている。

録音では形だけである。

人間と人形の異いがある。」




明主様御垂示 「言葉で物質も変化」 (昭和24年4月8日発行)

信者の質問
「姓名の意義またはつけ方について。」


明主様の御垂示
「その人の名前の働きによって性質まで違ってくる。

従って運命にまで影響する。

人から名を呼ばれ、自分で名を想うことによって言霊が働くのである。

いずれ言霊学の本を著すからそれをみれば判る。

言霊とは言葉の霊で、『聖書』の冒頭に「始めにコトバあり万物これによって造らる」ということがあるが、これは真理で

言葉は言霊界に響くと活動が起り、種々の物質まで変化する。」




明主様御垂示 「一切万事は言葉でどうにもなる」 (昭和25年2月20日発行)

信者の質問
「言霊は神なりの意味。」


明主様の御垂示
「言葉の働く世界を言霊界と言う。

神は宇宙の大元霊という言葉は非常な働きをするものである。

人間の場合は言葉と言い、言霊は神の場合に言う、

聖書に「はじめにコトバあり、万物これによって造らる」と書いてあるにみて、

言葉はいかに重要であるかが判る。

一切万事は言葉でどうにもなる。

善も悪も創造も破壊も天国も地獄も自由自在である。

しかし言葉で良い物を作らなくてはいけない。

そうすれば言霊は神なりを如実に現わすことになる。」




明主様寸評 「人間は想念次第」 (昭和24年9月3日発行)

「感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶとは正に真理だ、

何となれば感謝の心は神に通じ不平の心は悪魔に通ずるからだ、

この理によって常に感謝をしている人は自然幸福者となり

常に不平不満や愚痴を言う人は不幸者になるのは事実だ、

大本教のお筆先にいわく「喜べば喜び事が来るぞよ」とは正に至言である。」




明主様御講話 「想念の汚くなる理由」 (昭和28年12月15日)

「真善美の美の世界と言うが、これはまず人間の腹の中から美にしなければならないのです。

その因が薬毒ですから、薬毒からなくしなければならないのです。

それで、体の中が汚いから、そこで想念も汚くなるわけです。

これは霊体一致ですから・・・。」




明主様御講話 「悪口は最後に笑いにする」 (昭和27年8月1日)

明主様御垂示
「昨夜聞いたけれども、信者でもないのですが、ブラジルのほうの日本人だと思うが、

長い間夜尿症か何かで、私の本を送ってやったが、御神書を読んだだけで夜尿症が治ってしまったというのです。

今にそういうふうになります。「栄光」でも「地上天国」でも、ああいうのを読んだだけでもたいていの病気は治ってしまう。そうなります。」


信者の質問
「それにつきましてこういうことがございました。

月並祭のとき明主様の御論文を拝読させていただきましたところ、

霊視能力のある方が『霊界が非常に変る』『どういうふうに変るか』と言うと『言葉でいいあらわすことはできないほどだ』ということで、

明主様の御論文を拝読させていただきますと、その言霊で変りますので・・・」

明主様御垂示
「そうです。つまり活字も光を持つのです。

光を持つと言うと変だが、今までは光がごくあるかなしかだったが、だんだん光が出てきます。」


信者の質問
「今の話で、長野のほうの布教師が明主様の御論文を拝読させていただきますと・・・

御浄霊をいただくと咳きが出る人が前に座っておりましたが・・・

拝読中咳が出まして、拝読が終わりますと咳も止りました」

明主様御垂示
「ずいぶん騒々しい本だな。

それはその人の口から光が出る。

論文を読んでいると言葉から光が出るのです。

これは、良い言霊を出せば光が出るということは、私の古い本に書いてあります。

だから愚痴だとか怨みことだとか悪口とか怒りとかそういうことを言うと、光の反対の曇り・・・ススみたいなものが出る。

それが霊眼のきく人には見えるのです。」


信者の質問
「そうして良いほうも悪いほうも、それが自分に帰ってまいりますので・・・」

明主様御垂示
「そうです。あれは自分に帰ってくる。

ちょうど天に唾するという、あれです。良いことが帰ってくる。

だから言霊は良いことを言わなければ・・・。

しかし人の悪口も、どんなことでも滑稽なこと笑いになることは構わない。

私はずいぶん人の悪口を言うが、終わりは笑いにするから、それで曇りにはならない。」




明主様御垂示 「音楽も言霊のような働きをなす」 (昭和24年11月20日発行)

