素盞嗚尊について 1
明主様御講義 「天の八洲川原における誓約」 (昭和10年7月15日発行)
「世界を大別すると左のごとくなる
日 天照皇大神 国常立尊
伊都能売大神
月 素盞嗚尊
地 盤古神王
国常立尊及素盞嗚尊がこの地上を治められたが、国常立尊の御経綸は非常に厳格の為に、一般の神々が反対して御隠退なされ、艮の金神と申されたのである。
又素盞嗚尊が地上を治められた事もあったが、世が乱れてうまく治まらぬ為、根の堅州国に居られます母神様の御許に行く決心を以て、一度天に座(まし)ます姉神様たる天照大神様に御面会して行かんと天に登られたのであるが、
余り勢よく御登りになったので山河動揺し、天照大神様はこれを御覧になり、これは素盞嗚尊が謀叛なされ、御自分を征めに来るものと思召され、軍備をなされてお待ちになったのである。
ところが素盞嗚尊がその様な心はないと御弁解なされて御誓約をなされたのである。
その結果、天照大神様は曲玉をお首より御取りになり、天の真奈井にそゝがれると、五人の男の神様が御生れになられた。
天照大神―(五男)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
天 穂 日 尊(あめのほひのみこと)
天津彦根尊(あまつひこねのみこと)
活津彦根尊(いくつひこねのふこと)
熊津樟日尊(くまつくすびのみこと)
五柱の神様がお産れになったのである。
素盞嗚尊はお腰の剣を抜き、これを天の真奈井にそゝがれると三人の女神様がお生れになられたのである。
素盞嗚尊―(三女)
田 心 姫 尊(タギリヒメ)
瑞 津 姫 尊(タギツヒメ)
市杵島姫尊(イチキシマヒメ)
この神様を総称して五男三女という。(五ノ三) 即ちイヅノメ
天の真奈井とは地上では琵琶湖となるのであります。
富士山と琵琶湖は日本の臍に当り、富士山が表、琵琶湖は裏となり、これを邪神に占領されると日本が自由になるから、観音様が富士山に兄の花姫尊として、
又、伊都能売大神様は金龍となられて、近江の琵琶湖にお潜みになられた。
この天の真奈井の天の八洲河原において誓約なされたのである。
東 天照大御神の御統治
誓約 天の真奈井
西 素盞嗚尊の御統治
このごとく、両神様が未来において御統治をなさる御約束がこの時出来たのである。
五男三女の神様はその時まで龍神となられ所々に別れて潜まれ、五男三女の神様こそは八大龍王の事なのである。
一、ナンダナーガラーシャ (難陀) 観 喜 龍 王
一、ウバナンダナーガラーシャ (跋難陀) 善観喜龍王
一、サーガラナーガラーシャ (娑羯羅) 海 龍 王
一、ワーシュキナーガラーシャ (和修吉) 多 頭 龍 王
一、タクシャカナーガラーシャ (徳叉迦) 視 毒 龍 王
一、マナスキンナーガラーシャ (摩那期) 大身大力龍王
一、ウッパラカナーガラーシャ (優鉢羅) 青龍華色龍王
一、アナッダブダナーガラーシャ(阿那裟達多)無悩清緊龍王
国常立尊・・・(後継者)・・・大 将 軍
素盞嗚尊・・・( 〃 )・・・大己貴尊(おほなむちのみこと)
盤台神王・・・(後継者)・・・天若彦尊(あめわかひこのみこと)
この後に至り天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)より御系統が出て瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)となり、連綿として今に至る。」 (「観音講座 第一講座」より)
明主様御垂示 「五男三女神の父母神」
信者の質問
「五男三女神の父母神様の御神名を御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「五男三女が、玉や劔から生れたという事は実際的でなく寓意である。
例え話のようなものになっている。
神話はとりとめのないもので、理屈にのらぬものである。
諾冊(なぎなみ)二神が大洪水の起った時、天の瓊矛(ぬぼこ)の劔でシホロコホロとかきなして島が出来たというが、これも馬鹿々々しいものである。
ただこういう事はいえる。劔は月であり、月の系統を意味し、玉は太陽で、日の系統という事になる。
