真崎ですよ

ここからですよ

素直な言葉だからこそ嬉しくて恐ろしいこと ~私の「武器」は人を癒し人を救い人を傷つけ人を殺すことができる~

 

 

「……どうすっぺか。」

 

 

PCを閉じた瞬間思わず口から漏れた。

 

池袋のスタバ。

3階は階下よりもなんだか閑静。

私の口から漏れたノイズにもれなく皆さんお顔を上げる。

「え?」て顔してらっしゃる。

 

普段からふざけて「方言っぽいことば」を使ってた。

そしたらここで飛び出た。お呼びじゃない。

 

 

 

15時頃に入店して、16時頃に以下の記事を書き終えた。

 

 

masaki-desuyo.hatenadiary.jp

 

長い記事だったけど、自分の率直な想いをつづる文章は驚くくらいスムーズに指がカタカタ動く。文章が完成してから10分~20分は推敲タイムで、私の大好物である「行間」と「句読点」の編集をする。行間を1つ入れるか入れないかだけで読者側に与える印象がまるで変わる。

 

 

 

 

で、終えて、「どうすっぺか」に陥る。

 

 

 

私の信頼するふたりのネットワーカーに速攻で連絡した。

 

ふたりとも直近タイムリーでネットワークビジネスについて話していた人物だったので、この記事を読むことで「自分のことなのではないか」と不快な気持ちになったらどうしようと思った末の行動。

 

 

ふたりのうち一人でも「なんだこれは」となったら、消そうと思った。

 

 

記事のURLを張り付けたものを送ったら、ひとりからLINEが帰ってきた。

「なるほど、勉強になります!」

 

 

完全に感覚だけど、良くない予感がした。

そんなつもりはないけど、傷つけたかもしれない。

 

 

「(相手の名前)の批判とかじゃないよ」と送った。

 

そしたら、「なんでも大丈夫^^」ときた。

 

 

 

もうひとりの女の子からは

 

「ブログ愛読します!!!!!♡♡」ときた。

 

 

SNSへの投稿、投稿する文面とURLを張り付けたものを作成して【投稿する】のボタンを押すのに、3時間かかった。

 

 

 

 

*************

 

 

大学4年生の時から公に向けてブログを発信することを続けてきたけど、昨日の記事はそこからの4年間で一番大きな反響をいただいた。

 

 

アメブロの時はせいぜい1記事書いて600~700PVくらい。

 

それが、昨日の記事には本日すでに4000PV近く。

今の時点で600近いfacebookいいねのシェアをもらった。

 

 

PVを気にすると自分らしい文章が書けなくなるというのはどうやら本当らしく、他者に迎合しようと綴った文章は、自分でも納得感が薄く、重ねて周りの反応もそれほどない。なんというか、誰も得しない。

 

 

ネットワーカーの友達たちの目を激しく気にしつつも、昨日の記事は私が書きたくて表現したくて仕方なかったこと。

 

自分、時には他人も同様に抱える「言葉にできない感情」が、言葉になってふっとおりてくる時がある。

それがおりてきた時、私の中の「書きたい欲求」が爆発する。

 

 

その欲求に従って書いた文章を、多くの人に読んでほしい、でも怖い、という矛盾した気持ちを抱えながら【投稿する】を押した。

 

そしたら、思わぬ反響がきた。

 

まじか。

 

 

まじか。(2回目)

 

 

 

 

 コメントやシェア、PV数がどんどんついていくのを見ながら

 

なんだかとても不思議な気持ちになった。

 

 

 

 

 

 ************

 

 

 

「とても共感しました。」

「そう。これ。」

「言葉にしてくれてありがとう。」

 

 

 

とっても嬉しい。

 

昨日、これでもかとそんな感想をもらった。

皆さんそうだったのですね。

 

 

率直に言えば、私はその人たちのために書いたわけではない。

私が感じたことを猛烈に表現したくなり、私のために言葉を綴った。

 

自分が好きに文章を書く上での喜びでもある。

そんな「自分の言葉」に、いつの間にか他者が共感してくれていること。

 

 

私の文章は感情重視で、きっと分かりにくい人にはとても分かりにくい。

「読みずらい」なんて批判はもはや専売特許。

 

だからこそ、「かまうもんかいエイヤッ」と書きたいことを発信したものに共感してくれる人がいることは、「私という存在そのものを受け入れてもらえたレベル」の嬉しさを感じることもある。

 

逆に言えば、私の文章の武器は一部他者への「強い共感」なんだろうと思う。

 

 

 

 

 

「不思議な気持ちになる」と書いた。

 

つまりは、その「嬉しい」だけで気持ちが完結しないということ。

 

 

 

 

 

***************

 

 

 

「真崎さん、この記事、オレのことっすよね?」

 

そんなメールが突然届いた。

大学5年生の夏。

 

 

その日の朝に投稿した記事には「facebookの「いいねよろしくお願いします!」という投稿について」みたいなことを書いた。

 

 

当時の仲間にも言われるけど、大学時代は今よりもずっと視野が狭くてギンギンに尖っている系女子大生だった。

 

当時のブログ記事見ると

ンマー穏やかでない


上記のような「いいねよろしゅ」な投稿に、なぜか個人的にとっても違和感や不快感を感じていて「それどうなの?」みたいな記事を書いた。

 

 

そしたら、後輩の男の子からそのメールがきた。

 

彼は怒っていた。

 

 

「あんな風にブログで否定する必要ないじゃないか」

「失望した」

「返事はもういらないです」

 

 



 

彼は、怒っていた。

 


 

そして、たぶん、傷ついていた。

 

 


自分で言うのもなんだけど、私のことをものすごく信頼して慕ってくれていた後輩だったから。

 

その文面からは、怒りの言葉の裏に、悲しみが滲んでいたように感じた。

 

 



 

その記事は、彼のことを書いていた。

完全図星。

 

記事を書いている時は完全に感情先行。

まさかこんなことになるなんて、と、冷静になってから激しく後悔した。

 

 

 

感情に身を任せた言動は

しばしば人間関係を破壊する。

 

 

感情人間の私はそれを実生活の中で痛いほど学んできたつもりだった。 


選択理論心理学や人間関係のセミナーなどを受けながら、その摩擦を起こさない関係構築に関して、知識を入れて理解を深めているつもりだった。

 

 

けど

 

私の大好きな「書く」という手段において

喜怒哀楽いかなる感情であろうと、「そのまま表現したい」という欲求を止めることがなかなかできなかった。

 

要は「感情に身を任せた」文章を書いた。

 

 

 

率直な私の感情を表した文章には

ありがたいことに「共感しました」が多く寄せられる。

 

 


そして、その一方で

 

そんな私の文章で傷つけてきた人が

たぶん、わりといる。

 

 

 

文章を書くときには、特定の誰かを想いながら書くことがよくある。

 

それが、良い内容だろうと「アンチいいねよろしゅ」な内容だろうと。

 

 

 


そして、気付く。

 

 

その文章は、面白いくらいに、その「特定の誰か」に届く。

 

 

 

泣きながら「これ私のことだよね。ありがとう。」と言われたこともある。

 

そして、「これオレっすよね。失望しました。」も。

 

 

 

 

***************

 

 

 

言葉は、私の「武器」と思っている。

 

誰もが持っているものだけど、言葉を紡ぐことが大好きで、もっともっといろんな表現を身につけて手なづけたいと思っている。

 

