天照大御神について
明主様御講話 「天照大御神様は人を救う力はない」 (昭和27年11月15日)
「それから私は今まであんまりはっきり言ってなかったので、
だんだん時節に応じていろんなことをはっきりさせていきますが、こういうことも知っておかなければならない。
今私がやっている仕事は伊邪諾(いざなぎ)尊の仕事なのです。
それで古事記にある「天の御柱を両方の神様が廻り合った」ということがありますが、
最初伊邪冊(いざなみ)尊すなわち妻神様の方が右まわりをした。
そうしたところが世の中がうまく行かなかったので、要するに失敗したのです。
そこで伊邪諾尊が「そうらみろ、オレが最初右まわりはいかんと言ったのに、お前が右まわりをしたからそうなったのだ。
こんどはオレが左まわりをしてやろう」というので、
天下が治まったということがあります。
というのは、右まわりというのは右進左退で体主霊従です。
それを伊邪諾尊様が左まわりにすると天下が治まったというのです。本当のやり方をしたのです。
ちょうど今の医学は右進左退ですから体主霊従です。右まわり医学です。
今度は浄霊という「霊」を主にするというのは左まわりです。
それで私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事です。
この間多賀さんの奥さんに天照大御神様が懸って、私のことを「主神様」と言ってます。
良いことがあって御祝いに来たのです。
「主神様に御祝い願いたい」と言ってきたのです。
最後に「主神様に御守護をお願いしたい」と言うのです。
これは本当に懸ったのです。
そうすると、天照大御神というと世の中ではたいへんな最高の神様のように思ってますが、
しかし天照大御神は伊邪諾、伊邪冊尊の子供になるのです。
これは神代史にもあります。天照大御神は伊邪諾尊の娘さんになる。
ですから分かりやすく言えば私の子になるわけです。
そこで天照大御神様は本当に人を救うという力はないのです。
それから月読尊も御祝いに出ました。
いずれ「地上天国」に出しますが、まだちょっと早いので正月のに出そうと思ってます。
それで月の神様と日の神様の両方でなければ救えないのです。
そこで日と月が両方ピッタリして出るのが光なのです。
光というのは、日も月も両方とも光はありますが、
本当の光の力というものは両方がピッタリ合わなければ出ないのです。
ですから私から出る浄霊の光も、そういった日と月の両方の光なのです。
そこで光明如来という名前も、「明」は日月ですから、日月の光というこれが本当の力になるわけです。
そういうわけです。
これはいろんなものに現われてます。
[逆卍]でもそうです。
仏教のはこういう卍です。
私の方で先に[逆卍]をつけたことがありますが、逆のまんじです。
仏教の方ではこういう[逆卍]を逆まんじといってますが、実は仏教の方が逆まんじです。
右進左退です。今までの逆まんじ[逆卍]というのが左進右退になってます。
だから仏教は月だということは、やはりそういうことです。
これはなかなかおもしろいと思います。
巴も、こういう(右まわり)書き方と逆のと両方あります。
これもおもしろいのです。三つ巴、二つ巴というのがありますが、
三つ巴は五六七が左進右退と、右進左退になっている。
それで言霊からいっても伊邪冊の「ミ」は女で、「ギ」は男です。
「イ」ということは人間ということです。
「イ」というのは「人」というのを縮めたものです。
「ザ」というのは「ジャシン」の「ザ」です。
字で書くと「邪」ですが、言霊からいっても、「ジャ」を縮めると「ザ」です。
やはり「蛇」ということです。
「ナミ」というのは「柔らげる」とか「和める」とか、女の柔らかさということです。
「ナギ」というのは「薙倒す」という非常に強い力です。
やはり「キミ」になるのです。
「キミ」という言霊もたいへんなものです。
「キ」というのは霊で、「ミ」というのは体です。
「キミ」というのは霊体ということです。
「キ」というのは精神です。心とか目に見えないものです。
「ミ」というのは水、女ですから、言霊からいうと伊都能売ということになるのです。
こういうこともだんだん書きますが、方角でも「キタ」と言いますが、「気が足りる」「気が満ちる」ということです。
それから「ミナミ」ということは「水のみ」とか、つまり女です。やっぱり陽陰、火水です。
こういうことも今度精しく書きます。」
明主様御講話 「明主様の御神業は伊邪諾尊の仕事」 (昭和27年11月17日)
「それからもう一つは、今私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事をしているのです。
というのは古事記にありますが“天の御柱を廻り合う”といって、柱をまわり合ったのです。
そうすると伊那冊尊は右まわりをしたのです。
それは右進左退です。右が進み左が退くのです。
ところがそのためにうまくなかった。
世の中が治まらなかったというので、とうとう伊邪冊尊様は、つまり夫神に助けを求められたのです。
そこで伊邪諾尊様が「そうらみろ、オレが最初右まわりではいかんと言うのを、お前があんまり言うからオレは許したのだが、
やっぱり左まわりでなければいけないのだ。
それではこれからオレがやってやろう」と、左まわりをしたのです。
やっぱり霊主体従です。
つまり医学が機械やなにかで治すというのは右進左退です。
それで浄霊で治すというのは左進右退ですから、伊邪諾尊様のやり方です。
それで伊邪諾尊が主神の代表神です。
ですから非常に力が強いのです。
それでこの間 多賀さんの奥さんに伊邪冊尊様が懸って「自分は非常に間違っていた。だからこれから大いにお手伝いする」というようなことを言われてました。
それから今世の中では天照大御神が一番尊い神様としてありますが、
天照大御神がこの間出られて私のことを「主神様」と言ってましたが、
「主神様がいよいよお出になってお慶び申し上げたい」と言って
「これからせいぜい御守護をお願いしたい」ということを言われてましたが、これは本当のことです。
これは神代史にある通り、天照大御神は伊邪諾、伊邪冊尊から生まれたとなってます。
ですからつまり天照大御神は私の子になるわけです。つまり長女です。
それからその次に生まれたのが素盞嗚尊です。
素盞嗚尊という神様は、私の本にも書いてありますが、物質文化つまりユダヤの祖先になるということにもなってますが、本当はそうではないのです。
そういっても良いのですが、とにかくイスラエルの民族というものは素盞嗚尊の子供ですが、それがユダヤになるのです。
そこで今日の物質文化というものはユダヤ文化です。
要するに素盞嗚尊が造られたものです。
そこでつまりキリストは素盞嗚尊の子孫です。
だからキリストは伊邪諾尊より生まれた神を祖先として、その後に生まれたのがキリストですから、
私の弟子がキリストと同じくらいの奇蹟ができるというのは当然なのです。
そういうことも細かく話しするとなかなかおもしろいのですが、だんだん書くつもりです。」