それで、素盞嗚尊と乙姫の間に三女神の子が生れ、天照大神とその夫神の間にも数人子があり、そのうち五男神生れたと人間的に解してもいいと思う。
五人の男の御子様の系統は日本人中に沢山ある。
天の児屋根命(アメノコヤネノミコト)は藤原家の大先祖である。
藤はその本家で、伊藤・・・伊賀の国へ別れたもの、近藤・・・近江の国へ別れたもの、加藤・・・加賀の国へ別れたもの。
このようにあちこちに分れたのである。
苗字にはいろいろの訳がある。
伊邪諾尊には五柱位御子様があったらしい。
(一)天照大神(二)素盞嗚尊(三)稚姫君(これは大本開祖に生れた)(四)初稚姫・・・天理教の教祖と生れたと聞いている。しかももう一人あるらしいのである。
素盞嗚尊は本妻の乙姫を朝鮮へおいて来た。
そして立派な邸をおいて生活した。
それが龍宮城で、これはたしかに朝鮮の建築である。
素盞嗚尊は非常に素行悪く、稚姫君尊と姦通した。二号、三号、四号も作ったらしい。
一方乙姫は夫の留守中、男性に飢えていた。そこへ浦島太郎が漂着して、非常に歓待を受けた。
素盞嗚尊と稚姫君との間に関係がついて、日本に長くおれなくなり、朝鮮へ帰った。
稚姫尊は恋しさに堪えられず、烏となって行って、それでこれを祭ったのが丹波元伊勢の近くにある於加良洲明神という伝説があるが、これは根拠のない事ではない。
天若彦はまことに良くない。
国常立尊が支配なされた時厳正至直の神なりしため、窮屈でやり切れぬというので、天若彦は輿論をつくり、相談して御隠退を願った。
尊は東北(芦別山という)へ隠退なされた。
その後天若彦は我がままな政治をした。
皮肉な性質で、人が右といえば左という、いわゆる天の邪鬼で、よく恐い顔した神にふまれてる彫刻がある。
天若彦は邪神となって天の邪鬼となった。アマンジャクである。
この系統は日本人中にも非常に沢山ある。
日本人中には随分皮肉の性質のものがある。
アメリカ人にはこの系統はない。
日本以外の国にはあまりないようである。」
明主様御垂示 「素盞嗚尊はユダヤ人の祖先」 (昭和23年2月28日)
信者の質問
「宗教になりましてより、観音様や日月地大神のお働きについて信者が非常に知りたがっておりますが。」
明主様御垂示
「観音様は観音菩薩で、仏教のほうでは観は見る、客観的にわきで見ることで、音は世間の音、すなわち世の音を見るのだと言ってますが、おかしなものです。
これではまるで目の中に耳があるようですね。コジツケですよ。
観音様は昔インドに渡って布咀落迦山に登って住まわれた。日光にオダケ観音がある。
二荒山は布咀落迦山のことで、その因縁による。布咀落迦山は海岸に近く、南に海があり、その山の上に寺のようなものを作り、またその庭に全剛法座を設けて説教した。
経文に二十八部衆を従え、観自在菩薩南海大師として善財童子らに説法したとある。
当時インドは大自在天が支配していた。観自在菩薩とは大自在天の世を見るという意である。
この故に観世音という。菩薩とは一番下の位で尊者と同じようだ。
インドでは如来より天が上だろう。何々天とはインドの位になる。
華厳経に、布咀落迦山に観世音菩薩あり、善財童子等大慈悲教を説かれるのを聞いて居られたが、其の中に既に沢山の弟子が居られ、
中にも侍者として二十八部衆在り、大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀、毘舎門天、阿修羅王等の外、ナーラヤナ金剛、ワーデラバーニ金剛の兄弟二人(此二人を仁王尊という)等の諸天が居られたとあるのを見ても、御釈迦様は観音様から御教を受けたことがよく判ります。(以上「観音講座」第二講座より)
日蓮の曼陀羅にも大自在天がある。天照大神は下のほうに小さく書いてある。
ここにもいろいろ意味がある。伊都能売大神はネ、日本におられたとき迫害をうけてお逃げになった。
そのとき姿をかくすため頭巾をかぶり身を包んだ、そのお姿が絵に書いてある。
「古事記」には世を浄める神と出ている。
で、日本を脱出して支那からインドに渡り庵を作り観自在天となられた。
観音様は日本人ですよ。
だから釈迦や阿弥陀は頭の毛が縮れているが、観音様は縮れてないんです。
なぜ逃げたかというと、それは素盞嗚尊に命をとられようとしたからです。
