池上彰3時間スペシャル 戦後70年 キーワードで比べてひも解く日本 2015.03.30


戦後70年の日本。
今と昔を比べるとこんなにも違いが…。
キーワードで比べひも解く日本。
今日はその戦後70年をキーワードで見ていこうと思います。
ってありますよね。
今を象徴するキーワードっていうと何がありますか?
(優木)今すぎるぐらい今ですね。
今を象徴するかもしれませんけど…。
塾長厳しいな。
少子高齢化。
はい。
ああいうのもキーワード…。
そうですよね。
現代がネット社会と言われるのは実はソ連崩壊が関係していた。
なぜそうなのかはのちほど詳しく解説。
このようにたったひと言のキーワードから時代ってわかっちゃうんです。
日本人としてあなたは戦後70年の日本をどこまで知っていますか?また人に説明する事は出来ますか?例えばなぜ80年代だけに起きたのか?あのような時代はこの先くる事がないの?そして…。
不満が爆発っていうけどここまで熱くなれたのはなんで?根本的に時代を象徴するキーワードで今と昔を比べてみよう。
戦後70年池上解説で日本をひも解く。
戦後70年をひも解く前にこれって日本だけ?なんで日本はこれなの?というものを見ていきます。
まずはまず初めは…。
日本をはじめとする車が左側通行の国は実は世界では少数派。
でも日本は独自の理由で左側通行になっていた。
自動車が左側通行というのは世界で見ると実は少数派だという事なんですね。
世界地図の中で左側通行のところはこの赤いところだけです。
(優木)オーストラリア…。
(岡江)そうなんだよね。
(優木)あとイギリス。
イギリスなんです。
(優木)イギリス行った時左…。
なんとなく共通点がありますがおわかりになります?
(伊集院)えっ何?何?はいさすがです。
そのとおりですね。
イギリスの植民地だったところが多いわけですよ。
イギリスは左側通行だったものですからイギリスの植民地だったところもみんな自動車は左側通行になったという事なんですね。
日本と違ってイギリスはこんな理由で左側通行になっていた。
それは西暦1300年にローマ法王が「ローマ巡礼の道は左側通行」と定めたものを守り続けているからと言われています。
でも今ヨーロッパの国々はほとんどが右側通行。
そのわけは色々な説があるのですが…。
18世紀フランス革命を起こした人たちがローマ法王の取り決めに反対した。
ナポレオンが各国を占領した時に右側通行を広めたなどと言われています。
でもイギリスの植民地でもない日本がなんで左側通行に?だったと言われているんですね。
というのもですね1776年にスウェーデン人の人が日本について見た書物がありましてその中で「東海道では左側通行だという規則がある」って書いてあるんですね。
つまり…当時はまだ自動車はないわけですよ。
武士の時代ですから刀がぶつからないようにそれぞれ左側通行していたのではないかとこう言われているんですが。
あるいはイギリスはそもそも左側通行。
だから鉄道も左側通行。
それをこう日本に導入しそれに合わせて自動車も左側通行にしたとこう言われているんですね。
まあ色んな説があるんですけど。
あのそれで右側通行の国と左側通行の国の境目に行ったらどうなるんですか?ですよね。
(有野)その辺になったら…。
そういうのってつまり地続きですよね。
地続きっていうところは国境を越える時に国境に検問所があるわけでしょ。
そこで国境の検問所を越える時にそこで右側左側入れ替わると。
(優木)え〜?事故りそう。
(有野)怖いなあ。
続いては電気について。
日本は電気の仕組みが東日本と西日本で違ったり世界と比べても異なるかなり珍しい国。
東日本は50ヘルツ西日本は60ヘルツ。
インドがやっぱり50と60で分かれてるというんですけどこんなにきれいにくっきり分かれているのは世界でも日本だけだそうですよね。
前田さんの頃って…まあ私の時もそうなんですけど例えば東日本から西日本に引っ越すあるいは西日本から東日本に引っ越すって時大変でしたよね。
そうですそうです。
(一同)え〜?電気製品とかモーター類が…。
全部50ヘルツと60ヘルツじゃ違うのでこれを全部替えなければいけなかったんですよ。
関東地方電力不足になった。
この時に関西電力など西日本から電気を送ってもらえばいいのにってなった時に向こうは60ヘルツ。
それを50ヘルツに変えなければこっちに送る事が出来ないよ。
ここでね周波数を変える変電所があるんですよ。
でも変電所の能力は限られてますから十分この電気のやり取りが出来なかったっていう事があるんですね。
こんなに面倒くさいのに東日本と西日本でなんで違うの?もともとねこちら見てください。
ドイツの発電機は50ヘルツだったんですよ。
アメリカの発電機は60ヘルツ。
それぞれこちら側が50こちら側が60でそもそも発電機を輸入しちゃったもんですからそのままこれがずーっときた。
出来るんですけどそのためにはどっちかが全てを変えなきゃいけなくなるんですよ。
どっちが変えるか。
お前変えろよって話になるわけですよ。
ねえ。
これもし全部変えてどっちかに統一すると10兆円かかるという試算…試みの案もあると。
そこまでして変えなくてもいいのか〜。
ねえ。
一度導入しちゃうとですね大変だって事ですよね。
そしてもう1つ。
なぜ日本の電圧は世界でも珍しい100ボルトなのか?ほとんど240とか…もっと高いですよね。
240?