 

 

 

武器だから

 

人を癒したり、時に人を救ったりすることに使うことが、きっとできる。

 

 

 

 

武器だから

 

人を傷つけたり、時に人を殺すことに使うことだって、きっとできる。

 

 

 

 

 

言葉がまっすぐで率直で正直で感情豊かであればあるほど

 

私の武器の刃は、たぶん鋭くなる。

 

 

 

 

だから、ネットワークビジネスの話を書くことは怖かった。

 

 

随分過去の話になるとはいえ、「特定の誰か」が何人も登場したから。

その人達にこの記事が届いたのか、届いたのであればどう伝わったのかは、不明。

 

 

私の文章が誰かを傷つけるかどうかは、究極コントロール外。

 

可能性を0にするのは私が書かないことなんだろうけど、それは無理。

書いて打つための指や手や腕が消えても表現し続けたい。

 

 

だから、肝に銘じておくしかない。

 

私の持つ「武器」が、激しく諸刃の剣になること。

 

 

 

 

 

 

って、こんな感じで2日連続真面目なこと書くと私の体内の関西人が絶賛欲求不満。

 

「柄ちゃう、柄ちゃうで」て、すんごいうっさい。

 

 

ネットワークビジネスから私が感じたこと ~「私は正しいあなたは間違っている」というメッセージを発する人に私はこの身を預けたくない~

 

 

「時間とお金両方を手に入れることが「成功」である」

 

 

的なことを、目の前のおじさんが話している。

 

なるほど。

 

 

 

「人の器とは「選択の幅」だと思う。別に毎日いいものを食べなくても良くて、ちょっと近所の焼肉屋さんに行ってみようとそう思った次の日に、やっぱり本場の焼肉が食べたいと思ってその日のうちに航空券を取って韓国に行って焼肉を食べる。今の自分は、「やろう」と思ったその時にどちらも選択することができる。その選択の幅が「人の器」なんですよ。」

 

 

なるほど。

 

 

 

 

 

「お金はあるけど時間がない

それが「社長」

 

お金はないけど時間がある

それが「フリーター」あるいは「ニート

 

お金があって時間もある

それが「成功者」

 

お金もないし時間もない

それが(君たち)「サラリーマン」」

 

 

 なるほど。

 

 

 

 

 

目の前のおじさんは、時間もお金も獲得している。

家族もいて、出勤などの縛りがないためいつも朝や昼は家族と悠々と時間を過ごし、夜は仲間とビジネスの話をしたりホームパーティを夜な夜な開催したりしている。

その仲間内から「年収1000万円」を云人か輩出するのが目標、とのこと。

 

 

 

なるほど。

 

 

 

 

一度そのビジネス関連のセミナーに参加したのだけど、その時大きな会場には500人余りの人たち(若者が多かった)がいて、そのビジネスの「成功者」とされるおふたりが登壇されて、なにやらいろいろ語っていた。

 

その時聞いたことは正直ほとんど覚えていないんだけど、会場の雰囲気だけは今でも身体の中に焼き付いている感覚がある。異様だった。

 

 

「このビジネスを成功させた自分の先輩で、(どんな感じか忘れたけどなんかとってもすごい感じの)マンションに住んでいる人がいる。」

 

「お金があるから親孝行もできる。親に毎年30万のお年玉渡している。」

  

成功に関する武勇伝、主にお金と自由と豪勢な暮らしをアピールするような内容がその人の口から発信されるたびに、会場から「おぉー」というどよめきがおこる。

 

 

「もし目の前に「お金はないけど時間はある」「お金はあるけど時間がない」という男性がそれぞれいたら、あなたはどちらと付き合いたいですか?はいそこの方!」

 

あてられた女性は大学生とのこと。

 

「お金はないけど時間がある人」と答えると、周りから「えぇ…」という反応。

 

登壇者の人が「若いねー笑!その価値観あと何年かしたらがらっと変わるよ笑。!前に30歳くらいの女性に同じ質問したら即答で「お金っ!!」って返ってきたから笑。」

 

 

 

会場で湧き上がる爆笑。

 

 

 

 

 

 

なんなんだろう、これは。

 

 

 

 

 

 

**************

 

 

 

ネットワークビジネス

という手法のビジネスがある。

 

その名前を聞いただけで「それって違法じゃないの?」という印象があったり、そうでなくても世間的に不信・懐疑的な目を向けられやすいビジネスなのではないか思う。私自身がそう思っていたから。

 

 

そのビジネス自体は違法でもなんでもない。

 

ただこのビジネス(その中でも勧誘行為)を通して様々な被害・相談報告が寄せられるため、そのビジネスを厳しく取り締まるための法律はいろいろと存在している。

 

 

それ自体が違法ではないが、違法な方法で人を巻き込んでいるネットワーカーたちが多くいる。

 

それが、このビジネスの印象を悪くする原因となっている、らしい。

少し勉強しただけなので言葉足らずかもしれないけれど。

 

 

 

最初に書いた話は、私がネットワークビジネスに誘われた時の話。

 

 

特に違法な誘われ方はしていない。

 

最初からそのビジネスの話をすることも聞いていた上でアポを承諾したし、そこで契約を無理強いされることもしていない。目の前のおじさんは健全なネットワーカーであり、真っ当な努力によって財を成してきたのだと分かった。

 

結局私はそのビジネスをやらないと決めたけど、それによってなにか不利益を被ったこともなく、そのおじさんとの縁もあっさり切れている。

 

 

 

その出会いに感謝したいことは、そのおじさんの話を聞いた時に、自分の中に湧き上がった言いようのない違和感を獲得できたこと。

 

 

時間もお金もあることが「成功」

 

時間もお金もないサラリーマン

その説明の裏に付随する「だから彼らの末路は「不成功者」である」というニュアンス

 

お金よりも時間のある男性を選んだ女性の価値観はその後「お金優先」に変わると断言した成功者

 

その話を聞いて爆笑する聴衆

成功者の成功談が出る度に「おぉー」と漏れる歓声

 

 

 

 

 

 

とても、嫌だった。

 

 

良く分かんないけど。

 

 

 

 

 

 

***************

 

 

私の周りにも、多くのネットワーカーがいる。

 

 

ネットワークビジネスの形をとっている企業は私が思っている以上に多くあり、身近で活動しているネットワーカーたちも、どの企業の製品を扱っているかはバラバラ。私の周りだと大体5社くらいがよく聞く名前。

 

 

彼らの中には、大きな志とピュアな想い、そしてその製品に対する確信と愛情を持って、真っ当な形で人に勧めている人たちもいる。そして、その想いや志を伝播させてどんどんそのビジネスに人を巻き込んでいっている人たちもいる。

 

というか、そういう人たちが意外と多い。

 

それは私の中で新鮮な発見であり、ネットワークビジネスに対する価値観を大いに転換させてくれた。彼らの中でとても尊敬できる人たちも多く存在している。

 

 

 

 

 

でも、一方で

 

とても思うことがあった。

 

 

 

 

 

それぞれの企業でビジネスをしているネットワーカーたちと話した。

 

彼らがそこでビジネスに従事する理由は様々である。

 

 

「健康という観点から世の中を変えたい」

 

「身近な人たちを幸せにしたい」

 

「人生の選択肢の幅を広げたい」

 

