テレビ未来遺産 私たちはこんな難病と闘っています2015涙と感動…10年の記録 2015.04.01


残しておきたい「今」を見よう
私達がその親子と出会ったのは7年前
治療法のない難病と闘う6歳の娘を
母は必死に支えていました
(朋子)失礼します
(医師)お待たせしました
萌々花ちゃんが闘っていたのは
混合型血管奇形という病
黒く腫れ上がったおなかの中では
血管とリンパ管が異常に増え
それが筋肉や神経に絡み合っていました
転んだり傷を負って出血すると
止めることが難しく大量出血すれば
命に関わる難病です
根本的な治療法はありません
母も理解はしているのですが…
すいません
ここに萌々花ちゃんの姿はありません
転んでおなかの血管が破れたら
大量出血し命に関わるからです
それでもつい…
病気のことを知っている先生が
慌てて萌々花ちゃんを止めました
そこにお友達がいるのに
みんなと一緒に思いっきり遊びたい
でもそれを難病は許してくれません
6歳の少女の口から出た「諦めた」という言葉
自分に言い聞かせているのです
母もまた手探りでした
我が子をどうやって守っていけばいいのか
この日萌々花ちゃんはお友達と同じように
自転車に乗りたいと切り出しました
乗りたい乗りたい?おいで
母は寂しさごと
我が子を抱きしめました
そう言い聞かせて娘を育ててきた母
娘もその言葉を胸にしまい
強い子でいようとしました
萌々花ちゃんが心の中を書いてくれました
(スタッフ)読んでください
あれから7年
再び萌々花ちゃんを訪ねました
今は中学1年生です
一体どんな女の子に成長しているのでしょうか?
いました
赤いメガネが似合う萌々花ちゃんです
この7年間萌々花ちゃんには
嬉しい出会いが三つありました
一つ目はこの病気の研究をしている
そして佐々木先生を頼って全国から受診に来る
病気を知ってもらえるならと
手術の痕を見せてくれました
ここ2回やって…ここ2回切ったよねこないだここをもう1回リオペでやったんだよね
症状を和らげるための治療
佐々木先生や同じ病気の友達の励ましで
手術を受ける勇気が出ました
二つ目の出会いは…
小学4年のとき
蕗佳ちゃんが誕生したのです
お母さんいわく萌々花ちゃんは
蕗佳ちゃんの小さなママなんだそうです
恥ずかしい…
三つ目の出会いは病気のことを理解し
友達として受け入れてくれた中学校の仲間達
(英文を読む)センキューなの?テンキューじゃないの?
教室にあった生徒達の将来の夢
萌々花ちゃんの今の夢は…
誰かの役に立ちたい
この番組は様々な絆に支えられ
難病と闘い続ける子供達
家族医師の
10年にわたる成長の記録
踏み出す姿に迫りました
続いては全身の筋肉が骨に変わる病
FOPと生きる池田彩里さん
少女から大人になるまでの8年の記録
治療の鍵を握るのはiPS細胞
ノーベル賞学者・山中教授が語る未来とは?
私達が出会った渡久地優子さんは
筋肉が骨になる難病
FOPと30年以上闘っていました
年を追うごとに筋肉やじん帯などが
骨に変わるこの病
優子さんはもう座ることができない状態でした
常に立ちっぱなしの生活は
体に激しい痛みを伴います
けれど…
お母さんの助けなしには横になることもできないのです
(携帯着信)
優子さんは様々な工夫をしています
孫の手を使っての携帯電話
はいもしもし
筋肉が骨になるきっかけは
打撲やケガ
運動などによる筋肉への刺激です
200万人に1人といわれる難病
遺伝子の異常が原因で
発症することは分かってきましたが
今のところ根本的な治療法はありません
病院での診察は2ヵ月に一度
でも医師が優子さんにできることは経過観察だけです
増えた骨を手術で取ることはできません
手術したところからまた骨ができてしまうからです
なかなか…
そんな不思議な難病と闘う少女に出会いました
お母さんの明美さんと二人暮らしでした
中学校に通う彩里さん
朝自分で髪をとかすことはできません
靴下をはくのもお母さんなしにはできません
でも重そうな荷物は自分一人で運びます
重い荷物は筋肉に負担がかかり
症状を進行させるのですが
お母さんはそのことを言えずにいました
またそこから
そんな母の心配は娘には届いていません
病気のことを意識していないかのよう
みんなと同じようにしたい
13歳の少女にとって当然の思いでした
中学で吹奏楽部に入った彩里さんが選んだのは
重いホルンでした
実はお母さんは彩里さんに
FOPという難病の病名さえ話していませんでした
それには理由がありました
娘がこんな難病にかかってしまうとは…
母は想像もしていませんでした
小さい頃から体を動かすことが大好きな活発な少女
こんなビデオが残っていました
