2015.3.31
【表現規制?】「境界のないセカイ」の発売中止問題とはなんだったのか(追記修正)
性的少数者の表現が問題になり打ち切りになったと言われる漫画「境界のないセカイ」の表現自主規制問題がちっともまとまりませんね。
※現在までの経緯はハフィントンポストの記事が分かり易いです。
・講談社がLGBTへの配慮で発売中止か 「腫れ物扱いは不幸でしかない」
・発売中止にLGBT団体が声明「作品に問題はない」
・編集長の樹林伸氏が公式声明 「LGBTへの配慮」には触れず
以下、この騒動を自分なりにまとめてみました。
当記事において今回の問題と比較した二丁目の看板の件ですが、
『新宿区議会において区長の答弁を全面的に正しいとした上での推論は事実とは相違があり、広告主及び、広告代理店を一方的に問題視するような断定は問題がある。』
と、関係者様よりご指摘を受け、記事の一部から削除し修正いたしました。
≪削除箇所≫
「その後、新宿区議会鈴木ひろみ議員が、この件を新宿区議会で言及し~」
・
・
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「広告を描いたイラストレーターに対して最初に自分が許可をとらなかったミス
を説明しないまま、役所から表現について指導があったという話にすり替え、
(自主的な判断で)修正を指示したという話だったのである。」
≪以上≫
関係者の皆様、ご迷惑をおかけいたしまして深く陳謝いたします。
1.マンガボックスの複雑なビジネスモデル
今回騒動は当初は講談社の過剰な自主規制と取り沙汰られていたが、マンガボックスはDeNAが運営している漫画配信サービスであるということを、まず確認しておきたい。
マンガボックス独自の連載作品に関する編集部はマンガボックス(DeNA)と講談社で別になっており、作品の編集担当はマンガボックス編集部、出版の担当者は講談社と分かれている。単行本化は両社の編集部の会議で決定するということらしい。(勿論、出版の決定権は講談社にある)
漫画家にとっては漫画雑誌以外での連載・単行本を出せるチャンスが増え、出版社も購読数がはっきり数値化されるweb媒体で、ある程度実績を見て単行本に踏み切れるということで、連載作家に支払われる原稿料は講談社が負担しているらしいが、基本的にはWin-Winな契約関係なのだろう。
2.複数の編集者による単行本化の判断をめぐる不確かな伝達
今回の作者ブログで明かされた講談社の言い分は、あくまで作者がマンガボックスの担当編集者から聞いた話であった。今回の件は連載における担当者は、マンガボックス編集部の人間であったことに注意したい。
通常、商業化している漫画の殆どはネーム(ペン入れをする前のラフ原稿)の段階で編集者と打ち合わせがされ、掲載された作品はその時点で編集者の目が通っているものである。
しかし、マンガボックスの連載では最終的な決定権(単行本化・連載継続)を持つ出版社の人間が連載の担当編集者でないので、ネームの段階では作品の表現に対してアドバイスもできず、マンガボックス編集部が単行本化する上で十分な水準だと判断した連載作品も、最終的に講談社の編集部の判断ではボツになる可能性がある。
また、講談社の編集者の発言が伝聞でしか聞けない以上、伝聞役である担当編集者が正しく理解し、虚偽なく正確に伝えない限りは、作家にまともに伝わらないだろう。
そもそも表現に関する指摘(批評)は、伝聞で伝わるほど単純なものではないし、複数の判断基準がある以上、打ち切りの理由が納得いく形で説明されることは難しいだろう。
(出版社内でも編集会議と担当編集者で意見の相違があるだろうが、他社同士の場合猶更である)
3.不明瞭な自主規制と不誠実な隠ぺい
今回の件が問題になったのは、性的マイノリティに関する表現を理由に漫画が打ち切られたことだった。
講談社さんが危惧した部分は作中で”男女の性にもとづく役割を強調している”部分で、「男は男らしく女は女らしくするべき」というメッセージが断定的に読み取れることだと伺っています。
