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ノーベル文学賞 キーン氏に評価尋ねる4月1日 1時20分
ノーベル文学賞を選ぶスウェーデンの選考委員会が、52年前の1963年、日本人初の受賞者として誰がふさわしいかを日本文学の研究者ドナルド・キーン氏に尋ね、キーン氏は、三島由紀夫を最も高く評価しながらも、年功序列を意識して年上の谷崎潤一郎を第1に推したことが分かりました。
ノーベル文学賞を選ぶスウェーデンの選考委員会は、50年が過ぎた過去の選考資料を公開していて、1963年の資料に日本文学の研究者ドナルド・キーン氏らによる日本の作家についての評価があることが分かりました。
キーン氏はNHKの取材に対し、「選考委員会が手紙で私の評価を求めてきた」と明かし、それまでの実績を重視して、いずれも当時の年齢で▽谷崎潤一郎、76歳、▽川端康成、63歳、▽三島由紀夫、38歳の順で推したと説明しました。
しかし、キーン氏は、本心では「三島が現役の作家で最も優れている」と考えていたということで、それでも谷崎と川端を三島よりも高く評価したのは、年功序列を意識して日本の社会に配慮したからだと明かしています。
その理由として、キーン氏は「日本人の中には三島はまだ若いと考える人もいて、もし谷崎と川端を差し置いて受賞すれば、日本の一般市民は奇妙に感じるのではないかと考えた」と話しています。
キーン氏が第1に推した谷崎は、選考委員会に評価を寄せた2年後に死去し、そのさらに3年後の1968年には、川端が日本人初のノーベル文学賞を受賞します。
日本の作家がノーベル文学賞に初めて選ばれるまでの過程の一端をうかがわせる新たな事実として注目されています。
キーン氏はNHKの取材に対し、「選考委員会が手紙で私の評価を求めてきた」と明かし、それまでの実績を重視して、いずれも当時の年齢で▽谷崎潤一郎、76歳、▽川端康成、63歳、▽三島由紀夫、38歳の順で推したと説明しました。
しかし、キーン氏は、本心では「三島が現役の作家で最も優れている」と考えていたということで、それでも谷崎と川端を三島よりも高く評価したのは、年功序列を意識して日本の社会に配慮したからだと明かしています。
その理由として、キーン氏は「日本人の中には三島はまだ若いと考える人もいて、もし谷崎と川端を差し置いて受賞すれば、日本の一般市民は奇妙に感じるのではないかと考えた」と話しています。
キーン氏が第1に推した谷崎は、選考委員会に評価を寄せた2年後に死去し、そのさらに3年後の1968年には、川端が日本人初のノーベル文学賞を受賞します。
日本の作家がノーベル文学賞に初めて選ばれるまでの過程の一端をうかがわせる新たな事実として注目されています。
三島「俺にはもう目がない」
三島と親交があった詩人の高橋睦郎氏は、1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したあと、三島と交わした会話の内容を明かしました。
三島は高橋氏に対し、「今回は俺でなく川端が受賞したけれど、俺が受賞していたら日本の年功序列文化はガタガタになっていた」と語り、みずから年功序列ということばを挙げたということです。
そのうえで、三島は高橋氏に「俺にはもう目がない。次に受賞するのは大江健三郎さんだ」と述べたということです。
大江さんは実際、1994年にノーベル文学賞を受賞したことから、高橋氏は「三島さんの予見する力はすごいなと思った」と話しています。
高橋さんは「三島さんはノーベル賞を求めていて、受賞を逃したことがショックだったと、後で分かりました」と振り返っています。
三島は高橋氏に対し、「今回は俺でなく川端が受賞したけれど、俺が受賞していたら日本の年功序列文化はガタガタになっていた」と語り、みずから年功序列ということばを挙げたということです。
そのうえで、三島は高橋氏に「俺にはもう目がない。次に受賞するのは大江健三郎さんだ」と述べたということです。
大江さんは実際、1994年にノーベル文学賞を受賞したことから、高橋氏は「三島さんの予見する力はすごいなと思った」と話しています。
高橋さんは「三島さんはノーベル賞を求めていて、受賞を逃したことがショックだったと、後で分かりました」と振り返っています。
「年功序列を批判しているようにも思う」
ドナルド・キーン氏が年功序列を意識して三島よりも谷崎を第1に推したことについて、日本の文学に詳しい白百合女子大学の井上隆史教授は「評価では3番目の三島こそが、現時点では最も優れた作家だと強調していた。実は年功序列を鋭く批判しているようにも思う」と話しています。
井上教授は、東西冷戦下の当時、ノーベル賞の選考委員会は、まだ受賞していない国から優れた文学を見いだすことで、みずからの存在価値を高めようとしていたと指摘しています。
そのうえで、井上教授は「選考委員会は、人ではなくて国に賞を与えようとしていた部分はあると思う。しかし、選考委員会は、日本文学に決して詳しいわけではなく、日本文学の第一人者のキーン氏に意見を求めるのは当然だったのではないか」と述べ、キーン氏の評価は、その後の選考にも影響を与えた可能性があるのではないかとの見方を示しました。
井上教授は、東西冷戦下の当時、ノーベル賞の選考委員会は、まだ受賞していない国から優れた文学を見いだすことで、みずからの存在価値を高めようとしていたと指摘しています。
そのうえで、井上教授は「選考委員会は、人ではなくて国に賞を与えようとしていた部分はあると思う。しかし、選考委員会は、日本文学に決して詳しいわけではなく、日本文学の第一人者のキーン氏に意見を求めるのは当然だったのではないか」と述べ、キーン氏の評価は、その後の選考にも影響を与えた可能性があるのではないかとの見方を示しました。