素盞嗚尊の奥さんは乙姫、また弟姫、オトヨの姫ともいう。
素盞嗚尊は朝鮮の蘇尸茂梨(ソシモリ)山ー日本書紀にありますがーに下り、日本へ来て実権を握った。これが出雲朝の始めです。
伊都能売大神は天照大神のころかそれ以前の神様です。
素盞嗚尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。
で素盞嗚尊の代わりになったのは乙姫だ。
観音とは、乙姫ー音姫を観ていることを意味する。
そしていずれは日本に帰り、素盞嗚尊の実権を取り返そうとする時期を待っておられた。
千手観音がそれです。
いままでは乙姫が財宝を握っていた。
神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。
乙姫は物質に執着して龍になり、丹後の竜宮海という海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみにあい、ついには国常立尊にお詫びするようになる。
国常立尊とは以前世界の実権を持っておられたが、節分の夜鬼門のほうに押し込められ艮金神となられた神様です。
国常立尊が伊都能売大神になる。
国常立尊は霊界で閻魔大王になり、裁きの役をやるが、それが苛(きび)しくてかわいそうだということから半分は閻魔大王に半分は観音になる。
神は厳格だが仏というのは慈悲だから、伊都能売大神は、仏界で観音様になったんだ。
すなわち善悪無差別の慈悲である。
本地垂迹説もいままでのは間違いで、日本へ再び帰って来られて衆生を救うことの意味である。
神様は霊的に分裂する。精神分裂ではないがね。フロイトのは霊憑りを説明したもので「ジキル博士とハイド」などはそれで説明される。
伊都能売大神は龍神になり霊は富士山頂に(兄花咲耶姫の守護神久須志神社)、体は琵琶湖で時期を待っておられる。龍神というのは力が強いんです。
で、大神も悪魔の邪魔に対抗するため龍神となられたんです。
伊都能売大神のお働きは、イヅー火、ミズー水です。ミイヅというでしょう、これは逆なんです。
火と水で光になる。夜の間は本当の火がない。月の光ですね。
太陽は月の六十倍の光を持つというが、いままで観音様をお祀りしても少ししか御利益がなかったのはそのためです。
イヅ、ミズが五、三、それでも足らずさらに土の力が加わってそれが日月地の御力になる。
いままではニロクー二力だった。
夜の間は三界(天界、中界、地界)はほとんど水だった。六、六、六だったが、今度は五六七になり、天の六が地に降り土の力が加わる。
金剛不壊(ふえ)の力だ。絶対力になる。いかなることでも自由になる。
神道でいうマニの玉とは完全な玉のことですネ。
これから先は神秘になるからまた時期に応じて説く。
私がこれを始めたのが昭和三年で、それから六年して昭和九年まで治療し、さらに六年の昭和十五年まで上野毛でやり、さらに六年、二十一年までが基礎工事なのです。
私の修行は終わった。去年からミロクの時代になった。霊界から日月地大神の御力が私の身体を通して人に働くんです。
これから三年は現界の基礎工事、それが終わってから世界的になるんです。
光に「丶」の御守りは天から地に降ったことです。
祝詞にあるでしょう、光明如来(火と水)が応身日月地に現ずると。
これは相手に合うように働く、大きく言えば世の中に合うようにする。いばっていては駄目です。その社会に合うようにやらねば駄目です。
そうでないと爾光尊みたいに気狂い扱いされる。
日月地にも三段あり、現界に対してはやはり光明如来で、日月地、光明如来、観音の三段になる。
徹底して説明せねばならぬがいまはまだ時期ではない。」
明主様御教え 「観世音菩薩」 (昭和27年御執筆)
「前項までに、観世音についての因縁を、色々な面から説いて来たが、そうなられるまでの根本と言えば全く素尊(すさのをのみこと)の暴圧が原因であった事は、すでに述べた通りである。
ところが伊都能売神去り給いし後の日本は、どうなったかというと、その弟神であったのが、彼の天照天皇であって、
この天皇は惜しくも、何の理由もなく俄かに崩御され給うたので、止むなくその皇后を立てて、御位に即(つ)かせられたのが彼の女性である天照天皇であった。
