2013-03-21
感動乞食に毒入りの感動ストーリーを食わせる「ありの巣コロリ作戦」の衝撃
この話を読んで驚いたのですが、ぼく、このバスに偶然乗り合わせてました。文中にある「さっさと降りろ!うざいんだよ!」ですが、これ言ったの、ぼくです。実はこの話には続きがあって、バスの運転手が降ろした「小さい子連れの母親のグループ」ですが、ぼく、同じバス停で慌てて降りて追いかけていって、このグループを全員ボコボコにしてやりました。ボコボコにしたあとバスを振り返って「迷惑な人間の排除はぼくの仕事ですから気にしないでください」と言おうと思ったのですが、バスはもう走り去ったあとでした。
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この方のスマートなテクニックに驚嘆した。
挙げられているような「安売りされる感動」に対する反感、もっと言ってしまえば「もっともらしい虚構に乞食のように群がり、安っぽい感動を浴びるようにむさぼり消費しおまけに周囲にノイズを撒き散らす連中」に対する不快感というのはこれまでもネット上で比較的根強いものだったが、いざ反感を抱いた人間が実際にとりうる手段は多くはなかった。
- デマであることを証明する(実際にはそのような証明は困難だし、酷いケースでは「ウソでも感動するからいいじゃないか」と強弁されたりする)
- 不快感を表明する(そしてたいてい「感動乞食」からの猛烈な反撃に遭う)
などいずれにしても実効性に乏しく、安易な感動に共感を示すことでその安易な人生を安易に証明しながら安易に生きている安易な感動乞食にはまったく安易に通用してこなかった。
それに対してこの方のとったテクニック、すなわち「感動ストーリーに毒を仕込む」やり方は大変スマートだ。感動乞食の大好きな「安っぽい感動」というエサに「ネガティブな後日談」という毒を仕込んでばら撒くことで、乞食どもを後追いでパージできるかもしれないのだ。
しかもこのやり方の大変秀逸な点は、誰にも「そのネガティブな後日談はデマですよ」と指摘することができないことだ。もともとの感動ストーリー自体の大半が出所の知れないいわばデマみたいなもののため、ネガティブな後日談がアドオンされたところで誰かがその真実性を否定することは原理的に難しいのだ。
果たして毒入りの感動ストーリーをくらった感動乞食がどのような振る舞いをするのか興味が尽きない。
- 「あの感動話には後日談があって、こんな酷いオチだったんですよ。幻滅ですね・・・」と目論見どおり感動乞食が毒入りエサをせっせと周囲に展開して感動をポイズニング。アンチ感動ストーリー派のたゆまぬ努力でそのうちたいていの感動ストーリーには全部ネガティブな後日談がつくようになり、感動乞食は感動に餓えて全滅しまさにありの巣コロリ状態
- 感動乞食がネガティブな後日談を無視しおいしい感動部分だけをつまみ食いして共有、アンチ感動ストーリー派の毒いれ作戦と大変拮抗。双方がお互いのストーリーをデマだと激しく攻撃しあい、見ている第三者にはどちらが嘘つきクレタ人か区別がつかない乱戦模様。実際にはどちらも嘘つきクレタ人であり違いは自覚してるかどうかだけにすぎず、毒入り毒なしそれぞれのストーリーにそれぞれの界隈でコピペとイイネの嵐が舞い3月年度末のネット界隈にサクラサク
それにしてもこのテクニックは凄い。いやあ感動した感動した・・・(←死亡フラグ)