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さようなら竜生、こんにちは人生 作者:スペ / 永島 ひろあき

第十六話 火の竜と水の龍

順番が変わっているだけでリメイク前とほぼ変化なしです。
さようなら竜生 こんにちは人生

第十六話 火の竜と水の龍

 いま、私は成竜の姿となって地上世界の空を気ままに飛んでいる。
 破棄された廃村を除けば王国北部辺境区最北に位置するベルン村の更に北方には、東西に渡って巨大な山脈――モレス山脈が広がっている。
 雲を貫いて屹立するその山脈を眼下に見下ろし、私は翼に受けた大気の流れと風の精霊力を利用し、一気に上昇する。
 人間はおろか家々や数千以上の人々が住まう町は芥子粒の様に小さくなり、広大な筈の湖でさえも小さな水溜まり程度にしか見えない。

 より正確を期するのならば竜の姿をしているのは、人間に生まれ変わった私ではなく、私の魂が生産する魔力と大気中の元素などを材料にして作った分身体である。
 この竜の分身体を作り始めたのは、実はごく最近になっての事だ。
 ここ最近、旧友であるマイラールに挨拶に行った時とカラヴィスが私の夢の中に侵入してきた時に本来の竜の魂で対応した事で感じた解放感と、ゲオルグらとの戦いで久しく忘れていた翼を使って空を飛ぶ感覚を味わった事が、私が分身体を作った理由だ。
 いまも意識はベルン村で野良仕事に精を出している本来の私と共有しながら分身体に竜の姿を取らせ、空を飛ぶ事で実に懐かしく感じられる解放感に身を浸している。

 生前の私は全竜種の中でも最高位に位置する古神竜の一柱であった。
 だが既に地上世界には地上で暮らすにはあまりにも強すぎる力を厳重に抑制しなければならない窮屈さから、真竜以上の格の竜種は姿を消している。
 地上に残っていた最後の古神竜である私も既に七人の勇者達によって討たれており、例え分身体であってもかつての姿をそのままに現すのは大いに問題があるので、現状分身体は人間が思い描くだろう一般的な竜の姿を模している。

 おおよそ翼長が大型帆船に届く成竜の規格に収まる分身体を作り、鱗の色は以前と同じ処女雪のごとき白で、翼は六枚あった所を二枚に減らし、瞳の色は虹色から人間の肉体と同じ青に変えている。
 また頭部から後方に向けて伸びる何本かの角の間からは、白い鱗と同じ真っ白い体毛が首筋に沿って背の半ばほどまで伸びている。
 人間や亜人ならまず手を出す事を避ける白竜の成竜が、私の竜の分身体だ。
本来の私が六翼一頭一尾虹眼白鱗の古神竜であったのに対し、現在の私は二翼一頭一尾青眼白鱗の竜である。

 竜種はおおむね鱗の色で種族やその特性、能力が判別できる。
 私がいま姿を変えている白い鱗を持った白竜は、闇を除く全ての属性の魔力と親和性の高い万能型だ。
 他に例を挙げるなら赤い鱗なら火属性と親和性の高い火竜、茶色い鱗で地属性と親和性の高い地竜、透き通るような氷の鱗を持っていれば氷属性と親和性の高い氷竜、金色の鱗を持っていれば光属性と親和性の高い金竜。
 とまあこういった具合である。

 ただ中には複数種の血が混ざった竜もおり、そういった個体の場合は必ずしも鱗の色が単色とは限らず合わせて特性も変化していて、赤い鱗を持ちながら稲妻を操ったり、風のブレスを吐く特性を持っていたりもする。
 特に世代を重ねた若い竜になると純血の竜種は数を減らしているようで、種族を越えた竜の婚姻が珍しくはなく、私がまだ竜として生きた頃にも、異なる種族の竜が番になったと言う話がそれなりに届いたものである。
 人間に生まれ変わってからはまだ同胞と出会った事は無いが、さてこのモレス山脈に竜種は棲んでいるのだろうか、と私は五感を研ぎ澄まして山脈の上を飛び続ける。

 そうして飛び続けていると、私よりも一回りか二回り小さな竜に酷似した影が七頭ほど空を飛んでいるのが見えた。
 竜とは異なり前肢は無く蝙蝠の皮膜に近い翼に変わっていて、鏃の様に鋭い尻尾や鉤状の爪からは猛毒が分泌されている。
 亜竜の一種としては古参の部類に入る飛竜、翼竜とも言われるワイバーン種である。
 後方へ向けて角が伸びる頭部の形状や、灰色の鱗に覆われた四肢の造形などはほとんど竜とは変わらない。