(宇賀)海外に行くとそうですよね。
例えばねヨーロッパのホテルに泊まって部屋でお湯を沸かした経験ってありません?一瞬のうちに沸くでしょ?早いでしょ?あれ220ボルトから240ボルトだからなんですよ。
海外でトイレして手洗ってあの乾かすやつあるじゃないですか。
ホンマひじ持ってかれるんじゃないか…。
そういう事なんですねあれも。
そういう事なんですね。
そもそも最初に100ボルトで入ってきたんですけれども大正時代に110ボルトにしたらどうかって議論があったんだそうですね。
ところがすでに電球が普及してて寿命が短くなっちゃうんじゃないかっていう事になってこのままでいいやっていう事になった。
あの時にちょっとでも変えていればという事なんですけど…。
何事も最初が肝心。
一度導入したあとで変えるのは大変な事なんです。
(宇賀)皆さんは何かこう普段からこれって日本だけかなって思ってる事ってありますか?ああ〜。
そうなんですよねあれ。
日本だけなんですよね。
あれもともと軍隊の背のうって言って軍隊の兵隊さんが歩兵が歩く時に後ろに色んな荷物を積むものとしてオランダから入ってきてオランダではねランセルって言ったんでそれがいつしか日本風にランドセルって言い方になっちゃってそれがそのあと明治の時代に学習院の通学用のカバンとしてこれが正式に採用されたそうですね。
それを現在のような形に進化させたのが皆さんご存じこの人だった!大正天皇が学習院に入学するっていう時に時の総理大臣伊藤博文が大正天皇のためにといって非常にがっちりとしたこのランドセルというのをプレゼントした。
そこから今のあの形がスタンダードになっていったっていう事なんですね。
でもやっぱり…最初はやっぱり都会だけのおしゃれなもので田舎行くとやっぱり風呂敷で行ってたそうですよ。
しかしそれが今すっかり定着をした。
だけど日本だけのものになって最近意外な形でハリウッドのセレブがあれをおしゃれとしてね使うようになってるという事ですね。
そういう意味でいうと日本で独自に発達したものが世界に誇れるものになったという事でしょうね。
違うの?ここから大人っていうのを…10代でもう大人だったりとか…。
(室井)ホント?あと免許取れる年数とかも全然違うじゃないですか。
これねあのまあ非常に少数派ですね。
全く日本だけというわけではなくて韓国とかタイもそれぐらいなんですけれども大体18歳からというのが多いですね。
世界でも大体選挙権は18歳からっていうところも多いので今ほら憲法改正をする時の国民投票に関しては18歳からしましょうって事が日本も決まりましたよね。
これから色んなところで18歳からっていう事になっていこうとしてる。
現在は途中経過という事なんですけど…。
では日本が成人を二十歳とした理由は?もともとのルーツは戻るな〜!あの時のいわゆる法制度の中で例えば税金を納めるとかいうのもですね当時21歳から税金を納めるという事になった。
21歳というのは数えでしたから今で言えば二十歳だよねという事になって今にまで繋がっているという事ですよね。
日本って今小学校の時から英語を学ぶじゃないですか。
で中学高校と学ぶんですけどでも他の国に比べたら英語が喋れる人が多くならないと思うんですよ。
実はそこには例えばそれぞれの難しい学術用語がそれぞれの国の言葉でないものだからつまり自国語で高等教育が受けられない。
英語で大学の授業を受けざるを得ない。
結果的に大学を出ると英語が喋れると。
日本は明治の初めに海外から色んな科学的な学術用語が入ってきた時にそれを全部日本語に訳したんですよ。
そう。
日本人は苦労して英語を全て日本語に訳したのだ。
高等教育が日本語で受けられるという大変珍しい国。
日本はすごく進んでたが故に英語が喋れないっていうんで今大きな問題になってるっていう事なんですね。
他には何か皆さんありますか?今ってシーズン的に言うとあの…春で日本だと花粉症多いじゃないですか。
これ英語で言いますとヘイ・フィーバーって言いますね。
ヘイ・フィーバー。
干し草の熱。
要するにこれが日本で言うところの花粉症で海外でもあるんだという事なんですけど…。
実は花粉症に関する事でそれは今日本だとマスクしてる人よく見かけますよね?みんなします。
気をつけなければいけないのは…。
向こうでのマスクというのは重症患者つまり他の人に悪い病気をうつす人が他の人にうつさないようにマスクをする。
そういうイメージなんですね。
日本だとインフルエンザが流行ってる時にインフルエンザがうつらないようにって自分を守るためにマスクするでしょ?あれは日本独特なんですね。
海外に行ってマスクしてると非常に怪しまれるという事が1つあります。
そして自身も現代花粉症がひどいのには訳がある。
太平洋戦争中にとにかく木をみんな切り倒しちゃったわけですよ。
戦争のために使うからあるいは燃料のために使うからって言って戦後はげ山になってしまったところにすぐに成長する木を植えよう。
何がいいか?スギの木なら成長も早いしって言ってそのスギの木が今青年期を迎えて言ってみれば思春期を迎えてですね花粉をいっぱい飛ばすようになったんですよ。
だからまあ植林政策の失敗もありまあ今になってわかる事ですけれどもね。
最近は…ですからスギの木を植え替える時はそっちを植えるように今していますね。
続いての…。
まさにこの時期確定申告だったり自動車税の支払いなど何かと気になる税金。
実は日本独自の皆さん年末調整って聞いた事ありますよね?実はこれ日本は年末調整っていうのがあるんですね。
会社員ですと毎月毎月一応10パーセントぐらいずつ源泉徴収税金が引かれるんですが。
1年間をとってみるとちょっと税金を取りすぎたよねあるいは足りなかったよねっていうのが12月の段階でそこでお金が返ってきたりもう少し取られたりという事それも全て会社が面倒を見てくれる。
これが年末調整というものなんですが。
日本人の税金へのそうすると何が起きるのか?年末調整会社がやってくれないから自分でやるわけですよね。
自分が1年間にどれくらい税金を納めているかっていう事がわかるわけです。
ここから納税意識というかこんなに税金を払っているんだ。
税金無駄遣いするのは許せないというふうになってくるんですね。
つまり納税は楽な一方会社員の多くは税金に無関心になってきているのが今の日本なんです。
このように見てみると日本ってやはり独特の文化を持った国なんですね。
ではキーワードで今と昔を比べる戦後70年の日本。
やはり現代を表すキーワードはこれではないでしょうか?現在メールTwitterLINEなどで友人と連絡を取り合ったりネット通販でものを買ったり…。
YouTubeなどの動画を楽しむなど…。
インターネットは実は意外な事が関係していると言われている。
もちろん技術が進歩したからって事もあるんですけどきっかけはこれなんですよ。
(一同)え〜?レーニン像が引き倒されてますけど。
インターネットが日本に普及し始めたおよそ20年前。
はいどうぞ〜!深夜の電器店の前に大勢の人が集まりWindows95というパソコンソフトが発売された。
そしてこのソフトがもともとパソコンはキーボードで数多くのコマンドを打ち込まなければならないなど一般の人にはとっつきにくいものだった。
しかしWindows95ではマウスの操作やメイン画面のデザインが初心者でも使いやすいよう大幅に改良され爆発的なヒットになった。
すると企業や観光地などのホームページが出来始めパソコンで検索して情報を集める事が出来るようになった。
しかしこんな事でやきもきしませんでしたか?
(電話回線に繋ぐ音)
(接続音)
(有野)懐かしい。
(優木)この音鳴ってたなあ。
(優木)この音聞いた事ないぐらいですか?
(優木)やっぱりそうだよね。
聞いた事ないよねこんなものね。
これは電話回線でインターネットに繋ぐ時出ていた音。
このようにネットに繋がるまで時間がかかったりホームページが表示されるまで待たされるという事も多かった。
一方…。
それまで電話やFAXでやり取りしていたものがパソコン一つで事が済むようになった。
しかしメールを使い始めた頃はこんな光景が…。
当時は文章が正しく表示されない文字化けや届くのが遅れる事も多かった。
今では検索やメールをはじめとしてインターネットを使う事が当たり前の時代。
でも現在仕事や生活で当たり前のように使うインターネット。
実はこれソ連崩壊がきっかけで始まった?岡江さんは初めてインターネットを使った時って覚えてますか?うんやっぱりああいう音がしてましたね。
あとねすぐフリーズ。
固まっちゃって。
しょうがないから電源ガツッと抜いたりとかしてましたね。
イライラしてましたいつも。
テレホタイムって覚えてます?電話代がものすごい高いんですよ。
(伊集院)だけど11時以降かな?1個の番号だけは月に決まった料金でかけられるって決まりが出来て。
11時直前から急にみんなインターネットする。
繋がりにくくなるから。
そう。
一生懸命でしたよねあの頃。
今みたいな安い値段でもないし。
お金が結構…。
その電話が繋がらないんですよ。
そのテレホタイムになると同時に繋がらないから30秒前からみんな繋げるようになってそれが5分前になって結局普通の時間にみんな繋げるようになったりとか…。
(宇賀)有野さんはどうですか?僕でも15年ぐらいですね。
ゲームの中にネットが入りだしたんですよね。
ドリームキャストってハードで…。
それでやりだしてるところからですね。
志尊さんは初めてインターネットを使ったのは…?僕は小学校の授業でパソコンを使う授業があったんですよ。
だから家にパソコンがあって…でも授業する前は使う事はなかったんですけど授業で覚えてやっぱ使うようになりましたね。
小学校でした。
このように今や子どもの頃から触れる事も多いインターネット。
でもパソコンが普及する前これを使っていたという方も多いのでは?こんなの使ってた方いらっしゃいません?さあこれなんて言いましたっけ?えっなんだっけ?ワープロ!カシャッて…そうワープロ。
若いお二人にとってワープロっていうのはパソコンのソフトの名前でしょ?
