(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは女性の本音というか本心というか素顔人生をこれほどちゃんと伝えてくださる演じてくださる女優さんっていうのはめったにいらっしゃらないんじゃないかと思います。
女優の泉ピン子さんにおいでいただいております。
おはようございます。
どうも。
ほんとに今日はよろしくお願いいたします。
お願いします。
まず椅子を選んでいただくという作業がございます。
(泉)これね難しいんですよ。
私西田君とおんなじのにします。
あっなんでご存じなんですか?あの〜あの日に…あの日に見てすごくネクタイのセンスもスーツ姿もすごくあの人格好よかったんで「すてき」とかって送ったの。
そうなんですか。
喜んでた。
あははっ!のりやすいタイプなんですあの人も。
(一同)あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
18歳のとき漫談家としてデビュー。
10年もの下積み生活を経験したあと…。
個性的なキャラクターがドラマ関係者の目に留まり…。
うちはね吉祥寺でも指折りの老舗なんだから三面記事に出るようなまねしないでよ。
ここから彼女の人生が華々しく変わりました。
1983年の「おしん」では日本のドラマ史上最高視聴率を記録。
しかしその一方でマスコミからだから私一時期痛かった?だっていじめっていうのは。
今日は何事にも全力で取り組むピン子さんがウソいつわりのない本音をサワコにぶつけます。
もうちょうど終わったばっかりですけれどもNHKの朝ドラの「マッサン」では意地悪なお母さん役を。
あははっ!広島の意地悪なお母さん役を。
もう久しぶりに楽しめたと思うあの役は。
楽しんでらっしゃったんですか?楽しんでましたね。
どういうふうにリアクションしようかとか。
あの〜オリンピックの顧問させていただいてて1回目のオリンピックのなんかパーティーがあったんですよ。
今度の2020年のオリンピックの?そうです。
やっぱりそんときにそこに来てる財界の方っていうのは大概会長さんとか社長さんでしょ?それが歩いてたら「意地悪ばばあ!」っつったのよ。
(スタッフ)あははっ!えっ?って。
このパーティーで名もある会社でしょうに。
だからそんときにあっこれは役として成功したんだなって。
なるほど。
だからすごい帰らなかったです。
あの…東京へ。
大阪で撮ってたんで。
死ぬ週はずっといようとその気持ちで。
ああ〜そうなんですか。
そのぐらいこうちょっと入り込みましたね。
そのお亡くなりになるシーンでねもうみんな涙なくしては見られなかったというこのシーンの映像があるそうですから。
そうですか。
先月最終回を迎えた「マッサン」。
ピン子さん演じる主人公の母が亡くなるシーンは話題を呼びました。
あんたは日本一…世界一の嫁じゃ。
ごほっ!ごほっごほっ。
最後に…。
(玉山)うん。
(泉)言っておくことがある…。
お前の作ったウイスケは…。
(玉山)ああ。
(泉)まずい。
(玉山)えっ?
(泉)エリーさん…。
(シャーロット)はい。
(泉)サンキュー。
グッドバイ。
グッド…グッド…。
(シャーロット)ああっ…お…お…。
お母ちゃん?お義母さん…。
お母ちゃん!