 だが竜と比べると知性が低く、ブレスを吐く能力もなく、竜語魔法を操る魔法能力も持たない為、単体の能力では繁殖能力を除けば大きく劣る。
 人間の時とは比較にならない私の視力は、魔法による強化を施さずとも豆粒の様な大きさで見えるワイバーンの背に、鞍と手綱と鐙が括りつけられ騎乗している人間の姿を捉えた。

 以前セリナがモレス山脈には野生のワイバーンが棲息し、人間の集落があると言っていたが、どうやらその集落ではワイバーンを飼いならして乗騎としているようだ。
 高空は人間には過酷なほどに冷え込むから、春の時節だと言うのに全身を毛皮の外套や襟巻、兎の様なふわふわとした毛皮の耳覆い付きの帽子を目深にかぶってほとんど肌の露出がない様にしている。

 牧場で繁殖させたワイバーンを航空戦力として使用する国家も存在していると言うし、ワイバーンライダーの存在はかつてから耳にしていたが、こうも身近な所に実物が存在していたとは、と私はささやかな驚きを覚えた。
 希少なワイバーンライダーが存在していながら、我が王国が彼らと接触した話は聞いた覚えがない。
となると王国側と山脈の民族とは接点がなく山脈の北側にある別の国家と交流があるのだろう。

 ワイバーンに騎乗している事から通常の人間よりも高い視力を持つライダー達や、ワイバーンもまだ私に気付いた様子はない。
 存在を気付かれても面倒なだけと私は翼を力強く羽ばたき、高空へと飛び上がる。
 白い雲の海を抜けて中天に差しかかる強烈な太陽の光を満身に浴び、分身体ではあるが、私は久方ぶりになにものにも縛られることなく空を飛ぶ自由を再度満喫していた。
 ところがそうして暫くしているうちに、何も考える事もなくただ大気と風の精霊力の流れに任せて心地よい気持ちで空を飛んでいる私の諸感覚が、急速に接近してくる異物の存在を感知して小さく警告を発する。

 危険度は極めて低い。だが私は異物の正体に気付いた。私を目がけて近づいてくるのは、紛れもなく竜の系譜に連なる存在なのである。
 久方ぶりに感じる同族の気配に私は思わず目元を緩めた。遠い遠い私の子孫と顔を突き合わすのは、そう悪い気分ではない。
 しかし高度こそ取ってはいるが私の眼下にはモレス山脈の黒い山並みが見える。となると私に近づいてくる竜は、モレス山脈の一角を縄張りとしているのだろう。
 自分の縄張りに侵入してきた同族を追い払う為に近づいてきているに違いない。
私はその場で翼を羽ばたかせて滞空し、モレス山脈に住まう竜が白い雲海を突きぬけて姿を見せるのを待つ。

 ほどなく雲海を下から突き破る様にして姿を見せたのは、鮮やかな深紅の鱗を持った若い雌の火竜であった。
 いや、鱗の色彩から考えて火竜の中でも強力な深紅竜であろう。
 私の白い鱗と同様に陽光を跳ね返す鮮やかな深紅色の鱗、若々しい生命の躍動に満ちながら老竜ほどには成熟しきらぬ発達途中の四肢から、私はまだ子竜から脱皮して二十年と経過していない成竜であると判断した。
 鱗と同じ深紅色の瞳の瞳孔は縦に窄まって険しい警戒と闘争の光を宿して私を見つめる。

 人間に換算すれば十代後半、多めに見積もってもかろうじて二十歳に届くかどうかと言ったところか。
 力強く羽ばたく翼、強靭な筋組織と神経、骨格を堅牢な鱗で覆った姿は、久方ぶりに同族を見ると言う事もあって、竜としては最高齢の私には若々しい生命力に満ちたとても眩いものに見えた。
 若いと言う事はそれだけ未来と可能性に満ち溢れていると言う事だ。それだけでも素晴らしい事であると私には感じられた。

「貴様、私の縄張りと知った上でこの地に足を踏み入れたのか?」

 私が何かを言う前に深紅竜が刺々しい語調で私に問いかけて来た。血気に逸っているとはいささか言い過ぎだが、そもそも火竜は種の特徴として気性が荒い傾向にある。
 不意に縄張りを侵した私に、攻撃的な意識を向けるのは無理ではない。
 ただ私の目からすると深紅竜の様子はまだ大人になりきらぬ子供が精一杯背伸びをしている様に見えて、微笑ましいものを覚えるばかりだ。
 如何せん私と地上で暮らすようになって著しく退化して行った竜とでは、格が違いすぎる。