(橋本)はい。
これワープロってワードプロセッサーという専用機なんです。
その真ん中のは割といいやつで左のはもう4行ぐらいしか表示出来ないですよね。
そう…これ2行なんですよ。
(伊集院)2行ですかそれ。
ほらほら2行ですね。
(室井)2行!そうなんですよね。
全体像が見えないみたいな。
ここになるとうわ〜便利なものだなとなったんですが。
これだと後ろに…後ろにプリンターがついてて印刷出来るんですよねその場でね。
そしてこれが初期の頃のパソコンです。
(岡江)ちっちゃかったですね。
これは便利なんだけどここで印刷出来ないわけですよね。
別のプリンターっていうのをつけなければ印刷が出来ない。
ここでそのまま出来ると便利なのになって思った記憶がありますけどね。
じゃあ橋本さん
(優木)あ〜懐かしい。
(伊集院)それもうわからない…。
(室井)わからないの!?わかんないです。
(室井)わからないの!?ショックですね。
だってむしろ新しいと…新しいぐらいの形ですもん。
これ新しいですよね?前はもっとでかくてペランペランでしたよね。
はいじゃあ伊集院さん橋本さんに教えてあげてください。
あれはねフロッピーディスクといってねとても便利な新製品だったんだよ。
「なんですか?」と言われる衝撃的な出来事でありました。
では本題に戻りましょう。
なんでインターネットの普及とソ連崩壊が関係しているのか?ソ連崩壊東西冷戦が終わったのがきっかけだったという事なんです。
どういう事かというと…。
それぞれが核ミサイルを持ってたわけでしょ?いつ相手の国から核ミサイルが飛んでくるかもしれないっていう時代軍事情報のネットワークをアメリカが作っていったんですね。
でも当時は中央に巨大なコンピューターがあってそれを全国のコンピューターと結ぶというやり方をとっていたんです。
そうするともし核ミサイルが飛んできてどこかの中心のコンピューターがやられてもずっと情報伝達が出来る仕組みを作らなければいけないといって開発されたのがこちら。
ネットワーク。
例えばこのコンピューターがやられてもこちらでネットワークで繋いでいくと他のコンピューターは全部生きている。
こうなれば核戦争になっても戦えるよねといってアメリカが密かにこの軍事技術を開発していたんですね。
そしたら東西冷戦が終わった。
ソ連という敵がなくなってしまった。
じゃあこれを軍事機密にしてる事はない。
みんなに公開すればいいよねといってどんどん広がっていったという事なんですね。
軍事ネットワークの開発には大学の研究者も数多く関わっていたためまず大学のネットワークが発展。
そして…。
現在インターネットと同じくらい我々の生活に欠かせないもの…。
それは実は日本で初めての携帯電話と言われているのが1985年に登場したショルダーホン。
しかし…。
当時はバブル時代の始まり。
携帯電話はそれが今や日本での皮肉にもえっと…。
(ジュニア)8歳!?
(宇賀)小学3年生!?
(有野)携帯出来ないです。
親がね心配してね。
はい。
持ちました。
(宇賀)それって周りのお友達はみんな持ってるものだったんですか?そうですね。
割と半分ぐらいは持ってたと思います。
ジュニアさんは初めて携帯電話を持ったのっていつでしたか?僕は20年前ぐらいですけど。
初めて見たのは24〜25年前にハイヒールのモモコさんが持ってんのを見て…。
(優木)ああいうやつですか?ショルダーホン持って劇場入っていくのを見てかっこええ姉さんやなと思ったな。
ないなあ。
ポケベルだったな。
うちの事務所。
私がチョロチョロ…つかまらないんでねいつも出かけてるんで。
車もありましたよね?ああいう大きいの。
自動車電話って事はそこから取り外せると持ち運べるよねっていってショルダーホンになっていったわけですよね。
その前は無線機でしたから。
ボタンを押せばこちらから発信出来るけどボタンを押してる間相手がわからないから…。
「なんとかなんとかです。
どうぞ」っつってこちらが張ってると向こうから…デスクから「あそこに行け」とか「原稿を送れ」とか指示がくる。
それが電話だと普通に相手と会話が出来る。
なんて便利なものだろうっていう事になったんですが。
その後爆発的に普及した携帯電話。
その裏にはある災害と今では考えられない理由があった。
僕ら阪神・淡路大震災の時に有線普通の電話がみんな使えなくなったのにどうしてか?当時まだ携帯電話使う人が少なかったものですから電話回線に余裕があって携帯電話は繋がったよねっていう事になって。
さあじゃあ携帯電話を持とうという事になったんですね。
ところがみんな携帯電話を持ったものですから東日本大震災の時には全然通じないっていう事になったという事があるんですが。
それはこちら。
1994年から携帯電話が売り切り制に。
つまり志尊さんや橋本さん携帯電話買うの当たり前だと思うでしょ?1994年より前は電話の会社からレンタルするしかなかったんです。
(志尊)そうなんだ。
それに伴って費用も非常に安くなったっていう事があります。
みんなが買うようになればこれは売れるんだってなれば各メーカーが技術開発に一生懸命になるわけですよね。
その結果どんどんどんどん小型になっていった。
小型になれば便利だからますますみんなが買うというよい循環になってみんなが携帯電話を持つようになったという事があります。
さらに1999年からですけど携帯電話でインターネットにアクセス出来たりするようになる。
これからやっぱり爆発的に普及したっていう事がありますね。
そうしたネット社会の幕開けが90年代半ばだったという事です。
現代をキーワードで表すとまさにネット社会。
このように日本が発展した時代背景にはどんなキーワードが隠されているのか?キーワードでひも解く日本の戦後70年。
続いてのキーワードはこちらです。
あなただったらまず今から70年前家もお金も仕事も全てを失い日本はゼロからスタートする事になった。
何もない。
でも生きていかなきゃならない。
そんな中食べ物を手に入れようとした。
非合法だったためその名もヤミ市。
でもちょっと待ってください。
終戦直後は何もない上に混乱して無秩序だったというイメージないですか?そんな状態で実は鉄道も走っていたし経済も動いていた。
だから新宿には終戦からたった5日後に…。
当時流通させるものの種類量値段は全て政府が決めていた。
しかし…。
家にあった不用品を売ったり引き揚げてきた兵隊がヘルメットを売るなどしていた露店が寄り集まって出来た青空市場。
だからヤミ市は違法。
取り締まりも行われていたんですがじゃあなんでこんなに堂々と商売出来たのか?実は取り締まりは形だけという事が多かった。
ヤミ市がなくなったら人々が生きていけない事を警察もわかっていたという。
そんなヤミ市では…。
商品の主役はやはり食べ物。
アメリカ軍の残飯をごった煮にしたこの時代のキーワードはなんといっても戦後復興。
当時を経験した人がどんどん少なくなる今この時代には実際どんな事があったのか?さらに終戦にまつわる意外な事実を戦後70年という節目の年に知っておこう。
この時代を経験しているゲストの方は…前田さん。
まあ多少記憶にねはいはい。
我が家は芋をねたくさん畑で作ってましたんでねそれを持って色んな物々交換をした記憶はチラッとですね。
つまり芋を作ってたからその芋を持って行くと他の物と換える事が出来たわけですよね。
