第一、河野談話が強制性認定で踏み込んだ大きな理由の一つは、談話発表の5カ月前の5年3月、韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領(当時)が慰安婦問題でこう表明したことであるはずだ。
「物質的な補償を日本側に要求しない」
金氏は同時に、元慰安婦に対する生活支援なども韓国政府の責任で行うことを宣言した。これを受けて宮沢喜一内閣は「強制」の定義を物理的なものだけでなく、「本人の意思に反する行為」にまで広げるなど、談話作成に突き進んだ。
同月、韓国外務省幹部は日本側に、金氏の言葉の真意を次のように説明したとされる。
「1965年の請求権協定についての法律論とは離れても、いわゆる過去史に関する問題が提起されるたびに日本側に何らかの補償を求めるという姿勢は慎むべきだとの趣旨が中心で、勇気ある発言だ」
「(韓国政府は)日本側に補償を要求して国民の非難をかわそうとするのが通例となってきたが、時代も変わり、日本に補償を求めるのが韓国政府の役割なのではなく、自分で解決していくことが責務だとの趣旨で、大統領の本心だ」
深くうなずける指摘であり、朴氏は当時のやりとりを学び、慰安婦問題は日本に何かを求めるのではなく自分で解決してほしい。