日本人種の霊的考察について 3 (日本人は火の系統で陽性)
明主様御垂示 「日本人は日の系統であるため陰を好む」 (昭和24年5月13日)
信者の質問
「日本文化の特色として「物のあわれ」や「さび」などが挙げられますが。
(一)文化にも霊統ということがあるものでしょうか。
(二)もしあるものでしたら、「物のあわれ」「さぴ」などは大和民族のものでしょうか。」
明主様御垂示
「当然こういう疑問が湧いていいはずですね。これは大いにあるんですよ。
日本人は火の系統で、陰陽に分けると陽になるんです。
従って陽だから陰を好むんです。
芝居でもなんでも悲劇を好むんで、総じて泣く芝居が好きでしょう。
ところが、アメリカ人は嫌いですね。
笑うほうが好きで、喜劇がふつうなんです。
これはね、西洋人は陰の人種で、系統が水ですから、どうしても陽・・・華やかさを好むんです。
だから西洋には「さび」なんてものは発達しないで、すべて絢爛たるもんですよ。
絢爛ならまだいいけど、中国なんかのは同じ華やかでも毒々しいですね。
これは、中国人が東洋の中の陰だからああなるんです。
これから世界が縦と横の十文字になりますから、日本人が絢爛たるものをもっと好むようになり、アメリカ人は「さび」だとか「わぴ」だとかを好むようになって、世界が平均してくるんです。
いままではそれが著しく差があり、特色があったわけですね。
そういうわけで、「さび」や「物のあわれ」は大和民族の特色なんです。」
信者の質問
「「さび」などは茶の湯からきたものと言われており、また茶の湯が仏教の禅宗から起ったと伝えられておりますが、そういたしますと「さび」や「わび」は仏教の系統とは考えられないものでございましょうか。」
明主様御垂示
「そうも言えないですね。
それからまた、仏教にもいろいろあって、禅宗は黒い衣に白い下着ですべてが簡単ですが、本願寺のほうは金ピカで道具も赤く塗ったりして陽気ですね。
その禅宗が「さび」を持っているんで、それから茶の湯が出たんです。
茶の湯は千利休に始まったって言われてますが、その前からもあったんです。
桃山時代、秀吉が豪華なことを好んで実に絢爛たる桃山美術を作ったんです。
いまでも、京都には到る所にその名残りがありますが、ところが毎日油っこいものを食べてると、今度はおこうこで茶漬が食べたくなるようなもんで、
秀吉が豪華を極めると、今度はそれに倦きてきて「さび」の趣味が起ってきて、それを利休にやらせて人々に奨励させたんです。
利休って人はなかなか立派な人でしたからね。」
信者の質問
「「物のあわれ」は平安時代、藤原時代にその極点に達したように存じますが、
そういたしますと「物のあわれ」は藤原氏の霊統のものとは言われないのでしょうか。」
明主様御垂示
「これもそうは言えないですね・・・
なんですね、和歌にもいいのがありますね。私はあの西行の歌が一番好きですがね、あの、
心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ
って言うのね、実によく「わび」を出してますよ。
鴫立つ沢って言うのは大磯にあるんですが、まったくこの歌は秋のなんとも言えない感じがよく出てますね。私はこれが一番好きですね。
それから俳句なんかにもありますよ、あの闌更(らんこう)ね、この人の一番有名な句は
枯れ蘆(あし)の日に日に折れて流れけり
って言うんですが、秋の深まって行く感じが実によく出てますね。」
明主様御垂示 「日本人は陽性なので静寂を好む」 (昭和24年6月3日)
信者の質問
「日本人は火の霊統で陽であるから陰を好むとのお言葉でございましたが、人間は反比例を好む性質があります。
しかし、人間の本性そのものは明るさを好むのではないでしょうか。
人が賑やかな町や市に集まるのはこの明るさを好む性質の表われと存じますが、いかがでしょうか。
また、さび、静寂(詩、和歌、俳句など)を好む性質と、明るさを好む性質との差異について御教示をお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「このさびのところはちょっと変ですね。
人間は反比例を好む性質があるっていうのは、陽は陰を好み陰は陽を好むってことでしょうね。
しかし、この陰陽の中にも善悪があるんですよ。
日本人がさびを好むっていうのは、いい意味での陰で、だからこれはいいんです。
悪の陰というのは、暗い所で悪いことなんかすることですね。
明るさって言っても、明るいのと静寂とそう反するもんじゃありません。
賑やかな所に集まるのは人類全部の要求で、別に日本人に限ったことじゃありませんよ。・・・
日本人は陽性だからかえって静寂を好むんです。
例えば、音楽だって日本の音楽は静かで聞いてる者の気が静まるようですが、西洋のは気を浮き立たせるようなリズムを持ってますね。
特に米国人のはそうなんで、米国人が一番陰性なんですね。
よくいろいろと考えればじき判断がつきますよ。
それからもう一つ、こういうこともあるんです。
昔、日本はひどい封建制だったから、人々は非常に圧迫された。
しかし、自分の悲しい気持ち、悲哀の持ってきどこがなかったから、そのはけ口として劇やなにかで悲劇を愛好したんです。それで慰められたんですよ。
特に昔は悲劇が多かったんで、中でも義太夫なんかはそうなんですね。
人間は同じような境遇を見ると、とても慰められるもんで、悲劇でも自分と同じような悲しさが出てくると、非常にひきつけられるものなんですね。」