読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 24人
プロフィール
合同会社琉球の未来
私は、作家という職業を経て、経営者となりました。
作家という職業がら、色々な方にインタビューをしてきました。
どれもすばらしく光り輝き重みのある言葉でした。
そんな方々の生の声を皆様にもきいてほしくて、ブログを立ち上げました。
てぃーだブログ › 合同会社琉球の未来 › 中国古典を活用 › 聖人は情にとらわれない

2015年03月23日

聖人は情にとらわれない

≪恵子が荘子に言った。
「人間には元来、情がないのであろうか」
荘子は答えた。「そのとおりだ」
「もし人間に喜怒哀楽の情がなければ、
どうして人間ということができようか」
「自然の道が顔かたちを与え、
天が身体の形を与えてくれている以上、
人間であるというほかはないではないか」
「これを人間と呼ぶからには、
情がありえないはずはあるまい」

「君のいう情は、わしのいう情とは違っている。
情をもたないとわしがいうのは、
その人間が好悪の情によって
自分の身を傷つけることなく、
常に自然のままに従い、自然の生命の働きを
人為的に助長しようとはしないことだ

「だが、自分の生命の働きを
助長するようにしなければ、
自分の身を保つことはできないではないか」

荘子は、これに答えて言った。
「自然が顔かたちを与え、天が身体の形を
授けてくれたのであるから、
これをそのままに保てば、それでよい。
ただ好悪の情によって、自然から与えられた
わが身を傷つけないことだ。
それが、ただ一つの養生法だよ。

ところがいま、君は自分の心を外に向かわせ、
自分の精根を使いはたし、樹木によりかかっては、
呻きにも似た苦しい声をあげ、机にもたれては、
眠りにも似た瞑想にふけっているではないか。

せっかく天が君に
その身体を選んで授けてくれたのに、
君はそれを大切にしようとはせず、
堅白同異の論などに夢中になり、
世間の名声を得るという
不自然なことをしているのだ」

今日は「荘子」の中から、
「聖人は情にとらわれない」を紹介しよう。
解説は次回にしようと思う。


同じカテゴリー(中国古典を活用)の記事
道そのままに生きる
道そのままに生きる(2015-04-03 09:36)

古の真人
古の真人(2015-04-01 08:58)

理想的な人格
理想的な人格(2015-03-30 09:51)


Posted by 合同会社琉球の未来 at 10:19 │中国古典を活用

削除
聖人は情にとらわれない