2013.09.03[火] 小説版ゆめにっき感想(ネタバレ注意)
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
なんてSF小説もありましたが、夢というのは津々浦々、いろんな作品などで使われます。
不思議の国のアリスも夢オチですしね。
夢というのは作品において、どこか神聖というか神秘的な使われ方をすることが多いです。
それに引き換え、現代社会は「クソネミ」とか、夢をクソ呼ばわりですよ。
昨今では、夢は邪魔ものでしかない模様。
エルム街の悪夢も、現実が悪夢すぎて目をそらすレベル。
睡眠は健康にも直結しますから、お気をつけて。
そんな夢をテーマにした作品として、気に入っているのが「ゆめにっき」。
原作はかなり古いフリーソフトなんですが、ここにきていろんな展開を見せてます。
「Project YUMENIKKI」なんて、サイトまで作られるくらい。
その一環として、発売されたのが「小説版ゆめにっき -あなたの夢に私はいない-」です。
ゆめにっきは謎多き作品で、今なお考察がなされています。
この謎に公式からの「回答」ともとれる一冊。
先日、読了しましたので、感想を書いていきたいと思います。
なお、ここから先は、ゆめにっき、および小説の重大なネタバレが含まれます。
ご注意ください。
※ゆめにっきネタバレ注意

今回の小説版ゆめにっき。
原作に対する「回答」を期待して購入したわけですが、結論からいうと、とても満足のいく内容でした。
とはいえ、これまでユーザーによって作られた多数の考察を否定するものではないと思います。
素晴らしい考察もあるわけですし。
「数ある答えのひとつ」
そう捉えていいと思います。

事実、ゆめにっきは、コミック版も連載中ですが、それとはまったく解釈も視点も異なりました。
公式から発売された模範解答のひとつ、とも言えるかもしれません。

一番、驚いたのが、ゆめにっきの舞台自体が夢という設定。
主人公は、この三つ編み少女ではなく、この夢を見ている傍観者。
第三者の視点というのは斬新でした。
とはいえ、これはメタ視点でいうところの、ユーザー側の立場ともいえます。
動画サイトで、ゆめにっきのプレイを見ている。
そういう感覚。
僕自身、原作はプレイ動画を拝見して知りましたし、わりと多くのユーザーが動画を利用したと思います。
そういった背景を考慮した、ちょっとした皮肉も混ざっていたのかもしれませんね。
ゆめにっきを見ている主人公の夢。
精神を病んだ人の悪夢が、このゆめにっきの舞台だ~というのは誰もが思い描く考察ですが、安直すぎて却下されやすいことも。
そこに、小説版はあえて踏み込んだあたり、ストレートな内容でした。

とはいえ、安直な展開に感じなかったのは日日日先生の文章力と、終着点のかみ合い具合がハマった結果かと。
夢の中で描かれる、痛烈な死の描写。
それは同時に、生への願望の現われでもあったと思います。
「生きたい」「生まれたい」
望まれずして妊娠したのか、不慮の事故で流産したのか。
生まれることを否定された少女。
それが、三つ編み少女の正体。
小説版ゆめにっきの答えでした。
三つ編みは、へその緒。
セーターの色は、臓器。
目を閉じているのは、胎児だから。
言葉を話さないのは、胎児だから。
眠ることしかできないのは、胎児だから。

