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■特派員リポート 佐藤武嗣(アメリカ総局)

 ワシントンに赴任したのは今年1月。これまで政治記者として十数年、永田町中心に取材してきたが、日米の政治家を比較して、圧倒的な差を感じるのが「演説力」だ。

 どこが一番違うのか。米大統領が演説で力を込めるのは「夢」を語り、「理性」を説くことだ。国が抱える「課題」を示し、もちろん政敵への強烈な「牽制(けんせい)」も忘れない。例えば、オバマ大統領の1月の一般教書演説はこうだ。

 「危機の影は過ぎ去った。我々は不景気から立ち上がり、自分の未来を自由に描けるようになった」。アフガニスタン、イラクという二つの戦争の終結と経済回復に道筋をつけたことを自負し、未来を語る。

 もちろん、「我が国は労働者に有給の傷病休暇と有給の出産休暇を保障していない唯一の先進国だ」と課題も説き、セーフティーネットの構築に取り組む姿勢をアピールする。

 「我々は人間の尊厳を尊重する」「正義に深く関与する」と、拷問の禁止やグアンタナモ基地の閉鎖に踏み切った決意を説明。白人警察官による黒人少年射殺事件など、依然として人種差別問題が根を張っていることについても「リベラルな米国や保守の米国、黒人の米国や白人の米国はない。アメリカ合衆国があるだけだ」と団結を訴える。

 一方、医療保険制度改革や移民制度改革など自らの「肝いり」政策については、野党共和党が妨害すれば、「拒否権を発動する」と対抗心をむき出しにする。

 確かに、広げた風呂敷のどこまで実現が可能なのか、首をひねる部分もなくはない。だが、演説の内容もさることながら、抑揚のあるリズムで訴えられると、その説得力は強くなる。自然と演説に引き込まれ、こちらの胸が熱くなることもしばしばある。

     

 もちろん、日本の首相でも、聞いていて気分が高揚する演説はなくはない。