そんなヤミ市があった場所。
今もですねそのわかります?商店街として残ってるところ。
ああそのとおりです。
(優木)っぽいね確かにね。
(室井)思い出横丁も?新宿思い出横丁それから大阪の鶴橋の商店街。
(室井)えーっ!この辺りもともとの戦後のヤミ市から始まってだんだんきれいに整備されましたけどきれいに整備されたっていったってでもごちゃごちゃしてるでしょ?こういうところがあったと。
ヤミ市が出来た場所。
実はもともと国の都合で無理やり作った場所だった?アメリカ軍の空襲によって火がつきますでしょ?火がワーッと延びていかないように途中で防火帯を作ったんですね。
どうするか?建物疎開っていう言い方をして建物を取り壊したんですよ。
こうやってこれ建物疎開。
だから人が住んでるところをここは建物疎開だって強制的に取り外してしまえばこの近くで空襲で火が上がってもそこから先に延焼しないだろうというものを作ったんですね。
特に大きな駅の近くに防火帯がいっぱい出来てたものですから戦後そこのそれぞれのところで土地区画整理事業というのを自治体が始めるようになって消えていった。
あるいは普通の商店に変わっていったという事ですね。
東京オリンピックの頃からですよね大体。
そのとおりなんですね。
さらにヤミ市では戦後の日本人のしぶとさが見えるヒット商品も生まれました。
戦後のたくましい日本人は兵士の必需品だったものを日用品に作り変えた。
例えばこちら。
なんでしょうか?これは。
今の人はヘルメットって言いますけど前田さん昔は?ヘルメットっていうと今なんとなくプラスチックのものイメージしません?これ本当に鉄製の鉄兜なですよ。
鉄だからこれ色んな事に使えたんですね。
さあこれを…何に使ったと思います?この形…。
もうおわかりですよね?さあ志尊さんいかがですか?おお〜!お見事!そういう事なんですね。
「鉄兜お鍋に再度のご奉公」兵士が使わなくなったヘルメットをトンカチで叩いて鍋にしたものがよく売れたと言います。
人やお金が飛び交い大繁盛しているとはいえそこでこんな悲劇も発生しました。
「判事の餓死をどう見る」という記事ですね。
これは違法だったわけですよね。
だから東京地方裁判所の判事と言って…。
当時一応まだ配給というのが残っていたので配給の食べ物だけで生活をしなければいけないってそれを守っていた結果…。
つまりそういう時代なんですね。
商売が出来たとはいえその日一日を生き抜く事に精一杯だった時代。
しかし驚くほど早く復活したものも…。
たった1か月で撮影したという『そよかぜ』が公開。
挿入歌の『リンゴの唄』はラジオにリクエストが殺到し大ヒットした。
両国国技館で行われた本場所は大盛況。
写真をよく見ると上から光が差しているのがわかりますか?実はこれ天井に開いた穴を塞ぐよりも先に大相撲を開催したのだ。
同じく青バットの大下物干し竿の藤村などが活躍。
生きるのも精一杯だったのに人々に勇気を与えたり癒やすためと思いがち。
でも実はよく映画とかもねフィルムとかカメラとかありましたね。
はい。
(岡江)不思議。
(ジュニア)あれ入場券を買って見に行くんですか?そうですよね。
じゃあお金があったんですか?払える人もいたって事ですね。
ラジオで大相撲の中継を聞くと…。
(ジュニア)ああなるほど。
娯楽の復活が早かったのは実は戦争中の厳しい決まりが影響していた!?戦争中の国民色んな決まりのもとに働いてたという事があります。
こちら例えば…。
アメリカの映画は禁止ですよね。
敵の国の映画を見るなんてとんでもないって事になったり。
女性はもんぺをはく。
もんぺの形だったら空襲があってもすぐ逃げる事が出来るから。
という時代がありました。
こんな決まりに縛られていたらストレスたまりますよね。
それが突然そういうというのがわかりますよね。
ここで終戦にまつわる意外な事実を池上解説!ここでちょっとしたクイズですが岡江さん終戦戦争が終わった日って何月何日でしょうか?8月15日。
そう思いますよね?思います。
えっ違うんですか?思いますよね?日本の終戦記念日8月15日。
世界にとっては戦争が終わった日じゃなかった!?だから日本の終戦記念日8月15日。
世界にとっては戦争が終わった日じゃなかった!?だから8月15日は終戦記念日という事になっているんですが本当に戦争が終わったのは…。
周りの他の国にしてみると対日戦勝記念日9月2日。
9月2日に戦艦ミズーリ号が東京湾にやってきてそこで降伏文書にサインしましたでしょ。
国際法上は日本が降伏したのは9月2日なんですね。
(英語)こうして日本は降伏文書に署名。
というわけで日本では玉音放送が流れた8月15日を終戦記念日としていますがアメリカなどでは日本が降伏文書にサインした9月2日を対日戦勝記念日としています。
つまり世界の中にはまだまだ戦争中だと思っていた国もあったのです。
そして実際に8月15日以降日本へ攻め込んできた国が…。
ソ連軍がそのあとどんどんどんどん南までやってきて北方領土をずーっと…どさくさに紛れて9月2日までにこれを占領しちゃうんですよ。
9月2日を過ぎてまで占領したのが歯舞群島っていう事になるんですね。
だから少なくとも9月2日以降に占領した歯舞群島っていうのはそれこそ国際法に違反するという事になりますし日本にしてみればそもそも北方領土は全部日本のものだと。
それを勝手にソ連あるいは今のロシアが占領しているのはこれは許せない事だって事になってるわけですよ。
今も続く北方領土問題はこの時生まれたものだったのです。
70年前たくましく戦後復興を遂げた日本人。
終戦からたった10年後にはこんなキーワードが…。
焼け野原だった日本が30年でここまで発展。
世界でも類を見ないスピードで経済が成長出来た時代。
今と昔を比べると見えてくるあの時代はいくつも偶然が重なった。
1950年北朝鮮が韓国に攻め込みアメリカ軍も参戦した戦争。
実はこの朝鮮戦争が高度経済成長の大きなきっかけだった!?当時日本はまだGHQの占領下。
出兵する事に。
戦争をするには軍備が必要。
そのその額現在の金額でこのお金で日本経済を立て直す事が出来たのだ。
閉鎖されていた鉄や船づくりなどの工場が再稼動。
のちの三菱重工や富士重工など高度経済成長を支える大企業の工場が復活したのだ。
なぜあの頃出来て今は出来ない?あの時代はいくつも偶然が重なった。
石炭が日本でたくさんとれた。
当時エネルギーの主役だった石炭を国内で自給出来ていたが日本を支えていた炭鉱では今では信じられないような生活をする人たちがいた。
皆さんはこのような島見た事ありませんか?その名も正式名称は端島。
長崎市の沖合に浮かぶ島です。
小さい島にところ狭しと立ち並ぶ建物。
このような光景が生まれた理由それは炭鉱に関係があったのです。
島に上陸すると…。
ここで
(加地さん)もうこれ以上増えたら…。
最盛期には人口密度は当時世界一とも言われた。
限られた土地に多くの人が住むために建物は高層化。
遊ぶ場所が狭いので9階建てのアパートの上にしか保育園が作れなかった。
小さな島中に高い建物が立ち並ぶ様が遠くから見ると軍艦のように見えるのです。
島民が離れて40年以上経った今もその面影を残しています。
当時の…というふうな気持ちが強かったですから。
35度以上の暑さの中作業し落盤ガス爆発常に危険と隣り合わせ。
