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さようなら竜生、こんにちは人生 作者:スペ / 永島 ひろあき

第十二話 竜魂人身

さようなら竜生 こんにちは人生

第十二話 竜魂人身


「せっかくの貴女との殺し合いですもの。余計な邪魔が入ってはつまらないわ」

 ラフラシアが余裕たっぷりの態度で左手をまっすぐ横に伸ばし、地面に向けていた掌を上に向けると、それに合わせてラフラシアとディアドラを中心に、無数の魔界の花と木の根とが絡みあった壁が地面の下から表れて、二人を囲い込んだ。
 ちょうどサイウェストの村を守る木々の城壁と同じように円を描いており、さながら花々が形作るコロッセオと言った所だろうか。

「これで心おきなくこの戦いに集中できるでしょう? 我ながら私って気遣いの出来る女よねぇ」

「そうね。貴女の無様な死に様を他の皆に見せられないのは残念だけれどね」

「あはははは、言うわねえ、貴女」

「ふふふ」

 鬩ぎ合うディアドラとラフラシアの殺気の均衡は、ラフラシアがあはっと愉快気に笑い、両手をディアドラへ突き出した瞬間に崩れた。
 途端にラフラシアの華奢な、それこそ蝋細工かなにかのような腕から薄い青色の霧が滲み出し、それは周囲の瘴気さえも吸い取りながらディアドラへと風の速さで迫る。
 風も大地も水も、自然を構成するあらゆる物質、要素から命を吸い尽くして己の糧とするラフラシアの吸命の霧の脅威は改めて語るまでもない。

 前方の視界を青く変え、命を吸い尽くしながら迫りくる青霧を前に、ディアドラは自身の左側頭部の黒薔薇の花弁を一枚手に取ると、ふっとそれに息を吹きかけて霧へと飛ばした。
 絶体絶命の危機を前に気でも違えたかのようなディアドラの行動は、しかし黒薔薇の花弁が空中でゆらゆらと揺れたと見えた次の瞬間、何千何万いやそれ以上の花弁と変わった事で狂気の沙汰でない事が証明された。

 いまや迫る青い霧を完全に遮断する無数の花弁は、ディアドラが繊手と喩えるのも愚かな右手を、楽団を前にした指揮者の如く振りあげるとそれに合わせて風の有無と重力を無視してうねり、ラフラシアを目がけて突き進んで行く。

 無論、森羅万象から生命の根源を貪婪に吸い尽くす魔性の霧の事。
 触れる端から黒薔薇の花弁の内包する生命力と魔力とを空になるまで吸い尽くし、瞬く間に微細な塵へと変えて行く。

 花弁の嵐は塵に変わるのもお構いなしに霧を左右にかき分けて進み続ける。
 ディアドラの魔力によって増え続ける黒薔薇の花弁は、霧にその数を減らすよりも増える速度の方が上回り、数えて三つの後にはラフラシアの邪悪な精神を納めた可憐華奢な身体を飲みこむ距離に迫っていた。

「へえ、花びらの嵐ってところかしら」

 ラフラシアは面白そうに呟き、突き出した左手を握る。途端に周囲の霧が花弁の奔流へと殺到し、餓えた肉食魚の群れの如く黒薔薇の花弁を貪り始める。

「数で私に対抗しようって考えかしらぁ? 昨日の戦いで少しだけ学習したみたいね」

 所詮は浅知恵と言外に嘲笑い、ラフラシアはくすくすと鈴を転がすような笑声を零す。
 聞くも美しい響きの声ながら、そこに込められた感情ばかりは聞き違いようもなく悪意で満たされていた。
 ディアドラはそのまま無言を貫き、塵と変わる花弁の向こう側からラフラシアを射殺さんばかりの鋭い視線を送っている。

「ご褒美を上げましょうね。私の霧はね、命を吸うばかりじゃないのよ。こういう使い方も出来るわ」

 掌を上に向けたラフラシアの右手に、青い霧が渦巻いて集中し始めると見る間に霧は青から赤へと色を変えて、莫大な力がそこで胎動し始めた事をディアドラは鋭敏に知覚していた。
 加えてラフラシアの右掌に集まり始めた力がどういった種類のものかを理解し、白皙の美貌に新たな憎悪の色を刷いた。
 ディアアドラのこれまでの生において、これほどまでに憎悪の感情を募らせた事はなかっただろう。

「貴様、それは皆から吸い取った命か?」

 ディアドラの唇を突いて出た血を吐くかのごとき言葉に対して、ラフラシアは小さく手を叩いて拍手をした。

「正~解~。私はこれまで吸い取った命をこうやって壊す力に変えて、外に放出する事も出来るのよ? 
 命は魂と並ぶこの世でも特に大きな力を持つモノ。それを壊す力に変えれば、こうなるわ」

 ラフラシアの右掌が天からディアドラへと向きを変え、掌の上に球結んだ赤い命の結晶体は、光にも等しい速さでディアドラへと放たれる。
 周囲へ莫大な力を発する命の光球を、ディアドラは黒髪の中から伸ばした黒薔薇の茨を岩の一つに絡ませ、自分の身体を高速で引っ張る事で回避に成功した。
 ディアドラが一瞬前まで立っていた大地に着弾した命の光球は、雷を百ほど束ねて落としたような轟音を立てて、大地に巨大な穴を穿っていた。