「強い組織づくりの方法を学びたい」

 

「この素晴らしい製品を多くの人に知ってほしい」

 

「時間とお金を持った成功者になりたい」

 

「他者に「時間とお金を得た生き方」を広めたい」

 

 

 

どれも確かなその人たちの想い。

 

それを聞いていて、私自身そんなに崇高な想いを持って仕事に取り組めているだろうか、人生を生きているだろうかと自己評価が起きるくらいに、それぞれがまっすぐだった。

 

 

 

 

 

 

確信を持っているのは、分かった。

 

 

 




すごいな、って思ってた。






その一方で、時々感じていた。





 

 

 

私には、その確信こそが、怖かった。

 

 

 

怖くて、悲しかった。

 

 

 

 

 

 

「このビジネスをやったら、絶対今よりも良くなれるのに」

 

「今の仕事を続けるよりも、こっちの方が良い未来があるのに」

 

「その企業の製品よりも、絶対こっちの製品の方がいいのに」

 

「その企業の理念よりも、絶対こっちの企業の理念の方が崇高で本物なのに」

 

 

 

 

 

なんで、やらないんだろう

 

 

 

という言葉。

 

たくさん聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからだよ」

 

 

と、思った。

 

 

 

 

 

 

信頼している友人たちには、怖かったけど直接伝えた。

 

 

「そんな風に思っている人の元でやりたいなんて、私やったら絶対思わへん。」

 

 

 

 

 

違う企業でネットワーカーをしている友人たちが、目の前でそれぞれの企業と製品の話をして、互いの企業に対して指摘し合うような姿を見たとき、なんだかよく分からないけど、すごく悲しくて泣きたくなって耳をふさぎたくなった。

 

 

 

自分のやっていること、扱っているものに対する自信と確信は、それを他者に勧める上で非常に大切な要素だと思っている。勧める人がそれ自体を良いと思っていないものを誰が買うんだろうと思う。

 

 

だけど、「確信を持つこと」と「それ以外を否定・批判すること」は、まるで違うと私は感じている。

 

 

 

 

確信の先にある「盲目感」が、怖い。

 

 

確信のあまり、相手が見えなくなることが、怖い。

 

確信のあまり、「相手が間違っている」という無意識の思い込みが発生するのが、怖い。

 

 

 

怖い理由。

 

私はそれでとても大切な後輩を傷つけたことがある。

 

 

ネットワークビジネスではないが、かつて私が持ち掛けた話に、彼女は家に帰ってからおもいっきり泣いたと後から話してくれた。

 

「私を思って話してくれたのはとても嬉しかったけど、よく分からないけどとても悲しかったです。」と話してくれた。

 

 

感覚人間同士の彼女の「よく分からないけど」は

 

なんだかとてもよく分かって、罪悪感でいっぱいになった。

 

 

 

ネットワークビジネスというものを身近に感じ始めてから

 

そんな「盲目感」を思い出すことが増えた。

 

 

 

 

 

「成功者」のおじさんと話したとき

セミナーで「成功者」の話を聞いたとき

 

なんで、すごく嫌だったのか、たぶん分かる。

 

 

 

 

「時間もお金もないサラリーマン」の私が、不成功者。

 

つまるところ「幸せな人生でない」「この先幸せな未来が待っていない」と暗に示されたことが、とても不愉快だった。

 

 

 

 

このおじさんは、私のなにを知っているのか。

 

 

私が

 

なぜこの仕事を選び

どんな想いを持って

なにに価値を感じ

日々の中でどのような喜びに立ち会い

どんな悩みと向き合おうとしているのか

 

 

知っているのですか。

 

聞こえますか、成功者殿。

 

 

 

 

 

たとえその人が今していることにモヤモヤとした想いを抱えていたとしても

 

 

たとえその人の選択が自分にとって「それでいいの?」なものだったとしても

 

 

 

 

その人には、その人のストーリーがある。

 

 

 

 

 

「私は正しい」

 

「あなたは間違っている」

 

 

 

それが無意識下だったとしても、相手には伝わる。

 

そのメッセージは、人の心を頑なにし、自分から遠ざける。

 

 

と、私は思う。

 

 

 

 

正しそうだろうがなんだろうが、そんなことはすこぶるどうでもいい。

 

 

きっといかなるビジネスでも、ひいては人との関わりにおいても

 

 

 

 

 

 

 

そんなメッセージを発する人に、私はこの身を預けたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな話を、こころから信頼できるネットワーカーと先日お話しまして。

 

備忘録的にちょっと真面目に書きました。

 

 

世の中うまくできている  ~好きだ萌えだの多様性~

 

 

大学5年生の夏。

梅田。紀伊国屋。自然科学コーナー。

 

 

「なんで-から-したら+になるん?」

「なんで-と-かけたら+になるん?」

「なんで分数の割り算ひっくり返すん?」

 

 

勉強が苦手と言われている子どもたちから飛び出す無限の「なんで」に「なるもんはなる」と答えた先に自分の自己概念が著しく下がることに気付いた私。いろいろと解決したい。

 

ということで自然科学コーナーの数学書が集められた棚の前に立ち尽くし、「数字とは」的な本を私自身も新鮮な気づきを得ながら読み漁っていたところ

 

 

隣にカップル。

 

 

きゃっきゃきゃっきゃしてるカップル。

 

自然科学のコーナーできゃっきゃきゃっきゃしてるカップル。

 

 

気にせず立ち読みを続ける私の耳に、きゃっきゃきゃっきゃの内容が少しずつ輪郭を成して入ってきた。

 

 

 

「やっぱりすごいよな!」

 

 

「ね!ほんと萌える!」

 

 

 

彼らはなにかに萌えているらしい。

引き続き聞き耳。

 

 

 

 

「いやーほんと萌えるよなー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素数。」

 

 

 

 

 

 

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ジョジョの奇妙な冒険 プッチ神父

 

 

 

***********

 

 

大学4年生の冬。

 

卒業を間近に控えていると見せかけて来年度は5年生、2度目の就活をしていた私は、当時一緒に学習支援の活動をしていた就活生の友人と阪大近くの居酒屋でふたり飲んでいた。

 

 

教育系企業や人材系企業を中心に見ていて、ノリと勢いで選考を乗り切っては最終面接でバコスコ落とされるというダメージでかめな就活をしていた私。

 

一方なんだかいろいろ優秀なその彼は、有名企業の選考をどんどんクリアしてすでに内定している企業もあり、その時は当時ノリにのっていた某IT系企業の最終選考を控えているというような状況。軽くジェラシー。進むモルツ。学生に優しい鳥貴族。

 

 

しかし、彼の第一志望は科学系の大手企業。

 

 

「どういうことがしたいん?」

 

彼に聞いた。

 

 

学生時代の活動は教育系に従事しているように見えたけど、就活の様子からは直接的に教育のかおりは漂ってこない。

彼がどんな意図を持って就活を進めているのか気になった。

 

 

すると彼は、おもむろにテーブルの下をのぞいた。

 

そして「ここを見ろ」と言うように、テーブルのある箇所を指で示した。

 

 

 

 

 

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「例えば、テーブルこういう接合部分を見ると「ほ♡科学技術ってすげえ♡」って思う」

 

 

 

お酒が回っていたのか接合部分に本気で恋していたのか、そこを見つめる彼の顔は、なんだか少し赤らんでいる。

 

