霊層界について 3
明主様御垂示 「貧乏人は貧乏な霊層界」 (昭和27年12月1日)
信者の発言
「病気は浄化作用だということは良く分からせていただいている人はありますが、
他のことになりますと悪いことがあったという観念が抜けない人があるようでございます」
明主様御垂示
「それも一切が浄化作用なのですが、ちょっとのみ込みにくいのです。
心配事も浄化作用です。
だから悪いことや心配事があるということも、やっぱりしかたがないので、その浄化によって境遇が良くなるのです。」
信者の発言
「貧の御浄化という場合に、曇があるために抜けられないという状態でございますが、御用を励まさせていただきますと、そのために・・・」
明主様御垂示
「それは霊界の地位によるのです。
貧乏しているのは、貧乏をする地位にいるのです。ここの層は貧乏の人の霊界です。
そこにいるということは、それだけのものがあるからです。
そうして上に上がって、ここは貧乏がだいぶ楽な世界になるのです。
ここ(更に上層)に行くと、もう豊な人の世界です。
そういうようなもので霊界の地位の問題です。
だからどうしてもしようがないのです。
それで地位を上がらなければならないのです。
地位を上げるには浄まらなければならないのです。
そのためには自分が苦しむとか、人を助けるその手柄、その働きによって早く上にあがって行くということです。
だからこの辺に行けば物質に恵まれ、良いことの世界なのです。
またここまでには時期が行ってないから、この辺(ちょっと下層)までは行けるのです。
結局霊的状態、霊的地位が上がるということが一番です。」
信者の発言
「よく明主様が頭が悪いということをおっしゃいますが」
明主様御垂示
「それもそうです。ちょうど山と思えば良い。
ここよりもここ(少し上)に行けば良く見えます。
頭が悪いということは、ここ(下層)にいればちょっとしか見えないからです。
ここ(最上部)に行けば何でも見えるから、頭が良いというわけです。」
明主様と御対談 (二) 「貧から解放されるには」より (昭和29年7月28日発行)
明主様御発言
「その前にもういっそう根本的に言えば、人間は霊と体との両方で成り立っているのです。
ところがその霊を認めないのです。
医学というのは体を根本にして研究しているのです。
しかし私の方では霊主体従と言っているのです。
つまり、人間一人ひとりの中心は魂ですが、魂というのは霊界に属していて、体は現界に属しているのです。
この霊界というのは現界と同じで層になっていて、その層は百八十段ありそのどれかに魂は属しているのです。
たとえて言えば地獄にあれば、貧乏、争い、忌まわしい悪いことばかりがあり、
だんだん上に行くに従ってだんだん良くなって、真ん中の中有界というのは、良いこともあるし悪いこともある中位の所です。
それを越すと天国になりますが、ここは良いことの方が多いのです。
良いことばかりが流れているのです。
そこで人間に曇りがあると、罪によって、下の地獄に行きますから、地獄のすべての影響を受けます。
そこで貧乏で苦しむということも、そういった下段の方に影響されているわけです。
籍が下にあるからです。そこでその籍を上にすれば、そういう忌まわしいことが少なくなるから、貧乏やいろんな苦しみはずっとなくなるわけです。
だから籍を上にすれば、嫌でも良いことばかりが来て、悪いことは来ないというわけです。
そこはそういうようなことになっているのですから、しかたがないのです。貧乏もそういうわけです。
今の人間はみんな地獄にいますから、それをだんだん上に引き上げなければならないのです。
ですからメシヤ教の信者はみんな貧乏をしなくなります。」
明主様御垂示 「手癖悪い子」
徳を積み霊層界を上げると心配事はなくなる
信者の質問
「小供の手癖の悪いのはどうしたらよろしゅう御座いましょうか。」
明主様御垂示
「動物霊が憑いてやらすのである。
こういう事をするのは、親に罪がある。親と関連している。
親自身、自分の心を省みて大いに徳を積む事にする。