(シャーロット)お義母さん…。
(泉)もうさ年取ったんじゃない?年取ったのよ。
もうねそれ年取ったの。
このときはねうれしかったのはねスタッフも全員泣いてくれたの。
みんな年寄りなんですかね。
そう。
あははっ!でもエリーがほんとに泣いてるんですよ。
いや泣きますよ嫁の気持ちになればね。
作家の羽原さんに最初にお会いしたときに「最後は英語でお別れを言いたい」って。
へえ〜。
それで「サンキュー。
グッドバイ」は最後にすべてを許すという意味で英語を使ったら許すという感じが出るんじゃないかと思ったからだからそれでお願いして書いていただいて。
意地悪ばばあ役はご自身の中では…。
面白かった。
すごくやりがいがありましたね。
やりきった。
あの〜まあ主役も多くやらせていただいたけど脇の人がやっぱり固めていくドラマっていうのはやっぱり責任ありますからね。
主役は辛抱立役って…結構主役ってつまんないんですよ。
いい子ちゃんいい子ちゃんみたいな感じでそれより周りの方がドラマまわしていくんで面白いんで。
もうやっぱり脇が面白いなってことに。
(妻)昔はお肉と揚げ物が大好きな人だったのに…。
(夫)あっ金目か〜。
お魚を選ぶようになったわね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
野菜や魚を出し入れしやすい真ん中収納に。
しかも鮮度にこだわる冷蔵庫です。
うまいなぁ。
これからの日々にパナソニック「Jコンセプト」この番組のコーナーの一曲目。
今でも記憶に残っている曲は何をお選びいただきましたか?私はあの〜やっぱり親友の西田さんの…西田敏行さんが歌った「淋しいのはおまえだけじゃない」っていう。
ドラマがものすごい仲よかったんですこれもまた。
その歌のドラマでピン子さんと西田さんの出会いは…。
いやもう私は西田君がギャラ3万円私が5万円ぐらいのときからずっと一緒ですから。
あっあっちの方が下だった。
一応2万円ね。
でも早かった抜かれんのは。
(一同)あははっ!それでうちを買うときもあの人建て売り買って私マンション買ったんだけどそれで「もしあれ払えなかったらどうする?」って言うから「そんときは売っちゃったらいいじゃない」ってで二人で同時期に買ったの。
(スタッフ)あははっ!なんか仲いい3万円と5万円の仲なんですね。
そういう意味ではこの出演者もみんな仲よかったし終わってから飲みに行ってそのまま朝まで飲んでそれからスタジオ入って。
ええ〜!で今日は飲みに行かないぞって言いながらも夕方になると…また飲みに行って。
そのぐらい仲よかったからこの歌を聴くとなんか初心に戻れるじゃないけど。
私が泣いてどうすんの。
年取ったんじゃないんですか?そう。
なんかね走馬灯のように…走馬灯のようにあの…。
市川さん亡くなって高橋一郎さん亡くなって照明も…もうみんな長さんも亡くなってとか思うじゃないですか。
そうするとうん…あの〜西田君との歴史やっぱり私たち…いつも思うんですけど西田君と仲よくさせてもらってんのも私が頑張ってられて今あるから。
やっぱり現役同士じゃなかったら電話しづらくないですか?ちょっとあの人どうしてんだろう?みたいになっちゃったら。
だからそういう意味ではやっぱり戦友ですね彼は。
うん。
だって毎日ドラマ行くと「今日いくら持ってる?」って。
「私は今日1000円」「俺800円」。
じゃあ帰りの電車賃引いたら…それTBSでやってて「長寿庵」のたぬきうどん2回食えるかなみたいな世界なのよ。
そこへ来ると森重先生が「お前たち今日何食べたい?」って言うからもうそこで来ました!今日はうなぎなんて言っちゃっていいかな?みたいな。
もうほんとにねだからそういう時代も一緒なんですよ。
一緒に経験して。
800円と1000円の手持ちしかない頃から。
そうそうそう。
だからもう何十年ですね彼とはね。
そもそもだってピン子さんって女優になろうと思ってたよりも漫談家になろうと思って。
お父様は浪曲師でいらして。
そうですそうです。
っていうおうちで育ってどこから漫談師に…。
違う違う。
漫談家っていうのは何もやることがなかったんですよ。
ほかに?やりたいことは。
うん。
それでうちの母がおでん屋を姉とやってたんでそこへこう当時東京ぼん太さんとか…。
東京ぼん太懐かしい。
コント55号の欽ちゃんとか来てて。
それでこのお店のこの子面白いっていうんで。
おでん屋さんの娘看板娘を…。
うん。
なんかやることがないからっていうんで…。
お店の手伝いをしてたんですか?してて。
それで見てきたことを話するのがものすごい面白い人だったの。
やっぱり芸人だよねって根がね。
へえ〜!だから「役者」って使いだしたのはいろんな賞を頂いてから演技賞。
それから肩書は「女優」って言っていいですか?っていう。
それまでは「タレント」にしてました。
ああ〜。
あの…ごめんなさい。
皆さんほんとにごめんなさい。
何をですか?頂いた賞全部捨てちゃったんです。
えっ!?捨てたってなんですか?だから捨てちゃった。
賞っていうのは今年あるわけでしょ?受賞が。
で昨日までのは過去じゃない私が頂いたのは。
で過去にしがみついててもしょうがないじゃないですか。
だから一回もトロフィーとか飾ったことは一度もないんです。
ええ〜!