 それでも竜種は例え竜としては最下級の劣竜であっても、人間や亜人には油断できぬ強敵だ。
 一般的な竜の成体ともなれば一流の実力を備えた冒険者や騎士団が立ち向かうにせよ、勝ちの目は残酷なほど小さな強敵である。
 だが分身体とは言え同じ成竜である事と、肉体を失っても魂に残っている力さえあれば、目の前の成竜などどうとでも対処できる、ということが私に余裕がある理由の一つである。
 一番大きな理由はやんちゃな孫娘を見る祖父のような心境だから、ではあるが。

「いいや、そなたが縄張りとしているとは知らなかった。気に障るようならばすぐに離れよう」

 少しは会話を楽しみたかったのだが、どうにも深紅竜は私に対する警戒の念が強い様子で話をするのも難しそうだ。
 火竜は総じて気性が荒いものだが、ここまで露骨に警戒しなくても良かろうに。
 己の縄張りを侵されたにせよいささか同族を相手に、気炎を吐きすぎの様に私には感じられたが、巣立ってからまださほど時間が経っておらず、色々と気を張っているのやもしれぬ。
 若者の心を汲む事にして、多少残念な気持ちを抱きながら私はこの場から去ることを提案し、実際にそうしようとした。
 だが私が背を向けようと動いた時、深紅竜の口腔に紅蓮の炎が噴き出すのを知覚する。

「二度と私の前に姿を現さぬように痛みを持って思い知らせてくれよう!」

 やれやれ何もせねばさっさと立ち去ると言うのに。
 竜としての最後の戦いで、勇者達が何も言わぬままに私に挑みかかって来た時と似たような疲労感を覚えながら、私は深紅竜と向きあった。

「己の縄張りを守る事も大切だが、要らぬ戦いを起こす事は感心できんな」

 開かれた深紅竜の口から直径が二階建ての家屋にも達する巨大な火球が放たれる。
 竜種の吐く炎は意識する事もなく強大な魔力を帯び、単なる物理的な炎とは一線を画す。それは霊体、魂さえも焼く炎なのである。
 私は四連射された火炎弾に対し、翼を交互に広げては閉じて、その場に浮かんだままゆらりゆらりと柔らかく動き、放たれた火炎弾を全て回避する。
 火炎弾から零れた火の粉が私の白い鱗に触れたが、圧縮した魔力の結晶である私の鱗は、その程度なら焦げ一つ出来る事もない。

「あまり血気に逸ると寿命を縮めるぞ。お嬢さん」

「貴様も私と年はそう変わるまいが、その口を利けぬようにしてやる。私はモレス山脈の深紅竜ヴァジェ! この名を死ぬまで覚えておくがいい」

「ふむ、“炎の偉大なるもの”有翼の蛇ヴァジェトにあやかった名前か。かの女神は慈悲深き善神であるが、血の気の余っておるお嬢さんにはちと似合わぬ。良い名前ではあるがな」

 ヴァジェと名乗った深紅竜の返答は、再びの火炎弾であった。
 私の顔面を捕らえる火炎弾を、こちらも白く燃える火炎弾を吐いてぶつけることで相殺し、私は更に上空へ向けて翼を打つ。
 火炎弾を相殺するのと同時にすでに動く用意を整えていた私にやや遅れて、ヴァジェもまた私の後を追って深紅色の鱗と皮膜の翼を広げる。
 既に雲海の上に出ている以上私とヴァジェの間に遮蔽物は存在せず、眩い陽光の光を浴びて、白と深紅の鱗は眩い輝きを纏う。

 私は背後に視線を送り、蛇行する動きで飛翔する私の後方を飛ぶヴァジェを捕捉する。
 成竜として規格外にならぬ程度に速度を抑える私の飛翔速度は、それでも竜種最速の風竜の成体にも匹敵する。
 その私に離されることもなく追従してくるのだから、ヴァジェも相当に速い。
 私は再び背後のヴァジェの火の魔力が高まるのを感じ、右に左にと春風に飛ぶ蝶を真似て翼を動かし、再び放たれる火炎弾をヴァジェに背を向けたまま回避する。

「どうした、ただ逃げまどうだけか白いの! 名すら名乗らぬ臆病者めが」

「なに、まだ若いお嬢さんの練習相手になろうと思っておるだけよ。私の名は、ふむ、私に傷をつけられたら名乗ってやろう」

「小癪な」

 私は翼をたたみこみ、風の精霊力と大気に対する干渉を止めて急激に失速。 
 例え遮蔽物がないにせよ、高速で飛翔していた私が急激に速度を落として下方に落下するように動いたことで、ヴァジェは私の姿を一瞬見失ったようである。
 ヴァジェが私の姿をようやく見つけ出した時、私はヴァジェの腹部を見上げる位置に居た。
 そこからヴァジェに合わせて周囲の大気流に干渉して加速し、雲海を背に翼を広げて、ヴァジェのお株を奪う火炎弾を私の前に晒している薄紅色の鱗で覆われた腹部に連射する。