 跳んでくる土や岩の欠片を手で払いながら、ディアドラは険しい視線をラフラシアへと送り、それから地面にぽっかりと開かれた地面へと移した。
 ディアドラが防御に全力を注いでも到底防ぎきれぬほどの破壊の爪痕は、ラフラシアの言葉が正しい事のなによりの証明だろう。

「どう? なかなか凄いでしょう。今のには貴女のお友達の命も混じっているかもね。
 お友達が大事なら、皆の命の力は受け止めてあげるべきではなくって? ほうら、次いくわよ!」

「っ!」

 ラフラシアが凹凸の乏しい胸の前で小さな手を合わせ、それを左右に開くと両手の間にいくつもの赤く輝く命の光が生じる。
 一つ一つが高位の破壊魔法に匹敵する破壊力を秘め、ディアドラにとっては一発たりとも当たるわけには行かない脅威だ。

 ラフラシアの両手の間から、赤い光の軌跡を虚空に幾筋も描いて命の光球がディアドラへと再び放たれる。
 空中で追い抜き、追い越し、交差し、一つ一つが意思を持った生物であるかのように複雑な機動でディアドラの四方から迫った。

 ディアドラは素早く四方へと眼を走らせて、避ける為の空間的余裕が無い事を把握と同時に茨を何本も束ねて作った鞭で、もっとも至近に迫っていた光球の一つを突く。
 黒薔薇の精の魔力に満ちた茨は、例え鋼鉄製の分厚い城門であっても容易に貫くだけの威力を備えていたが、光球に触れた途端、光球が弾けるのと同時に茨もまたその先端部分といくらかを弾き飛ばされていた。

 茨が弾き飛ばされる寸前に通していた意識を遮断した為、ディアドラに痛みが返って来る事は無かったが、光球が弾ける際に生じた衝撃波がディアドラの頬を打っていた。

「へえ、弾く位の事はできるのね。でも、一つ弾いただけでその様子じゃあ、全ての命を受けきるのは無理よぉ? 
 諦めて大人しく死んだらってそれじゃあ面白くないし、そうね、まずはその長い両足を半分位にしてしまいましょう。そうね、それがいいわ!」

「勝手に言ってくれるわね!」

 今なお周囲を光球に囲まれたままのディアドラが、不意に左手の人差し指と中指とを揃えてくいっと上に持ち上げる仕草をした。
 それはラフラシアの視界からは隠れていたが、足元から伝わる振動にラフラシアはディアドラが何かをしたと言う事を察し、視線を足元へと転じた。

 ぴしりと小さな音と共に大地に罅が入ると、その日々からいくつもの鋭い先端を持った刺が数十、数百と伸びてラフラシアの全身を串刺しにせんと伸びる。
 この瞬間ラフラシアがディアドラの方を見ていれば、艶やかな黒髪の中から茨の一本が地面へと潜り込んでいた事に気付いただろう。
 地面の下に伸ばされた黒薔薇の茨がいつのまにか四方へと広がり、この瞬間にその脅威を剥き出しにしたのだ。

「命を外に出している間は、吸う事は出来ないとでも思ったのぉ? 残念でした~!」

 使い方次第では一度に千の軍団も皆殺しに出来るだろう黒薔薇の串刺し刑も、ラフラシアが自身の周囲に青い吸命の霧を纏えば、先端から塵へと変わってかすり傷一つラフラシアに付けることさえできない。
 次々と塵と崩れる刺を前に、得意げな笑みを浮かべるラフラシアの耳を、ディアドラの揶揄する様な声が揺さぶった。

「ええ、貴女も残念だったわね。貴女ご自慢の命の攻撃も当たらなければ意味がないわね」

 ディアドラの周囲を囲んでいた命の光球もまた、地面から無数に伸びた刺によって串刺しにされ、弾け飛んで消えていたのである。
 光球が弾ける際に生じる衝撃波は、ディアドラを守る鎧のように何重にも重なって伸びた刺が防いでいた。
 元々ディアドラにとってはラフラシアへ傷を与える為ではなく、光球を防ぐ為に地面の下から伸ばした根を通じて刺を伸ばしたのだ。

「そんな事をしても少し寿命を伸ばすだけよ? 
 抗えば抗うだけ苦痛の時間が伸びるだけ。私としては煩わしくはあるけれど、貴女には出来るだけ苦痛を与えたいから抗っても欲しいし、実に悩ましい所ね」

 再びラフラシアの周囲に命を凝縮した赤い光球が無数に出現し、ラフラシアの周囲を禍々しい赤色に照らしだす。
 降り注ぐ陽光や風、正常な世界を糜爛させる魔界の瘴気さえも吸い、光球は心臓のように脈動し、その度にわずかずつ大きくなり内包する力を高めて行く。

 自分の故郷たる魔界さえも己の糧とするラフラシアの、なんと残忍無残な性か。
 そしてそのラフラシアの憎悪と憤怒を一身に受けるディアドラに訪れるのは、目を背け、耳を塞がずにはおられぬ惨たらしい死に間違いあるまい。