なので給料は平均月収11万円の時代に破格だった。
20万近くあったんじゃないかと思います。
それぐらい高いのをもらうのが当たり前じゃないかというふうな感じですね。
石炭で稼げたかもしれないけどどういう生活をしていたのか?当時の家を案内してもらった。
この間取りで家賃は10円。
ここにピアノ1つちょうどここのとこに…狭かったけどもここに1つピアノを置いてですね…。
外にある物置には当時の物が。
(加地さん)これは娘の靴下でしょうね。
思い出しますね色んなものを。
そしてここにはやはりこんな当時全国で10パーセントほどしか普及していなかったテレビがほとんどの家にあったという。
炭鉱で働く人たちは生活に余裕があったのです。
しかし軍艦島には島だからこそ大変だった事が。
(加地さん)昔からもう水をみんなが大切にしてきました。
お風呂も共同で水がない時は海水風呂だったといいます。
そんな苦労をしながら74年まで石炭をとっていた軍艦島。
石炭によって日本の高度経済成長は支えられたのです。
こうして戦後から復興のため一生懸命働き奇跡とも言われた高度経済成長に突入していった日本。
まじめだったから。
勤勉だったから。
そんな声が聞こえてきそうですが…。
一生懸命になったのは今では考えられないこんな時代があったから。
メイドインジャパンっていうと志尊さんどんなイメージですか?なんか信頼が厚いというか…っていうイメージがありますよね。
そうですよね。
じゃあ第一次世界大戦中ヨーロッパが戦争になったでしょ?そうすると戦争じゃない日本にたくさんの商品の注文がきたんですよ。
で日本製品をたくさん向こうの人たちが買うわけですね。
そうすると例えばこんな事がありました。
シャツがあったのでシャツを着ようとしたんですね。
着ようとした途端…。
ボタンが全部バラバラッと取れてしまった。
ボタンがのり付けされてたんですよ。
糸でちゃんと縫い合わせてなかったんですね。
とにかく売ればいいよというような状態だった。
第二次世界大戦後その…。
こうしてメイドインジャパンはやがて安くて品質のいいものというふうにイメージが変わってきたという事があります。
経済が発展する一方日本はこんな問題に直面!今では考えられないような汚い風景が広がっていた!こんな新聞の投書がありました。
こちら「五輪の陰にかくされたもの」。
「オリンピック大会のために東京周辺は一新しました」「いずれもすばらしいものです」「しかし同じ東京に住んでいながら私たちとは縁遠いものばかりです」「私の働く工場は隅田川の支流の一つ十間川沿いにあります」「川の水はどろどろでごみが浮びガスの発生で目や鼻がいたくなるほどです」これもまた当時の日本の現状だったという事なんですね。
高度経済成長時代の日本東京の町はどんな様子だったか当時の映像があります。
ご覧ください。
これわかります?ごみをポイポイ捨ててるでしょ?道路に…道路の脇にごみを捨ててますよね。
でも横に立て看板があります。
「ごみを捨てないでください」って書いてあってもみんなお構いなくごみをポイポイ捨ててます。
(優木)汚〜い!川にはもうありとあらゆるごみが浮かんでてこれをだから回収をしていたという事ですね。
じゃなくてみんなごみはポイポイ道路に捨ててたんです。
回収はありますよ。
それはだから家のごみをちゃんとやるのもありますけど回収が十分じゃなかったりあるいは町を歩いてて例えば包装紙をその辺にポイポイ捨てるわけですよ。
なんかものを食べる時にも包み紙をポイポイ捨てるのが当たり前という…。
岡江さんごみの出し方って覚えてます?うちはなんか木のこう箱があってそこに入れてたらチリンチリンと来てリヤカーに積んで持っていってましたね。
はいそうでしたね。
はいその時の映像があります。
ちょっとご覧ください。
これですリヤカーに引いてですね鐘を鳴らしながらごみの収集だよ〜と…。
(伊集院)なんかこれちょっと覚えてる鐘は鳴らしてたな〜。
そうするとそれぞれの家から…。
(優木)袋に入れてなくてもいいの?そのまんまでもいいんですね。
(室井)そこの時間に行かなきゃいけないんだ。
でそれが今度はごみの収集車に変わった。
これはね音楽を流しながら…オルゴールの音楽を流しながら知らせるという事はその時間にそこに行かなければいけない。
でもいつ来るかわからない。
(岡江)わからないんですか?ごみをいつでも出せるようにして主婦が待ってたんです。
ほらそうするとああ〜ごみ屋行っちゃうよ〜待って〜という…。
さらに当時みんなその辺にたんをガーッペッペッて吐いてたんですよ。
あまりに不潔であると。
たんはちゃんとたん壷に吐きましょうと言って各駅のホームに白い陶磁器のたん壷が設置されてそこに吐いてくださいってやってましたよね?思わない?なんか…。
(志尊)そうですね。
若い人でたんを吐く人いない…ねえ?確かに現在たんを吐く人はあまり見かけませんよね。
実はこれも時代が関係していた!つまりそれだけ今で言えばPM2.5って事ですけど非常にとにかく大気汚染だった。
(前田)そうですね。
ですよね?子どもは青鼻をね垂らしてましたもんね。
栄養状態が悪かったですからね。
日本は実はそうではなかったって事ですね。
1960年代東京オリンピックが決定した事もあって日本は建設ラッシュ。
選手を運ぶための道路や鉄道網の整備。
電力確保のためのダム。
海外と通信するための海底ケーブルも設置。
ものを作る事でお金が動いて経済が大きくなりさらにものを作る。
この繰り返しにより経済は急成長したがその裏ではゴミ処理や大気汚染などの問題も発生。
それらに真剣に向き合うようになったのも高度経済成長があったからなのだ。
当時のブームと言えばこの2つ。
まずはそして…。
団地ブームが到来。
誰もがモダンな生活に憧れました。
しかしあまりにも建物が似ていたためある事がよく起きたそうです。
では有野さん。
はい。
そのある事とはなんでしょう?え〜酔っ払ったお父さんが隣の家に入っちゃう。
答えは当時の映像に。
(警察官)聞こえましたら表に出てください。
団地内で迷子になる事もしばしばありました。
波に乗っていた日本経済。
しかし70年代日本を騒がせたある事が高度経済成長期を終わらせるきっかけになったって知ってました?志尊さんわかります?え〜なんだろう?それこそ…うーん地震とかですかね?地震ねえ。
東日本大震災は大変でしたけどね。
(志尊)はい。
じゃあ前田さん。
オイルショックです。
トイレットペーパー買い集めた気がしますね。
パニックになった。
スーパーマーケットにみんなこうやってトイレットペーパーを買いたくて殺到したんですよ。
これどうしてか?なんだったのか?発端は日本は中東から石油を買ってるよね。
もしかして石油が輸入出来なくなるかもと考えた人たちがものがなくなる!ガソリンが高くなる!とパニックに…。
このオイルショックをきっかけに政府は色々見直す事に。
その中には冗談か?と思うようなものも。
それがこちら。
さあ…。
政府は大真面目にファッションを見直した。
当時の大平総理直々に着用して発表したファッションはこのファッションなんと言ったか覚えてますか?橋本さんはこのファッションをなんて言うか…。
このファッションですか?うーん…。
(岡江)クールビズみたいですよね。
現代版はクールビズですけど。
当時は?