 生まれつき火の属性を強く備える深紅竜であれば、手加減した私の火炎弾は然したる痛痒にはなるまい。
 私は別にヴァジェを傷つけるつもりで戦っているわけではない。ヴァジェに告げた通り、まだ年若い同胞に先達として戦い方を見てあげようという気持であった。
 加減した火炎弾は傷を与えるまでには及ばないが、高速で飛行中に下方から大きな衝撃を受けたことで、ヴァジェは一時翼の制御を失い、激しく錐揉みしながら眼下に広がる白い雲海の中へと落下してゆく。

 私はそれを追う為に雲海に背を向けた体勢から一回転して、空を仰いで地を見下ろす体勢になってから翼を畳んで急下降に移る。
 雲海の中に飛び込むのと同時に後方に流れてゆく雲に視界を遮られるが、鋭敏な諸感覚を有する竜であれば、視界が遮られただけなら戦闘を続行するのに対して支障は生じない。
 既にヴァジェも体勢を立て直しているであろうから、後を追って雲海に突入した私に対して奇襲を狙っているだろう事は想像に難くない。

 畳んだ翼を広げて風を受け止めながら、私は雲海のどこに、あるいは既に雲海の下か上にヴァジェが出ているのかを確認しようとして、正面から五連射された火炎弾の回避を余儀なくされた。
 やや弾速は遅いが私の回避を予測した予測射撃による火炎弾は、先ほどまでのものより私の体の際どい所をかすめてゆき、焦げた大気の匂いが私の鼻の粘膜を刺激する。
 続くは再びの火炎弾かあるいは爪や牙を振るっての肉弾戦か、と私がヴァジェの取る選択肢を推測した時、ヴァジェは既に私の上を取りその影に気付いた私が頭上を仰ぎ見れば、胸部を膨らませて口内にこれまで以上に激しく燃える業火を溜め込むヴァジェの姿がある。

「私の行動を誘導する為にわざと火炎弾を遅くしたのか」

 私が小さく感心するその矢先で、ヴァジェは口を大きく開くことなく小さくすぼめたまま勢い良く首を伸ばし、私めがけて口内の業火を吐きだす。
 これまでの巨大な火炎弾とは異なり、ヴァジェが吐いた火炎は細く束ねられてその熱量、貫通力、弾速を劇的に上昇させている。
 私は喉の奥でぐる、と一つ唸り脳裏に決して砕ける事の無い強固な光の盾を想起し、竜語魔法を発動させて、自分の体の上を覆う純魔力の半透過性の盾を構築することでヴァジェが集束させた炎のブレスを受け止めた。

「ふむ、ブレスの撃ち分けをその若さで出来るとなると、これはなかなか優秀ではないか」

 主に竜種のブレスの撃ち方は、先ほどまでのヴァジェの様に火球状にして撃つもの、放射状に放つもの、小さな散弾状にして広範囲に放つもの、そして今ヴァジェがしているように細く束ねて威力を集束して放つ四種類がある。
 大抵の成竜は放射状に放つか火球状に放つきりで、集束させて撃つのにはそれなりの経験とコツが必要とされる。
 とはいってもブレスの撃ち方を学ばずとも単にブレスを吐くだけで大抵の魔物や人間は死んでしまうから、わざわざ修練を重ねる竜は少ないが。

 やがてヴァジェが集束ブレスの放射を終え、悔しげな瞳で私を見下ろして次の行動に移る前に、私は周囲に散らばったヴァジェの火炎に混じっていた魔力を自身へと取り込む。
 大気中に満ちる魔力に溶けて消えそうになっていたヴァジェの魔力を選別し、自身の魔力と同調させて吸収する私の姿に、ヴァジェは追撃を加える事を忘れて驚いている様子であった。
 魔法使用後に周囲に残留する魔力の残滓を吸収する技術は、修得しておけば長時間の戦闘でも自身の魔力の消費を抑え、敵の魔力を利用する効率的な戦闘方法の学習に繋がる。

 驚きの様子を見るにヴァジェはおそらく、まだ他者の魔力を同調させ取り込む様な事は出来ないのだろう。
 そういった技術の学習の必要を迫られた事がないのかもしれないが、となる自分より格下の魔物か亜人としか戦った事がない可能性が高い。
 ブレスを吐くか五体を振るえば容易に倒せた相手と違い、同族の竜である私と戦うには技術面に於いて未熟さが残っている。