(でんきやさん)こんにちは〜。
《オーブンレンジってあっためるだけじゃもったいないんで》ご主人せっかくなんで。
《なので私は食材や調味料を持って行って一緒にお料理を作りながら使い方の説明をしてるんです》
(夫)2のほうね。
はいそうですね。
早いですね覚えるの。
(妻)あっジュージュー鳴ってる。
《電化製品買ってそれでなんか幸せな暮らしができればいいなって。
そういうお手伝いをしたいです》レンジが全部やってくれたんで簡単だったです。
簡単でした?あっよかった〜。
(旅行者:スペイン語で質問)
(翻訳機)これは何ですか?
(女将)日本のお菓子でございます。
(翻訳機:スペイン語に翻訳)私ピン子さんっていうとやっぱり「ウィークエンダー」が最初でした。
見てきたものをしゃべるのは面白いんじゃないかって…「ウィークエンダー」っていうので空きが出ちゃったんですよ1人誰か出られなくて。
初めてのテレビ出演ですか?いやテレビ全部失敗してんの。
あっ出てたの?出てたの。
昔寄席で牧伸二さんがやってた寄席でこれはもう登竜門といわれてたお笑いで。
それで出た瞬間に「いらっしゃいませ泉ピン子です」って3分のネタなのに2分ぐらいせきしてごほっ!って止まんなくてそれで全部出番の時間終わって誰だこんなヤツを呼んできたの!って怒られて。
だから…それでもうバカでしょ?私大概失敗が多いんですよ。
だから「ウィークエンダー」もどうせ失敗するんだからいいやっつって。
「ウィークエンダー」でそれで大腿部をイノブタっていうのに刺されて出血で亡くなったっていう人の話だからこれまた面白くないですもん亡くなった方に申し訳ないし。
そしたらそこの方が「じゃあブタの交尾を見ます?」って。
ブタの交尾?交尾。
で「見ます?」って見たことないし。
でそっちのネタじゃなくてその下ネタを延々に…。
交尾のお話を。
そう。
交尾を延々5分ぐらい。
そしたらもうジャンジャカ電話かかってきたらしい「何なんだ?あれは下品な」と。
あははっ!もうみんなびっくりしちゃった。
そういうことを経て女優になるっていうことになったのは…。
この局の鴨下さんっていう方が「水曜劇場に出ませんか?」って。
はぁ〜。
それで?なんておっしゃったんですか?最初。
「私できないです」って3回ぐらい断りましたお会いして。
ちょっとこうにぎやかしが欲しかったんでしょうね当時の。
それでまあ出たんですけど。
初主演のドラマが「手ごろな女」ですか?そうですジェームス三木さん。
あの〜「手ごろな女」っていうのをやるっつったらなかなか決まんないんですよ。
で泉ピン子の下に名前入んの嫌だって役者がみんな降りちゃうっていう。
なんでですか?当時無名だから。
あっそうか。
プライドがあるから。
私は…そうかそうか。
知ってるけどね誰が断ったか。
あははっ!そういうの聞くの大好きだから。
それから二度とその方たちとはご一緒してません。
あっそうですか。
そういうもんです。
根は深いわよ。
根に持たなかったらここまで来てないわよ〜。
そうなんだ。
やっぱりきちっともう。
いやしっかりお返しはするわよ。
(スタッフ)あははっ!「半沢直樹」よ。
倍返し。
あははっ!そのときにほんとに受けてくださったのが前田吟さんだったの相手役。
あっはいはいはい…。
この人はいい人だと思った。
いい人だと思った?あははっ!もうね。
森光子さんタダで出てくれて。
へえ〜!それと杉村先生はかわいがっていただいてたから。
その前から?うん。
すごいかわいがってもらえて。
杉村先生との出会いは…。
(泉)あっドラマで「かくれんぼ」っていうドラマで娘をやって。
杉村春子先生から教えられたこととか怒られたことっていうのもある?あります。
セリフの音。
音?「奥様ぁ!」って言ったら汚いでしょ?「奥様」って言えばきれいじゃないですか。
「奥様ぁ!なんとかです」「違うでしょ。
そうじゃないでしょあなた。
違うセリフの音が」って。
全部。
「奥様ティーでございます」って今だったら言えるんですよ。
「だから自分の言ったセリフを自分で聞いときなさいよ。
そしたらいつかできるから」って。
自分の言った…だからふだんも友達と電話で話してて「違うその音」とかって言っちゃうの。
もう音病になってるから。
はあ〜。
その語尾の余韻とかそういう…。
例えば火事だったら「あっ火事ぃ!」って言ってたら汚いじゃないですか。
「あっ火事?」って言ったらそれっぽく聞こえるでしょ?その役柄っぽく。
それと「母さん!」って呼んでも「ねえお母さん?」っつったら上に聞こえたり「ねえお母さん」って言えばここの人だったりこう遠距離の…それも教えてくださった。
へえ〜面白い!