今もなお天照大御神が日の神でありながら女神として祀られているのは、そういう訳なのである。
また以前私はかいた事があるが、素尊は日本の統治権を得んとして余りに焦り、目的のために手段を択ばず式で、力の政治を行った結果、人心は紊れ、収拾すべからざるに至ったので、
ここに父君である伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御勘気に触れ、譴責(けんせき)の止むなき事になった。
というのは素尊は、本来朝鮮系統の神でもあったからである。しかもその後悔悟の情なく、依然たる有様なので、最後の手段として日本を追放される事になったのである。
この時の事を「古事記」にはこう出ている。素盞嗚尊の素行や悪政に対し、伊邪那岐尊の御尤(とが)めを蒙り、神遣(かむやらい)にやらわれたとあり、
その行先は黄泉(よみ)の国であるが、黄泉の国には母神である伊邪那美尊(いざなみのみこと)が在(ましま)すので、
罪の赦されるまで母神の許にいて、暫くの間謹慎すべく思って、出発の前、天に在す姉神天照大御神に暇(いとま)乞いをせんとしたのである。
この事を「古事記」にはこう書いてある。
素盞嗚尊はたちまち山川響動(どよも)し、天に昇らんとしたところ、それを知った天照大神は大いに驚き、さては弟素尊は、自分を攻めに来たのではないかと疑心暗鬼を抱いていたところへ、
素尊は天に上り、天照大神に面会されたところ、どうも姉神の様子が普通でないので、これを見てとった素尊は、姉神は私を疑われているようであるが、自分の肚は何らの邪念はない。
この通り潔白であるから、今その証しを御眼にかけると言い、素尊は剣を抜き天(あめ)の真奈井(まない)に水を注ぐや、たちまち三女神(みはしらのひめがみ)が生れた。
すなわち市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、田霧姫命(たぎりひめのみこと)である。
すると天照大神は、では自分の清い心も見せようと申され、胸に掛けた曲玉(まがたま)を外し、同じく水に注ぎ揺らがしたところ五男神(いつはしらのひこがみ)が生まれた。
すなわち天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまぬのくすひのみこと)である。
もちろんこれは比喩であって、実際はその時、素尊は三人の息女、天照大神は五人の重臣を呼んだのである。
というのはこの時両神は、右の五男三女を証人として、一の誓約(うけい)をされようとしたからで、
その誓約とは近江の琵琶湖一名志賀ノ湖(うみ)、また右の天の真奈井もそうであって、この湖水を中心として、東の方を天照大神、西の方を素盞嗚尊が領(うしは)ぐという約束をしたのである。
つまり今日で言う平和条約である。
これによってともかく一時小康を得たが、その後素尊は相変らず謹慎の色が見えないので、ここに本当の追放となったのである。
この時の事を八洲河原の誓約と言われているが、今日でも琵琶湖の東岸に八州河原という村があるのは、この地点であったのであろう。
ここで昔から、人口に膾炙(かいしゃ)されている竜宮の乙姫という女神の事を書かねばならないが、これについては、少し遡って書く必要がある。
それは伊邪那岐、伊邪那美尊から生れた五柱の男女の兄弟がある。
すなわち長男は伊都能売天皇、次男が天照天皇、三男が神素盞嗚尊、長女が稚姫君命(わかひめぎみのみこと)、二女が初稚姫命である。
そこで伊邪那岐尊は、最初伊都能売尊に日本を統治させ次で天照天皇次で天照皇后の順序にされたのであるが、素盞嗚尊には最初から朝鮮を統治させたのである。
そうして素尊の妻神とされたのが、もちろん朝鮮で出生された姫神であって、この姫神が弟の妻神となった、言わば弟姫であるから、これを詰めて音(乙)姫と呼ばれたのであるが、昔から乙米姫とも言われたが、これは未婚の時に朝鮮名の中に、米の字が入っていたからであろう。
右のごとく、弟姫すなわち音姫は、夫(つま)神が流浪の旅に上られたので、それからは孤独の生活となったのはもちろんで、まもなく故郷の朝鮮へ帰り、壮麗な城廓を築き、宮殿内に多くの侍女を侍(はべ)らせ、空閨を守っていたのである。
