●米・中・韓の増長を招いた卑屈な敗戦国″ェ性
戦争に負けた日本とドイツは、戦後、戦勝国から、差別的な扱いをうけてきた。
アメリカに次ぐ分担金(2位日本11%、3位ドイツ7%)を負担している両国が国連(United Nations=連合国)憲章で敵国扱い(53条敵国条項)になっていることが一つの象徴である。
中国の李克強首相が、全国人民代表大会で、「第二次大戦の勝利の成果と戦後の国際秩序を守り抜き、歴史の逆行をゆるさない」とのべたのは、日本を敗戦国と位置づけ、中国が日本の優位に立っているという言い草で、これに便乗してふんぞり返っているのが、参戦していなかった韓国である。
両国の日本にたいする傲慢きわまりない外交姿勢の背景に、敗戦国への侮りがあるのは、否定できない事実で、アメリカでも、貿易摩擦の折、「戦争に勝ったのはどっちだ」という粗野な議論がもちあがった。
戦勝国は、原爆を投下しても戦争犯罪を問われず、敗戦国は、南京大虐殺のような濡れ衣を着せられても、抗弁すらゆるされない。
戦争犯罪のデッチ上げに一言も抗弁せず、「村山談話」や「河野談話」を裏から支援した日本の外務省が、二言目には、「日米関係がもたない」「日中関係がおかしくなる」「韓国を刺激すべきではない」と卑屈なのは、国益より保身が大事というより、自虐コンプレックスに陥っているからである。
ドイツが、英仏などから差別的扱いをうけていないのは、英仏が大人の国である以上に、ドイツが、差別的扱いに甘んじていないからである。
ドイツは、連合国による戦犯裁判を事後法≠ニして法的正当性をみとめていない。
再軍備も日本よりずっと早く、終戦の4年後には自主憲法(ボン基本法)を制定してもいる。
中韓や日本のマスコミは、ブラント首相が、ワルシャワのゲットー記念碑でひざまずいたことを褒め称え、見習えというが、ブラントはナチスの殺人事件(ユダヤ人虐殺)≠謝罪しただけで、戦争犯罪については謝罪しておらず、国家間賠償もおこなっていない。
それどころか、ブラントは、このとき、ポーランドなどでおこなわれた戦後のドイツ人追放≠「許されざる不正行為」と非難して、没収資産の返還をもとめる演説をおこなっている。
ところが日本は、東京裁判を正義の審判とし、軍部を解体した後、アメリカに促されるまで軍隊をもとうとせず、いまだ、GHQ憲法を改正せず、歴代の首相は、「日本は戦争犯罪国家」と延々と謝ってきた。
そして、アメリカの原爆投下や大都市空襲による非戦闘員の大量虐殺、ソ連の違法参戦と北方領土占拠、シベリア抑留、中国大陸や満州、朝鮮半島からの日本人追放≠笊゚虜の報復的処刑(BC級戦犯)にともなう人命の損失(大量殺人)資産没収などに口を噤むどころか、大物政治家が、南アジアを解放した大東亜戦争を侵略戦争だった詫びて回り、南京大虐殺や従軍慰安婦などの世紀の大嘘を積極的肯定する始末であった。
安倍総理の「我が軍」発言に批判が噴出したのは、負け犬根性が骨がらみになっている日本人の精神の歪みで、独立国の首相が、国軍を「わが軍」と呼ぶそのどこが、「それを言ったらおしまいよ(民主・細野豪志政調会長)」なのであろうか。
ドイツが、国際社会で、一定の地位を築き上げることができたのは、ゲットー記念碑でひざまずいたからではなく、いちはやく、独立国家の誇りと機能を回復したからで、かつて、日本が世界から一目置かれたのも、誇り高き武士の国だったからである。
日本が、戦後70年経って、いまだ、アメリカに従属し、中韓から侮られているのは、独立国家としての矜持を失っているからで、踏まれても蹴られても土下座で謝るしか能がない国は、軽んじられ、ばかにされるだけである。
戦後日本が情けない国になったのは、支配層が敗戦利得者≠ノ占領されたからである。
政界から官界、マスコミ、財界までが、GHQに選別された者たちの独壇場となり、その体制が7年間(被占領期)続き、日本の政治家や官僚は、国家や国民ではなく、GHQに奉仕する集団と化した。
くわえて、GHQの容共・反国家的政策によって強化された社会主義政党や組合(日教組)、反日マスコミ・左翼論壇などが大きな勢力をもち、戦後の日本は、戦前の日本とはまるで別国の左翼国家となった。
連合国による占領統治(4年間)が4か国だったドイツの場合、主権制限はあったものの、憲法のおしつけや要人追放、思想統制(神道指令)、洗脳計画(ウオー・ギルド・インフォメーション・プログラム)などの国家改造≠ヘおこなわれなかった。
ドイツの戦前と戦後は、ナチス・ヒトラーの有無だけで、本質的には、何も変わっていない。
ところが、戦後日本は、戦前の日本人が、みな極右に映るような左翼国家に変貌して、天皇という民族的支柱がなかったら、、国会など公の場には、日の丸ではなく、赤旗が翻っていたろう。
サンフランシスコ平和条約によって、東京裁判は歴史的事実(11条/極東国際軍事裁判を受諾)となった。
歴史は変えられないが、日本及び日本人に負け犬″ェ性を叩き込んだ憲法は、いつでも改廃できる。
憲法の最大の問題点は、条文ではなく、戦勝国から投げ与えられたものだったところにある。
主権がなかった非占領期におしつけられた憲法を後生大事にしているところから、卑屈な負け犬根性がにじみだしてくる。
GHQ憲法があるかぎり、日本は、独立国たりえず、日本人は、誇り高き国際人になりえない。
次回は、GHQの占領政策とサンフランシスコ講和条約、日米安保条約、現行憲法から、「村山談話」「河野談話」という化け物がとびだしてきた経緯についてのべる。