秋葉原萌え萌え添い寝リフレみるきーろりっく Rioのブログ

お店(みるきーろりっく)の情報や出勤予定、お店での感想などを書いていきます!
日々のつぶやきはTwitterをチェックしてください☆


テーマ:

ひとつ前の記事でも書きましたが
3月26日を持ちまして、私はみるきーろりっくを卒業いたしました(´-ω-`)

いやーなんだか感慨深いものがありましたね、最後の日は(笑)


やめますって発表するときの記事でも
何書いたらいいかわかんないって言っていたけど
今も言いたいことがありすぎて、何を書けばいいかわからないんです
だから、一つずつ書いていこうと思います
良いことも、悪いことも
私の頭の中ですら感情がまとまっていないので
文章もうまくまとまらないとは思いますが
お付き合いいただけたら幸いです





本音を言うと
私、ずっとずっとこの仕事をやめたくてたまらなかったんです
でも、お店や店長や他の女の子達が大好きだったから
やめるのが寂しいって気持ちもあって
こんな気持ちがうまれるだなんて思ってもいなかったから
正直今でも驚いているし
相反する感情をどう消化すればいいかわからないんです

だから最後の日
お店を出て階段を降りながら
やっとやめられたっていう喜びと
やめてしまったっていう寂しさでぐちゃぐちゃになって
涙がとまりませんでした





私はみるきーろりっくにいる女の子たちの中でもかなり初期の方からいたんですね
まあそうはいっても去年の12月半ばくらいからなんですけど(笑)
でも、最初の頃はお店もまだまだ未完成で
女の子も私含めて3人とかしかいなくて
店長と一緒にあーでもないこーでもないとお店の内装とかを話し合ったりなんかして
店長はそれらをすぐに取り入れてくれて…
そんな風に過ごしてきたから
おこがましいかもしれないけれど
私たちみんなで作ったお店だって、思ってたんです

どんどんそれらしくなっていく内装にいちいち喜んで
看板ができては感動して
HPとかが作り込まれていくのが楽しくて
女の子が増えていくのも嬉しくて
お店がやっていけなかったら私たちだって働けないのだから
はやく軌道に乗って欲しい
ただただその一心でした

だから一通りお店が完成して
なんだか経営もうまくいきはじめてって時は本当に安心したし
お店への愛着もわいてたんです
そして、他の女の子も当然そうなんだと勘違いしていました

移転することが決まって
営業ができなくなって
私たち女の子の本音は確かに「稼ぎに来てるのに営業できないとかなにそれ」って感じではありましたが
他の店を知らない私は、ここが1番いいお店だと確信していたので
よそへ移る気は一切なくて
また営業できる日まで待っていようって、思っていました
だから待てなかった子がいたってことに
とてもショックを受けてしまったんです


せっかく作り上げたお店だったのに
また新しい場所で1からやっていくというのは
そうとうな苦痛でした
そしてその頃から少しずつ
私の心も曇っていきました

私はお店が大好きだったからこそ
貢献できない自分が嫌でたまらなかったし
そのプレッシャーや劣等感は
一人で抱えきれるものではありませんでした
気丈に振る舞わなくては
いつも笑顔でいなくては
他の女の子達が次々と増えていくから
その子達が安心できるようにしなくては
楽しくてフレンドリーな人でいなくては
どんなに腐っても礼儀を忘れないようにしなくては
こんな思いに押しつぶされて
でも弱音なんかはけなくて

そこに更に私生活の忙しさや人間関係のトラブルも重なって
完全に心と体を壊しました
ずっとずっと休まなかった私が悪いんです
焦りってこわいですね
どんなに自分を追いつめてもまだ追いつめてしまう
私の性格のせいなのはわかっているんです
きっともっと、うまくやれたはずなのに




もともと
この仕事には向かない性格だったのだと思います


ビラ配りは特に苦痛も多くて
子ども達が私の前を通るたびに惨めさに押しつぶされそうで、隠れたくなりました
女子高生に見られれば恥ずかしくてたまらなかったし
同年代の子達が楽しそうにおしゃべりしたり、彼氏と歩いたりしているのを見るたびに
私、何してるんだろう  って気持ちでいっぱいになりました
冷たい視線やひどい言葉に耐えて耐えて耐えて、それでも報われなくて
焦りと劣等感で、本当はいつだって泣きたくてたまらなかったんです