「まずは両足を削いで動きを止めて、次に手をもいで芋虫みたいに地面の上を這うと良いわ。それからじっくりと可愛がってあげる。私が飽きるまで貴女は私の玩具よ」

 ラフラシアの周囲に現世をさまよう人魂の如く浮かんでいた光球が、一斉にディアドラを目がけて襲いかかる。
 放たれる端からラフラシアの周囲にはまた新たな光球が産まれ、絶え間ない弾幕がラフラシアとディアドラとの間に張られた。
 先ほどと同じ刺による壁では到底防ぎきれぬほどの濃密な弾幕は、今度こそディアドラの妖艶な肢体のどこかしらに触れるかと思われた。

「貴女の玩具なんて頼まれたって御免被るわ。安心しなさい。私は貴女を玩具扱いしないで、すぐに滅ぼしてあげるから」

 ディアドラの目前にまで命の光球が迫った時、不意にディアドラの身体を濃密な闇が覆い隠した。
 光が差し込んだとしてもそのすべてを吸い込み、決して照らし出すことを許さぬ深い闇であった。いや、闇と言うよりも黒、黒い光と形容した方が正確であるかもしれない。

 粘土の高い霧のようにディアドラの周囲にたゆたう黒は、触れた端から命の光球を飲みこみ、ラフラシアに吸われた命の赤がディアドラの黒によって塗り潰される。
 命の光球の消え方と周囲の瘴気や魔力が次々とディアドラの黒い光に吸い寄せられる様に、ラフラシアはディアドラの所業を理解して嘲笑を拭い去って眦を険しくした。

「ほんっとおおに貴女って私の癇に触るわぁ。なあに、貴女、地上の花精の分際で私と同じ事をしているってわけぇ?」

「黒は全てを飲みこむ色。黒は全てを混ぜ合わせた先に在る色。黒の花弁を持つ薔薇は、自分以外の全ての色持つ者を貪る魔性の花。
 この森で生きる以上は使う事の無い力と封印していたけれど、お前のような悪鬼を相手にする以上、出し惜しみをする必要はないでしょう。
 お前が吸った皆の命ごと、お前の汚らわしい命も仕方がないから吸ってあげるから、感謝しなさい」

「あははは、言うわねえ。だったらどちらが相手の命を吸うのが先か、勝負と行きましょうかぁ。勝つのは私だけれどねえええ!!!」

 ラフラシアはディアドラの挑発に敢えて乗り、命を破壊の力に変えるのを止めて再び小さな身体から、青い吸命の霧を奔出させる。
 ディアドラもまたラフラシア同様に全てを飲みこむ黒い光を豊かな肢体から放出し、お互いに相手の命を吸い尽くすべく霧と光とを放った。
 それぞれが自分以外の命を見境なく貪り尽くす餓鬼の如く、青い霧と黒い光とが衝突して霧がその青の中に黒い光を吸いこんで同化すれば、黒い光もまた青い霧を塗り潰して黒に染めて行く。

 霧と光とを通じてラフラシアとディアドラはお互いの命を交換するかのように吸いあい、一進一退の攻防が続いて魔界化した周囲を青と黒二色の光が照らし出して、異様な光彩を与えている。
 周囲の大地や風、また空間に宿る魔力や気、エーテルは霧と光の衝突面に吸い寄せられ、ラフラシアとディアドラの攻防はそれ自体が周囲の万物を貪欲に食らい尽くす戦いであった。
 互いの命を擦り減らし、奪い合う戦いはしばしの間拮抗状態を作りあげたが、先に膝を屈したのはディアドラであった。

 過酷な魔界で育まれた者と豊かな地上世界で命育まれた者との差か、徐々に青い霧が黒い光を飲みこむ速度が速まり、世界を照らす二色の色はにわかに青が増し始める。
 一旦拮抗が崩れれば、それを切っ掛けに勝敗の天秤が傾くのは呆気ないほどあっという間だった。

 自分の優勢を悟ったラフラシアが嗜虐と愉悦に笑みを深め、霧の勢いを増すとディアドラの黒い光が押し負け、ディアドラの周囲を残して辺り一帯を青い霧が埋め尽くしてしまう。
 触れれば命を奪われる青い霧が周囲を満たす中で、ディアドラの周りだけが黒い光に照らし出され、そこだけがラフラシア以外の命が唯一存在する場所でもあった。

「なぁんだ。口ほどにも無いわねえ。最後の悪足掻きももうおしまいね。
 貴女が連れてきた雑魚は魔兵ちゃん達の相手で手いっぱい。貴女を助ける余裕はなさそうだし、そうだ! 
 貴女の両手足を壊したらあの子達を貴女の目の前で一人ずつ壊して言ってあげる。
 うふふ、そうしたら貴女はとっても良い顔をするでしょうねえ。ふふ、ふふふふ、素敵だわあ」