(岡江)昔なんでしたっけ?ルックね。
省エネルギーっていう言葉がここから始まるんですよ。
つまり石油がないって事は電力不足になる。
夏クーラーが使えなくなる。
じゃあこうやって涼しい格好で過ごすようにしましょう。
皆さん節電のためにこういう格好をしましょうと政府が呼びかけたんですがちょっとモデルがですねえ〜ちょっとこう…ファッションとしてはまねしたくなるなって感じじゃなかったものですからこれはあんまりそしてオイルショックがあったから日本は石油が入ってこなくなるっていう事は火力発電ばかりに頼ってるわけにはいかないよねやっぱり原子力発電所が必要だっていう事になってこのオイルショックをきっかけに日本は原子力発電所の開発に邁進するようになっていくんですね。
ここから原子力発電所がどんどん作られるようになる。
そのきっかけがオイルショックだったという事なんです。
2020年のオリンピックも決まった現在あの時代と同じように経済成長する事はある?どこでも先進国っていうのは先進国になるまでは経済成長ってしてくるわけですけど。
この経済規模がものすごく大きくなるとだんだんだんだん経済が成長してきますとそれ以上に大きくなかなかならなくなってくる。
でもその中で
(宇賀)またオリンピックも決まりましたからね。
ちょっと上がる事を期待したいですよね。
まあですけどあの頃はね何もなかったからそこに色んなものを作ったからこそ経済は成長したわけで。
今はそこそこありますからね。
オリンピックで…だけで高度経済成長ってわけにはいかないと。
経済や出来事だけじゃない。
時代によって事件も大きく違う隠されたキーワードがあった。
70年で事件も大きく変わった。
現在ではあまり見かけなくなった暴走族が暴れていた80年頃…。
体罰やいじめなど学校での事件が多かったですよね。
さらにハイジャックや飛行機の墜落などが目立った時代も…。
そして高度経済成長期によく聞いたのが…。
当時マスコミも大々的に報道したため記憶に残っている方も多いのでは?「あんたのおなまえ何ァんてェの」「ボクはナルちゃんと申ちまちゅ」1950年代そろばんをかき鳴らす芸風で一世を風靡したトニー谷。
被害者が人気芸人の息子だったためマスコミは大々的に報道。
要求された身代金は200万円。
ところが過熱した報道陣や野次馬が家を取り囲み身代金の受け渡しに行けなかった。
その後…。
正美ちゃんは無事保護された。
会社社長の長男当時7歳の男の子が誘拐された。
新聞各社は特ダネを狙うため先を争って警察の捜査や状況を逐一報道。
中には独自に犯人探しをする新聞まで。
それを見て見つかるかもしれないと精神的に追い詰められた犯人は雅樹ちゃんを殺害してしまった。
誘拐から2か月後犯人は逮捕。
大きく報道されたため野次馬も多かった。
犯人に身代金を奪われ警察は大失態。
警視総監が前代未聞のテレビ会見でこの頃東京オリンピックのおかげで広まったのがテレビ。
それを公開捜査で本格的に取り入れ犯人を逮捕。
しかし吉展ちゃんは殺されてしまっていた。
こんな誘拐事件覚えてらっしゃいます?僕は67年生まれだからちょっとあとなんですけどやっぱり表に出て遅くなると親の脅し文句というか本気で怖かったんでしょうけど誘拐魔が来るっていう今あんまり聞き慣れない誘拐魔っていう言葉は子どものお説教の中には必ず出てきました。
我々は人さらいってね言ってました。
人さらいが来るって言うから…。
ああそういう言葉ありましたね。
さあそして身代金誘拐の後押しするようになったものがあったと言われています。
テレビと同じようにこの時代に広まり出したものが身代金目的の誘拐を引き起こした?なんでしょうか?最近どんどん町から姿を消しているものです。
(優木)あっ公衆電話?はいそうなんですね。
つまり身代金を要求するには公衆電話を使って「金をよこせ」とやるわけですよね。
そういう公衆電話があちこちに出来たからそこで公衆電話で電話をすれば捕まらないで済むだろうと犯人が考えるようになった。
身代金目的の誘拐事件は60年代だけでなくそのあともたびたび聞きましたよね。
でも現在はあまり聞きません。
なぜなのでしょうか?今はデジタルになりましたでしょ。
デジタルになるとそれこそ逆探知あっという間に一瞬にして出来ちゃうんですね。
あるいは公衆電話もほとんどないでしょ。
公衆電話から電話をしてるとすぐその公衆電話だってわかってしまって警察が駆けつけてしまうっていうのもありますし…。
昔はATMを使って多額のお金を振り込む事も出来ましたけど今多額のお金が振り込めないようになってるでしょ。
そもそもそれも出来ない。
非常に誘拐事件がやりにくくなったという事がありますね。
身代金目的の誘拐事件で逃げ切ったみたいな。
(有野)ゼロ?はいゼロなんですね。
結局これは割が合わない。
まして殺してしまう事になれば非常に罪が重い。
場合によっては死刑になるよという非常に厳しいものという事になりますね。
そして今お金目的の犯罪はこんな形に姿を変えた。
オレオレ詐欺と言ったり…。
オレオレ詐欺って言い方はよくないといって母さん助けて詐欺って言い換えてみたりと…。
いわゆる振り込め詐欺というそっちの方の…まあ非常に増えてきているという事はありますね。
去年このような特殊詐欺の被害額は過去最悪を記録。
お金にまつわるフィッシング詐欺とは銀行などの企業を装ってメールを送り偽のホームページにアクセスさせ口座番号や被害にあわないためにはどうすればいいのか?本当にその銀行のホームページを検索をしてアクセスをするってそっちが大事ですよね。
(伊集院)なるほど。
メールからダイレクトにいくと向こうの罠にそのままのってしまうからちゃんと検索エンジンで公式サイトを見るっていう。
やっぱりこれが大事な事って事になりますよね。
1970年頃多くの流行を作ったのは若者たち。
アメリカからヒッピー文化が到来。
新宿にはフーテン族が現れ…。
厚底ブーツにパンタロンというおしゃれも流行った。
そしてフォークソングが大流行。
時には新宿西口に集まり…。
駅の構内で集会を開き神出鬼没な事からフォークゲリラと呼ばれ警察に連行される事もあった。
そんな若者が熱かった時代のキーワードといえば…。
今例えば学生たちが怒って何かこれだけの事をするってないですよね。
(岡江)ないですね。
1960年代永田町におよそ2万人が集まり国会議事堂になだれ込んだり…。
およそ2000人の学生が新宿駅に乱入。
放火や投石で機動隊と衝突したり…。
日本大学で教授の脱税や何に使ったかわからないお金がおよそ20億円もある事をマスコミが報道。
これに怒った学生たちは世間に訴えよう!と考えた。
そこで…。
教室を椅子や机で授業をボイコットして注目を集め大学の身勝手を訴えようとしたのだ。
そして機動隊が学生と衝突。
そして同じ年東京大学では誰もが知るあの安田講堂事件の発端となる事件が起きる。
研修医は1年以上タダ働きをするというインターン制度の改善を求めて学生たちが医局長を病院で軟禁した事件。
大学側は関わったしかし関わっていない学生まで処分していた事が発覚。
学生たちの怒りは頂点に達し占拠したのが東大安田講堂だった。
(笛)「学生諸君は…」この頃学生運動は全国に広がり多い時には170校以上に及んだという。
そして占拠された安田講堂は全国の学生運動のシンボルとなり世の中に不満を持つ学生たちが集結。
およそ1年もの間断続的にバリケード封鎖されたのだ。
そして翌年の1月大学側の要請でおよそ600人の逮捕者を出した。