 

 

*************

 

 

 

先日久々に再会した後輩が、自分でも意外そうに言っていた。

「私、事務作業すごい好きかもしれないです」

 

かたや、事務作業は10分で飽きる真崎。

レバーを引くと座席部分が下がるイスに座ってレバーをぷしゅぷしゅしながら「上がるー下がるー」の上下運動を楽しみ始める。

 

 

 

昨日仕事の関係で初めてお会いしたweb関連やコンサルの仕事を個人でしている方が、優しい笑顔でおっしゃっていた。

「戦略を考えるのがとても好きなんですよね」

 

かたや、戦略考えなきゃとなると5秒で萎える真崎。

その辺はもう全力でそういうの得意な人と組みたい。

 

 

 

いろんな団体でその組織を裏から支えるようなポジションに従事して陰ながら活躍されている方にお会いした時はこんなお話を聞いた。

「見えないところで誰かをサポートすることが好きなんでしょうね」

 

 

かたや、絶賛見えたい真崎。

元々「見えないところで誰かをサポートしたい」的な人だと自分で思い込んでいたけど、最近なんだかそうでもないような気がしてる。

自己顕示欲高めというと響きはネガティブだけど最近は開き直ってる。

出たがりは悪ではない。

 

 

 

 

出会いが連続する中で、たまたまそうだったのかもしれないけど。

でも改めて気付くこと。

 

 

世の中うまくできている。

 

好きだ萌えだが絶賛被らない。

 

 

素数にも接合部分にも萌えない。

事務作業や戦略考案は苦手。

 

「じゃあなにが好きでなにに萌える?」と聞かれて

「好きなことは「書くこと」で、萌えるものは「行間」と「句読点」です。」と答えたらまったく理解されなかった。そうだったんだ。(気付き)

 

 

 

みんながみんな自分の好きや萌えに従って今の仕事や活動をしているかといえばそうではない、ということを社会人になってから知るようになったけど

 

少なくとも、そこに従って毎日楽しくやってる人たちもどうやら一定数いるみたいだから、そこんとこはそんな人たちにお任せしちゃっていいもんなんだと最近思うことが増えた。

 

 

 

自分の苦手や嫌いを、得意で好きなあの子がいる。

 

あの子の苦手や嫌いを、得意で好きなわたしがいる。

 

 

だからピースがかちりとはまる。

 

そうして回るものがある。

 

 

 

それ、とってもよかばい。

 

 

 

かみさまの戦略性に脱帽。

 

世の中うまくできている。

 

 

 

追伸:萌えって死語なんですか?(ちょっと恥ずかしい)

 

 

お金と信念のライフカード ~とあるおじさまとの攻防戦~

 

大学5年生の夏から卒業まで「リラクゼーションセラピスト」という聞きなれない職種のバイトに従事していた。


その時のお話。

 

 

 

4年間続けていたダイソーの販売員バイトを春に辞めてからしばらく収入なしで2度目の就活を続けていたらまあお金はなくなった。面接のために大阪に行く交通費すらなくなって不安から部屋に三角座りしてしくしくしていた私は新たなバイトを探すことに。

 

 

「バイト 関西 高給 日払い」

 

検索

 

 

 

結果

 

パチンコ

キャバクラ

パチンコ

パチンコ

キャバクラ

パチンコ

パチンコ

パチンコ

 

 

 

源氏名はなにがいい?」

 

「(源氏名ってなんや)なんでもいいです。」

 

「じゃあ「星野あおい」で。」

 

 

 

キャバクラは体験ぽっきり。

 

 

その後ついにお金が底を尽きそうになっていよいよ親のすねに歯形をつけかけたその時、たまたま求人サイトで目に入ったのが「リラクゼーションセラピスト」のバイト。

 

完全歩合制。

お客さんひとりあたりで4割バック。

一番安い90分1万円の施術で4000円。

日払い可能。

 


「これしかない」と思って即応募。


即採用。

即戦力真崎。

 

 

 



いろいろなプロセスを省いて結果から伝えると、かなりグレーなバイトだった。

 

 

リラクゼーションセラピストということで、オイルを使ってリンパを流す施術を行うものだったのだけど

 

 

「対象はおじさんね^^」

 

女店長に言われて衝撃。

そんなこと聞いていない。

 

 

 

源氏名は、真崎だから……マキちゃん!^^!」

 

セラピストで源氏名

いよいよ怪しい。

 

 

 


施術内容は、下着を着けてもらいバスタオルを被せたおじさまの全身をオイルマッサージしていくというもの。場所はマンションの個室。嫌な予感に拍車。

 

施術前の同意書らしきものには「セラピストに卑猥な行為を強要しない」みたいなルール。嫌な予感に太鼓判。

 

 

ここ関西。見方によれば軽くフリ。

 

ダチョウ倶楽部の「押すなよ絶対押すなよ」っていう竜ちゃんの言葉が「セラピストに卑猥な行為を強要するなよ絶対するなよ」的にも受け取れるわけで

 

案の定おじさま達は肥後克広と寺門ジモン。

 

竜ちゃんを押す勢いで強要してくる卑猥な行為。

 

お客様層の比率を表すなら

「健全:変態=8:2」くらい。

 健全な人の方が多いけど2割は変態。

 

そんなグレーな職場と仕事内容で、神様に誓ってひたすらホワイトにバイトをし続けたセラピスト真崎。

「流されるものか」と気を張る私が2割のおじさま達に向ける態度は無駄に体育会系。

 

「ねえマキちゃん……」

「無理っす。なしっす。そういうのやってないっす(低音)」

 

「ちょっとs「それサービス外っす(無味乾燥)」

 

 

そんな可愛げの欠片もない感じだったけど、元来マッサージ好きだったためその腕だけは店長もお客さんも公認のものとなり、ピュア&ノンピュアなおじさま達からも指名を取れるように。

 

仲良くなったおじさま曰く、真崎はノン卑猥&本気マッサージ、その他女子は半端マッサージ&多少オプションサービスみたいな感じなのが店の実情だったらしく、最後まで空気を読まずに真面目を貫いた私は、他の女の子たちがお店HPのセラピスト紹介で「おっとり癒し系のセラピストです♡」「お姉さま的な美人セラピストです♡」と書かれている中で「マキちゃん:手の皮が厚くマッサージ上手なセラピストです」とのご紹介。

この複雑な気持ちはなんだろう。

嫌われる勇気。

 

 

来店するおじさま達の多くが社長や会社の重役。

要はわりとお金持ってる人が多い。

 

お金を持て余した肥後克広もとい寺門ジモンは、妙な行為の強要の際にお金をちらつかせてくることが多々あった。

要は「5千円あげるからお願い」的なもの。

 

当時お金には困っていたけどあくまでホワイトを貫きたかった私は、お金によってその信念を曲げる気にはならず、そういった申し出も断り続けた。

お金をもらってその要求をのむという事を1度でもやってしまったら、私は私を信じることができなくなってしまいそうで怖かった記憶もある。 

 

 

 

 

 

 

あの日のことは

今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

来店したのは、医者のおじさま。

 

私は初めてだったけど、リピーターさんということは分かっており、顧客情報から相当お金を持っていることも分かっていた。


そして「注意が必要」という情報も。

 

 

 

 

「ねぇ……」

 

きた。

 

 

 

