1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアの古典・名著がズラリそろって、その数なんと約700冊! 後世にぜひ引き継いでいきたい、まさにアジアの文化遺産なのです。
そんな珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、あなたを面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
東洋史学者のエッセイからまなぶ 〈明日の用〉のための“教養” |
最近、「教養とは何だろうか」とよく考える。教養があるかどうかは別として、少なくとも私は教養を欲している。それが当たり前のことだと疑いもなく生きてきたけれど、どうやら時流はそうでないらしい。「無教養」を自認する人間が西の首長になったあたりが潮の変わり目で、とうとう国会で野次るトップをいただく国となった。
東洋文庫は時代に逆行した(?)「教養のかたまり」のようなシリーズである。そんな中でも、これぞ「教養」というエッセイが石田幹之助博士の『増訂 長安の春』だ。石田博士は、所蔵総数が約100万冊という東洋学の研究図書館「東洋文庫」の発展に尽力した人で、〈今日の蔵書の基礎をなす蒐集は、氏の努力に負うところが最も多い〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)という、まさに教養人の代表格のような存在だ。
その石田博士が、“唐”について記したエッセイが『増訂 長安の春』なのだが、そこには、名文とともに、当時の唐がいきいきと立ち現れてくる。
いくつか興味深い記述を抜き出そう。
〈唐代の支那は異国趣味横溢の時代であつた〉
〈(西域やさらにその西のエジプトから)數々の奇術や軽業の類が數々渡つて来た〉
〈唐代には既に本屋があつたといふことであります〉
〈唐代に葡萄酒が中国人士の間に相當広く愛飲されたことは隠れもない事実〉
〈食の方面では胡食と称して、西域風の食事が流行〉
私たちはどうしても「過去」を古色蒼然としたものとして見てしまうのだが、よく考えれば(つまり教養をもって考えれば)当時の唐は、世界最先端の都市であった。異国情緒溢れる国際都市としての顔を、石田博士は見事に(教養を用いて)表現するのである。
博士は言う。
〈支那研究にもおのづから今日の用と明日の用とがあり、明日の用には十年二十年先の用もある。誰かが馬鹿々々しいことをやつておかなければ学問も砂上の樓閣に過ぎぬと思つてひそかに自ら慰めてゐる次第である〉
ああ(嘆息)。教養の極意がここにあった。まさに〈今日の用〉(例えば目先の景気)ばかりに目が行くから教養はないがしろにされるのだ。〈明日の用〉、これぞ私たちは旗印にすべきではないか。10年先、20年先、いや100年先の未来のために、私たちは学ぶのだ。