(泉)うん。
だからそれで最後の日にこんな陶器の花を…この道は芸の道ね長いです。
よくおやりになりましたって花もらったときに陶器の開けてごらんなさいって。
号泣。
うう〜っ!うぅ〜〜!
(スタッフ)あははっ!だから先生と出会ってなかったらやっぱり女優をこんなに深く…。
続けようと。
続けるっていうより…セリフもこんなに言えなかったと思います。
だから「奥様ぁ!」だったから…。
そのまま自分のやりたいようにやってればいいっていうふうに思ってたかもしれないですか?消えてました。
ほう〜。
そういうことを杉村さんとか森さんにたたき込まれて。
森さんは「雪まろげに出ない?」って言われてで私「はい」っつって。
そしたらセリフ覚えていかなかったんですよ忙しかったから。
そしたら「ちょっといらっしゃい。
あなたがうんっつったんでしょ。
こっちの仕事が忙しいからってこのセリフ覚えてこないってあなたのためにならないでしょ」。
森さん?「覚えてらっしゃい!」。
母さんふだん優しいのになみたいな。
「なあに?」っていう人がさ「ちょっといらっしゃい」って。
だから仕事になるとやっぱりみんな…。
厳しい?厳しい。
だから私一時期「若い子いじめる」とか書かれたじゃないですか。
だからおんなじように言ってたことが通じなかったんですよね。
でも今はもう別にその人が売れようが売れまいが関係ないから言わないけどね。
だけど私はやっぱり先輩に教わったことを「そうじゃないでしょ」って言ったのがこういじめに取られたりとかバッシングされたじゃないですか。
でも世の中にやっぱり仕事に厳しくて割に後輩にバシっと言う人いっぱいいるのにピン子さんの場合はそれは教育してるっていうんじゃなくていじめてるっていうそのメディアでこう流されるそういう傾向があります?あるある!あるある。
それはねほんとのこと言ったらいちばん人生に痛かった。
痛かった?もう…折れそうだった心が。
だってそれは人間としてどうかって話でしょ?いじめっていうのは。
いじめと注意を文句と取るかそれをちゃんと受け入れてくれる人か。
受け入れてくれてる人は上戸彩ちゃんはやっぱり成功してますね。
あははっ!あっ上戸彩ちゃんにも結構厳しいことおっしゃったり…。
言いました。
例えばどんなことを?彩ちゃんにはあの〜「空いてる椅子はすぐ誰かに座られるんだからそんな弱音吐いてないでちゃんとやんなさい」って。
時々もう弱音吐いちゃったりしてたときがあったんですか。
へえ〜。
たくましくなったんですね。
うんうん。
だから分かりますよね忙しいときって入らないもんそんないっぺんに何個も。
私だって今年のお正月なんか5日から「渡る世間」だったんです長ゼリフが。
67になるとやっぱ入りが遅いですよね。
それで橋田先生とドイツへ行ったんですよ。
後半…前半を撮り終わって後半まだ書いてないときに。
私がいろいろかいがいしくやったら「いい子ねよくやってくれてね」って言ったから「じゃあ一つお願いがあるんですけど後半はなるべくセリフを少なく」って言ったら「触んないで!触んないでやんなくていいからそんないじましい根性だったら。
私は好きなように書くの!」って言われて裏目に出ちゃってさぁ。
あははっ!やたら書かれちゃってさぁ。
あっ私進言なさればいいのにと思ったけども逆効果なんだ。
あの人は逆効果なの。
言っちゃいけない。
そしたらセリフ言いながらオムレツは作るわさご飯よそって食べさせる。
そこまでやんなきゃいけないんですよ。
オムレツを作ったりしながらずっとしゃべり続ける。
そう遺産相続のことを。
遺産相続の話を?もう…もうほんと泣きそうになるね。
へえ〜。
でも…「でも」って言うのも何なんだけどもつまり私もそうですけども向いてるか向いてないかっていうことで考えると向いてないなって思うのになぜこんなに長くやってんの?っていうのがよく分からないっていうときがあるんですけど。
そうです。
まったく向いてないと思います。
ふふふっ。
でもそれでみんながね「私やめようかな」とか「休もうかな」って言うと「駄目ですよ!そんな貴重な方が!」って。
じゃあそういう人が仕事持ってきたかっていったら持ってこないんだからさ別に。
そうなんですか?そんなもんですよ。
でもだからっていってやめなかったわけ…やめようと思われたことはあるんですか?ここんとこですね。
ここんとこやっぱりめまいしたりとかやっぱり覚えられなかったり…。
セリフが?うん。
したときにやっぱりもうそろそろ年で限界かなと思ったり。
そうすると先輩が…橋田先生なんか90でしょ?「私なんて90で書いてるのに何言ってるのよあんた!小娘が!」みたいな…。
67歳68歳になるのが「小娘」って。
ええっ!?みたいな。
だからああ〜そうかって。
だからまあでもなんかこう変えては…。
だから脇役で面白い役があったらやりたいし。
まあまだまだ脇だけっていうわけにはいかないと思いますが。
そんなことないんです。
私「おふくろ先生」もいつも言ってるのは…。
主役でしょ?いや主役と思ってやってないです。
ゲストの方が主役だと思ってますから。
佐久間さんにも出ていただいて。
佐久間良子さんですか?何十年ぶり。
あら〜!