学生運動がより暴力的になったこの時代ある事件がきっかけで「過激派」という言葉が広まる。
それが…。
過激派はその後も連続企業爆破など多くの事件で世間を震撼させた。
現在では一体なぜこんなにも若者が熱く怒っていた時代だったのか?僕昔大阪住んでる頃にAPECがあってその時にたまたま僕の住んでるマンションがそのAPECの会場を一番狙いやすいっていう事で刑事が「お前過激派か!」って来ましたね。
「まあどっちかというと過激派やな」と言ったら思いっきり首ガーッ絞められましたよ。
(室井)その頃活動してたおじさんたちに話を聞くと飲みだすとよくよく考えれば
(有野)え〜っ!?なぜ学生たちはあんなに熱く怒っていたのか?それはみんながなぜ学生たちはあんなに熱く怒っていたのか?それはみんながこちら所得倍増計画これから皆さんの所得を倍にしますという経済政策をし高度経済成長になっていく。
国がだんだん豊かになってくるわけですね。
それまで本当食うや食わずの状態が少しゆとりが出てくる。
ゆとりが出てくるとどうします?色々遊んだりしますけど。
趣味にお金かけたりとか。
はい。
ですよね。
今の時代なら心やお金にゆとりがあれば趣味や買い物旅行に行ったりしませんか?しかし当時は…。
少しゆとりが出てくるとそもそも自分たちは…。
特に高度経済成長でしょ?ものすごく経済が成長した分経済のひずみというのが出てきて結構格差が出てくるわけですよね。
それまではみんな貧しかったんですよ。
これを変える必要があるのではないかというように思ったり…。
では当時やっぱり学生ってまだまだエリートだったんですね。
大学進学率もそんなに高くなかった。
そうするとそれなりのエリート意識を持ってた学生がいて自分たちは…。
それが言ってみればこれですね。
正義感。
ただ客観的に見ると本当に独りよがりだったっていう事になるわけですよ。
主観的には…。
やるわけですが客観的に見れば単なる過激な行動だったみたいなところもあると。
だけど最初のきっかけは世の中をよくしようという正義感から始まった部分があったと。
実際に学生運動に参加していた人に当時の気持ちを聞いてみた。
(原田さん)その表現の仕方を
(鷲見さん)言い方…いい言い方をするとね。
自分たちが社会現象ですから。
やっぱり主役って言ったらオーバーなんですけどもそういう形だったと思うんで。
それに対するエネルギーみたいなものはものすごく感じましたですね。
正義感から熱くなった一部の学生は今ではほとんど見る事はないはいこうやって当時アジってアジテーション。
つまり扇動。
人々に立ち上がれ革命運動に立ち上がれみたいな。
(伊集院)選挙でもなんでもなく台上に上がってみんな立ち上がれってやるんです?結構へえー。
結構学生さんたち頑張れみたいなそういう世の中の意識って当時はあったんですね。
当時学生たちのたまり場になっていた喫茶店のマスターに話を聞いた。
世の中ねそうじゃねえんだと。
学生運動で授業が出来ないからこそ正義感を持った学生たちは大学だけに収まらずこんな事件も引き起こす。
ベトナム戦争反対を叫び新宿駅におよそ2000人が集結。
電車のシートを外して放火。
そして機動隊と衝突。
彼らの行動は注目され駅周辺に集まった人はおよそだから当時は学生たち学生さんたち頑張ってるよねってなんとなくね社会でもこれを応援する空気っていうのはあったんですね。
そんな風潮が広まりデモをする学生たちにおにぎりを差し入れをする人や中にはこんな応援をする人も…。
神田で機動隊と激しく衝突をする。
機動隊に追われた学生が神田の路地を逃げ回るわけですよ。
機動隊から隠れようとしてその辺の店にフッと飛び込むとという事が結構あった。
そういう時代ですよね。
これやってるの学生運動やから大学生じゃないですか。
これですよね。
あの時のはい『「いちご白書」をもう一度』。
学生運動やってたんですけどいざ就職活動になったらどんどん就職していったんですよ。
(有野)へえー。
普通の学生は。
いわゆる本当の活動家はそのままずっと過激な活動をやり続けるんですよね。
誘われてた子らは早々にやめて…って事ですか?そうですね。
厳密に言うと60年代にこんなに熱かった学生運動。
しかし60年代にこんなに熱かった学生運動。
しかし世間の目が一変してしまう事件が起きました。
それが…。
この映像皆さんも一度は見た事はあるのでは?長野県軽井沢のあさま山荘に過激派5人が人質を取って立てこもった事件。
警察突入までをテレビでは連日生中継。
犯人は全員逮捕された。
岡江さんこれ覚えてます?はい。
私はそうです高校1年ぐらいですかね。
1年か2年で覚えてます。
街頭のテレビで。
っていう感じでしたよね。
犯人の取り調べでさらなる事実が発覚。
それで人々の熱が冷めた?実はさらにとんでもない事をしていたっていう事が明るみに出るんです。
それがこちら。
大量殺人事件というのがありまして。
ちょっとした意見の食い違いだったりあいつ気に食わないみたいな事になってリンチが行われて次々に仲間を殺してたんですよ。
中には女性がちょっと化粧してるのを見て…。
次々に遺体があがってくるというのを見て…。
いくらなんでもこんなとこにはついていけないよという事になって全国で学生運動が一気に下火になりますしなんとなく学生運動を支持していた人たちも…。
それがこの事件だったって事ですね。
今の人って割と無関心が多いじゃないですか。
だから前の時代と今のと間ぐらいのね思想を持った日本をよくしようっていう人たちが増えればいいのに極端ですよね。
だから逆にあそこまで過激にいっちゃうとみんなついていけなかったりなんか政府のやり方に反対すると過激派って思われちゃうと嫌だよねみたいなところがあるのかもしれないですね。
どうして最初って世界の平和とかって願ってるのに最後野蛮な武力になるんですかね?ねえ。
それと最近の…。
ものすごく過激な事をする連中っていうのが…。
ありますよね。
まあ一般的に言うとみんなで集団で組織的に何かをしようとする時にはこれは反政府運動だったりするわけですが個別でこの特定の人物を殺そうとか特定の人物を爆弾で殺そうなんていう事になるとこれはテロリストと呼ばれる事が多いという事ですよね。
こうやって70年代に事件とかあって…。
いらっしゃるんですか?って別に敬語を使う必要ないと思うんですけど。
当時からずっと活動している人たちもいるんです。
例えば成田空港って行く時に警備が厳重だと思いません?ああなんかいっぱい人いたりしますよね。
警官がいっぱいいるでしょ?警官やガードマンがいるでしょ?あれアメリカの同時多発テロ以降警備が厳重になったって思ってる人が多いんですが違うんですよね。
成田空港反対闘争というのが昔あって。
今もまだやってる人たちはいるんですけど大勢の人が死んでるんですよあの事件で。
それ以来成田空港を潰そうという過激派がいるもんですから警備がずっと続いている。
(優木)そっちから守ってる…。
続いては…。
バブル時代はこんなにも異常だった。
1980年代突如として起きたブームがあった。
それは…。
1984年奇妙な動きで人気者になったのが…。
さらに翌年大ブームになったのが…。
でもなぜこれらの動物が突如ブームになったのか?それはテレビの影響と言われている。
カラーテレビの普及率が99パーセントを超えた80年代半ば。
企業がよりインパクトの強いCMを作ろうと珍しい動物を起用しそれまで知られていなかった動物が注目されたのだ。
そんな80年代の日本を象徴するキーワードといえば…あれしかない。
