衆院の憲法審査会がきのう、いまの国会で初めて開かれた。

 衆参両院の憲法審査会は、憲法に関する様々な議論の舞台となる。自民党はここで憲法改正に向けた議論を進め、来夏から遅くとも再来年の前半までに改正案を発議し、国民投票を実施したい考えだ。

 改正内容としては、「緊急事態条項」「環境権」「財政規律条項」を新たに加えることを念頭に置いている。

 この三つは、いずれも国会や有権者の多数の賛成を得やすいと自民党が踏んでいるものだ。まずはこれで改憲を経験した後に、本来の狙いである9条などの改正に進んでいきたいと自民党幹部らは公言している。

 本番前の「肩ならし」とでもいうのか。これでは物事の順序が逆さまである。とても受け入れられるものではない。

 国民の人権を守り、生活を豊かにするうえで憲法に不具合が生じたならば、その実態に応じて改正を議論すればよい。だが、憲法で縛られる側の権力者にとって都合のいい内容になるのを防ぐため、憲法改正には高いハードルがある。

 自民党がやろうとしていることは、このハードルを越えるための方便ではないか。

 自民党が最も「有力視」している緊急事態条項は、外国からの武力攻撃や大規模な自然災害に対処するため、首相や内閣に一時的に権限を集中させ、国民の権利を制限することなどを明文化するものだ。

 想定される次の大地震に備えるためにも必要というのが自民党の主張であり、多くの党もその趣旨には賛同している。

 ただ、憲法を改正しなくとも、緊急時の対応はすでに災害対策基本法や国民保護法などに定められている。災害対応で大切なのは憲法ではなく、入念な被害想定や準備であると閣僚経験者や専門家は指摘する。

 緊急事態条項は、憲法に基づく法秩序を一時的にせよ停止するものだ。戦前のドイツでワイマール憲法のもと大統領緊急令が乱発され、ヒトラー独裁に道を開いた苦い歴史もある。

 自民党は、ほとんどの国の憲法に盛り込まれているのに日本にはないのは不備であるという。歴史的な経緯を無視した、あまりに単純な主張だ。

 緊急事態条項の新設は、災害に備えるために「あれば安心」といったレベルの問題では決してない。憲法に縛られる側がその縛りを解くよう求めることの意味は、よくよく考えてみる必要がある。安易な議論は、きわめて危うい。