せーのサンハイ
(歌う)
家族の笑顔の中心にいた彩里さん
とりわけ愛娘に目を細めていたのは
お父さんでした
お母さんが嫉妬するほどお父さん子だった彩里さん
しかし…
小学3年生のとき海苔の養殖をしていたお父さんが
仕事中に海に落ち
亡くなってしまったのです
彩里さんは涙が枯れるまで泣き続けたそうです
しかし必死で立ち直ろうとしていた彩里さん
ようやく夢中になれるものを見つけました
卓球でした
悲しみを振り払うように打ち込んでいたそうです
ところが小学5年生のある日異変が…
本来骨があるはずのない所に
なぜか写し出されていた余分な骨
娘は進行性の難病
大好きな父親に続き
熱中する卓球まで奪われるなんて
母は娘に事実を告げることができませんでした
そのときはね本当に…
成長期進行しやすいFOP
3ヵ月後
それからわずか2年で骨は増え続け
首両肩腰左足が
動かなくなっていきました
彩里さんが学校に行っている間お母さんも闘っていました
当時特定疾患に認定されていなかったFOP
厚生労働省に対し認定を求める署名集めを続けてきたのです
認定を受けると国から病院や研究機関に補助金が下り
治療の研究が進むのです
しかし病気の進行は待ってくれません
月に一度の経過観察そのとき…
(明美)これこの辺これ…半年間でもう新たに骨ができた
月に一度FOPの経過観察のため
主治医の診察を受ける彩里さん
点滴の針も筋肉に刺激を与えないよう
細心の注意を払います
(看護師)はい座って待っとこうか
この診察では一つルールがありました
それは先生からの説明は
お母さん一人で聞くこと
そして…
(神薗)今年の6月です彩里ですか?彩里ちゃん
(神薗)これ後ろからですけどこの辺…これ…
(神薗)できてるんですよね…
たった半年でまた新しい骨ができていました
治療法のないFOP
骨が増えていくことをどうすることもできません
また骨ができてしまった
進行を食い止めるには娘に病気のことを
ちゃんと知ってもらう必要がある
何をどう話せばいいのか…
全身の筋肉が骨になっていくという事実
まだ中学生の娘に受け止められるだろうか
簡単には言葉が見つかりません
こんなときお父さんが生きていてくれたら
お母さんは苦しい思いを一人
胸に抱えていました
それは夕食を済ませたあとでした
切り出したのは彩里さんでした
「ママ手紙を書いたから聞いて」
(彩里)以上上手に書いとった上手に読めました
彩里さんはお母さんの苦悩を
全て分かっていたのです
たぶんねたぶん…
それまでお母さん一人で行ってきた署名活動
でもこれからは違います
自分の未来は自分で切り開く
彩里さんは自ら街頭に立ち
署名を集めました
そして2007年ついにFOPが
特定疾患に認定されたのです
それをきっかけに
彩里さんとお母さんに
一筋の希望の光が差し込みました
研究機関や病院から協力を求める依頼が
彩里さんのもとに届くようになったのです
京都画期的な形で
難病の治療法研究に取り組み
患者の大きな希望となっている研究所があります
世界的に注目を浴びる
失礼いたしますこんにちは
迎えてくれたのはあのノーベル賞学者
(スタッフ)初めてお邪魔しましたけどそうですねできるだけあの何というか
山中教授が明るく楽しい研究室という
そのラボ
開放的な空間
ここでスタッフが
未来を変える最先端の研究に励んでいます
このiPS細胞が難病治療の
鍵になるというのです
確かに昨年iPS細胞による
網膜の再生医療が
大きな話題になりましたしかし
ここではそれぞれの専門家が
難病の治療薬の開発に
取り組んでいます
研究には患者自身の
iPS細胞を使います
つまり患者さんと
向き合うことが不可欠
しかしですね
そんな出会いの一つを
山中教授が教えてくれました
FOPと闘う
彼との出会い
ノーベル賞を受賞する3年前
僕の病気を研究してくださいと
手術のメスや注射針が
新たな骨を作る刺激になってしまうFOP
一度採取した細胞を
無限に増やせるiPS細胞なら
FOP患者への負担は最小限で済みます
難病の患者と向き合い治療法を探す
肝に銘じていることがありました
(スタッフ)おはようございますすいません朝からお願いします
手紙を書いてから6年
彼は高校2年生になっていました
でもあの頃より痩せていました
全然問題ないあるよあるよ全然問題ないよある
もう一人でシャツを脱ぐことはできません
浮き上がった背骨
痩せた理由はアゴの関節にも骨ができたから
小さく切らないと
食べることができなくなったのです
日々体をむしばむFOP
けれど育海くんには
病気を理解し支えてくれる多くの友達がいます
支援はこんな形でも
自動販売機の売り上げの一部を