信者の質問
「音楽もそれを弾く人の想念によって言霊のような働きをなすものでしょうか。」


明主様御垂示
「勿論そうである。

器楽を通じて指先からその人の霊が音律へ入ってゆく。

笛など息から入る。

故に音楽でも人格者や、信仰のある人のは感じよい。

ラジオでもその人の霊がラジオを通じて働く。

しゃべる声なども大いに影響する。

ある地点にいて私がしゃべる言葉は全世界にひびく。

どこでもとは言えぬ、その位置により違う。

霊界には所々に高天原があり、都会もある。

熱海、箱根も高天原である。

そこでしゃべることは日本中へひびく。

以前東京丸の内の中央亭でときどき講話をした。

丸の内は◎で、その中央で大いに意味がある。

いま、そのとき話したことが日本中に実現しつつある。」




明主様御垂示 「想念や行為の不道徳について」 (昭和23年6月8日)

信者の質問
「霊体の曇りが局所において毒素となる」との御教えをいただいておりますが、

想念や行為の不道徳がそのような毒素となる場合は三毒以外の毒となるのでしょうか。」


明主様御垂示
「毒はそれぞれみんな違うがたいした違いはないのです。

同じと思ってもよい。

想念や行為の不道徳は罪穢れとなるが三毒の中へ入れてもよい。

この罪穢れを消すような行為をすればよいが、そうでないと毒はふえるばかりです。」




明主様御垂示 「想念の記録」 (昭和23年6月24日)

「人間のやった事は霊界へ印象される。鎌倉は武士が沢山いて戦ったりなどしたが、鎌倉の霊界にはそういう気分がする。また鎌倉へ行ってると、いい意味で昔の鎌倉時代の感じが出ている。京都、奈良も同様である。

空間に、そんな記録があるのである。

人間が悪い事をすると、霊線によって幽庁に通じ、記録され残っている。

空間の霊界にも、人間の行為の記録が残る。

であるから、今に人間の想念や行動を記録する機械が出来ると思う。

一軒の家でも、始終喧嘩している家は感じが悪いのは、その家の霊界に悪い想念や行ないが記録されているのを感ずるからである。

また、史蹟などを訪れるとその時代の雰囲気が漂っているのは、昔作られた雰囲気が残っているからである。

すべて想念は霊界へ反映して、曇りや悪気になるのである。

人間が善い事をするようになると、善い記録が残るから、感じがよくなる。

故に信者の家へ行くのと普通の家へ行くのと感じが違うのは、そういう訳である。」




明主様御垂示 「言霊の霊視」 (昭和26年6月2日)

信者の質問
「淡路島で、十くらいの子供が浄霊に見え、祝詞を奏上させていただきますと、「先生の口から黄色の光がでる」と申します。

「馬鹿」などと申しますと、「黒い色が出た」と申しておりました。

申し訳ないことではございますが「御神体から光が出ているか」と聞きますと「出ている」と申します。

「何の御文字から一番出ているか」と聞きますと「明の字が一番きつい」と申しました。

電気を消して隣の部屋から「白い着物を着ている人はいるか」と聞きますと

「この人はこのくらい」と申しておりました。未入信の方はほとんど見えないそうです」

明主様御垂示
「神様がそういう子供を使うんです。

そうして、みんなに証明されるんです。本に書いたくらいだけでは信用できない人がたくさんあるからね。

それを見せるには、邪念があってはいけないから、子供を使って、見せて知らせるんです。

あんたが言うだけでも、ここにいる人はなるほど本当だということになる。それは書くんでしょう。」


信者の発言
「さようでございます」




体験談 「言霊から御光が出る」 (昭和26年7月11日発行)

兵庫県 宝生中教会 KY(32)