 私を相手に強い言葉を吐いたのも、戦闘経験の少ない同族を相手にして戦う危険性を理解して、戦闘を回避しようと強がってのものだったのか。
 その癖この場を譲ろうとした私に不意打ちを仕掛けて来たのは、気性の荒い深紅竜として相手に見逃してもらおうと考えた自身に対する怒りが理由かもしれない。

「魔力の同調は出来ぬようだな。憶えておくと同格以上の相手と戦う時に役に立つ。修得の努力を欠かさぬようにせよ」

 言い終わるのと同時に私は開いた口の先に圧縮していたヴァジェの魔力と、私の魔力を融合させたブレスを私の上空にいるヴァジェめがけて解き放った。
 ヴァジェが私に放った集束ブレスと同形態の光線状のブレスは、私の白い火炎を軸にその周囲をヴァジェの深紅の火炎が縁取り、巨大な光柱となってヴァジェへと襲い掛かる。
 圧倒的な熱量で射線軸とその周囲に掛る雲を瞬時に吹き散らし、雲海に大穴を空けながら迫る集束ブレスを、ヴァジェは反射的な動きでかろうじて回避した。
 火竜の上位種の深紅竜であるヴァジェの左の翼の皮膜と長い尻尾の鱗が、集束ブレスの余波を浴びて黒く焦げ付いているのが見える。ちと火力を増し過ぎたか。

「私の鱗を焦がす!? 馬鹿な、私は深紅竜だぞ!!」

「そなたの体が耐えられる限界を越えていただけの事。火竜といえどもあらゆる火炎に対し無敵というわけではない。
 それと相手から意識と視線をはずす真似は、あまり感心できんな。だからお嬢さんなのだよ」

 ヴァジェの意識が逸れた数瞬の間に私は、その懐にまで飛び込み愕然とするヴァジェの首筋に喰らいつく。
 そのまま深紅色の鱗を貫く事も出来たが、まだ年若い同族にそこまでするつもりはなく、私の拘束から逃れられない程度に込める力を留める。
 私の声と気配に自分が取り返しのつかない失態を演じつつある事に気付いたヴァジェは、私に完全に拘束される前に私を振り払おうと足掻くが、すぐに私が伸ばした腕と尻尾が体 に巻きついて、翼を羽ばたかせることすらできなくなる。

 私はヴァジェを拘束したまま、重力と周辺の大気の流れに干渉し加速して、はるかな眼下に広がる黒竜骨山脈めがけて、ほとんど垂直の角度で降下してゆく。
 切って行く風に鱗はびりびりと震え、畳んだ翼は隙間から忍びこむ風を受けて自然と広がりそうになり、瞬きする間もなく山脈の黒ずんだ地面が視界の中で大きくなってゆく。
 ヴァジェはこのまま地面に激突するように降下する私の行動に焦燥を覚えた様で、私の腕と尻尾に拘束されたまま激しく抵抗するように体を動かすが、私の拘束を振りほどくには到底及ばない。

 私は地面がぐんぐんと迫って来る中、翼を広げて風を受けて減速し、竜語魔法による干渉で慣性を操作して体に掛る負荷を全て消し去り、拘束していたヴァジェの体を解放してモレス山脈の山肌に叩きつけた。
 私の戒めから解放されたとはいえ、高速で放り投げられたヴァジェは体勢を立て直す暇もなく、勢いをそのままに山肌に叩きつけられて大きく山肌を揺るがす

 ヴァジェの激突と同時に一斉に山肌に蜘蛛の巣状の罅が広がって、ヴァジェの巨体は崩れた土と岩に半ば埋もれる。
 それでも私が急速に減速をかけた事もあって、ヴァジェは激突の衝撃にも耐えており骨が折れた様子もない。脳を揺らされてやや意識を朦朧とさせていると言った所だろうか。
 私は、頭を振って意識と気を持ち直そうとしているヴァジェを見下ろす。

「あまり同族や自分より強いものとの戦いには慣れておるまい? ほとんど必要になる事は少ないとはいえ、戦い方に工夫を凝らすことを常に意識しておくべきだ」

「……ぐぅうう、貴様ぁ、どこまでも私を下に見て!」

「意識を保っているだけでも大したものよ。口惜しく思うのならばいつか私を倒す事だ。
 まずは私に傷の一つも与えて、名乗らせる事からだな。近いうちまたそなたに会いに来よう」

