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 3日告示された41道府県議選で、総定数の5分の1を超える501人が有権者の審判を受けずに議席を得た。人口減に揺れる地方だけでなく、県庁所在地の高松市など都市部でも無投票当選が相次ぐ事態に。「自民1強」の国政の勢力そのままに、民主党が候補者擁立に苦しんだのも一因だ。▼1面参照

 ■議員「争い好まぬ地域」 無投票6回連続

 群馬県議選の北群馬郡区(定数1、吉岡町・榛東〈しんとう〉村)は1999年以来、補選も含め6回連続で無投票となった。当選した自民現職の高橋正氏(67)は「選挙で有権者の信任を得るのが本当だが、争いを好まない地域だから」と語った。

 前橋市や高崎市に隣接し、ベッドタウンとして開発が進む。かつては首長経験者同士が争う激戦区だったが、旧吉岡村長を務めて県議になった故大林喬任(たかとう)氏の時代に保守系が一本化され、息子の俊一氏が地盤を引き継ぎ、親子2代にわたる無投票が4年前まで4回続いた。俊一氏の死去に伴う昨年7月の補選でも、榛東村議長だった高橋氏への候補の一本化がすんなり決まり、無投票となった。

 平成の大合併の影響を指摘する声もある。北群馬郡区には5町村あったが、2006年に3町村が渋川市と合併し、吉岡町と榛東村だけが残った。首長経験者の一人は「候補者を出して争えば、二つの自治体間の関係にひびが入る」と語る。

 労組などの足場が弱く、野党は民主党の全盛期でさえ候補を立てられなかった。野党幹部の一人は「新住民が増えているとはいえ、もともと保守的な地域。1人区で勝算があるとは思えない」と明かす。

 島根県議選では、奥出雲町を区域とする仁多(にた)選挙区(定数1)で8回連続で無投票となった。5期連続の無投票当選を決めた自民党の絲原(いとはら)徳康氏(67)は地元で400年続く絲原家の15代当主。竹下登元首相の地元後援会を支えた父の故・義隆氏から親子2代で8期連続での無投票当選だ。

 棚田で炭を焼いていた幡(はた)勇さん(85)は話す。「選挙は決まったようなものだからねえ。町議選と違い、県の話を我々がとやかく言うことはない」

 ■資質の判断「仰ぐべきだ」 定数15、県都でも

 今回、定数が複数の都市部でも無投票が相次いだ。

 定数41のうち27人が無投票で当選した香川県議選。定数に占める無投票当選者の割合は66%で全国で最も高かった。高松市選挙区(定数15)では、現職14人と新顔1人のほかに立候補の届け出はなく、全員が当選。香川県議選で県庁所在地の選挙区が無投票となったのは初めてだ。

 高松市の契約社員の男性(60)は「投票の機会がないのは残念。定数内でもその人が議員にふさわしいのか、判断を仰ぐべきだ」と話した。

 人口40万人を超える愛知県議選の豊田市選挙区(定数5)でも自民2、民主2、公明1の5人が無投票で当選した。前回、候補を擁立した地域政党・日本一愛知の会(会長・大村秀章知事)は大村知事が2月に各党の支援を受けて再選されたことから県議選で擁立せず、共産も同選挙区では見送った。共産の地元幹部は「適切な人材がいなかった」と話す。

 ■阻止掲げ出馬

 一方、無投票を阻止するために立候補した候補者もいる。

 1999年以来、補選を含め5回連続で無投票が続いた岐阜県議選加茂郡選挙区(定数1)。自民現職の加藤大博氏(35)に、自民を離党した元川辺町議会議長で僧侶の矢田宗雄氏(64)が挑む。「無投票阻止」を掲げる矢田氏は第一声で、「無投票が続き、若者の政治離れにつながった」と訴えた。

 加茂郡7町村のうち五つは「消滅可能性都市」に名を連ねる。矢田氏は「このままでは加茂郡は消滅してしまう」と訴えた。3期目を目指す加藤氏は「課題にしっかりと対応してきた」と実績をアピールした。

 自民の支持基盤が厚く、自民関係者は「2人区から99年に1人区となり、自民の公認候補に新顔が対抗する余地が全くなく、無投票が続いた」と話す。

 ■民主、公認候補4割減

 道府県議選で無投票での当選率がこれまでで最も高くなったのは、民主党の党勢が上向かないことが大きい。

 岡田克也代表は3日の会見で「候補者は多い方がいいが、結果につなげるにはやむを得ない」と語った。現職の当選を最優先し、多くの新顔を立てる余力に乏しかったのが実情だ。

 民主は4年前の統一選から約4割も公認候補が減り、345人の擁立にとどまった。例えば、野田佳彦前首相のおひざ元の千葉県議選(定数95)では、20ある1人区のすべてで候補者を立てず、結果、12選挙区が無投票になった。「民主王国」と呼ばれる北海道の道議選も、公認候補が前回の47人から32人に激減。47選挙区中、19選挙区が無投票になった。

 与党で衆参の過半数を上回る議席を確保するなか、自民党はこの統一地方選を「日本を取り戻す最終決戦」と位置付ける。1人区のほか、複数区でも積極的に公認候補を立て、他党の出ばなをくじいた。この結果、自民の無投票当選者は348人で前回より約3割増えた。全公認候補1319人に占める割合は26%に上った。

 90年代以前は、政党の候補者擁立にかなり波があった。79年には、前回に大量落選した共産党が候補者を半分以下に絞り、一気に無投票が増えた。83年は、夏に比例代表制での初の参院選を控え、足場固めのために与野党が積極的に候補者を擁立。対決構図が強まり無投票が激減した。

 90年代からは、地方を中心に自民党に対抗する勢力が少なかったことや、合併や人口減で、選挙区の数や定数が減り、当選のハードルが高くなったことなどから、無投票の割合は高止まりしていた。

 (上地一姫、江口達也、三島あずさ)