研究費に寄付するというものです
育海くんは言います
病気が研究されていることが何より嬉しい
育海くんの主治医で研究責任者
戸口田先生
研究は前進していました
FOP患者の細胞は健康な人の細胞に比べ
骨を作る力がおよそ10倍もある
ということが分かってきたのです
患者さん自身のiPS細胞を使えるからこそ
つかめた事実
成長とともに進行するFOP
私達は9年前に取材した彼女に
再会することができました
彼女が見つめていたのは
未来でした
彩里さんは今21歳
大学生です
(スタッフ)こんにちはこんにちは
私達は彼女に再会しました
靴下をお母さんに
はかせてもらうのは
9年前と同じでも
あのときと違い
髪は孫の手を使って
自分で整えます
あれから9年
病は彩里さんから
少しずつ体の自由を奪っていました
しかし
乗り込んだのは運転席
実は高校卒業の翌年お母さんを説得
適性検査も合格し
半年かけて運転免許を取ったのです
自分でできることは自分でやりたい
免許もそんな思いから挑戦しました
今やお母さんより運転がうまいとか
現在大学3年生
授業のため一人車で大学に向かいます
車のおかげで
一人で行動できる範囲が広がりました
むしろいつもの方がキレイ
大学進学も受験する大学を決めたのも
彩里さん自身
勉強したい福祉学科があり
家から通えて
バリアフリーだったことが決め手でした
でも
90分の授業は彩里さんには大きな負担
多忙な学生
といっても勉強ばかりではないそうです
そう彩里さんは普通の大学生
今日はスーパーで買い出しして
月に2〜3度は開かれる家飲みの準備
80かけるの3よくない?もうあっちも何か買ってると思うし
(友人達)お邪魔します
中学生の頃私達に
みんなと同じ暮らしがしたいのと話していた彩里さん
そこには普通のキャンパスライフを楽しむ
彩里さんがいました
今日はたこ焼きパーティー
乾杯〜お疲れ〜ちょっと待って俺相当な…はいイエーイ!
福祉学科に進んだ
自分も自分ができる範囲ででも
困っている人の役に立ちたい
彩里さんの夢実現はもうすぐです
続いてはいつ誰にでも起こりうる事故で
歩くことも走ることも奪われてしまう
わずか6歳で車イス生活となった
彼とその事故に居合わせた母
静香さんとの5年間の記録
そして
画期的な
季節外れの吹雪に見舞われた
郵便局にお勤め
お母さんは二人の男の子の
子育てに追われています
どこにでもある普通の家族を襲ったのは
交通事故でした
それが一人の少年の歩みを
奪ったのです
交通事故やスキーでの転倒など
誰にでも起きる事故が
原因の後遺症です
事故の衝撃で
脊髄を通る神経が切断され
半身不随や
寝たきりになることも
(静香)たっち伊吹たっちして
(淳二)伊吹たっちたっち
私が願っていたのは
みんなが笑顔で暮らせる
穏やかな家庭
このまま元気に育ってくれさえすれば
(静香)カナにも教えてあげて変なおじさんったら変なおじさん
幼稚園の頃には
お父さんとキャッチボールを始め
初めてランドセルを背負った姿を
昨日のことのように覚えています
胸に希望の虹がたつ
しかしこのわずか3ヵ月後
一瞬の出来事が
全てを変えてしまったのです
今から5年前
(静香)伊吹ママ早くちょっと待って伊吹はい行こう
その日の天気は
昼前から雨でした
あッ伊吹伊吹ちょっとお薬もらってお買い物に行ってくるからおばあちゃんちで待っててねちゃんと待ってられる?
その日たまたま伊吹は小学校がお休みでした
弟は幼稚園で夫は仕事
伊吹をおばあちゃんの家で預かってもらい
その間に用事を済ませてまた迎えに行くつもりでした
それは自宅を出てすぐの交差点で
信号待ちをしていたときのことです
自宅を出てすぐの交差点で
信号待ちをしていたときのことです
(衝突音)
その日のことは忘れることができません
伊吹見たことないですね
交差点で停車していたところに
後ろから追突されました
車体の半分が潰れるほどの衝撃でした
伊吹?伊吹伊吹!
伊吹からは何の反応もありませんでした
運転席のドアはすぐに開いたので
とにかく伊吹を助けに行こうとしました
伊吹伊吹!伊吹…伊吹!
息はしていました
伊吹伊吹
すぐに車から助け出そうとしましたが
ドアが開きませんでした
一体伊吹に何が起きているのか分かりませんでした
もしもし救急車お願いします子供が後部座席で血は出てません意識がないんです
車の後ろはグシャグシャ
でも伊吹のところだけは
奇跡的に潰れていませんでした
(救急車のサイレン)
(伊吹)ママ伊吹ママ伊吹大丈夫?痛いとこは?大丈夫痛くない
泣いていないということは
間違いなく痛くない
軽い傷で済んだのだ
少し安心しました
イスから降りられる?
