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2005-07-26

ヌードクロッキー

女の裸、男の裸

デザイン専門学校の授業で、なぜかヌード・クロッキーがある。

女性の裸を描くという西欧の長い美術の歴史は、ジェンダー的な観点からいろいろ問題も指摘されているが、それがそのまま日本の芸術教育にも受け継がれ、専門学校のカリキュラムにまで登場しているわけである。

男も同じように描けばよいではないか? 

でも男のヌードを描いたり作ったりするケースは、女に比べて非常に少ない。そういうことに疑義を呈してか、美大では受験時に男性(短パン穿いてる)を描かせるところもあったりする。しかし大学では女性のヌードを描いたり作ったりしていることが、圧倒的に多い。


高校が美術科だったので、学校にはモデルさんがよく来ていた。やはり女性オンリー。

高三の夏休みに受けた予備校の夏期講習でも、女性のヌードモデルが来た。学校で描き慣れているので、平気だ。しかし普通科から来ている男子は、見るからに緊張していた。

そりゃ緊張もするだろう。生まれて初めて女の裸を間近に見るんだから。ふふふ、想像してるんと実際に見るんじゃ、違うでしょ。こっちは見慣れてるもんね。というか、あたし女だし。

棒立ちの男子の横にさっさと陣取って描いた。下向いてないで、早く描けば? これ、勉強だよ。ゲイジュツだよ。ヘンなこと考えてんじゃないわよ。


ある時、彫刻科の講師の知り合いだという、男性のモデルさんが来た。今でもよく覚えているが、痩せていて髪の長いキリストみたいな顔をした人だった。パフォーマンスというかダンスというか、そういうものをやってる人ということであった。

タオルを腰に巻いて更衣室から出て来た彼は、みんなの前でタオルをはらりと取った。私は心の中で思わず「きゃっ」と言った。

初めて見るすっぱだかの男性。いや絵画や彫刻では見たことがある。父親の裸も(風呂場でのニアミスで)見たことがある。でも目の前にいる男の人は、それとは別種の次元。

その別種の次元のものが、もぞもぞくにゃくにゃと、あやしげに動く。ダンスである、たぶん。その状態の人体をクロッキーしろと。

裸の男を注視するだけでも精一杯なのに、それが動いてるのを描けとは。それよりさ‥‥あそこがぶらぶらしちゃってるんですけどそれも描かなきゃいけないの? 

私はクロッキー帳を手に固まってしまった。


その頃の彫刻科受験者に女子はまだ少なく、その授業では十二人くらいの中でたまたま女子は私だけだった。

他の男子はマジメな顔でモデルを取り囲み、マジメな顔で描いている。ビビっていると思われたくないので、私も眉間に皺を寄せてガシガシと描いた。最後は男子の輪の前まで出て、かぶりつきで描いた。終わった時はヘトヘトだった。

講評の時、講師(男性)に

「大野さん、初めて男性のヌード描いてみてどうだった?新鮮だった?」

と訊かれた。何と答えたらいいのだろう。新鮮と言えば新鮮だったが‥‥初めて見る生きもののようでもあり‥‥。うーんと考えて

「なんか、不思議な感じがした」

と答えると、男子がここぞとばかりにどっと笑った。講師も笑っていた。あの時の何とも言えない微かな敗北感と脱力感は、一生忘れられない。


そのずっと後、美術系予備校で働くようになり、ヌード・クロッキーやデッサンの授業を数えきれないほどやった。

最初壁に背中をひっつけんばかりにして遠目で描いていた男子や女子も、5回めくらいにはモデルの1メートルくらいにまで接近して、しげしげと観察していたりする。中には、積極的にポーズを提案する生徒も出てくる。

受験のため、そしてゲイジュツのためという大義名分があるというのは、すごいことである。


「恥ずかしい」という心

ところで専門学校の方はどうだったか。

3年ほど前、ヌードを描くということを聞いて、授業後一人の女子が「私、休みます」と言ってきたことがあった。なぜかと尋ねると彼女は「どしてもイヤなんです‥‥」と俯いてしまった。何か大変つらそうなので問い糾すのは気がひけたが、どうやら裸の女性を見ることじゃなくて、それをみんなで描くって状況がイヤだと。