 自分の言葉と思い描いた光景に恍惚とした笑みを浮かべるラフラシアに、ディアドラは激昂するでもなく、再び黒い光を放つでも無くゆっくりと口を開いた。
 艶やかな朱唇からは淡々と言葉が紡がれる。その怯えも怒りもない口調が、却ってラフラシアの神経をざわつかせた。

「ずいぶんと私の命を吸ったわね。体中に満ち溢れているのではないかしら?」

「ふふ、そうねえ。この森で吸った花の精達の命の中で、貴女の命が一番深みがあって強い憎悪があるわ。
 とても美味しいわよ。死なない様に手加減して貴女を私の食事にするのもいいかもしれないわ、ふふふふ」

「そう、口にあったようで何よりだわ。この世で最後に味わうものなのだから、残りわずかだけれど精々愉しみなさい」

「あら、頭でもおかしくなった? この状況でどうやって貴女が私に勝てるというのかしら。
 まさか誰か助けが来るとでも思っているの? 昨日の戦いの時に邪魔をしてきたあの人間の男でも期待しているのかしらね。
 後であの男も貴女と一緒にたっぷり可愛がってあげるから、その時を楽しみに待っていなさい」

 ふっと小さくディアドラが笑い、自分の右の頬を指差した。昨夜、ラフラシアの頬に着けた傷の箇所である。

「ドランは貴方がどうにか出来るような簡単な男ではないわ。所で、頬になにか違和感があるのではなくって?」

 ディアドラの指摘が、まさしくその通りである事にラフラシアははっと傷痕の消えた右頬に右手を伸ばした。
 正確にはディアドラと命の吸いあいを行い始めた瞬間から、むずむずとかすかな痒みと疼きとが右の頬の皮一枚下に生じ始めたのである。
 その痒みがディアドラの指摘を受けた瞬間に急速に強くなり、今では皮膚の下に小さな虫が這いずり回っているかのような、嫌悪を催す感触に変わっていた。

「なに、なんなの? き、きゃあああ、なによ、なによこの痛みは!?」

 痒みと疼きとは収まる事を知らず、思わずラフラシアが両手で右頬を抑えた瞬間、めりっと小さな音を立てて、ラフラシアの右頬を中心に無数の小さな刺を生やした茨が皮膚を突き破って顔面に広がり始める。
 ラフラシアの血の滴に濡れた茨は黒。ラフラシアの血を吸い茨のそこかしこで花開くのは黒薔薇。
 全ての色を飲み込み塗り潰す黒の薔薇であった。

「ああああああああああああああ!!!!」

 ラフラシアが自分の顔面に咲いた黒薔薇を引き抜こうと小さな手で茨を握ると、無数に生えている刺が一斉に伸びてラフラシアの両手を串刺しにする。
 さらにその傷口から血を吸い、傷口から体内へと茨と根とが伸びて、肉を裂き、血管を破ってラフラシアの血と命とを啜り始める。

 果ての無い奈落に繋がっているかのように、黒薔薇はラフラシアの身体から血のみならず水分と言う水分、そして命とを啜り続け、ラフラシアは見る間に衰弱して行った。
 右目の眼球の奥から茨が伸び、咽喉や鼻孔、耳の穴の奥からも細い根が飛び出て、ラフラシアの上半身が黒薔薇に埋め尽くされた。

「なん、で、私の……身体の中から、薔薇が、咲く……のよお!?」

「昨日の戦いの時、私が貴女の頬に傷を着けたでしょう? その時に小さな、本当に小さな黒薔薇の種子を埋め込んでおいたのよ。外から駄目なら、中からってね」

 ラフラシアの白い咽喉を内側から突き破り、肉付きの薄い太腿を突き破り、黒薔薇の茨と根とは魔花の精の全身を覆い尽くして、人型の黒薔薇のオブジェが出来上がりつつあった。
 既に体中の穴と言う穴のみならず、全身の皮膚と肉とを突き破られて全身を陵辱されつつあるラフラシアが、苦痛に塗れた声を途切れ途切れに出す。
 既に口の中は黒薔薇に埋め尽くされ、舌を動かすだけでも無数の刺が突き刺さり、更なる流血を強いられている。

「そんな、そん、なの、私気付か……」

「正直に言えば貴女に通じるかどうか、自信は無かったわ。けど貴女が私の魔力と命を吸ってくれたお陰で上手く言ったようね。
 私の種子なのだから最良の栄養源は私自身の魔力と命。ほら、もう貴女の心臓にまで茨が絡みついているでしょう。
 じきに貴女の命を吸い尽くして黒の薔薇が咲くわ。せめて黒薔薇の糧となってその命を散らし、この森と皆から奪った命を還すがいい」

「ああ、いや、いや……よ。私は、すべての命を吸って、咲く花のお姫……さ、まな……よ…………あ、ああ、あああ、私の命、命ががあああああああああ…………あ………あ…………」

 最後の命を搾り尽くすかのようにラフラシアの咽喉から放たれた断末魔の悲鳴は、頂点に達した後ぞっとするほどの落差を持って力を失い、最後には掠れたか細い声が零れ、ほどなくしてそれも絶えて、遂にラフラシアの命の全ては黒薔薇に吸い尽くされたのだった。
 ラフラシアの全身は大輪の花を無数に咲かせた黒薔薇に埋め尽くされ、かろうじて人型と見える黒薔薇の彫像がそこにあるかのよう。