しかし
動けない舩越さんですねお母さんですね子供を早く出してください血も出てないし痛がってません今すぐ開けますからねバックボード用意!オイル漏れなしバール開けますドア開いた!
どうしてこんなことになってしまったのか
着いたからね
伊吹は地元の病院の救命救急に運ばれました
ここでお待ちください123
そして気が動転していた私に
追い打ちをかけるような
まさかの事態が起きたのです
お母さん実は伊吹くんなんですが脊髄を損傷している可能性がありますその場合ここの病院では手術ができないんです大学病院に移送いたします手術できないって伊吹は大丈夫なんですよね?泣いてないし痛がってもいないんですよ大腿骨は骨折していますが痛がっていないということは脊髄が傷ついて痛みの感覚が伝わっていないということなんです検査を行いますがとにかく一刻を争いますドクターヘリを要請します
伊吹の体で一体何が起こっているのか
このときは分かりませんでした
伊吹の手術は
ここで行われました
当時の記録が残っています
一命は取り留めたものの
大きな問題が
人の首の頸椎それから胸椎とありますけれども
白くなっている部分が
神経が切れてしまったところでした
翌朝夫が八戸から駆けつけて
あらためて夫婦で医師から説明を受けました
ここを損傷してしまったから伊吹くんの下半身は麻痺が起こってしまったんです先生足はどうなんでしょうまた歩けるようになる可能性は?2週間以内に胸から下のどこかに反応がなければ一生歩くことはできないでしょう2週間…先生よろしくお願いします!
2週間
母としてどうしたらよいのか
どうしたら
伊吹は歩けるようになるのか
そんな答えのないことを必死で考えていました
舩越さん伊吹くんがお母さんに会いたいですってありがとうございますどうぞ
麻酔から目覚めて
私の姿が見えなかったためか
伊吹は不安そうな顔をしていました
伊吹伊吹もう少しの辛抱だからね
手を握って笑顔でいてあげる
心配させないように
絶対悲しい顔は見せない
唐揚げとかハンバーグとかもうすぐよくなるからね
今母としてできることは
それしかありませんでした
経過は順調でした
伊吹くん診察ですよ
足の反応を除いて
伊吹くんどうかな?ちょっと足診てみるねICUを出てずいぶん元気になりました飲み物も飲めるようになったしそれはよかった
先生は足の反応を
毎日診に来ました
とにかく足に反応があれば
回復の見込みはある
(医師)じゃあまた明日来るねありがとうございます
足の反応が戻るために
少しでも役に立てば
とにかく足をマッサージする
これが意味があるかどうかではなく
今できることは
息子に寄り添うことだけでした
一度も八戸の自宅に帰ることなく
伊吹の病室に泊まり込みました
弟いなかったんだな
写真を撮り続けたのは
伊吹を励ますため
カメラを向けるたびにいつも
笑顔で応えてくれました
しかし伊吹はこの笑顔の裏で
大きな不安を抱えていたのです
私がちょっと病室を離れたときのことです
ママちょっとシャワー浴びてくるねよろしくお願いしますはい行ってらっしゃいうん行ってらっしゃい
動けないけれど
だいぶ元気な姿を見せるようになった伊吹
あとは足が反応してくれれば
そう思っていました
これは後日看護師さんから聞いた話です
ねえねえうん?どうしたの?あの…僕の足ついてんの?
感覚が全くなく
ずっと寝ていた伊吹は
自分の足があるかどうか分からず
不安な気持ちでいたのです
伊吹は私に心配をかけたくなかったんだと思う
そう看護師さんが話してくれました
そして2週間が過ぎました
事実を知るのが怖くて
先生の話は夫だけに聞いてもらいました
覚悟はしていたけれど
伊吹にどう伝えればいいのか?
なぜ私の息子が?
楽しみにしていた小学校に通い始めたのに
あんなに元気に走っていたのに
なぜ?