 私は羽ばたきを打って飛びあがり、ヴァジェの姿が見えなくなる所まで来てから、一旦その場に滞空してふむ、と一つ漏らす。 
 今回の事で北のモレス山脈に深紅竜の成竜がいる事がわかったのは大きな収穫だ。
 将来的にはベルン村以北の荒野や森林地帯、山岳部の開拓も出来たらよいと考えていた私だが、竜の分身体を北に飛ばしていなかったら、何も知らぬままにヴァジェと遭遇し戦う事になっていただろう。
 今の内にその存在を知る事が出来たのだから、これから対策を講じる余裕もある。
 まあ、現状ではベルン村以北の開拓など絵に描いた夢物語に過ぎない事が最大の問題であるだろうか。

 私はこのまますぐ分身体を構成する魔力を本体に戻すのも勿体無いかと、白竜の分身体を維持したまま暫く空中散歩を楽しむ事にした。
 そう言えばゴブリンやオークなどの魔物が大群を成して姿を見せるベルン村の北西をまだ偵察してもいなかったが、良い機会かもしれん。
 偵察する、しないの選択肢も含めて、さてもうしばしどのようにして時間を使おうかと私が考えごとをしていると、南西の方角から珍しい気配があるのを感じられた。
 ヴァジェと同程度の力を持った同族の気配。
 巣や集落があるわけでもないのに、こうも連続して同族とである事は稀である。ただ感じ取れる気配から竜ではなく龍であると判断出来た。

 始祖竜が自ら細分化した肉体から産まれた原初の竜達は、位階の他に竜と龍とに分類される。
 私を含む最高位の始原の七竜の内四柱が古神竜であり、残り三柱が古龍神と称される様に、竜と龍とでははっきりと外見に違いが出る。
 竜は蝙蝠に似た皮膜を持った翼と長く伸びた尻尾に、人に似た四肢と長く伸びた首を持つ事が多いが、龍は蛇のように細長い胴に短い手足、鹿の様な角が伸びる頭部からは細長い髭が伸び、後頭部からは長い髪を生やしている。

 竜の多くはヴァジェのように峻険な山や幽山深谷に住まうが、龍は大河や湖、海などに棲んでいる者が多く、自然と棲み分けも行われている。
 ほとんど翼を持たない種で占められる龍であるが、それでも自在に空を飛び、天を駆ける高い飛行能力を有しており、また水中でも自在に行動する事が出来る。
 龍の種としての性格を考えればヴァジェのように出会い頭に喧嘩を売っては来ないだろう、と私は龍の佇んでいる方へと向かって翼を羽ばたかせる。

 ベルン村からでは視界の端から端までを埋めるただただ巨大な山脈、としか見えないモレス山脈だが、いざ竜の翼を持って飛んで見れば意外にも緑に恵まれて多様な環境を持った土地だと分かる。
 木々の緑一色に染められた場所もあれば、大小無数の湖や川が流れ、雪の冠を頂く場所もあり、山脈の地下深くには溶岩流の存在も感知できる。
 私が見つけた龍は、山脈の中にある一つの山頂に出来た湖のほとりで休んでいる様だった。

 見る間に龍の姿が私の瞳に移り、龍の方も私の白い姿を認めていることだろう。
 背の高い針葉樹に囲まれた鏡のように澄んだ湖の傍らに、その龍はいた。
 細長い体はどこまで吸いこまれそうな海の青を思わせる鱗に覆われ、段々になっている腹など体の内側は鱗よりも淡い水色。
 細長い口には髭はなく、後頭部から長く真っ直ぐに伸ばされた烏の濡れ羽色の髪が風にそよいでいる。
 絹糸に星と月の灯りを取りはらった夜の色を写し取る事が出来たなら、この龍の様な美しい黒髪が出来上がるだろう。

 底まで見通せそうな透き通った海の青に似た細長い胴体は、龍という生物の王者的な存在の強靭さよりも、柔らかさとしなやかさの印象の方が強い。
 これまたヴァジェとそう変わらぬ年頃のお嬢さんである。
 私が竜として生きていた時代にはもう少し年を取ってから親元を巣立っていたと思うのだが、最近では親元を巣立つ若者の低年齢化が進んでいるのだろうか。

 龍の特徴として四本の足から伸びる指の数で格が分かれる。
 私のような竜ならばおおむね四本か五本の指があり、その数で格が別れるような事はないのだが、龍となると三本から四本、五本と数が増えるほどより強く古い血統の主であることを表す。
 地上に残っている龍を束ねる三大龍皇とその親族、あるいは先祖返りを起こして強力な力を生まれ持った突然変異の個体だけが五本の指を持ち、龍の九割は三本の指を持った者達である――私の前世の時点では、と但し書きがつくけれども。

