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神宮球場建て替えなど神宮外苑を再開発
4月1日 19時12分

神宮球場建て替えなど神宮外苑を再開発
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5年後のオリンピック・パラリンピックをきっかけに、東京都などは改築される国立競技場を中心とした神宮外苑一帯をスポーツの拠点として再開発するため、神宮球場を隣の秩父宮ラグビー場の土地に建て替えることなどを盛り込んだ新たな開発計画をまとめました。
5年後のオリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとして国立競技場が改築されるのに合わせて、東京都は競技場を中心とした神宮外苑一帯をスポーツの拠点として再開発する方針を示しています。
神宮外苑には大正から昭和にかけて神宮球場と秩父宮ラグビー場が整備されましたが、いずれも老朽化が進んでいるため、都は球場を所有する明治神宮とラグビー場を所有する日本スポーツ振興センターなどと建て替えについて協議を進めてきました。
その結果、球場とラグビー場の土地を交換したうえで、2020年の大会終了後にそれぞれ建て替えることなどを盛り込んだ新たな開発計画がまとまり、1日、都庁に関係者が集まり、今後、具体的なスケジュールなどについて協議していくことを確認しました。
計画では、ラグビー場を先に取り壊し、大会中は国立競技場の駐車場などとして利用したあと大会の翌年以降、跡地に新しい球場を建設し、完成するまでは現在の球場を利用する方向で検討しているいうことです。
また、秩父宮ラグビー場は球場を取り壊したあとで整備することが検討されています。さらに球場とラグビー場の間に新たなスポーツ施設を整備することも盛り込まれています。
舛添知事は「関係者で話し合いがまとまり、神宮外苑地区を2020年の大会後の遺産=レガシーとして残すための第一歩になった」と話しています。

明治神宮野球場の歴史

明治神宮野球場は、大正時代、日本のスポーツ熱が全国へと広まるなか、
「東京にも野球場が欲しい」との要望に応える形で大正15年に建設されました。
同じ年、東京六大学野球のリーグ戦が行われると、スタンドは満員の盛況になりました。野球の本場、アメリカ・大リーグの選手もプレーしました。
しかし、太平洋戦争が始まると球場も翻弄されます。戦争の激化で六大学野球リーグは解散。昭和20年5月の空襲で球場は鉄骨の残骸となりました。
終戦後、進駐軍によって接収され、修復工事が行われた球場。この年の11月、神宮球場でプロ野球の東西対抗戦も行われ、野球場としての歩みを再び始めます。
昭和27年には明治神宮に返還。昭和30年代になると、学生野球の黄金時代を迎えます。ここで長嶋茂雄選手をはじめ、数々の名選手が育っていきました。
昭和39年からはプロ野球チーム国鉄スワローズの本拠地になりました。高度経済成長の時代、日本を支えたサラリーマンたちでスタンドは盛り上がりました。神宮球場は、アマチュア、そして、プロ野球で繰り広げられた数々の名シーンと共に、89年の歴史を刻んできました。

ヤクルト「歓迎したい」

神宮球場の建て替えなどを盛り込んだ新たな開発計画がまとまったことについて、神宮球場を本拠地としているプロ野球、ヤクルトの衣笠剛球団社長は、
「90年近い歴史のある球場で老朽化しているのは事実。建て替えるということであれば歓迎したいと思う」と話しました。
そのうえで、「今後どういう計画にするかは、東京都や明治神宮外苑が決めることだが、球団としての意見も聞いてもらえればうれしい」と話しました。
また、法政大学の出身で東京六大学リーグでも神宮球場でプレーしたヤクルトの大引啓次選手は、「伝統もあり、さみしい気持ちはある。球場を建て替えるのならいいものにしてほしい」と話していました。

荒木大輔さん「前向きに受け入れたい」

リトルリーグや早稲田実業時代から神宮球場でプレーし、プロ野球でもこの球場を本拠地とするヤクルトで活躍した荒木大輔さんは、建て替えについて、
「歴史と伝統のある球場なのでとても寂しいですが、スポーツの発展のために環境が改善されることはよいことだと思うので、前向きに受け入れたい」と話していました。
そのうえで神宮球場での思い出については、「プロ入りしてからは右ひじなどの手術から復帰して1軍で登板したのが神宮球場だった。リリーフで登板し、
当時、広島の江藤智選手からフォークボールで三振をとった時に、球場全体が一体となってすごい歓声を送ってくれたのが今も忘れられない」と懐かしそうに当時を振り返っていました。

球場内でカレー販売の男性は

米川忠史さん(73)は、東京オリンピックの翌年の昭和40年から神宮球場の中の売店でカレーを作り続けています。
ほかのメニューも含めて、1日に合わせて600食から700食を販売していて、ふだんは「野球観戦のお客さんを待たせないように、とにかく手早く出すようにしています」と話しています。
米川さんは、神宮球場について「自分はいつも店に張り付いているので好きな野球観戦はできませんが、昔の学生野球の選手などがプロ野球に進んだり社会人になって再び訪れ、声をかけてくれるのがうれしいです」と、学生野球の聖地ならではの思い出を語りました。
また、球場の建て替えなどを盛り込んだ、新たな開発計画がまとまったことについては、「商売をさせてもらっている立場なので球場を建て替えると言われればそうですかと言うしかありませんが、できるなら新しい球場でもカレーを作り続けていきたい」と話していました。

秩父宮ラグビー場の歴史

秩父宮ラグビー場は、昭和22年に完成し、その後の改修工事を経て、現在は、およそ2万人の観客を収容できるラグビー専用の競技場です。
「西の花園、東の秩父宮」とも称され、大阪・東大阪市にある「花園ラグビー場」と共に長年ラグビーファンに親しまれてきました。
大学や社会人の大会のほか、日本代表の試合会場にもなり、平成元年に強豪、
スコットランド代表を相手に歴史的勝利を収めた一戦など、数々の名勝負を生んだ舞台としても知られています。

ラグビーファンの店では

神宮外苑の秩父宮ラグビー場近くにあるラグビーファンが通う店では、長年、親まれたラグビー場が姿を変えることを惜しむ声が聞かれました。
ラグビー場のすぐ隣にある飲食店は、36年前から営業していて、選手やファンが多く訪れるということです。店内には、ラグビー場で試合をした社会人や大学チームのユニフォームや選手のサインなど、思い出の数々が飾られています。オーナーの山田雅彦さんは、「何度か大学生のチームが社会人に勝ったことがあり、そのたびに店が盛り上がったことが懐かしいです。まさにラグビーの『聖地』で、店もお客さんもラグビー場と共に歩んできたのでさみしい思いです」と話していました。
また、ラグビー用品などを販売しているスポーツウェア店にも、試合の観戦に訪れたラグビーファンが多く訪れるということです。
今週末に行われる試合の観戦のために日本を訪れたというイギリス人の30代の男性は、「このラグビー場がなくなるのは残念で、今度の試合を楽しみます」と話していました。
店長の田口博之さんは、「国内に数少ないラグビー専用の競技場で、大きな試合もたくさん行われ、2年前に日本がウェールズに勝利した試合は、興奮しました。老朽化が進んでいたのでやむをえないですが、とうとう来てしまったかという思いです。スポーツと共に街を盛り上げていけるように、再開発を進めてほしい」と話していました。

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