そしてどうしても考えてしまう
あのときあの子を車に乗せなければ
あのときあの道を通らなければ
考えても仕方のない後悔
事故から5年
今もあの事故の新聞記事を
捨てることができません
事故から1ヵ月
弘前大学の病院を退院して
八戸の病院に戻りました
結局足の反応はありませんでした
地元の病院では車イスに乗るための
リハビリを始めました
感覚をなくした下半身を補うために
トレーニングをしていかないと
ずーっとベッドの上で寝てばかりだった伊吹
車イスを使えば自由に動けると
乗った途端に自分からこぎ始め
ヒヤヒヤしたほどです
こうして少しずつ親子ともども
この生活に慣れていきました
そんな頃の出来事でした
(医師)伊吹くん車イスにだいぶ慣れてきたみたいですねできることも増えてきたし調子も良さそうですねいや〜ホントにおかげさまでありがとうございます
元気を取り戻した伊吹の様子に
私達夫婦も安心していました
しかし
(伊吹)あッはいもう〜お母さんは歩けていいな
伊吹の心の奥
母親の私にも見えていませんでした
事故から5ヵ月
年が明け伊吹は退院し…
元気を取り戻していく伊吹
母としてひとまずホッとしました
しかししばらくすると
伊吹は時々
…と言うようになったのです
「車イスのままでもいいよ」
その言葉が気になってしまいました
でも私は伊吹に「諦めないで」と
言えませんでした
事故から4年
伊吹は11歳になりました
朝起こすことから手を貸さなくてはなりません
残念ながら足の感覚は戻らず
そればかりか…
ほい
体は大きくなったものの
使えない足は細いまま
最近以前にも増して
伊吹は引っ込み思案になった気がします
脊髄損傷では仕方がない
分かっています
でも諦めたくない
なぜ諦めたくないのか
その理由の一つは
ある先生との出会いでした
…の中村先生
脊髄損傷を治す研究をしている
そう聞いて会いに行ったのです
そして先生は脊髄損傷で動かなくなった足を
もう一度動くように治療する話を
熱心にしてくださいました
まだ研究中の新しい技術の名前は
iPS細胞という
当時は聞いたことのないものでした
昨年3月嬉しいニュースが飛び込んできました
中村先生が脊髄損傷の患者に対して
iPS細胞の臨床研究を
2017年には開始するという計画の発表でした
この日中村先生は
伊吹に初めてどんな治療法になるのかを
話してくれたのです
じゃあ伊吹くんどうぞ
中村先生が目指す治療法それは
iPS細胞を使った再生医療
患者の皮膚細胞からiPS細胞を作り
それを神経細胞に変えて
脊髄に移殖するという方法
しかし移殖しただけでは
再び立って歩くことができるわけではないというのです
先生達が次に何やったかっていうとおッすごい歩いてる
(中村)ほらこれこれ足動かないんだよ
リハビリをして
移殖した神経細胞を通して
脳にもう一度
歩き方を覚えさせることが重要だというのです
さらに中村先生の口からは
手術は伊吹が高校生の頃だというのです
「車イスのままでいい」と言って
諦めることを覚えてしまった伊吹にとって
今年の中村先生の診察
大きな意味があったと思います
この日向かったのは…
元気な足だなおおッ
伊吹が将来移植手術を受けたあとのことを見据えた
リハビリです
そうそうそうそうもう一回ねもう一回伸ばしたままそうそうそうほら見て見て見てすごいでしょ?ねッ
歩けるようになるかもしれない
これまでは軽く口にできる言葉ではありませんでした
でも今は胸の中にはっきりとその言葉が
浮かび上がってきているのです
伊吹はもう一度歩けるかもしれない
たぶんすごいつらかったと思うんですけど
2014年4月
耐震対策で建て替えられた小学校が
バリアフリーになり
伊吹も通えるようになったのです
母として初めは不安もありましたが
伊吹は伊吹なりに
友達同士の関わりの中で成長してくれました
そして伊吹はもう一つ
大切なものを取り戻してくれました
それは11月のことでした
さあみんなの将来なりたい夢を発表していこう!じゃああべさんからはい私の夢はパティシエになることです
暗くなる話題はしない
私の夢はアナウンサーになることです
事故以来伊吹とは…
僕の夢はレーサーになることです
将来の夢という話題は避けてきました
(教師)はいしかくらさん私の将来の夢はバレリーナになることです
今伊吹は夢と聞かれて
何と答えるのだろう
(教師)舩越くん
伊吹の言葉はこの
宝物シートにも記されました
ずっと話せなかった夢の話
でもこれからはいっぱいできる
そう感じています
彼女は生まれつき
右手のヒジから下がありません
でも頑張り屋さんの彼女は
何でも工夫して挑戦してきました
美来ちゃんは…
両親は悩んでいました
右手がないことがいずれ娘の人生に
影を落とすのではないか?
始まりは2007年
お父さんがインターネットで見つけた
東大の先生に会いに行った日
(横井)美来ちゃん試験する?やってみる?