そして親に罪があると、霊層界の下にあり、霊層の下の下にあると、何か苦しみがある。
それで子供の盗みの苦しみがなくなるとしても他の何かの苦しみがある。
徳を積んで霊層界の上へ上ると、子供も親が心配するような事が出来なくなる。
その事をよく知らなくてはならぬ。
騙されるのもそれだけの資格がある訳である。
泥棒にとられたり、いろんな事で損をする等も、その物質が汚れてる。
間違った事があり、その罪をとられるための浄化で、これはあらゆる事にある。
日本で物の足らぬのも浄化であり、偉い人が小菅へ行くのも浄化作用である。
人間はどんな人も必ず悩みがある。夜の世界の間は仕方がない。動物霊が活躍するだけの余地がある。
修行を励んでいる人は、それが段々小さくなる。」
明主様御垂示 「愛のない夫婦 信仰の向上により離婚することもある」
信者の質問
「夫婦不和について。
私達夫婦は嫌々ながら親戚の者に無理やりに一緒にさせられました。
両方共気が合わず、私は妻の顔さえ見ると腹が立ちます。
仕事から帰って家の表迄来ると腹が立ちますが、家に入って顔を見るとなお腹が立つと言う始末です。
昨年五月御光を戴き、父の神経痛や妻の婦人病も御蔭様で大分よくなりました。
妻も御光を戴きましたが、最近御光を首からはずしてしまいます。
私は益々腹立がひどくなるばかりですが、兄達は私のみ辛抱を要求しますので、二人の子供を残して家出しようか等と思い詰めております。(妻は父の後妻の連子です)
妻は相当な強情もので、誰も意見する人もなし弱っております。その原因と解決法を御教示願います。」
明主様御垂示
「同情する。よくある事である。
主人公が奥さんをこうしようとか、こんな人間にしようとか思う事をやめる。
独身者の気持で、妻君に関係なく人を救う。
すると霊界の位置が主人は上ってくる。
妻君がついて行かず反対すると、どうしても別れる。
死別か生別かいずれかになる。
妻君が改心すれば段々合って行く。
妻君がおもしろくないのは、主人にも罪はある。
妻が気に入らぬのも浄化作用であるから、自分が向上する外ない。
これが根本である。結局良くなるからお任せする。」
明主様御垂示 「夫の不倫 信仰の向上により離婚することもある」 (昭和23年11月27日)
夫の二号が男児出産
信者の質問
「主人の外の女に男の子供が出来、そのため非常にいづらい事ばかりです。
主人と離別したらよいか、そのままおったのがよいでしょうか。」
明主様御垂示
「信仰雑話の「夫婦の道」を読ませるようにするといい。
ただ読みなさいというのではいけないから、主人の部屋に置いておく。
そして後は神様にお任せする。
夫婦は霊層界の地位があまり変らないから、主人の事を考えないで自分が徳を積むと、地位が離れてくるから段々一緒に住めないようになる。
自然が本当である。」
明主様御垂示 「信仰の向上により離婚することもある」 (昭和24年5月25日発行)
夫の信仰無理解、愛情欠落
信者の質問
「連れ子をして再婚した者ですが、夫に愛情がなく観音様の道も理解してくれません。
離婚したほうがよいか迷っております。御指導願います。」
明主様の御垂示
「お指図はできない。これは観音様にお任せしておくのが一番いい。
決して無理をしたり、荒立てたりしてはいけない。
観音様にお任せし時を待っていれば必ずうまく解決する。
罪穢相応に苦しむのである。
人間は霊層界に籍があるが、
夫婦のうちいっぽうが磨けて向上し、あまり両者の位置が離れると、
どうしても生き別れ死に別れすることになる。
右の理によってどちらかが磨けたほうへ接近しなければ、共白髪まで添い遂げることはできない。」
明主様御垂示 「主人の御神業により妻が死亡することもある」 (昭和23年)
「妻の不貞は、霊的にいえば夫も同罪である。
夫が立派で、妻は不貞の場合は、どうしても別れる事になる。
一方が磨けて向上し、両者の高さが余り離れると、どうしても夫婦生活は出来なくなるものである。
右の理により、自分の身魂さえ磨けてくれば、一方がそれにつられて向上すれば別れずにすむが、