(私への窓口はマンガボックスさんの担当編集氏なので、伝聞になっています)
これに対して起こるかもしれない性的マイノリティの個人・団体からのクレームを回避したい、とのことでした。
特に問題だったのは『性的マイノリティの個人・団体からのクレームを回避したい』という理由である。この発言はとても具体的なので、担当者の発言を勘違いして解釈したようにはあまり思えない。
このブログ記事の投稿後に、実際にクレームがあったかのように疑われ、活動団体がすぐに声明を出したぐらいである。講談社はハフィントンポストの取材で担当者の中でそのような発言があったことは確認できないとだけ声明をだし、それから一週間ほど遅れて、マンガボックス編集部が肝心な性的マイノリティに関する発言には触れず、肩透かしのような公式発表だけをして現在に至る。
そして、この話は裏話のような形でリークされる。
『境界のないセカイ』の一連の問題は、講談社とDeNAとマンガボックスの間で、責任配分や指揮命令がぐちゃぐちゃなことがほぼ全ての原因で、自主規制云々の話自体が、関係者同士の責任の擦り付け合いの中で誰かが思い付きで口にした「言い訳」だったとのこと。だから誰も説明ができないそうな。
— 荻野幸太郎 (@ogi_fuji_npo) 2015, 3月 31
この一連の騒動に対して、筆者は以前にある似たようなことがあったことを思い出した。 新宿二丁目HIV啓発看板クレーム修正騒動である。
当初、新宿区にクレームがあり、看板のイラストを役所の指導に基づいて修正をしたとイラストレーターがブログで告発。その後様々な憶測が飛び交う中、広告主や代理店から一切の発表もないまま、「東京の行政の差別的でダブルスタンダードな表現規制」とバイラルメディアを通して海外でニュースになるほどの話題になったが、最後まで広告に関わった責任者が誰も公式の声明を出さなかった為に、日本の人権意識と表現規制のスタンダードが疑問視されたまま、問題を有耶無耶にされたのであった。
4.表現と不自由な無責任
この二つの件に共通することはなんだろうか。
差別的な価値観に基づいた判断をした人間がいるということ。
作家にしわ寄せだけを押しつけて、するべき説明をしていないこと。
これだけの騒動になっても、現場で起きた問題を会社ぐるみで隠し通すこと。
原因は担当者のミスであるのに、何一つ説明責任を果たさないのである。プロとして、マイノリティに対する態度だけではなく、表現を扱う者としてあまりにも不誠実であると言わざるを得ない。
当事者としては甚だ迷惑な話であるし、こんなことでは作家は安心して作品を発表できない。よく分からないうちに自主規制基準ができてしまうのではないだろうか。
また、同じようなタイミングで、comicoの同性愛的表現の規制(?)も気になるところ…
講談社の件のいっぽうで、やはりこういうことになっている。基準は真逆だけど、姿勢は同じ。どっちも同根。→ comico(コミコ)がなぜか同性同士のキスシーンが含まれる作品を削除している – 田舎で底辺暮らし http://t.co/N2nrpSVfvu
— 桜井圭介 (@sakuraikeisuke) 2015, 3月 15
僕も根っこは同じだと考えてて、comico(NAVER、LINEと同じ資本元)は男同士のキス消して、マンガボックス(講談社じゃなくてDeNA系)は変な先回り自粛打ち切りで、根が同じようなのに表に出た話が逆というところが、ネット会社の「漫画」の扱いの性質出てるような…。
— たかさきrep. (@takakei1) 2015, 3月 16
マイノリティの問題はめんどくさいからそもそも扱わないという開き直りもありうるかもしれない、でもそれは表現に関わる者の怠慢に過ぎない。
表現に関わる者が表現に対しての矜持をもたなければ、表現の自由を守ることはできないだろう。
(寄稿・文責:SAY_A_BLUR)