横井先生が取り組んでいたのは…
筋電義手の開発
しかも思いどおりに5本の指を動かせる
世界最先端の義手でした
しかし美来ちゃんとの出会いが
この義手の未来を大きく変えるのです
横井先生がつくった
重さ800グラム
5本の指が動く設計しかし
5本の指と手首が動く世界最先端
けれど美来ちゃんは言いました
「重くて痛くて動かせない」
もっとも近くで研究を支えてきた
…も厳しい言葉を投げかけました
最先端ロボット技術の集大成
なのに…
手に障害がある患者を
数多く診察してきたリハビリの専門医は
日本の研究開発にこう意見します
やっぱそこまで狙うんでしょうね私が見てると…というところがあるはずなんですね
美来ちゃんのダメだしから7年
研究者の自己満足ではなく使う人のために
横井先生の義手の開発は続いていました
(真)こんにちはこんにちはどうもいらっしゃい
今美来ちゃんは中学2年生
実はあれからも横井先生の筋電義手の開発に
ずっと協力していたのです
全てを一から考え直し
「使う人のために」をテーマに
開発し直した筋電義手
これが体と義手をつなぐセンサー
手を動かそうとするとき筋肉に流れる電気を読み取り
義手が動く仕組み
頭の中でイメージしたとおりに
握ったり開いたり
美来ちゃんも納得
動くのは親指
あとは残り4本指が一緒に動きます
ボタンを留めるなど細かいことはできません
しかしこの二つの動きの組み合わせで
日常生活の多くの部分を補うことができることが分かり
義手を軽量化できたのです
あッ・すごい
使う人の使い勝手を良くするために開発したのが
義手にかぶせるグローブ
見た目だけでなくつかんだものが滑りにくくなり
爪の先で
小さなものもつかめるようになりました
手の障害のリハビリを専門に行う陳先生は
日本では数少ない筋電義手を使ったリハビリを
実践しています
使っているのは海外から輸入した筋電義手
動きは開く握るだけの単純なものですが
手を失った人には大事なもう一つの手
しかし輸入される筋電義手にはある問題が
地方自治体からも国からもまあただ
横井教授の筋電義手は
年内の販売実用化を目指しています
少なくとも…ちょっと正確なことを言うのが難しいですけど
研究者が患者に寄り添うことで生まれた国産の筋電義手
夢が一つ形になりました
続いては生まれつき骨がもろく
全身で骨折を繰り返す難病
骨形成不全症と闘いながらも
音楽への夢を追い続ける姉・佐藤明音さんと
弟の伸成くんの
8年間の記録
二人を見守る母・智恵さんの
力強い姿に迫ります
病気も含めて自分を好きになってほしい
そんな思いで子育てに励む母に出会ったのは
7年前でした
(スタッフ)おはようございます
床を滑るように起きてきたのは
弟の…
続いて姉の…
起きてたよ
二人とも骨形成不全症という
生まれつき骨が弱く骨折を繰り返す
難病と闘っています
そして父親の達也さんも同じ病気です
智恵さんは夫の病気を知って
結婚しました
じゃあ行くかお姉ちゃんが行くなら行く
明音ちゃんも伸成くんも転ばないために
床を滑るようにして移動します
明音ちゃんは8年間で
13回も骨折をしていました
何気ない動きでもすぐ骨折してしまう
この病
だから母は二人から目が離せません
えッ?
伸成くんがお姉ちゃんの肩に回した左手
おっぱっぴー
これでも危ないのです
特にひねった状態で力が加わると
折れてしまうことが多いそうです
智恵さんが見せてくれたのは
明音ちゃんが生まれたときのアルバム
写真の明音ちゃん
足が写っていません
このとき一度だけ泣いたといいます
ようやく明音ちゃんに会えたのは
出産の2日後でした
伸成くんも骨折したままで生まれてきました
明音ちゃんはようやく
でもなぜ骨形成不全症は
骨折を繰り返してしまうのでしょうか
私達の骨は通常
古い細胞が壊され
そこが新しい細胞に変わり
成長していきます
しかし骨形成不全症の場合
古い細胞が壊されたあと
新しい細胞をうまく作り出せないのです
そのため骨の成長を妨げるばかりか
骨自体ももろくなってしまうのです
根本的な治療法はありません
そのため明音ちゃんは半年に一度
骨の強さを調べる骨密度の検査が欠かせないのです
明音ちゃんの骨密度は平均よりずっと低く
骨は骨粗しょう症の老人よりももろいといいます
父親の病気が遺伝した二人
母はそのことを隠しませんでした
父親の子供の頃を見せてあげるのです
(智恵)知ってるよ
(伸成)見たことあるもん
骨形成不全症の…
偏見やいじめもありました
でも一番苦労したのは
学校を卒業し社会に出てから
殻に閉じこもってしまった達也さん
ましてや結婚のことなど考えたこともありませんでした
智恵さんとの出会いはミュージシャンのファンクラブのサイト
病気のことをストレートに聞いてくる智恵さんに
達也さんは心を開いたのです
やがて子供の話に
妻は病気のことを勉強し
夫は専門家に相談しました
「病気であってもなくても私達の子です」
妻が背中を押してくれました
明音ちゃんのうちの朝はいつも
元気なお母さんの声から始まります
骨のことを考えて朝ごはんに欠かせないのが
納豆と牛乳です
もたないよ絶対お昼まで
小学校2年生の明音ちゃんは音楽と算数が大好き
でも漢字の書き取りがちょっと苦手
明音ちゃんと伸成くんを普通の学校に通わせたい
それは両親の強い希望でした
同じ町内はもちろんのこと近隣の学校を全て回り
段差の少ない校舎を探しました
明音ちゃんが通っている小学校までは車で15分ほど
(智恵)はいありがとうはいサンキュー
明音ちゃんが2年生になるとき両親は学校に掛け合いました
「明音は一人で2階の教室に上がれません」
PTAのはたらきかけもあって
明音ちゃんのクラスだけ1階の教室にしてくれたのです
それでもお母さんは知っていました
自分だけではどんなに頑張っても
教えられないことがあることを
いいです!
