艦これの可燃性は異常だ。
フォロワーが偏ってるからかもしれないが、僕のタイムラインでは、ほぼ毎日艦これ絡みの騒動が起きている。特にアニメ版の話はすごい。「お前らよく飽きないな」というレベルで、クソだの傑作だの論争をしている。
今日はアニメとは関係のない騒動だった。「艦これ60分ワンドロ」に、艦娘ではなく魚の絵が投函されて戦争が起きた。「魚類の人」こと、魚類氏の騒動である。
魚類氏のワンドロ騒動について
騒動をまとめると、
・魚類氏が、「#艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」タグに、いつもの魚類イラストを投稿
・誰かが魚類イラストを指して「ワンドロ荒らしだ」と言う
・そのツイートを魚類氏がキャプって公開する
・「好みに合わないやつを悪者扱いはよくない」と魚類氏が茶化すと、「艦これワンドロにどうみても魚の絵を投げれば荒らしでしょ」とリプライが飛ぶ
・「私の作風を知らないそちらの問題」と魚類氏がマジレス
・このマジレスに対し、賛否両論の戦争が勃発
というものである。
pixiv大百科に記事ができるほどなので、魚類氏のイラストは「自他公認の芸風」と十分に解釈可能だが、だからといってプロレスの試合で拳銃を使っていいのか、という話にはなる。「無差別の殺し合いが見たい」という僕みたいな人には喜ばれる。しかし、「艦娘だけのプロレスを見たい」という人もいるだろう。
とはいえ、食いつく方にせよ、マジレスで返す方にせよ、「しょーもねえなぁこいつら」という趣きを感じさせる。いつものインターネットだ。
この騒動を後追いで確認して再認識したのは、「ハッシュタグの空間生成能力」と、「艦これの個人解釈依存の強さ」である。
参加表明から即席ショーへ
「#艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」タグは、第一に「参加表明」として機能する。運営が提示したお題に対する、絵描きたちのエントリーコールである。合戦場で名乗りを上げるようなものだ。タグをつけなければ、参加したとは見なされない。
名乗りを上げる者たちが複数現れれば、「名乗ってる人たちの集まり」ができる。この集団が一定数を超えれば、それは「場」となる。「#艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」は、いわば即席のイラスト展示ショーになるのだ。
そして、人はよそ者に「場」を踏み荒らされることを本能的に嫌う。魚類のイラストは、知らない人から見れば、たしかに異物である。
「俺はかわいい艦娘が見たいのに、なんだこのマグロみたいなものは」
そのマグロは、分かる人にとってはしっかり青葉に見えるのだが、全員が同じ文脈を共有することは難しい。そして、文脈の強要はもちろん避けるべきだろう。
「自分の信じる艦これ」の激突
もう一つ、多少脱線する話だが、艦これは個人の解釈への依存が強い。
もとよりグランドシナリオがないゲームである。シナリオ、世界観、キャラ設定など、艦これは空欄が非常に多いコンテンツだ。それゆえに、二次創作を大いに推奨する土壌が生まれ、東方以来の巨大な創作プラットフォームが生まれた。
その裏返しとして、「自分の信じた艦これ以外を信じられない」という危険性が存在する。自分好みに味付けした艦こればかり楽しんだせいで、他の味付けの艦これには耐えられない、ということがたまに起こる。
魚類はなにも極論ではない。あるいは柴犬提督。あるいはTヘッド提督。もっと人間ベースでいくなら、女性提督やショタ提督。これらキワモノ提督の存在を許容できない人は大勢いる。逆に、これらキワモノ提督を強く信じる人もいるのである。
双方が出会えば、物分かりがよくない限り、激突は必至だろう。
キリスト教ですら、カトリックとプロテスタントで分離している。原典が穴ぼこだらけの艦これでは、「自分の信じる解釈」は容易に衝突し得る。
同じような状況になり得るコンテンツは、やはり東方だろう。ふと、八雲紫の次の言葉を思い出す。
幻想郷は全てを受け入れるのよ。
それはそれは残酷な話ですわ。*1
しかしながら、これを公式でやってしまったのが、他ならぬ艦これだ。
多様性を受け入れることは大切だが、多様性が高まれば、内乱の危険は増していく。そんな中で、オフィシャルに「これが本流」という認定が下れば、認定されなかったものの信奉者たちが黙っちゃいない。
つまるところ、大食い赤城やクソレズ大井を登場させた、アニメ版艦これが元凶なのだ。そして、艦これコミュニティは、他ならぬ公式アニメによって、一触即発の空気に包まれているのかもしれない。
「魚類の一匹くらいいいじゃない」と言える平和な世界が訪れてほしいが、艦娘の出自が第二次世界大戦である以上、それも難しいかもしれない。
*1:「東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.」より