そんな三つ編み少女の目的は、エフェクト集め。
エフェクトは卵の形をしています。
卵は生命。
誕生。
生まれてこられない彼女が卵を集めるとは、なんて皮肉か。

そんな三つ編み少女の終着点が、生との別れ。
原作で大きな衝撃をもたらした、このシーン。
考察の引き金ともなった痛烈な終わり。
それは、生まれてくること否定された胎児の、声無き叫びだったかもしれません。
けれど、小説版の終わりには希望がありました。
母親の懺悔。
傍観者へ別れを。
「あなたの夢にわたしはいない」
その通り。
彼女は「生まれてない」のだから。
あなたを「知らない」のだから。
だから、抱きしめてほしい。
愛情をそそいでほしい。
三つ編み少女が夢から覚めた時。
始めて目をひらいた時。
映るのは、母親の笑顔であってほしい。
それを切に願います。
小説版ゆめにっき。
原作を知らなくても楽しめるとは思いますが、原作の知識があればあるほど、納得できると思います。
原作が「謎かけ」なら、小説版は「模範解答」。
この答えに納得ができないなら、是非、あなたの考察を創造してみてください。
答えはひとつではないです。
夢に制限なんてありませんから。
以上、小説版ゆめにっきの感想でした。
日日日先生、お疲れ様でした。
よい夢を。
今回の小説版ゆめにっき。
原作に対する「回答」を期待して購入したわけですが、結論からいうと、とても満足のいく内容でした。
とはいえ、これまでユーザーによって作られた多数の考察を否定するものではないと思います。
素晴らしい考察もあるわけですし。
「数ある答えのひとつ」
そう捉えていいと思います。
事実、ゆめにっきは、コミック版も連載中ですが、それとはまったく解釈も視点も異なりました。
公式から発売された模範解答のひとつ、とも言えるかもしれません。
一番、驚いたのが、ゆめにっきの舞台自体が夢という設定。
主人公は、この三つ編み少女ではなく、この夢を見ている傍観者。
第三者の視点というのは斬新でした。
とはいえ、これはメタ視点でいうところの、ユーザー側の立場ともいえます。
動画サイトで、ゆめにっきのプレイを見ている。
そういう感覚。
僕自身、原作はプレイ動画を拝見して知りましたし、わりと多くのユーザーが動画を利用したと思います。
そういった背景を考慮した、ちょっとした皮肉も混ざっていたのかもしれませんね。
ゆめにっきを見ている主人公の夢。
精神を病んだ人の悪夢が、このゆめにっきの舞台だ~というのは誰もが思い描く考察ですが、安直すぎて却下されやすいことも。
そこに、小説版はあえて踏み込んだあたり、ストレートな内容でした。
とはいえ、安直な展開に感じなかったのは日日日先生の文章力と、終着点のかみ合い具合がハマった結果かと。
夢の中で描かれる、痛烈な死の描写。
それは同時に、生への願望の現われでもあったと思います。
「生きたい」「生まれたい」
望まれずして妊娠したのか、不慮の事故で流産したのか。
生まれることを否定された少女。
それが、三つ編み少女の正体。
小説版ゆめにっきの答えでした。
三つ編みは、へその緒。
セーターの色は、臓器。
目を閉じているのは、胎児だから。
言葉を話さないのは、胎児だから。
眠ることしかできないのは、胎児だから。
そんな三つ編み少女の目的は、エフェクト集め。
エフェクトは卵の形をしています。
卵は生命。
誕生。
生まれてこられない彼女が卵を集めるとは、なんて皮肉か。
そんな三つ編み少女の終着点が、生との別れ。
原作で大きな衝撃をもたらした、このシーン。
考察の引き金ともなった痛烈な終わり。
それは、生まれてくること否定された胎児の、声無き叫びだったかもしれません。
けれど、小説版の終わりには希望がありました。
母親の懺悔。
傍観者へ別れを。
「あなたの夢にわたしはいない」
その通り。
彼女は「生まれてない」のだから。
あなたを「知らない」のだから。
だから、抱きしめてほしい。
愛情をそそいでほしい。
三つ編み少女が夢から覚めた時。
始めて目をひらいた時。
映るのは、母親の笑顔であってほしい。
それを切に願います。
小説版ゆめにっき。
原作を知らなくても楽しめるとは思いますが、原作の知識があればあるほど、納得できると思います。
原作が「謎かけ」なら、小説版は「模範解答」。
この答えに納得ができないなら、是非、あなたの考察を創造してみてください。
答えはひとつではないです。
夢に制限なんてありませんから。
以上、小説版ゆめにっきの感想でした。
日日日先生、お疲れ様でした。
よい夢を。
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