 ようやく怨敵の命を完全に吸い尽くしたのを確認し、ディアドラはその場に膝から崩れ落ちた。
 ラフラシアの命がある間は無理をしてかろうじて平静を装っていたが、ラフラシアの身体に埋め込んでいた種子が芽吹くまでに吸われた命の量は決して少なくは無く、ディアドラの心身をひどく衰弱させていた。
 常であれば大気や大地に満ちる力を吸収する事で、魔力や体力を回復させる事が出来るのだが、周囲が魔界化し瘴気が溢れている所為でそれが出来ない。

 ラフラシアは魔界に生を受けた花の精であるから瘴気も問題なく吸収していたが、実の所、地上の花の精であるディアドラに瘴気は紛れもない毒なのである。
 故にディアドラは自身の霊魂が生み出す魔力をもって、体力の回復などに当てる他なく、回復は遅々とした速度でしか進まない状態に追いやられていた。
 どっと噴き出した冷たい汗に長い黒髪も白い頤も濡らし、ディアドラは呼吸を荒いものに変えている。
 なんとか呼吸を整えようとするもの、上手く行かず唇から荒い息が何度も吐いては出る。

 そのまま崩れ落ちて眠ってしまいたい衝動を堪え、ディアドラは周囲を囲んでいる魔花の壁を見やった。
 作り出したラフラシアが死んでも壁はなお健在で、ウッドエルフと魔兵達の戦いの喧騒が壁越しに聞こえてくる。
 ラフラシアからの魔力の供給は絶えているから、魔花の壁そのものを壊す事はそう難しくは無い。
 だが消耗しきったディアドラが壁を壊すほど力を回復するのには、まだ時間が必要だった。

「こんなに、消耗する羽目になるなんてね。今なら苗木のウッドマンにも負けてしまいそうだわ」

 それでもなんとか軽口を叩ける程度には回復したディアドラが、ふらつきながら膝を起こし立ち上がった時、不意に全身を強烈な殺気が打つ。
 まるで地面を抉るほどの豪雨が降り注いでいるかのような質量を伴った殺気であった。

 全身に噴き出していた汗が新たな殺気に受けて今度はぴたりと止み、ディアドラの肉体は死の予感にひしひしと打たれていた。
 天を仰ぎ見たディアドラの黒瑪瑙を思わせる瞳に、太陽を背に周囲の壁を飛び越えてこちらへと落下してくる獣の下半身を持った巨影が映し出される。
 目の無い獣の下半身を持ち、全身に返り血を浴びたかの如き赤い鎧姿の上半身の人は、ゲオルードに間違いない。

「ぬええええい!」

「くっ」

 大重量の落下の勢いをそのままにゲオルードは右腕の巨槍の狙いをディアドラに定め、流星の如く落ちてくる。
 ディアドラは力の入らぬ両足に活を入れ、その場から何度も転がりかろうじて串刺しの刑から逃れた。
 ゲオルードの重量もあり、地面に根元近くまで突き刺さった槍は、周囲の地面を大きく陥没させ、膨大な量の土煙が巻き起こって周囲を茶色に煙らせた。

 ディアドラの身体は串刺しこそ免れたものの、発生した衝撃波に煽られてしまい、風に舞うこの葉のように宙を飛び、嫌な音を立てて地面に落下してからも何度も転がり続けた。
 神経の異常で一層血の気が引いて白くなっていた頬も、ぬばたまの闇のような髪も、黒薔薇の花弁と繊維とが形作るドレスも全てが土に汚れ、ディアドラの額や唇、太腿など露わになっている肌のそこかしこから血が流れている。
 致命的な傷こそ負ってはいないが、ようやく回復しつつあったディアドラの肉体は再び打ちのめされて、次に振るわれるゲオルードの一撃を避ける体力は残されていなかった。

 地面に這いつくばった姿勢から、残った力を振り絞って顔を上げたディアドラを、ゲオルードの憎悪の光をぎらつかせる瞳が射抜いていた。
 根元近くまで埋もれていた槍を引き抜いたゲオルードは、一旦ディアドラから視線を外し、人型の黒薔薇へと視線を転じた。
 すでにその輪郭を除けばラフラシアと分かる衣服や身体は黒薔薇に埋もれて見えないが、状況と合わせればコレがラフラシアのなれの果てであると推測するのは容易い。

「うっ……どうして、お前がここに? お前達は魔界の門を守っているはず」

 新たに口の中から血を吐きながら問うディアドラに、ゲオルードは憎悪を隠さぬ声で答えた。

「ふん、確かにそのようにはしていたわ。だがお前がラフラシアと戦う気配が伝わり、ラフラシアに先に殺されてはならじと駆けつけたのよ。
 あのドランとかいう小僧は、おれの所に来ていなかったしな。まずは貴様から血祭りにあげんとしたのだが、よもやラフラシアがお前に敗れるとは思わなんだわ」