「だめかな」

 

だめです。



いつも通り無理だとあしらおうとした。

 

 

 

 

 



 



「無理っs「お願い、10万で」

 

 

 




 

 

「無理っす」が、つまった。

 

あれ。真崎。あれ。

 

 

 

 

 


10万、かあ。

 

 

 

ダイソーで働いていた時は、1日8時間勤務を週4~5日続けたりしていて、それで1か月間でようやく稼げる金額が大体10万円くらいだった。


要は当時の私にとっては非常に大金。

 



それが、この数分で。

 

 

  


脳内でなにかが高速回転。

 

悪魔がささやく。すごい早口で。

 

 

「10万。10万やで。自分いまお金困ってるやん。今の仕事やったら多めにお客さん来ても1日1~2万が限度やん。それがここで「YES」言うだけで10万やで。いやもちろん嫌やで。嫌な気持ちは分かるで。そんなんしたないしそもそもしたことないし余計嫌なん分かるで。信念あるんも分かるで。あくまでホワイトに仕事したい純粋にマッサージだけで貢献したい気持ちすごい分かるで。でもそのプライドここでいる?ほんまにいるんか?どっちの方が自分の利益になるんか冷静に考えたか?

 

お金、大事やで。

 

ここは。10万とっときや。な。

これも1つの経験やで。いつかネタになんで。な。」

 

 

 

確かにな。一理あるわ悪魔。

 

人生っていろいろ経験した方が価値観も広がるし語れることも増えるし、たとえこれが間違った選択やったとしてもいつかネタとして笑い飛ばせるやんな。しかもそれで今お金が手に入ったらバイトのシフト減らして自由な時間増えるんやし時間買ったと思えばええやんな。残り少ない大学生活を多少なりともより有意義に過ごす権利をお金で買ったと思えばええやんな。


・ 



悪魔と真崎の脳内会議、ここまで5秒。

 

人心掌握に長けた悪魔の力でダークサイトに堕ちかけの真崎。

 

 


目の前に差し出された【10万】【信念】のライフカード

 

「どうする真崎」状態の真崎@オダギリが【10万】のカードに手を伸ばしかけた

 

 

 

 


その時

 

ここに来て、天使。

 

 


 

黙って私の方を見てる。

 

すでにちょっと気まずい。

 

 

 

天使は語らない。

 


その代わりに、私の脳内である映像を流し始めた。

 

 

 


**********

 

 

"真崎、勉強おしえてくれてありがとう"

 

 

"京都や京都!おこしやすって言うてや!"

 

 

"将来保育士さんなりたいんやけど、アホやし無理やんな"

 

 

"これ解けたで!わたし天才やろ!"

 

 

"そういうのやめろや。鬱陶しいねん"

 

 

"高校行ったら留学すんねん。ええやろ"

 

 

"真崎に礼言いたいから電話貸して"

 

 

***********

 

 

 

 

大学4年生の時に、NPOのボランティアで関わっていた中学生たちの姿と声。

 

私が今まで出会ったことのない派手な見た目の中学生たちで、口は悪いわ私のこと無視してくるわ悪態ついてくるわで私の頭を毎週がんがんに痛めてくれた生徒たち。

 

彼らの指導で自分がなにを残せたのだろうと後になってもずっと心残りだったのだけど、問題が解けたときの顔、突然語ってくれた夢、思いがけず見せてくれる仲間想いな姿、将来投げやりになってると見せかけて受験合格した時あいつボロ泣きしてたでっていう仲間からの報告、彼らが私の中に残してくれたものは数知れず計り知れない。

 

 

 

そんな生徒たちの姿を、淡々と上映する天使。

 

饒舌な悪魔よりも、私にとっては100億倍説得力のある手段。

 

 

 

 


あかんわ。

 


ここで10万のオプションサービス選んだら、私はこの生徒たちに顔向けできなくなる。

 

 

教育者として、とかかっこいいもんじゃなくて。なんかもう、いろいろアウト。

 

今なによりも避けたのは、なにより嫌なんは、それやわ。

 

 

 


 

 

「無理っす。そういうのやってないっす。」

 

 

【信念】のライフカードを引いた。

 

 

 

「だめ?」

「だめっす」

 

「もっと出そうか?」

「いいっす」

 

「他の子はOKしてくれたよ?」

「私は無理っす」

 

「もっと出そうか?」

「いいっす(これ以上そこで押されると若干揺らぐのでやめてっす)」

 

「いくらならいい?」

「じゃあ1億」

「…」

 

 

 


そんなやり取りの末、おじさまは諦めた。

 

そして私は最後まで淡々と施術をした。

  

 

 

そして施術が終わって帰り際。

 

施術前にお会計を終えていたのに財布を取り出すおじさま。

 

 

 

「ありがとう。気持ち良かったよ。無理言ってごめんね。」

 

 

手渡された諭吉が1枚。

 

おじさまは薄い微笑を顔に貼り付けて帰っていった。

 

 

チップは店長にご報告。

その経緯を話したら「ボーナス」と言われそのまま受け取ることに。

 

 



 

この出来事は、今も私の中に強烈に焼き付いている。

 


あの時もし【10万】のライフカードを引いていたら。


そこから2年間あまりの期間私が教育や子どもに関わることはもしかしたらなかったんじゃないかと思う。大げさな話ではなく。真面目なんす。

 

 

ありがとう天使。

 

万が一「じゃ1億で」の展開になっていたらということは、もう考えなくてもいいよね天使。(うわずり声)

 

 

どういう路線のライターを目指したいですか?

  

横浜にある上島珈琲店にて。

 

プロ家庭教師&教育ライターをしている方を「お話したい」とお呼び出し。私からお誘いしておいてその方からおごっていただいたコーヒーをありがたく啜りつつ、女子の起業支援もしているその方にライター業について等いろいろとお話を伺った。

 

ご質問を受けた。

 

「どんな路線のライターを目指したいですか?」

 

 

その方から提示されたのは、ざっくりとした「路線」。

"読まれる"ブログや文章を書いている人には、大きく分けて2パターンありますと。

 

ひとつは「専門的な内容」。

 

私が今購読しているブログの中で言うなら、美容・健康・コーチング・カウンセリング・ブログカスタマイズなどがその路線のあてはまる。

要はその人の専門分野の知識を読者に提供してくれる文章。

「これについて知りたい」と思ったときに検索すると上がってきたりする。趣旨やターゲットが分かりやすく、観方によれば「とっつきやすく」「目につきやすい」。

問われるのは文章力の有無よりも強い専門性。

 

 

 

 

「もうひとつは…」

 

 

 

*************

 

 

約3年半前。

大学4年生の夏。

 

4月に就職活動を終えて悠悠自適に枯れていた私は、同じゼミに所属していたコカコーラ中毒の男友達に声をかけられた。

 

 

「真崎、ライターやらん?」

 

ふたつ返事で了承。

 

 

 

大学時代、ほぼ毎日欠かさずmixiの日記を書いていた。

記事数は膨大だけど、例えば内容の例を挙げるなら

 

・自転車で鳩を追い掛け回して車に轢かれかけた

キン肉マンの生い立ちについて先輩と徹夜で話した

アウストラロピテクスの絵が上手く描けた

・バイト中トイレに行って個室から出る時に間違えて満開の笑顔で「いらっしゃいませ!!」と発して羞恥心からその場で悶絶した

・赤ちゃんを抱こうとしたら蹴られた

 

