霊と体について 2


明主様御講義 「死とは何ぞや」 (昭和14年)

「人生に関する事柄の中、死程切実な問題は無い、という事は誰も知り抜いているのであるが、さらばというて、これ程不可解なものはないのである。

私は、死に就て自分の永年の実験と、諸々の宗教、泰西(たいせい)における心霊実験と、あらゆる分野に渉(わた)って研鑚の結果、解決が着いたのである。
 

そもそも、人間なるものの構成から述べてみよう。

人間は、科学者がいう肉体なる物質のみではない。前に述べたような霊(火素)と肉体との両原素から成立っているので、

肉体の原素としては、水素と土素との両物質であって、この両物質だけでは、生物としての活動は起らない。

これに霊魂なる即ち無形の霊素が加わって、初めて活動が起るのである。

そうして、無形の霊の形態は、人体そのままで、この霊素が肉体と分離する事を死というのである。

何故に分離するかといえば、肉体が老衰、病気、負傷、大出血等によって、使用に堪えざる状態、それがある基準を超えたる刹那(せつな)、分離せざるを得ない法則であるからである。

そうして、死と共に、たちまち体温が冷却し、血液はある一部に凝結するという事は、霊素即ち火素が無になるから、冷却する為である。

しからば、この霊素はどうなるかというと、人体の形状のまま、霊界なる別の世界に入るのである。

これらの状態に就て、以前西洋実験記録をみた事があるが、これはまことによい実例であるから、次に述べてみよう。


それは、ある看護婦の実験であって、患者が死が近寄るに従って、その患者の額の辺から水蒸気のような、白い煙が立昇るのが見え、

それが段々濃厚になりつつ、空間に一個の大きな楕円形のような形になりつつありと見る間に、段々人体のような形になりつつ、

遂に、はっきりした患者の生前の通りになり、空間にあって、自己の死体より約三尺位上にあって、

体を取囲み悲歎に暮れている家族等の頭上から見下して何かいいたげであったが、

やがて窓の方向に向って静かに浮游(ふゆう)状に外へ消え去ったのである。

右のごとくであるが、霊魂脱出は、大体額部と腹部と足部との三個所に限られているようである。

ついでにいうが、例えば爆死のごとき場合は、一瞬にして霊魂は無数の微粒となって一旦四散するが、

間もなくそれが求心的に集合し、人体に復帰し、病死と少しも変らないのである。

そして霊魂が自己の意志によってある地点へ赴く場合、球状となって空間を遊走する。

よく世間でいう人魂とはこれをいうのである。

そして、右の看護婦のごとく、霊の見える人間、これは特殊の能力であって、先天的のものと習練によって見得るものとがあるので、

我国にも昔から実例があるばかりでなく、私はそういう霊能者に幾度も遭遇し、かつて私が実験に用いた、素晴しい霊視能力を持った婦人があったのである。」 (「医学試稿 第一篇」より)




明主様御講義 「現界と霊界」 (昭和14年)

「人間の死とは、肉体から霊が脱出分離するという事は、前項の通りであるが、

しからば、脱出の霊魂はどこどこへゆくかというと、それは霊界なる別の世界の住人になるのである。

であるから、仏語でいう往生とは、「生れ往く」とかくのである。

それは、現界からみるから死であるが、霊界から観れば生である。

元々仏界は、霊界中の存在である為、生れ往くというのが当然である。

死の前の事を生前というのも同一の理である。

この霊界の実体に就ては面白いのであって、私は、永い間あらゆる方法を以て研究実験したのであるが、いずれ、別に記くつもりであるから、ここでは省く事にする。
 

右に述べたのは、人間に関してのみであるが、森羅万象いかなる物といえども、霊と体とから成立っているのである。

生物でない、ここにあるこの火鉢でも、座蒲団でも霊があるのであって、もし、霊が分離すれば、その物は直ちに崩壊するのである。

故にあらゆるものは、霊によってその形体を保っているので、その一例として、生石と死石という事がよくあるが、

死石というのは、霊が極稀薄になって、形体を保ち難くボロボロ欠けるのである。

又魚や野菜が、時間が経つに従って腐敗したり、味が無くなったりするのは、霊が漸次放出するからである。

たゞ、斉(ひと)しく霊といっても、物質の霊は霊であって、生物の霊は精霊と名付けられている。」 (「医学試稿 第一篇」より)




明主様御垂示 「一切に死はある」 (昭和25年1月20日発行)

信者の質問
「神は分霊いたされますが、人霊ならびに動物植物霊は分霊せぬものでしょうか。」


明主様御垂示
「動植物いっさい分霊はあるが高級であるほど、広さと量と数が多くなる。

従って、大宇宙の主宰神は全般的に分霊されている。

右の理によって、神様になると分霊するのは当然である。

単に霊と言っても、人間以外の動物は、生霊と死霊である。

人間の霊は精霊と言う。

植物の霊は無機物と有機物の中間霊である。

鉱物の霊はただ霊と言う。

動物霊に限らず、あらゆるものも、いっさい死はある。

石でも生右と死石あり、霊が抜けるとボロボロにかける。

釈迦は一切空と言った。

これは霊を考えず物質だけで考えれば一切空になるので、生長の家などはそれを言ったもので、一切無であると説いている。

谷口氏は先に警察に呼ばれたとき、一切無としたら、国家はどうかと訊(き)かれて困惑したそうである。」




明主様御垂示 「溢血意識不明の霊状態」 (昭和24年11月22日)

信者の質問
「脳溢血になった人で幾日も意識不明であったり痴呆状態になったりする場合が御座いますが、

このような場合、霊はいかなる状態に置かれているもので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「前頭部の意識を司っているものへ毒が溜まり働きを止める。

それで痴呆的になったのである。

霊もその通りになっている。

それを冷すからなお悪い。」




明主様御垂示 「麻酔時の霊」

信者の質問
「麻酔薬使用時及び睡眠時の霊の状態・・・」


明主様御垂示
「霊がちょっと離れている。寝る時は必ず霊は離れている。」