「そう言う事。残念……はあ、はあ、だったわね。お前の大切なお仲間、は、私に倒されてしまったわよ」

「大切なお仲間、か。面白い言い方をする。だが確かに少しばかりの情はなきにしも非ずよ。ぬん!」

 ゲオルードはおもむろに右腕の槍を振りあげ、それは風の速さで振り下ろす。だが振り下ろされた先は目を見開いたディアドラではなく、黒薔薇に埋もれたラフラシアであった。
 ゲオルードの一撃でラフラシアは黒薔薇ごと押し潰され、原型を留めず黒薔薇の花弁と血飛沫とが無数に散る。
 既に死しているとはいえ同胞に対して容赦のない無惨な行為に、ディアドラの瞳は驚きに見開かれた。その唇がなぜ、と動く前にゲオルードが不快気に一つ舌打ちをした。

「ち、気分の良いものではないな」

「ふ、ふふ、魔界の者とはいえ仲間の死体に鞭打つような真似は、堪えるようね」

「はん。むざむざと敵に討たれた上に骸を地上に残したままとあっては、それこそ魔界に生を受けた者にとってはこれ以上ない恥よ。
 ならばせめて骸が残らぬように潰してやるのが、同じく魔界の者としての情けと言うもの。笑いたくば好きに笑うがいい。直に笑えなくなるのだからな。
 これでラフラシアの仇討ちという名目も出来た以上、嬲りたい所ではあったが即刻貴様は殺す。次にドランとかいう小僧よ」

 再びゲオルードが槍を地面から引き抜き、同胞の血に濡れた槍を大きく振りあげた。
 未だ回復していないディアドラには、ゲオルードの一撃を防ぐ術も回避する術もなく、かすかに四肢を震わせるのが関の山であった。

「まだよ、まだ森を取り戻せてはいない。こんな、こんな所で……」

 なんとか身体を起こしゲオルードに一矢なりとも報わんと、ディアドラは言う事を聞かない全身に力を込めるが、黒髪に混じる茨もぴくりとは動かず、まるで見えない杭で地面に串刺しにされているかのよう。

「我が槍の一撃をもって死ねい、黒薔薇の精よ!」

 全力を持って振り下ろされたゲオルードの槍は、込められた魔力と闘気とが紅蓮の炎を思わせる光を発し、小規模な砦ならば一撃で真っ二つどころか木っ端微塵にできるだけの破壊力を備えていた。
 ディアドラなどは千、万の肉片へと変えられてしまうだろう。
 自らの生命の終焉のこれ以上ない予感と死を前に、思わず目を瞑りそうになったディアドラの視界を、唐突に横から割り込んできた背中から六枚の翼を広げた人影が遮った。
 そしてその翼を持った人影は、こう呟いてゲオルードの全身全霊の一撃を苦も無く受け止めたのであった。

「ふむ」

「ぬう、貴様は!!」

 ゲオルードは驚愕と困惑と歓喜の入り混じった叫びをあげ

「ドラン!?」

 ディアドラはこの場にいない筈の男の姿に、思わず男の名前を口にしていた。
 ドランは右手の長剣で易々とゲオルードの槍を受け止めたまま、背後に庇ったディアドラを振り返り、小さな笑みを浮かべるとこう言った。

「随分と弱っているな、ディアドラ。とはいえ間に合って良かった。しかしこれでディアドラを助けるのは二回目か。妙な縁があるものだ」

「どうして、ここに居るの? 貴方はクリスティーナやセリナ達と一緒に行ったのでしょう」

「私の向かう先にあったゲオルードの気配が遠のいたのを感じてね。あちらはクリスティーナさん達に任せて、こちらに来た。
 いざという時の備えは向こうに残してきたし、この状況を見ればこちらに来て幸いだったようだな」

 ドランはそこまで言ってから、竜種の魔力を通して強化していた右腕に一層力を込めて一息に長剣を跳ね上げた。
 重量では数十倍をはるかに越えた差のあるゲオルードの槍は軽々と弾き飛ばされ、ゲオルードは思わず棹立ちになってしまいそうになるのを堪え、地響きのような音を立てながら後退する。

「ぬうう、その翼、この力、やはり貴様は普通の人間ではないな!」

「なに、肉体は間違いなく人間だとも。ただ、魂まではそうとは行かぬだけだ。魔界の者よ」

「面白い。ただの人間のそっ首を刎ねるよりよほど楽しめると言うものよ!」

 戦意を滾らせて新たな闘気と魔力を全身から放出し、周囲の瘴気や大気を圧するゲオルードを前に、ドランは軽く切っ先で地面を着くと切っ先の触れた地点を中心に虹色の光を発する魔法陣が描かれる。
 虹色の魔法陣は出現と同時に魔法陣内部に清浄で芳醇な魔力と生命力とを放出し始め、陣内に居るディアドラの身体と魂は瞬く間に活力に満たされ、体中に負っていた小さな傷が治る。
 それはあたかもディアドラの全身に負った傷は、幻か何かであったというような一瞬の出来事であった。
 もし古代の竜に精通した大賢者がこの場に居たならば、魔法陣を構成する文字が神代の時代に竜が用いたはるか古の竜語文字である事に驚愕しただろう。