 

「平凡でルーティンのような毎日の中で起こるささいな出来事をいかにシュールに切り取って文章にするのか」に命を懸け、とにかく毎日コツコツと文章を書き、そこにつくコメント返信に通学時間を費やす。

 

 

そんな日々を続けていたら、コアなファンが付き始めた。

コーラ中毒もそのひとり。

 

 

コーラ中毒はコーラ中毒なわりに優秀な男で、どこぞのベンチャー企業の就活サイトでコラムコーナーの編集長をしており、そこで「内定者の先輩」としてコラムを書かないかというお誘いだった。

 

自分の文章を広く発信できる場をもらえることも、それによって報酬(Amazonギフトカード)がもらえることも、なんだかとても未知で新鮮で嬉しくて、誘われた当初は浮足立っていた

 

のが、崩壊した。わりと直後に。

 

 

まず、その就活サイト自体がいわゆる「意識の高い学生層」向けのもの。

 

なので私と共に名前を連ねた「内定者の先輩」たちは、その意識の高い学生たち界隈で名の知れた、優秀且つ有名企業に内定したなんかすごい感じの人たちばかりだった。

 

 

学名と内定した企業名が、コラムニストの紹介ページに並ぶ。

 

 

電通

博報堂

P&G

ゴールドマンサックス

読売新聞

フジテレビ

野村証券

中部・東海地方の塾(←真崎)

 

 

お呼びじゃない。

 

 

 

コーラ中毒に連絡。

 

「真崎の社会的抹殺が目的やったんか」

 

「あほか違うわ」

 

 

基本的にコーラ中毒に対していつもいじりにかかったり愛ある毒を吐いたりしていたので、それを実は根に持っていたコーラ中毒が編集長の権限と真崎の自己顕示欲を利用して潰しにかかってきたのだと当時はわりと本気で思った。

 

 

しかも、求められるテーマが

 

・自己分析

・グループディスカッション

・OB、OG訪問

・面接

・業界研究

・その他やっといた方が良いこと

 

 

当初の言葉を借りるなら、ある種専門性の強い内容。

それを経験した者、そこに対してなにかしら提供できる知識を持った者が、求める人に対してアドバイスや知識経験談を提供するような形。

 

自分に自信がなく他人との比較癖のあった私にとって、その内容で、そんなすごい方々と肩を並べて記事を書くなんて、無理。

 

勝手に打ちひしがれて落ち込む日々。

 

 

 

そんな折、コーラ中毒が励ましてくれた。

 

「就活において優秀な学生はいっぱいおるけど、文章力だけで言うならお前の方が絶対おもろい。俺が保証するから自信持って書いてくれ。」

 

 

腹くくった。

 

 

まずは開き直りから。

 

就活に関するスキル系やアドバイスは、他の内定者に比べて私の持ち合わせることに対するニーズはないと早々に切り捨てた。

最初の記事で「そういうのは他の人のを参考にして下さい。私の記事はベッドの上ですね毛を抜きながら読むぐらいの姿勢でようやく良い塩梅になります。」と書いた。

自信のなさが伺える表記。かまうものか。

 

 

そして、コーラ中毒から提示されるテーマ候補の中から、極力「誰が書いても無益になりそうなもの」、要は就活箸休めの下らないテーマを選んだ。

 

 

その中のテーマのひとつが「リクラブ」

 

 

リクルートラブ、要は「就活の中で誕生する恋」の話。

 

就活含め人生の中でラブを大成させたことのない私が、リクラブ。

 

 

就活&恋愛

Wパンチの劣等感に対して堂々の開き直り。

 

なぜかサイトに飛べなくて、もうその記事は見られないけど、もう相当に好き勝手書いた。

 

 

そうしたら、Twitterで以下のような拡散をされた。

 

 

泣いた。

 

ウェブ怖えって震えた。

この投稿した人が電通の内定者だったから「電通潰れろ」と思った。

 

 

 

それ以降怖くて反応を見られなかった私に、その記事を見かけたある友人が声をかけてくれた。

 

「真崎が書いたリクラブの記事、Twitterでバズってたな。」

 

 

 

「バズる」ってなんぞ。

 

 

上記投稿のショックから、「バズる=炎上」というネガティブ等式が脳内で作り上げられ、「あれからまたいろんな人に誹謗中傷されているなんてもう嫌だ見たくない書きたくない」と半泣き状態。

 

 

 

「バズるって、良い意味で「話題になっている」「噂になっている」ってことやで。」

 

 

 

 

 

勇気を出してTwitter見てみた。

 

 

###############

 

リクラブという言葉を知っていますか?僕はコレを読んで知りました。面白い文章でした!/ 私とリクラブ http://t.co/eHeIHRUh

 

 

 @carippo_com がこんな記事を載せているとは,非常に意外だった.「私とリクラブ」http://t.co/jFtUPrzu

 

 

コレはわらたw RT @ 名記事だ・・・www / 私とリクラブ http://t.co/T9HWc89i via @carippo_com

 

 

ウケる。今日から就活スタートですね笑: 私とリクラブ http://t.co/abXMw9l via @carippo_com

 

 

真崎のブログがめっちゃRTされてるー♪さすが真崎(*´∇`*)"@carippo_com: Carippo!ブログの人気記事をご紹介。文章も内容も非常におもしろいのでぜひ!/ 私とリクラブ http://t.co/ujbdW4Lp"

 

 

 

やっぱこの子神がかってるわ。真崎ちゃん面白すぎるだいすき。 夜行バスが少しだけ楽しくなる話 by @ http://t.co/9QoTgWq8 @carippo_comさんから

  (↑ 夜行バスについて書いた話)

 

 

 

泣いた。 (2回目)

 

 

「私、公で書いてもええんかもしれん」

自信なさすぎた私の、ちょっとした自信になった。

 

「あと、方向性ミスってなかった」

専門的内容はお呼びでないだろうと、コーラ編集長に許可とって好き勝手書いたのが、この時は功を奏した。

 

 

私は「こっち」だと思った。

 

 

************

 

 

「もうひとつは、その人の文章の個性で売っていくこと」

 

 

なにか有益な情報が得られるわけでもなく、よって読んでも得することは別にない。だけど、なぜか読みたくなる。

そう聞くと私の中にも思い浮かぶ文章やブログがあり、それらの文章にふれることは私の日常において欠かすことのできない娯楽と息抜きの時間になっている。

 

例えば私の書く文章に価値がつくのだとしたら、コラムを書いていた当時の周囲の反応を思い返すと、なんかそういう形だったんじゃないかと思う。

 

就活の雰囲気は正直なんだか息苦しい。

あのサイトにたどり着く就活生、彼らの肩の力をあの時一瞬でも抜くことができたのであれば、私があそこで文章を書いていた意味は大いにあったと自己賞賛できる。

 

 

 

「もちろん、その文章にプラスしてその人なりの付加価値をつけていく必要があるけど、まずは「この人の文章を読みたい」と思ってもらえたらいいよね。」

 

 

 

まだ自分の路線を確立できていはいないけれど、その方が提示してくれたざっくり2路線からチョイスするなら、俄然後者で押していきたいと思っている。

 

mixiに首ったけだった大学時代に比べて、仕事を始めてから「自分の文章」を書く量が圧倒的に減ったので、まずは毎日書いて書いて書いてその感覚を取り戻してみようと思う。