 私の姿に気付いてた龍のお嬢さんの指は四本。もしなんらかの理由で姿を変えているのでなければ、王族ではないがそれに近しい貴種の血統なのであろう。
 私は翼の羽ばたきを止めて、私の姿をまじまじと見つめるお嬢さんと挨拶を交す為にゆるりと湖のほとりに舞い降りた。
 おずおずと遠慮がちに私に視線を向け、観察している様子の龍のお嬢さんからは、ヴァジェのような気性の荒さは感じられない。
 龍族そのものが比較的穏和な性格をしている事もあるが、それ以上にこのお嬢さん自身の個性として穏やかな気性なのだろう。

「こんにちは、龍のお嬢さん。随分と遠き地より参られた様だが、如何したのかね? ここいらではあまり見ぬ顔だが」

 気軽な調子で話しかける私に対して、私の様な竜と会うのは初めてなのか、ひどく緊張した様子でお嬢さんは精一杯胸を張って私に挨拶を返してきた。

「初めまして。わたくしは三大龍皇であらせられます水龍皇すいりゅうおう龍吉りゅうきつ様にお仕えする、龍巫女の瑠禹るうと申します」

 軽く頭を下げて主の名前と合わせて自己紹介をする瑠禹の所作や、川のせせらぎを耳にしている様に涼やかな澄んだ声音は、全てを燃やし尽くさんと猛る業火を思わせるヴァジェとはどこまで対照的である。

「水龍皇の龍吉公主となるとリヴァイアサンを遠き祖とする系譜に連なる龍であるか。今地上に残る古竜の中でも屈指の力の主と記憶している。
 その巫女を務めているとならば、瑠禹もずいぶん高位の龍ということになるな。若いのに大したものだ。ああところで瑠禹と呼んでも構わぬかな?」

 主のみならず偉大なる父祖をまるで良く知る相手の様に親しみを込めて呼ぶ私に、瑠禹は無礼な、と怒りを表すよりも、呆れの方が強かったのかわずかに困った様子で小首を傾げている。
 あるいはヴァジェ同様に自分とそう年が変わらぬように見える私が、奇妙に老成した雰囲気を纏っている事を、不思議に思っているのだろうか。

 なまじ普段纏っている人間の肉体と言う器から解放された状態であるだけに、私の言動は常にも増して竜であった頃に近くなり、老いた物言いになりがちなのだ。
 そう言えば公主とは皇帝の娘を指す称号だが、既に水龍皇の地位にある龍吉に公主の称号を付けて呼ぶのは誤りになるのかな?

「わたくしの事はどうぞお好きなようにお呼びくださいませ。
 それとたまたま龍吉様にお仕えする一族に生まれ付いただけのことですから、お褒めに預かるようなことではありません。
 あの、ところでこの辺り一帯は貴方様の治める地だったのでしょうか。そうでしたのなら、不用意に足を踏み入ってしまった事をお詫びいたします」

「いやいや、ここら一帯を縄張りにしているのは私ではなく、瑠禹と同い年くらいの深紅竜だ。私は最近この辺りに来たばかりの旅の者だよ。
 深紅竜だがずいぶんと気性の荒い竜であるから、どうしてもこれより先に北上せねばならぬ用事がないのであれば、迂回して行った方が良い」

「そうですか。でしたら急ぎの用向きがあるわけではございませんし、北に向かう理由も特にはございませんから。貴方様の仰る通りに致しましょう。
 あの、所で龍吉様とはどのような御縁がおありなのでしょうか? リヴァイアサン様の事もなにやら深く御存じの様ですが」

 ふむ、ちと口を滑らせたか。
 純粋な疑問として問いかけて来た瑠禹にどこまで本当の事を語ってよいものか、少々判断に迷ったが適当にお茶を濁す程度に留める事にした。既に滅びた筈の始原の七竜が蘇っても、良い事はあるまい。

「いや、昔少しな。公主については、そうだな……。そなたが一度公主の元へ戻る事があったなら、その時にこう訪ねてみると良い。
 ひょっとしたら私の事を憶えておるかもしれん。幼少のみぎり、ある古神竜を招いた宴で公主は左の頬に小さな火傷を負った事がある筈だ。
 それはもうすでに治り痕は残っておらぬであろうが、“もう痛いのは飛んでいったか?”と尋ねればひょっとしたらなにか思い当たる節があるやもしれぬ」

 私が勇者達に討たれる前、龍吉の一族とまだ地上に残っていた龍神の海底にある城に招かれたおりに開かれた宴の席で、まだ幼かった龍吉が私の言った通りに頬に火傷を負う事故が起きた事がある。
 いまでこそ地上屈指の力を持つ古竜にして龍皇たる龍吉だが、その場では最も力の無い龍であり、また幼子であった事から熱さと痛み、場に揃った自分よりはるかに強大な者達の醸し出す雰囲気に飲まれて脇目も振らず泣き出してしまい、皆が困ってしまった。