子供達の中で学ぶことがたくさんあります
明音ちゃんは色々学んでゆきました
みんなと違って自分には
できることとできないことがあるということを
皆さんどうですか?・いいです!
明音ちゃんは気付いていきました
自分の病気を知ってもらう大切さ
そしてやりたいことを見つける楽しさも
どれも友達との関わりの中から学んでいったことでした
自分らしく思ったように生きていってほしい
それが母の願いでした
あれから7年再びご家族を訪ねました
(スタッフ)すいませんよろしいですかお邪魔します
実はこのとき明音ちゃんは
高校受験を終えたばかりでした
(スタッフ)お邪魔しま〜す
ずいぶん大人っぽくなりました
はいありがとうございます
見事合格でした
志望校を決めた理由は
吹奏楽部の強豪校だったからなんですって
中学校で吹奏楽部に入っていた明音ちゃん
いやもう「明音さん」かな
おッ一緒じゃん!イェ〜イ
弟の伸成くんは小学校6年生に
オッス
明るいキャラでクラスの人気者
だから明音さんは中学の3年間
吹奏楽部に夢中でした
目標は県大会を突破すること
昨年の夏
東北大会を目指す明音さんの部活に密着しました
明音さんの中学の吹奏楽部は
部員63名と大所帯
実力は宮城県で5本の指に入るほど
東北大会進出の条件予選4位以内も射程圏内でした
夏休み明けの大会に向けて
2泊3日の強化合宿が始まりました
明音さんは親元を離れ合宿に参加していました
1日8時間という練習漬けの3日間
オーボエの演奏だけに集中です
音楽との出会いは小学2年生の終わり
エレクトーン教室からでした
中学で吹奏楽部のオーボエに
何としても宮城県でベスト4に
強豪校だけに厳しい練習です
ミスが出れば即退場
(木村)はい次はい
(オーボエを吹く明音さん)
明音さんは…
(木村)はい次
退場して自主練です
部員のみんなには病気のことを説明していました
自分にはできることとできないことがある
でも演奏はみんなと対等に
みんなと一緒に頑張るから
そう明音さんは言いました
親元を離れての強化合宿
明音さんはただただ全力でオーボエを吹き続けていました
充実していた中学の3年間
どんな思いで過ごしていたのでしょうか
それは母の誕生日のことでした
明音さんが渡したのはバースデーカード
そこには
15歳の娘の思いが込められていました
最後の1行には…
母が初めて見せてくれたのは
明音さんの母子手帳の1ページ
いよいよ明日が県大会です
参加30校は皆厳しい練習を重ねてきました
仲間との出会い夢中になれた3年間
多くの思いがこみ上げてきます
審査を厳正にするため演奏中の撮影は禁止
大会の主催者が撮影した映像を借りることができました
そこに映し出された明音さんの姿をご覧ください

全ての演奏が終わり
客席で見守っていた母が来てくれました
残すは結果発表だけです
そして
(歓声)
発表は続きますが3番目までに入っていません
いよいよ
30番仙台市立第一中学校
残念ながら明音さんの中学校は
目標の東北大会に進むことはできませんでした
会場ではきぜんとしていた明音さんでしたが
もっとうまくなりたいその強い思いで
吹奏楽部の強豪高校に進学できたのです
智恵さんがこっそり見せてくれたものがあります
それは
娘がいずれ母になることを考え
大切に保管してある子育てのためのお手本
それは
思い出ではなく
母が贈る娘の未来への羅針盤です
4月から高校生の明音さん
目指すのは仲間達と全国大会です
全身の皮膚がウロコのようになりはがれ落ちる
魚鱗癬と闘い続ける…
成人した彼がこの春踏み出す一歩とは
その少年は10万人に一人という難病と闘っていました
彼が闘っていたのは
全身の皮膚が魚のウロコのようになり
はがれ落ちてしまう病
皮膚がボロボロになるため
感染症にかかりやすく
体温調整もうまくできません
また水ホウができると
激しい痛みで動けなくなることもあるのです
(激しく泣く遼くん)
これは遼くんが5歳のときの映像
清潔を保つためお風呂は欠かせません
子供の頃から包帯を取る激痛と
毎日闘ってきました
さらにこの病気にはもう一つの闘いがありました
遼くんは10歳にして魚鱗癬という現実を受け入れ