 

 

路線としてはとても抽象的だけど

 

誰かの「クスッ」を、たくさん創りたい。

 

 

 

そんな感じでいろいろ書いてまいります。

 

あとどうやったらもう少し短く書けるかな。(3,855字目)

 

それでも、やっぱり愛しい日々だった

 

 

入学式のパフォーマンスで演舞したチアリーダーたちにその場で一気に気持ち持って行かれて次の日には「入部届:チアリーディング部」で顧問に提出。

 

ダンスの練習や声出し、筋トレ柔軟体力トレーニング

全部が楽しかった

 

麗しき「女の園」感

若干の「大奥」感

 

途中でついていけなくなり、新入部員で2番目に体力と持久力を評価されていた私は「体力の限界」という理由で7月頃には退部届を提出。

 

 

*********

 

1年生の時にクラスで好きな男の子ができた。

名簿が隣。顔が濃かった。濃い顔が好きだった。

 

周りはもうみんな知っていて、「こゆ(小指が異常に短い私の中高時代のあだ名)とF君をくっつけよう」という運動が盛んになり始め、気持ち的にもムード的にも後ろに引けなくなった私は、秋頃F君を呼び出して告白した。

 

生まれて初めての告白。

 

メールでふられた。

かの有名な「お友達でいましょう」メール、私の携帯に届く日が来るなんて。

 

泣いた。

 

不器用な私はその後F君ともまったくお友達に戻れなかった。

 

 

**************

 

チア部を辞めた私は、藁にもすがる思いで吹奏楽部の見学に行った。

 

当時は口が裂けても言えなかったし本当に失礼なことだったけど、「今から運動部入るのは難しそうだけど、文化系なら大丈夫だろう」という安易な気持ちでの選択。

 

その日のうちに入部を決め、吹奏楽部員となった私。

 

入部1か月くらいは、練習中トイレで泣いたりしてた。

 

私が入った楽器パート、驚くほど人間関係が完成しており、私の入る余地がないわもはやよそ者顔で無視してくる子もいるわしかもみんな上手いわ私音鳴らすのがんばりましょうからだわ

 

で、孤独と劣等感に耐え切れず、トイレットペーパーで目をこする日々。

 

 

***************

 

 

体育の授業でサッカーをしている時に、当時めちゃイケで流行っていた「エガラップ ※江頭2:50が即興でテーマに沿ったラップを披露するコーナー」をマネして笑いを取ろうと目論んでいた最中に、江頭的な激しい動きに右足を激しく捻挫した。

保健室に運ばれた。

痛かった。

恥ずかしかった。

 

 

*************

 

高校と言えば、所謂「女子グループ」というものがいくつも存在し、どのグループに所属するかで「自分の階級」が決まるというムードがあった。

 

高1~高2頃、人の目を激しく気にする性格だった私はとにかく頑張って「上位層」のグループについていこうと必死だったと思う。

 

でも、楽しくない。

なにが楽しいのか分からない、けど必死についていく私。

 

ある時にグループのひとりから「なんか今日の真崎ノリ悪くない?」と言われた時に、「私はなんで今この場にいるんだろう」という思考に頭が支配されて身体が固まった記憶がある。

 

高2になった時に生まれて初めてできた親友と、よくお互いのクラスを抜けて外でお弁当を食べながら「なんなんやろなこれ」っていう話をしていた。

 

 

***************

 

 

「真崎ってさ」

「うん」

 

「胸でかいけどさ」

「うん」

 

「活用するタイミングないよな」

「・・・」

 

 

***************

 

 

吹奏楽部の定期演奏会で、毎年恒例の音楽劇をやることになり、劇の脚本・監督・ダンスづくりと主演を務めることに。

 

リーダーみたいなポジションで前に立つ時、決まって感じる「圧倒的孤独感」みたいなもの。

 

自分だけ必死になっているような感覚。そのギャップで実際以上にモチベーションが低いように映る部員の皆さま。指示に対して示す微妙な反応に胃が痛くなり、ある時に限界が来てみんなにキレた。

 

キレて泣いて、トイレ(聖域)に籠った。

 

その頃テレビで「芸能界チアダンス部」みたいな番組が放映されていて、ソニンがリーダーのチームなんだけど、ソニンの情熱と周りの温度間にギャップがある感じにソニンが一度耐え切れずにキレて。

それを部員に宥められた時に、ソニンが頑張って笑って「ごめんね」って言った後にたまらず泣き出すシーンがあって。

 

ソニン、分かる、分かるよそれ。」

 

泣いて観てた。

 

 

***************

 

目立つ男子集団が怖かった。

 

彼らはよく廊下でたむろしていて、からかう対象の女子が通ると、嫌な顔を互いに合わせながら笑い合ったり「きっしょ」とつぶやいたりしていて。

 

廊下を通ろうとすると、その集団。

誰かが私を見つけたとき、なんだか少しだけ変わったような気がする空気感。

心なしか「・・ッショ」とか聞こえる。

 

なにも悪いことしていないのに、心臓をばくばくさせながら早足でその場を抜ける。

 

今でも同じような状況に出くわすと心ざわめく。

 

 

**************

 

 

高校のどこかの時期で親が離婚しかけた。

 

お父さんが半年くらい家にいない時期があった。

 

家も家族も嫌いだった。

 

でも、お父さんがいない時期に私たち子どもの前で泣き言ひとつ言わず、朝早く起きてお弁当と夜ご飯をつくってくれていた母の背中は、今思い出しても思わず涙がこみ上げる。

 

 

*************

 

 

「真崎さ」

「うん」

 

「髪切ったよな」

「う、うん////」

 

「絶対切らん方が良かったわ、それ」

「・・・」

 

 

*************

 

高3の時に、後輩の男の子を好きになった。

 

完全なる一目ぼれ。

当時私が世界で一番好きだったスポーツ選手と顔がそっくりで、完全なる一目ぼれ。

 

友達づたいでアドレスを聞き、相手が私を全く知らないところからメールを始め、メールが届くだけで胸が高鳴る日々を送り、時にはちょっとお誘いして顔合わせて話してみたり

 

そんな幸せな毎日を送っていたある日、その男の子と、どこぞの女の子が、私の目の前を仲睦まじく歩いていった。

 

「ごめん、彼女できてん。」

 

高校時代、0勝3敗。

負け越し。

 

確か、泣きながら「lovers again」聴いて家帰った。

 

 

**************

 

 

 

 

入場。

 

吹奏楽部の演奏。

 

総長の言葉。

 

在校生代表の言葉。

 

卒業生代表の言葉。

 

卒業生の、歌。

 

 

 

「真崎、大丈夫??」

 

気づけば、号泣している私。

周りが心配する(軽く引く)レベル。

 

 

高校時代。

 

つらいこと、悲しかったこと、悔しかったこと、怒ったこと、泣いたこと

 

今こうやって挙げただけでもキリがないくらい。

 

 

 

嗚咽が漏れるくらい泣きながら、心のどこかで思う。

 

「それでも、やっぱり愛しい日々だったな」

 

 

それが、私にとっての「卒業式」

 

 

 

それぞれの「卒業」を迎えられたみなさま

本当におめでとうございます。

 

 

みなさんにとって、みなさんが過ごしたその毎日が

 