 その時に私が龍吉の所まで行って火傷を舐めて治してやり、人間か亜人の子供に教えて貰った“痛いの痛いの飛んで行け”というおまじないをしてやり、龍吉はそれまで一番恐ろしかったのであろう私が、優しく接したことで緊張の糸がほぐれ、にっこりと笑みを返してくれたのだ。
 時の流れの中に埋没していてもおかしくない古い話だから、もし憶えてくれているようなら私としては嬉しい限りだが、あの場には他にもたくさんの竜や龍が居たから、私であると特定する様な事にはなるまい。
 瑠禹は私の言う事になんら思い当たる様子はなく、不思議そうな顔をしている。龍吉自身も憶えているか怪しい話とあっては、見当もつかないのは無理もない

「なに、私の言が信じられぬなら主殿に尋ねずとも構わぬ。理知的で温厚な名君と聞くが、戯言を耳にしては表に出さずとも不愉快な思いをするやもしれぬ。
 仕える主にその様な思いをさせたとあっては、巫女であるそなたに私も申し訳ない」

 私は微苦笑と共にそう瑠禹に告げて、それからしばし瑠禹の住む海の中の竜宮城での同胞の龍達、人魚や魚人達との暮らしなどを聞かせて貰い、代わりに私はここから北に行けばヴァジェが縄張りとする一帯にさしかかり、北西に行けばおそらく魔物たちの大規模な集落がある事などを伝えた。
 腹を空かせれば人を喰らう事もある竜と違い、龍は全体的に温厚であるから目の前の瑠禹が人里を襲うような事はあるまい。

 とはいえ龍であれ人間からすれば手に負えない超常の存在には違いないから、北に向かえば野生のワイバーンやワイバーンを飼いならしている部族に遭遇する可能性があることも伝えておく。
 ワイバーン達が興奮して、瑠禹との間で誰も望まぬ様な不幸な戦いが起きては悲しい事だ。 
 それから私は竜宮城を離れて瑠禹がこの辺りを飛んでいた理由を問うた。

「差し障り無ければ瑠禹がどうしてこのような所に居るのか教えて貰っても良いかね?」

「龍吉様にお仕えする巫女や武官はある程度年を経ましたら、一度竜宮城を出て外の世界を回り、見聞を広めるのが習わしなのです。
 わたくしも直に竜宮城を出る頃合いですので、一足早く外の世界を知っておこうかと思いまして、こちらまで参ったのです」

「ふむ、散策がてら、というわけか」

 というのが瑠禹と私の出くわした理由らしい。
 私と出くわすまで巨大なロック鳥や飛行性の魔物などは目にしたようだが、竜と出会ったのは私が初めてだった様で、瑠禹もずいぶんと緊張したのだと言う。
 それから私はヴァジェとはまともに会話が出来ない分を取り返すかのように、落ち着き払った性格の瑠禹を相手に口を動かし続け、いつのまにやら長話になってしまい、私がはたと気付いた時にはずいぶんと時間が立ってしまっていた。
 私は瑠禹に貴重な時間を使わせてしまった事に謝意を述べ、ふと瑠禹の体から薫って来た匂いに気付き、最後に一つだけ聞いた。

「最後に瑠禹よ、そなたは龍族の棲む東方の海からやってきたのかな?」

「あ、いえ、東の海を出ましてこの土地の南の海から北上してまいったのです」

 瑠禹は少し慌てた様子で隠し事をするように、言葉を濁す。どうやら余り深く追求して欲しい話題ではないようだ。

「ふむ、そうか。時間を取らせてしまってすまぬ。帰り道は気をつけておゆき」

「ご心配いただき、ありがとうございます。時に、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「おや、これは失礼、名乗らぬままであったか。私は……ドランだ」

 人として貰った名を告げるべきか、それとも竜としての名を告げるべきか逡巡したが私は人の父母から貰った名前を気に入っているし、竜としての名を告げても信じて貰えるか分かったものではなかったから、人としての名を口にした。

「ドラン様ですね。今日は本当に楽しいお話をありがとうございました。またお会いする事がございましたら、なにとぞよしなに」

「ああ。また巡り合う運命である事を祈っておる」

 身を翻し、青い鱗に覆われた細長い胴体をくねらせながら南へと向かって飛んでゆく瑠禹の姿を見送りながら、私は瑠禹の体から薫っていた香りを思い出し、野太い首を傾げた。

「あれは潮の香り。しかし南の海から飛んでくる間に取れていてもおかしくはない。さて、どんなからくりで潮の香りを纏っておるのやら」

<続>
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