どうしても分らぬ場合は、病気になって死ぬか、別れなければならない事情が生ずるのである。
それが一番の解決法である。
夫婦で、霊層界においてあまり離れているため、妻が反対する場合は、妻が改心して夫の信仰に入るか、でなければ死ぬかである。」
明主様御垂示 「離婚と霊層界」
信者の質問
「夫婦の生別れ及び子供があり離籍の場合、霊層界にあると言われている人間の籍はいかなる関係になるでしょうか。御教示下さい。」
明主様御垂示
「別れようが別れまいが、霊層界に関係はない。
その人の霊的状態によって変る・・・善悪の行為で変る。」
明主様御垂示 「各人の所属霊層界の現界への現れ方」 (昭和24年5月30日発行)
信者の質問
「霊界は天国、八衢、地獄の三段階に分かれ、その各々が六十段に分かれ、合計百八十段になっており、これを霊層界という・・・と御著書に拝見いたしますが、これを現界に当てはめ、現界的、物質的に表現いたしますとどのようになりましょうか。」
明主様御垂示
「これは、現界もそういうことになってるけど、霊界ほどきっちり行かないんですね。
それでも終戦前は割合はっきりしていたんだけれども、終戦後は民主的になったのでよほど違ってきてますがね。
まあ、いま、食糧不足だとか、就職難だとか、病気だとかで困っているのは地獄に相応しますね。
それから、どうやらやってるけれどもたいして仕合せでもないっていうのが八衢ですね。
そして、こんな時勢でもかえって物質も豊かで健康で、なんてのは天国ですね。
その中でもまたいろいろ段階がありますが、まあそんなふうに解釈すればだいたい合ってますね。
私らは天国のだいぶ上のほうですね。
思うことがなんでもその通りに行きますからね。」
信者の質問
「現界は天国的世界と地獄的世界と入り乱れておりますが、霊界ではこれが整然としているのでしょうか。」
明主様御垂示
「ええ、霊界はきっちりしてますよ。それでもここ何千年の間やはり乱れていたんで、いま、整理を始めたところですがね。
そうは言っても現界とはぜんぜん違いますよ。
だいたい整っているんですね。」
明主様御講話 「礼拝対象の高下」 (昭和10年12月11日)
「いま米沢さんの話中、観音信仰は真のことの願いならば、御利益があるという話でしたが、
どういうわけでそうなるかを説明しますと、
観音様は一番御位が高い。
八百万の神仏中一番高い御位ですから、観音様を拝めば、その人の魂の位が高くなる。
たとえてみれば、三段ありとし、いま一般の人は、たいてい地獄で、
上等の人で中界で、たいした善いことも悪いこともしない、平々凡々で生きてる方で、これでも上等のほうですが、
観音様は最高の神仏ですから、拝んでるとだんだんその魂は昇り、天国状態に入ったときは、その人には悪いことが来ない。
地獄にいるときは、どんな工夫しようと善いことしようと、相応の理ですから、悪いことばかり来る。
いままでの信仰は中有界で、ごく上等ので天国のごく下のほうですから、
それを拝んでもやっと中有界くらいまで昇る。
中には稲荷とか天狗とか、拝む神そのものが地獄にいるのがある。
それですから、それを信仰しても悪いことばかり起る。
また中有界にいる人でも地獄へ落ちる。
それは拝んでる神が地獄にいる関係で、観音様を拝んでいると、すぐにいいことが来ると思うと、そうではない。
ある程度きれいにならなければならない。
天国
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八衢 (中有界)
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地獄
体は霊に相応しているのですから、霊の汚いものは体へおデキなどとなって出て、一歩一歩清められて上へ行く。
それが急に行くとまごつくから、一歩一歩行くんであります。
観音様の信仰は、人によって早く上へ行く人と、遅い人とあり、それは、その人の尽くし方による。
尽くし方とは、観音運動のためにする手柄によるので、そうして、天国に相応すればいいことばかりで、災難はなく苦しみもなくなってくるのであります。」