「守りと治癒の陣だ。ゲオルードを葬るまでディアドラはここから動くな」

「待って、この陣なら私もすぐに回復するわ。私も貴方に加勢する」

「傷ついた君に無理はさせられん。大人しくしていなさい。それにあれの相手なら私一人で十分だ」

 ドランはディアドラを竜語魔法陣に残したまま外に出て、ディアドラは咄嗟にその後を追って立ち上がったが、伸ばした指先が竜語魔法陣の境目に触れると目には見えない壁があるかのように阻まれてしまう。
 守りと治癒の陣はディアドラを守護するのと同時に、ディアドラが陣の外に出られない様にする為の拘束の役割を持っていたのである。

「ドラン!」

 ディアドラの叫びを背に受けて、ドランは六枚の翼を大きく広げながら、ゆっくりとゲオルードへと向かっていった。



 背後で私の名を呼ぶディアドラを振り返る事はせず、私は一歩また一歩とゲオルードへと近づいて行く。
 クリスティーナさん達と魔界門の一つへ向かう途中、無理を言ってディアドラの下に辿り着く為、私は魂から翼の情報を抽出し、それを背から伸ばしてここまで一息に飛んできた。
 今の私は生前と同じ六枚の翼を人間の大きさで再現し、加えて全身の肉体も竜種の魔力による強化も併用している。

 肉体を魔力で強化したり、一時的に目や肉体の一部を竜種のそれへと造り替えたりした事はあったが、こうして翼を生やしたのは初めての事で、上手くいったのは幸いだった。
 皮膜を持った標準的な竜種の翼だが、一番外側の骨組の部分には鳥の羽と酷似した羽が生えている。
また皮膜はそれぞれ赤、青、黄、緑、紫、黒と一枚ごとに色が異なるのに対し、羽の方は大部分は白いが先端は虹色に輝いている。
 今の私はほとんど人間の姿をした竜といっても過言ではなかった。ああ、父さん、母さん、せっかく頂いた身体を勝手に造り替える息子を許して下さい。

「おおドランよ。そこな黒薔薇の精共々貴様を我が槍にて屠る時を夢見て待っておったわ。二人ともまとめて姿を見せるとはこれは好都合。
これも魔界の邪悪なる神々の導きによるものか。この場でまとめて殺し、霊魂は食らって我が力の一つに変えてやろう。ぐはははははは!!」

「邪神の導きか。だが――」

 その邪神を私がこれまで何柱、滅ぼしたと思っている? むしろ私と戦う事を知ったら、邪神共の方が泣いて震えて怯えるというものだ。
 私の呟きの届かなかったゲオルードは、全身に漲らせていた闘気を下半身の獣の口へと集束し、それを魔界の炎へと変換して私と私の背後のディアドラを目がけて撃ち出した。
 周囲の地面を融解させ、蒸発さえさせながら迫る火球は私の身の丈の二倍はあろうかという大きさだった。
 轟々と燃える火球の光と熱とに髪の毛と顔を焙られるが、体表に展開していた魔法障壁が私に害を及ぼすほどの高熱は完全に遮断する。

「予想通り、火を噴く芸当をしてきたか」

 私は五指を広げた左腕を振りかぶり、迫る大火球に叩きつけて膨大な熱量を持ったそれを幾万もの火の粉に散らす。
 この時、私の左腕はわずかに白を帯びた半透明の竜の鱗に包まれていた。疑似的に再現した竜の鱗である。
 例え火の属性を持った者であってもよほど高位の存在で無ければ燃やされてしまうような魔界の炎も、我が生前の竜鱗ならば十分に耐え得る。

 万と散った火の粉がいまだ空中に残る中、ゲオルードは私が大火球を防ぐ事は予想していたようで、紗幕のように広がる火の粉の向こうに槍の切っ先を私へと向けて突撃してくるゲオルードの姿があった。
 一歩ごとに大きく地面を陥没させ、瘴気さえ燃やす紅蓮の闘気の全身から放出し、大地を疾駆する四脚の魔騎士は、殺意に爛々と輝く瞳で私へと渾身の槍を突きだす。

「ぬうぇえええいいやああああ!!!」

「ふっ!」

 私は物質化寸前の濃密な魔力で白く輝く長剣で、付きこまれた槍を真っ向から弾き返した。
 その瞬間に生じた金属音は、間近に落雷があったかと錯覚するほどの轟音で私の頬と髪の毛がびりびりと震える。
 ゲオルードは全身に走る痺れを気合いでねじ伏せて、四脚の複雑かつ巧みな足運びで衝撃を殺し、上に弾かれた槍を即座に振り下ろしてきた。

 私は槍が振り下ろされるよりも早く大きく踏み込み、ぎりっと音を立てるほどに固く握った左拳をゲオルードの獣の頭部に叩きつける。
 疑似竜鱗に包まれた私の握り拳は、獣の頭部に深くめり込んで私の腕よりも太い牙を何本もへし折り、どす黒い血反吐を吐かせた。
 ゲオルードの巨体は大きく吹き飛んで、凄まじい音を立てながら落下し、その巨体を地面にめり込ませる。