(泉)それがちょっといい役やってまして。
で古谷一行さんも相手役結構やっていただいて。
一行さんと…ゲストの方が主役だと思って。
その方たちが華やいでくださらないと。
私は道しるべみたいなもんで語り部みたいなもんでね次に行く。
そうじゃないと見てる人も飽きますよ。
私がね私がねってやってたんじゃ。
そうじゃなくたって暑苦しいんだから。
(一同)あははっ!まあではそろそろもう一曲教えていただきたいんですが今ピン子さんを元気にしてくれる…。
矢沢永吉さんの歌で…。
私いろんなとこ行ったじゃないですか橋田先生と北極行ったりサハラ砂漠行ったりそれからナミブ砂漠上ったりケープタウンで登ったり。
でそのときに矢沢さんの歌を聴いてると上れない砂漠も上れちゃうの。
あっ…。
「コバルトの空」っていう…。
足が動かなくなっても矢沢永吉を…。
聴いてると行けるのよ〜!
(泉・スタジオ)ああ〜いい男!死んだらね火葬場に行くときはね「トラベリン・バス」っていう永ちゃんの。
曲も決めてある?もう決めてあるの。
それで司会は安住にやらせて。
それで追悼番組は「ぴったんこ」。
あははっ!追悼番組「ぴったんこカンカン」?そう。
なんかドラマで…とかそんなしめっぽいの嫌だから。
もういちばん面白いときのを…。
「ぴったんこカンカン」の番組自体がもうなくなってるかもなぁ。
そんな…。
あははっ!そんな生きさせてどうするのよ!まだまだあと30年ぐらい。
いやいや…。
そうね〜葬式はねんん〜好きな人だけで居酒屋でやってほしい。
好きな居酒屋で?よくいらしてたとことか?いやじゃなくていいから幹事が決めてで好きな人だけで。
それはもうリストがあるんですね?嫌いなヤツ書いていった方が早いと思うから。
次回のゲストは太田光さん光代さん夫妻です。
(光代)ただ
(光代)それはありますよ。
大変なことに…。
2015/04/04(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【泉ピン子▽マッサン臨終秘話】
ゲスト・泉ピン子/女優▽「人生で一番心が痛かった…」国民的名女優が語る本音。思い入れある音楽とともに、阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します。
詳細情報
お知らせ
来週4月6日(月)よる9時からは、泉ピン子さん主演の、
月曜ゴールデン特別企画「おふくろ先生の診療日記7〜忘れない! 20年前の約束 神戸・淡路島編〜」放送します。是非、ご覧下さい。
番組内容
ゲストは女優の泉ピン子さん。歌謡漫談家としてデビューし、ワイドショー番組のレポーターとしてブレイク後、20年以上続く「渡る世間は鬼ばかり」ほか、数々のドラマ・舞台に出演されてきました。日本を代表する名女優・ピン子さんに、苦しい時期をともにした西田敏行さんとの思い出や、姑役で話題となった連続テレビ小説「マッサン」での秘話、先輩女優とのエピソードを伺う他、話題の出演作の舞台裏を楽しく語って頂きます。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
泉ピン子(女優)
1947年、東京都生まれ
1975年、ワイドショー番組のレポーターに抜擢。TBS「花吹雪はしご一家」でドラマ初出演
1988年、映画「次郎物語」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞
1990年、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」が放送開始
2014年、NHK連続テレビ小説「マッサン」に出演
来週4月6日(月)、主演ドラマ「おふくろ先生の診療日記7」が放送
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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