「それでも、やっぱり愛しい日々だったな」

 

でありますように。

 

 

311と対峙する私の中の本音

 

3月11日14時26分に、黙祷

 

は、結局していない

 

 

あの時のことを思い返すと、今でもとても不思議な気分になり、胸がつまり、自分の思考をうまく言語化できず、というか言語化することを恐れ、うやむやにしたままそのときが流れるように過ぎていく。

 

いろんな人の発信がSNSで流れてくる。

思いを馳せて涙を流した人。

静かに祈り未来を見つめる人。

現地や離れた地から支援活動をする人。

決意を新たにするような感じの人。

 

 

その日は過ぎたけど、今年は言葉にしようと思う。

 

 

 

4年前の3月12日。

震災の翌日。

 

 

昨晩から、なにか苦しかった。

でもそれがなにに対する苦しさなのか分からなかった。

 

次の日に所属していた団体のイベントを控えていた私は、団体のMLに「イベント前にみんなで献血に行こう」と送った。その時はもうなにがなんだか分からず、でもいてもたってもいられず、Twitterで流れてきた「血が足りない」という投稿を読んで思わずメールを送っていた。

 

 

 結局献血には行かなかった気がする。

賢い誰かが「今行っても意味ない」と諭してくれた。

そうなんだ。 

 

 

イベントの前。仲間の家に数人が集った。

テレビは相変わらず震災一色。死者数は表示される度に増えていく。その時の映像で覚えているのは、津波が押し寄せるのを高台から見つめる子どもが誰かに抱きつきながら号泣している映像。

 

それを、部屋で静かに見つめる、当時大学3年生の私たち。

仲間のひとりが「だめだ、泣きそう、だめだ」みたいな事をずっと言っている。

 

その時の気持ちを上手く言い表せない。

が、私はその「泣きそう」な人に無性に腹が立っていた記憶がある。

 

あの時、震災報道を日々目にしながら私のこころに渦巻いていた感情が、あまりにも多様すぎて。しかもその中には、自分でも向き合いたくなかった、自分で「卑しい」と感じてしまうようなものもあって。

その、自分に対する「卑しい」という思いが、「泣きそう」な彼に重なった気がした。

 

 

献血に行こう。

募金しよう。

物資を送ってみよう。

街頭で募金活動をしよう。

 

その行動を起こす私の中には、さっきも書いた「いてもたってもいられない」ような衝動性もあった。胸がぎゅっとつまる。なにか私にできることは。

 

そんな、気持ちが、たぶん、半分くらい。

 

 

残りの半分を占めていたのは、誤解を恐れずに言うなら

 

「圧倒的気まずさ」

 

だったと今は思う。

 

 

最初は半分ぐらいだったこの感覚

日が経つにつれて、6割、7割、、と自分の中で占める割合が増えていった感じがあった

 

 

私がこれを思ったところで誰も得しない。

気まずさとそれに伴う言動自粛に救われる人はいない。

 

 

分かっちゃいるけど止められない。

 

 

ご飯を食べられることが、気まずい。

暖かい布団で眠れることが、気まずい。

友達と笑って過ごせることが、気まずい。

当たり前に家族と過ごせることが、気まずい。

変わらない日常が、なんだかとても気まずい。

 

 

私を突き動かしていたのは、こんなたくさんの「気まずい」だった。

 

誰に責められているわけでもないのに、震災のニュースを見る度、被災地の映像が流れる度、被災者の言葉が響く度、私の中には「気まずい」が駆け巡る。

 

純粋な気持ちで、その悲しみをまっすぐ受け止めて心を痛め、本当にその人たちや現地のことを思って行動できる人になりたいと、こころから思っていた。というか、「自分の理想の自分」だったらそうしていると信じていた。

 

 

中学生の時に、クラスメイトが交通事故でなくなった。

 

悲しかったけど、涙が出てこない。

周りの友達はみんな泣いている。私も泣かなきゃ。

そう思って、頑張って涙を流した、気がする。

もしかしたら本当に悲しくて出た涙かもしれないし、なにが本当の感情なのか結局分からないけれど。

 

でも、その時の感情に似ている。

泣かなきゃ、「気まずい」。

 

みんなで映像を見ながら、本当にこころを痛くしている自分と、「ここで「悲しい」「こころが痛い」と思える自分でいなくちゃ」と思っているような気がする自分。

そんな自分ベクトルな思考に支配されていた時、「泣きそう」な彼の姿と言葉はとても嘘くさく欺瞞に満ちて見えた。

それは自分自身の姿を彼に投影していたのかもしれないと、今なら思う。

 

 

 

悲しい、苦しい、なにかしたい。

気まずい。苦しい。なにかしなきゃ。

どっちも私の中にあるホンモノだった。

 

 

震災から4年の今日。

改めて、自分の気持ちを思い返す。

 

後者の気持ちに少なからず自覚がある以上、震災の時にSNSを横行するような「黙祷」や「回顧」、「決意」をつぶやく気にも真っ直ぐ受け止める気にもなれなかった。一歩引いたところから「この人たちはどんな思いでこれを書いているんだろう」みたいな、ものすごく斜めから見てしまう自分がいた。

それもまた、「気まずさ」の投影なんじゃないかと思う。

 

 

見つめたくなかった感情。

 

だけど今年。

「あれから4年」のニュースを見ながら、黙って隣にいた人がいた。

 

だから、その人と震災の話をした。

言葉にならない私の思いをすべて話してみた。

 

その人の思いも聞いた。

ところどころとても似ていて、なんだか安心して。

だけど、その人は私よりもうちょっと先を歩いているような気がして、なんだかまた胸がチクッとした。

 

 

そこから、いろいろ話して

思うままに浮かぶままにお互いがいろんなことを話して

よいも悪いもひっくるめた本音を話して

 

 

圧倒的に一致したのは

「家族、大切にしたいな」

だった。

 

 

それは、「気まずさ」から来る「震災の教訓」みたいなものではなく、震災と直結することではないかもしれないけど、でも一連のニュースを見ながらとてつもなく湧いてくる気持ち。

 

それまでぼーっと思考を言葉に紡いでいただけだったのに、家族の話になった瞬間、ぶわっと目頭が熱くなった。テレビには、目の前でお母さんが流された女の子のスピーチ。

 

家族がいてくれることが、なんてありがたいのかと素直に思っている自分に気づく。

それって、なんて幸せなことなんだろうと思う。

 

「失いたくないな」

「やっぱ大切やな」

 

そんな会話をしているうちに、いつの間にかテレビでは違うニュースが始まっていた。

 

 

 

3月11日。

 

東北大震災の日。

 

そして、お父さんの誕生日。

 

 

短い時間だけど、実家に電話してお父さんと話した。

ハゲで一重の草食系中年。しかしこの日ばかりは激しく愛しかった。

 

「おめでとう。311やな。」

「ありがとう。お前は911やな。今年はちゃんとお祝いしよな。」

 

 

そんな、私にとっての4年目。

 

 

もしかしたら不謹慎な内容かもしれない。

軽蔑されるかもされない。

そんな「気まずさ」とまた勝手に戦っている自分もいる。

 

けど

 

日をまたいでからになってしまったけど

これを言うことしかできなくてごめんなさい、だけど

 

被災されて亡くなられた方々へ。

心からご冥福をお祈り致します。

 

真崎