ところがその頃信州地方の生れである太郎なる若者が、漁が好きなので、常に北陸辺りの海岸から海へ出ていた。
するとある時大暴海(おおあらし)に遭い、辛うじて朝鮮海岸に漂着して救われたが、当時としては日本人も珍しがられていた事とて、ついに男禁制の王城内にまで招ぜらるるに至ったのも無理はない。
ところが当時女王格である音姫様は、寂寥(せきりょう)に堪えなかったからでもあろうが、とにかく御目通りを許されたところ、太郎という若者が、世にも稀なる美貌の持主であったから堪らない。
一目見るより恋慕の情堪えやらず、ついに何かの名目で、城内に滞在させる事となった。
そのような訳で、太郎に対する愛情は益々熱烈を加え、日夜離さず御傍に侍らせるという訳で、この事がいつか人民の耳に入り、ようやく非難の声喧(やかま)しくなったので、ここに絶ち難き愛着を絶つ事となり、素晴しい宝物を箱に納め、土産物として太郎に遣り帰国さした。これが彼の有名な玉手箱である。
またこれを開けると白髪になるなどという伝説は、誰かの作り事であろうし、また浦島という姓は、朝鮮は日本の裏になっているからで、後世の作者がそういう姓を付けたのであろう。
そうして音姫が朝鮮の女王格であった時代は、日本も支那も圧倒されてしまい、印度以東は朝鮮の勢力範囲といってもいいくらいであった。
もちろんそれは素盞嗚尊が、一時飛ぶ鳥も落す程の勢いであったからでもあり、その上音姫という女神は男勝りの女傑であったからでもある。
ちょうどその頃印度の経綸を終えた観自在菩薩は、帰国しようとして南支方面にまで来たところ、まだ日本は危険の空気を孕(はら)んでいる事が分ったので、しばらくその地に滞在する事となったので、その時からが観世音の御名となったのである。
という訳はつまり印度滞在中は、自在天の世を客観していたので観自在といい、今度は音姫の世を静観する事となったので、観世音と名付けられたのである。
すなわち観世音を逆に読めば、音姫の世を観るという意味になる。
そうしておいて菩薩は、南支那地方民に教えを垂れ給うたところ、何しろ徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕うがごとく追々寄り集う有様で、この時から観音信仰はついに支那全土にまで行き渡ったのである。
ところが御年も重ね給い、これまでで経綸もほぼ成し遂げられた事とて、ついにこの土地で終焉(しゅうえん)され給うたのである。
そうして今日といえども支那全土すなわち満州、蒙古、西蔵(チベット)辺に到るまで観音信仰のみは、依然として衰えを見せないのは深い理由のある事であって、これもおいおい説くが、ここで遺憾な事は、南支地方に観音の遺跡がありそうなものだが、
全然無いのは、全くその地方が幾度となく、兵火に見舞われ、地上にあるあらゆるものが消滅した結果でまた止むを得ないのである。」
明主様御垂示 「天の誓約について」 (昭和23年7月28日)
信者の質問
「天の誓約(うけい)について御教えをお願いいたします。」
明主様御垂示
「琵琶湖のそばに八洲(やす)という所があるが、その川原で約束したことと思う。
天照皇大神が日本を統治しておられたところへ素盞嗚尊が来て武力を振りまわして領土を迫るので、
それじゃあというわけでそこから西を素盞嗚尊、東を天照皇大神が治められたが、
しばらくすると素盞嗚尊がみんなくれといって脅迫したので、大神は信州へお逃げになったのです。・・・
国常立尊のことはずっと以前のことであり、また単に国常立尊と言っても新旧いろいろあり国武彦尊というのもある。
今度出す「神秘の扉」という本の中に書きます。」
信者の質問
「御誓約で八大龍王がお生まれになる経路や伊弉諾尊が禊(みそぎ)をされて神々がお生まれになったということはよく判りませんが・・・」
明主様御垂示
「国生み、島生みというのは大洪水で・・・ノアの洪水のことでしょう。・・・
日本が水に浸されたとき「潮干(しおひ)の技(わざ)」をやって島や国がまた現われてきたということでしょう。
天瓊矛(あめのぬぼこ)でこんろこんろとかきまわしたと書いてあるが、そんな、こんなことをして国を作るなんて馬鹿なことはない。
誓約というのは他のことを寓意的に作ったことでしょう。」