「ぐおお、おあああ。がは、はあ……。くく、くははははは。この力、貴様はやはりゲオルグの言う通り竜か。
 人間に姿を変えているのかと思ったが、肉体は人間と言う言葉からすれば、考えられる可能性は少ないが、おそらくは転生者。人間に生まれ変わった竜の転生者か! 
 ならばこれほどの力を持つのも納得がゆく。生前は相当高位の竜だったと見たぞ、ドランよ」

「お前の言う通りだ。いわば竜魂人身、それが私だ。もっとも、私が意図して人間に転生したわけではないのだがな」

「それはどちらでもよいわ!」

 ごぼっと血の塊を吐きながら身体を起こし、ゲオルードは再び全身から不浄の闘気を発して私へと跳躍してきた。
 たわめられた四脚は爆発的な跳躍力を発し、その巨体を風に浚われているかのように軽やかに飛ばしてきた。
 ゲオルードはさらに四脚に魔力を集中させ、空中でそれを爆発させる事で新たな推進力を得て私へと迫る。
 ちょうどクリスティーナさんが足の裏に風を発生させて、空中を疾駆したのと酷似した技術だ。

「我が槍をもって二度目の貴様の生に幕を引いてやろう!!」

「悪いがそれは寿命でと決めているのでな。貴様ごときに幕を引かれるつもりは無いのだ、魔界の者よ!」

 全魔力、全闘気が込められたゲオルードの槍は紅蓮の炎に包まれているかの如く燃えさかり、まさしくゲオルードの全身全霊、渾身の一撃である事がはっきりと感じられた。
 それに応じる為に私もまた長剣に更に竜種の魔力を注ぎ込み、長剣は注ぎ込まれた莫大な魔力の刀身を形成する。
 かつて竜種の最高位にあった我が魔力で形成された刀身は、大神の魂魄であろうとも斬り裂くだろう。

 再びゲオルードの槍と私の長剣とが小細工無し、正面から激突して拮抗するも刹那に満たぬごく短い時間だけ。
 私の竜種の魔力剣はゲオルードの槍を切っ先からそのまま食いこみ、なんら抵抗を受けることなく水を斬る様に斬撃の勢いをそのままにゲオルードの右腕を縦半分にした。
 更に振り下ろした長剣の切っ先を翻して弧を描き、私はゲオルードの獣の右頸部から上半身の左頸部までを一気に斬り上げる。

「ご、ごおおおお!? 馬鹿、な、地上とはいえ、このおれがこうも簡単に」

竜爪剣りゅうそうけんとでも名付けるか。ゲオルードよ、本来の力を発揮できぬ地上とはいえお前は決して弱くは無かったが、相手が悪かったのだ」

「お、おのれええ!?」

 ゲオルードは斜めにずれそうになる身体を左手で固く抱きしめ、さらにごぼごぼと血の泡を吹く下半身の獣の頭部で私に噛みつこうとしてくるのを、私は容赦なく長剣の一振りでその首を刎ねた。
 宙を舞う獣の頭部は、刎ねられると同時に流し込まれた私の魔力によって地面に落ちる前に、ばっと弾けて消滅する。
 切断面からばしゃばしゃと黒い血の滝を流しながら、ゲオルードは私を睨み続けていた。
 ありったけの憎悪と呪詛とが込められた視線にもなにも感じるものはなく、私は真っ直ぐに見つめ返す。

「ぐうう、例え竜の転生者とはいえ人間などに敗れるなど、なんたる恥辱か!」

「相手が悪かった、そう言ったぞ。いと小さき魔界の者よ」

 不意にゲオルードの全身から絶え間なく放出されていた凶気と、瞳に宿っていた憎悪と呪詛とが急速に退いていった。
 ゲオルードは時の流れから孤立したかのように動く事を止めた。激痛から来る震えが収まり、黒い血の滝さえも流れる事を止めた。
 その代わりにゲオルードに与えられたのは、言語に絶する恐怖と絶望と後悔と、言葉では言い表せぬそれらとは比較にならぬ負の感情。
 ゲオルードは見たのだ。七色に煌めく竜眼へと変えた私の眼を。

「馬鹿な、あり得ぬ、在ってはならぬ事だ、在ってはならぬ! お前は、お前はドラ……!!」

「疾く去ね、ゲオルード。この地上にお前達の居場所は無い」

 私は最後の慈悲をもってゲオルードの首を刎ね、さらに空中で十字に斬り裂いた。
 ゲオルードの心魂を縛る絶対の恐怖からの解放には、その生命に死を齎す事こそが最も手早い手段であったから。
 首を刎ねられた上に四つに断たれてようやくゲオルードの魔の生命は失われ、残る肉体も空中で刎ねられた首が灰と変わるのに合わせて崩れ去り、ほどなくしてその灰さえも消えた。

「さらばだ、魔界の騎士よ。呪うなら己の不運を呪え。嘆くならば私と出会った運命を嘆け。罵るならば私を敵とした己を罵るがいい」
次話にてエンテの森編は終わる予定です。
これからもよろしくお願いします。
誤字を修正しました。ご指摘くださったお二方に感謝を。他にもありましたらご指摘のほど、よろしくお願いします。
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