前を向いていました
朝夕欠かせないのは手足の保護
塗っているのは化膿止めの薬
細菌に感染しやすい遼くんを守るための日課
手など…
さらに厳重に保護します
足にもガーゼと包帯が欠かせないのです
当時遼くんが夢中になっていることがありました
お母さんが少しでも遼くんの将来の可能性を広げられれば
という思いで買ってくれた1台のパソコン
不自由で痛くて我慢ばかりの毎日
でも遼くんは小さな胸に大きな夢を育んでいました
うん
(スタッフ)へえすごいね
魚鱗癬という難病と闘う梅本遼くん10歳
笑顔が印象的な少年でした
あれから10年
この4月社会人になると聞いて
再び遼くんに会いにいきました
二十歳を前に遼くんは
こちらの会社に就職が決まりました
よろしくお願いしますよろしくお願いします
どんな仕事に就いたんでしょうか
・梅本さんのおかげで
会社で行うのはデザインの仕事
パソコンを使ったデザインを勉強してきた遼くん
そのスキルを生かせる仕事を選んだのです
実習で作った作品を見せてくれました
(遼)これが一応缶コーヒーで
あのときお母さんが買ってくれたパソコンは
今も捨てずに取ってあるそうです
遼くん一つ聞いていいですか?
ただいま
(千鶴)おかえり
10年前君は自分は自分のままでいいと
前向きに進んでいました
10歳の少年がデジカメのカメラマンになるという
大きな夢をしっかりと見据えていました
魚鱗癬とずっと闘ってきた君が
今見据える未来
・自分で巻けるようになったので一人で
もう一度夢について聞かせてください
梅本遼くん
夢に向かうその歩みを遮るものはありません
難病と闘う子供達が
それぞれの夢に向かってひたむきに進む姿から
当たり前で見失いがちなものの大切さを
教えてもらった気がします
皆さんはこの4月
どんな夢に向かって歩き始めますか?
2015/04/01(水) 21:00〜22:54
MBS毎日放送
テレビ未来遺産 私たちはこんな難病と闘っています2015涙と感動…10年の記録[字]

筋肉が突然骨になる少年と山中教授の約束iPS細胞で治療を▽もう一度歩きたい!半身不随の11歳に希望▽15歳少女の夢…県大会突破は?▽語り大竹しのぶ、市原隼人

詳細情報
お知らせ
【進行性骨化性線維異形成症(FOP)】筋肉がちょっとした刺激で、骨になってしまう。200万人に一人という難病。小学校5年生で発症した彩里さん、二十歳になったいま大学に通い、将来に夢を抱いています▽FOPの治療法の研究が京都大学のiPS研究所で行われていた。研究のきっかけは、一人の少年が後にノーベル賞を受賞する山中伸弥教授に宛てた一通の手紙だった。
番組内容
【骨形成不全症】ちょっとぶつけたり、刺激が加わると骨折してしまう難病。15歳の少女は、中学生になるまでに20回近くの骨折を繰り返した。遺伝性の骨形成不全症。実は父が同じ病気だった。父は幼い娘に教えてきた。「病気があっても、どんな夢でも持って良いんだ」と。8年に及ぶ家族の感動の記録。
出演者
【ナレーター】
大竹しのぶ
市原隼人
ほか
原作・脚本
■番組内容つづき

【混合型血管奇形】血管の塊が大きくなり取り除いても、また大きくなりぶつかって破裂すると命の危険もある病。「ママのように強い女になりたい」と言っていた少女がこの春中学2年生に。今の彼女の将来の夢…
【魚鱗癬】全身の皮膚が魚の鱗のようにぼろぼろ剥がれ落ちる難病「魚鱗癬」と闘ってきた少年がこの4月就職を迎える。今の彼に聞きました。大切なことは何か…「自分の前に壁を作らないこと」
監督・演出
■番組内容つづき

【筋電義手開発】生まれながら…事故で…腕を失ってしまう。そんな人達が社会復帰する上で期待を寄せる筋電義手。脳の思いのままに動く義手。その開発を二人三脚で行ってきたのはロボット工学の教授と少女だった…
制作
◇番組HP
http://www.tbs.co.jp/mirai−isan/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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