「去る五月二十五日、従来私が布教させて頂いている兵庫県下淡路島○○町DS様方において、

大光明如来御神体御奉斎を機会に、M先生を御迎えして昼夜二回にわたり講話会を開催さして頂いた折の事であります。

夕刻 信者のNHさんが、一子T(九歳)ちゃんを連れて参られ、森山先生の御浄霊を依頼されました、

以前から心臓が悪く、幾分霊的な点のある御子様であります、最近お光が肉眼をもって見えるという御話がチョイチョイありますが、

この御子様もそれが見えるのであります、御浄霊される御手からばかりでなく、御神体からも金色の光が放射されていると申します、

先生が、どの御文字から一番出ますかと聞かれますと、「明」という御文字と「来」という御文字が、一番お光が強いと申します。


やがて先生が天津祝詞を奏上されると、その口許を不思議相に眺めていたその子は、

「おじさんの口からも金色の光が出る」と申すでは有りませんか、並いる一同唖然としていると

先生が「では今度はどんな色ですか」と「馬鹿! 阿呆!」と怒鳴られました、すると、「ああ、薄黒い色になって仕舞った」

そして先生の話される言葉の内容、調子によって、絶えず言葉の色はあるいは黄や白や種々の色に変化して行くのだそうです。


私共は、常に言霊という事を伺っております、そして人の発する言霊のいかんによっては、霊界や、いう人聞く人の魂を曇らせたり、浄めたりするのだから、

すべからく美しき言葉、人を賞め讃えたりすべきで、悪口雑言、愚痴、泣き言を慎むべきだとの御注意を頂いておりましたが、

今目前にこの奇蹟を見せられて、今更に一同感じ入った事でした。


更に先生が、あるいはこの子供は霊衣が見えるかも知れぬといわれたので、その部屋の電灯を消し、

次の部屋の光で照らされながら、各人の姿の上に、何か見えないかと尋ねました、

すると凝視していたその子は、各人の輪廓の上に厚いのは一尺近くから数寸、更に一寸位迄に白い色の影が見えると申します、

勿論熱心な信者の方で、その熱心な信仰の度合に順じ、更に熱海参詣勤労奉仕した方から、順次中教会本部、教会への参詣の度数に応じて厚薄が歴然とあり、

不熱心な方、更に未入者の方は、ほとんどあるかなきかで、その判然さに一同感激また一入のものがありました、

霊衣とは魂の光で、敬虔なる者、善を考え、善を為し、健康なる者程厚く、

その反対の者程薄く、霊衣が厚ければこそ、種々の危難危急を免れる実例の御話等で、その夜の講話会は一入感銘深きものとなりました。


こうした光の色、光の波は、到底肉眼をもってしては見得べからざる超微粒子であって見えないのが普通であるべきです、

しかし何らかの神様の御必要で、あるいは我々の信仰を高め、神の実在を認識させんが為には、神様はこの無心な、邪気のない素直な幼児をして、この奇蹟を現わされたのでありましょう、

見ゆるもよし、見えざるも可、要は私共の神様への信仰とその実在の認識が素直になり切れるか否かが、私達の救われるか否かでありましょう、

この奇蹟は当日参会された数十人の入信、未入信の方々への神様の御啓示でありましたでしょうが、

又信仰薄き布教者としての私への神様の御警告であり、御激励であったと私は信じ、謹み畏んで更なる精進を誓うものであります。」




明主様御講話 「ラジオが気候を緩和」 (昭和27年1月16日)

「今年は暖冬異変と言って、冬暖かいですね。

段々年限が経つに従って、地球上の気候が段々平均していくんです。

寒い所と暖かい所・・・その差が著しくないんですね。

平らになっていく。これはいろんな原因があるんですがね。

人間が増えて・・・人間というのは非常に暖かくするんですね。

北海道なんか、昔からみると非常に暖かくなってますね。

それからシベリアなんかも、昔は住めなかったが、今は都会なんかできている。

それからラジオですね・・・気候を緩和している。

ここにラジオの機械を据えると聞こえるでしょう。

そうすると、ここに人間の声が一杯あるんです。

そうすると、霊界が違っている。

言霊界というのは、霊界の浅い所ですね。

深い所は想念界ですね。

言葉が・・・形が現われるんですからね。

形が現われる世界は、一段下がるんですね。

それで、一番高級の世界は、神霊界・・・神様の世界。

だから、そういう理屈が解れば、色んな事は大体判断がつくわけです。

ところが、今は科学教育を受けてますからね。

そんな事は全然知らないから、今年は不思議だとか、暖冬異変だとか、色んな事を言ってますがね。」




明主様御垂示 「ラジオの発達と気候の平均化」 (昭和23年12月18日)

信者の質問
「近年、山形地方では雪が少なくなってきてますが、なぜでございましょうか。」


明主様御垂示
「気候というものはいろいろの原因によりだんだんと平均してくるものです。

ラジオの発達もこれに影響してるし、第一、人間が多く住むと暖かくなるのです。

箱根の強羅も以前よりは暖かくなってきた。

これは強羅に住む人が多くなってきたからです。

山なんかも霧が多いものだが、これも人間が多くなるにつれて減ってくるのです。

ともかく、人間は熱の固まりですからね。」