ゲイジュツという大前提によって無視できていたことが、それを外すと前面に浮上してくるのである。

すっぱだかの無防備な女を密室に閉じ込め、服を着た男女が取り囲んで無遠慮に観察する。それも裸など見慣れた人ばかりのAVやヌードグラビアの撮影現場とかではなく、生まれて初めて直に目にするような若者ばかりが集まっている場。異常な事態と言えないこともない。

モデル台に立っている裸の女と自分は、同性である。にも関わらず、立場が全然違う。しかし一つ間違ったら、まるで自分がすっぱだかで男子に注視されているような。視姦されているような。そこに、デリケートな心は敏感に反応するのである。

高校の時から美術系だったせいで、そういうことに鈍感だった自分を、私は恥じた。


それ以降、ヌードを描きたくない人は描かなくてもいい、点もつけないということにした。専門学校でヌードクロッキーは、特に必須なものではない。グラフィックやマンガコースの生徒は、人間を描かなければならないことがあるのでまだしも(それでも何も裸でなくてもいい)、建築インテリアや家具デザインの子たちには、ほとんどと言っていいほど必要ない。

それである時、希望者が少なかったら私のクラスだけカリキュラムから外してもらおうと思い、授業で訊いてみた。

「ヌードクロッキー、是非やってみたい人っている?」

手があがらない。

「じゃあこのクラスは課題変えてもいいね」

ところがすぐ後で、男子数人に苦言を呈された。

「みんなヌードは描いてみたいんだってば」

「あんなふうに堂々と訊かれたら、恥ずかしくて手あげられないよ」

「そのあたり察してほしいす」

またしても鈍感だな、私は。


年によって、学生の反応がかなり異なるのも難しいところだ。今年受け持ったクラスは、ヌードが入りますが‥‥と言っただけで、

「ええーーっ!」

「スッポンポンかよー!!」

「ねえねえモデルって若い?何歳くらい?」

「20代前半にしてくれえー」

「W#o:@h^O^~!!!」(←興奮して吠えている)

と、えらい騒ぎようである。主に男子が。美大予備校では考えられない反応(今はどうか知らないが)。


これは授業です、モデルさんに失礼な態度をとった人は外に追い出しますと、よくよく言い含めたので、当日はみんな大人しく描いていた。

女子はわりと冷静に観察して描いているが、男子は騒いだわりにはダメな子が多い。ちっともモデルを見てないので、形が狂いまくっている。じっと見て把握してから線を引きなさいと言うと、小さい声で

「恥ずかしくてじっと見られない」

モデルさんは見られるのが仕事なんだから、あんたが恥ずかしがらなくてもいいんだよ‥‥そういうことは、言えなかった。見ていいとわかっていても、見られない。裸の女は、いろんな妄想を掻き立ててしまう存在である。そんなものを授業だの勉強だのと言って突然見せられても、虚心で見られるわけがない。

しかも自室に閉じこもってこっそりAV見たり、エッチサイト覗き見たりしているのとは、状況が全然違う。じっと観察している自分の姿を、モデルさんや先生や他の生徒に見られるのは、恥ずかしいことである。

シーンとした中で交錯する様々な視線。様々な邪念。

邪念を振り払おうと眉間に皺寄せて見てたら、向こう側の女子の視線を感じたりして。

ヌード描きたくないと言った女子と、恥ずかしくてじっと見られない男子は、同じ"異常"な状況に対するネガポジの存在なのだった。


しかしたぶんそういう男の子もゆくゆくは、ちっとも恥ずかしがらずに女の裸を見るようになる。若い女の半胸半ケツファッションも、「見せてるものを見て何が悪い?」と、じっくり見ちゃうオヤジになるのであろうな。

大人になるって少し寂しいことだ。

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