稼げようと稼げまいと、毎日泣きながら帰った日々を、私は一生忘れないと思います

最後の方は
一人で帰ることすら出来ず
毎回誰かしら友人が駅まで迎えに来てくれていたんです
それ以外にも、この仕事をしたことで
いったいどれだけの人に迷惑をかけたかわかりません
体を壊し、心が折れ、周りに助けられて初めて
自分がどれだけ人から愛されていたのかに気がつきました
そしてそれらを失うところだったのだということにも
たくさん怒られましたよ
私の周りって、真人間ばかりなので(笑)
でもそれに、救われたんです







なぜやめるの?と多くの人に聞かれましたが
私はその言葉の意味がわかりませんでした
世間からみたら、私達のやっていることは「なぜそんな仕事をしているの?」と聞かれる側のものであり
「はやくやめなよ」とたしなめられるものではないのでしょうか
「やらなければならない理由」に突き動かされてしているだけで「やめる理由」なんて、ないんです
いや、この言い方は語弊がありますね
数え切れないほどの「やめたい理由」に「やらなければならない理由」が勝っていたからしていただけなんです
あくまでも、私はですけど

だからやめる理由を問うた人に伝えたいです
あなたは毒されていると
私達のしていることは、決して正しいことではないのだと

どんなに自分を正当化したところで
家族、友人、恋人、同級生、先生、他のバイト先の人
そういった人たちにこの仕事のことをはっきりと言えないというのは
自分のしていることが、世間から非難されるものだという自覚があったからではないのですか

私は、言えませんでしたよ
でもそれが普通なのだとも思います




言葉は悪いかもしれませんが
こんな仕事をしてしまったというのは私の人生の中で最大の汚点なんです
同業者の皆さん、ごめんなさいね
きっと私は良い意味でも悪い意味でも、真面目だったんだと思います
だから耐えきれなかった
倫理、モラル、常識、良心、
そういったものから目をそらすことが出来なかったんです
バカバカしいと笑える人もいるでしょう
でも私はそうはなれませんでした
リスクが大きすぎて、自分がとんでもないことをしているのではないかという恐怖に心を蝕まれて
本当はいつだってやめたくてたまらなかった

それでも続けたのはお金のためでした
お金が必要でした
学費が必要でした
私は大学に通いたかったし勉強がしたかった
子どもたちの力になるためなら、どんなことでもできると本気で思っていました
でも、それは、ここまで自分を犠牲にしてやらなくてはいけないことだったのでしょうか
方法を、間違えすぎてしまったのではないでしょうか
一度そんな思いに囚われたら、もうダメでした

強がって「学費のため」という免罪符をちらつかせ
誰にも口を出させなかった私でしたが
追い詰めらた心は、何も知らない親友が言った
「危ないことをしないで」
「元のあなたに戻って」
という一言だけで
簡単にやめる道を選べたんです

もちろんタイミングもあったとは思いますけどね
初めは、学費稼ぐまでは何があっても絶対にやめないって思っていたのですから
本当に、我に返るという言葉を実感しました
「何やってんだ、私」ってね
親友パワー恐るべしですよ




私には、大切な人や大切な物や大切な場所がたくさんあります
もちろんみるきーろりっくのお店や女の子たちも大切でしたけど、それは今まで長い時間をかけて築いてきたものには勝てませんでした



とてもとてもお世話になったのに
こんなことばかり書いてごめんなさいね
でもこれで
ようやく解放されたし
ようやく戻って来られた

涙がとまらないんです
これが何の涙なのかもわからないんです
でも私
今とても幸せだから
これでよかったのだと思います





どうにかして大学に通って
たくさんたくさん勉強して
精一杯実習に取り組んで
いつか一人でも多くの子どもの力になれるように
日々精進していきたいと思います



お世話になりました
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした
悔しいことにお店や女の子たち、店長のことが大好きになってしまいました

お店に来ていただいたお客さま、ビラを受け取ってくださった方々
私なんかのために貴重な時間を使っていただいてとても嬉しかったです


今まで出会った全ての人に愛を込めて
本当にありがとうございました







ブログやTwitterは
4月1日にアカウントごと削除致します



みるきーろりっく   りお

AD
いいね!した人  |  コメント(2)

AD

Amebaおすすめキーワード

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

ランキング

  • 総合
  • 新登場
  • 急上昇