当時こんな事件ありましたよね。
1980年東京銀座のごみ捨て場にとんでもないものが落ちていた!それは風呂敷に包まれた…。
結局落とし主が現れず全額が拾い主の手に渡された。
1989年には神奈川県川崎市の竹やぶに捨ててあったバッグの中から1億3000万円が!これが本当にあったんです。
5日後に手提げ袋が拾われ中から9000万円が!合計2億2000万円のお金が同じ竹やぶの中から見つかったのだ。
後日名乗り出た持ち主は…。
ひと言で言いますとさらに同じ年神奈川県横浜市のごみ処分場でも捨てられた金庫の中から1億7000万円が見つかるなどわずか20数年前日本は何かとお金にまつわるニュースが多かった。
そんな時代を表すキーワードといえばこれ!バブル時代はこんなにも異常だった。
1989年末日経平均株価が史上最高値を記録。
ちなみに最近も15年ぶりの高値を記録と景気のいいニュースを耳にしますが…。
それでも1万9000円ほど。
しかしバブルの頃は…。
なんと4万円近くまで跳ね上がったのです。
そして当時株価とともに異常な値上がりを見せたのがもう一つ…。
東京銀座の1坪の値段が1億円を突破!なんてニュースありましたよね。
そんなニュースからこんな言葉も。
当時は世界中に日本製品が出回り経済も急成長。
そんな空前の好景気に浮かれまくっていた日本はお金の使い方が今では信じられないほど派手だった。
1992年ゲーム会社任天堂の会長が当時存続の危うかったメジャーリーグのシアトル・マリナーズをあくまでも地域貢献とおよそ127億円で買収。
当時は高額な美術品を投機目的で買う事がブームとなりそんな彼らはバブル紳士とも呼ばれた。
海外のオークションでは高額な名画を次々と落札。
中でも驚きだったのがゴッホ『医師ガシェの肖像』を当時の史上最高額およそ120億円で落札。
そのオークションでは…。
あまりの大金に会場から拍手と歓声が。
さらにルノワールの名画など合計250億円をつぎ込んだのが…。
お目当ての品を手に入れ飛び出したのがこのひと言。
世界経済を牽引し始めた日本。
大手企業が次々とアメリカ企業を買収したのです。
中でも世界中を驚かせたのが次の3つ。
ニューヨークのシンボルでもあるロックフェラーセンターを三菱地所がおよそ1200億円で買収。
アメリカ大手映画会社コロンビア・ピクチャーズをSONYがおよそ4800億円で買収。
ユニバーサルスタジオの運営などを行っていたMCAを松下電器がおよそ7800億円で買収。
しかしアメリカからは…。
…と声が上がるほど当時日本経済は勢いに乗っていたのです。
でも今だって日本は世界経済の上位のはず。
なのに実はお金が溢れたあのバブルは…。
そう!全て意図的に行われていたって知ってましたか?バブルはじゃあどうして起きたのか?これはなんと当時のアメリカは本当に経済が不況だったんです。
アメリカ経済やっていけない。
なんとかアメリカを…。
そこで1985年アメリカ経済を助けようと先進5か国でこんな話し合いが行われました。
ドルが安くなれば色んな物を海外に売る事が出来るだろう。
…っていう事になったんですね。
ドル安にするって事は他の国々の通貨を高くすればいいんだなっていう事ですね。
80年代前半の日本は輸出大国と言われ日本製の自動車や半導体などが飛ぶように売れた時代でした。
一方アメリカは経済が好調だった日本や西ドイツの台頭で物がなかなか売れず…。
国内ではジャパン・バッシングが起こるほどだったのです。
そんな時代でも世界経済はやはりアメリカドルが中心。
悩めるアメリカを助ける事に。
日本はドルを売ってドルの価値を下げ円を強制的に高くしたのです。
その結果…。
日本が円高になると何が起きるのか。
今度は日本の企業がこれが…。
プラザ合意の頃1ドル238円台だったのが翌年には160円台となり円高に。
日本は中小企業が倒産に追い込まれるなどの大打撃を受けたのです。
考えてみればアメリカの勝手な都合ですけど。
アメリカ経済をみんな助けてくれ。
じゃあしょうがないな。
アメリカがやっぱりおかしくなるとしょうがないから。
じゃあみんなで協力しようじゃないか。
これがプラザ合意だったという事になるんですね。
アメリカの都合で不況になってしまった日本。
まさにそれを救ったのは景気をよくするには世の中に出回るお金を増やすのが一番と金利を下げたのです。
これがバブルの始まりだった。
こうなると銀行からお金を借りる時にも金利が低いからお金を借りやすい。
企業はそれで借りたお金で新たな工場を作ったりして雇用が生まれる。
そうなれば景気がよくなるだろう。
こう考えて日銀がどんどん金利を下げていった。
これが景気対策だったという事になるんですね。
いやいやいやもちろんそれだけというわけではないわけですよね。
お金が借りやすくなり新しい工場を建てようと考えた企業がある事に気づいたのです。
それが…。
例えば新しい工場用地を作ろうとしてそのために土地を買ったりするでしょ?土地を買っておくとそういう土地を買おうっていう企業が増えるとそうするとあれ?土地の値段が上がっちゃった。
みたいな事に各企業が気がつくんですよね。
こうやって銀行からお金を借りてそれで新しい仕事を始めるんじゃなくてそのお金で金もうけをしようという事を始めるんです。
土地の売買で利益を増やす企業が増え…。
当時こんな言葉が流行語になりました。
(岡江)財テク。
(伊集院)そんな響きのいい言葉…。
財産を増やす財務テクノロジーの略が…。
ある経済評論家は…なんて言われるようになり財テクをやらないと取り残されてしまうみたいな事になって企業がこぞってどんどんどんどん土地を買う。
もうとにかく日本は国土が狭いんだから…。
とみんな思い込んだんですよ。
この思い込みが土地神話。
今では信じられない話ですがどれほど思い込みが強かったのか?当時を知る不動産関係者にその異常さを聞いてみた。
でも誰かが買うんですよ。
この繰り返しで追っかけないともう間に合わない…。
そういう感覚ですよね。
なんて言うんですかね…。
そして財テクの手段として流行したのが…。
株のブームが起きたんです。
そのきっかけがあったんですね。
それが…。
NTTって昔日本電信電話公社という半官半民の政府の会社みたいな状態だったんですね。
それをNTTという民間会社にした。
民間会社って事は株式会社になったわけですよね。
その株はそれまで全部政府が持っていたんですけどその株を一般に売り出しますよという事になりました。
サービス拡大のため国の所有する企業が一気に民営化。
NTTと同じ年…。
もともと国の企業だった事もあり信頼も高く誰もが…。
と思い込んだのです。
そのためNTT株は発売前から注文が殺到し…。
売り出しからわずか2か月でおよそ200万円の値上がり。
すると…。
って思って多くの人たちが株取引を始めるようになり…。
というのが起きたんですね。
これが当時主婦のために開かれていた株式入門講座。
へそくりで一山当てようとする主婦も殺到したとか。
財テクのおかげで企業はサラリーマンの懐もポッカポカ。
バブルの頃の1か月のお小遣いは今の倍の…。
およそ8万円。
趣味や旅行などにお金を使いまくったのです。
利益が増えれば納める税金も増えるのは今も同じ。
そこで当時企業が取った手段がバブルを加速させたと言われています。
税金で払うくらいなら企業交際費っていう形でお得意先を接待したっていう形にすると経費としてこれが処分出来るんですね。
その結果銀座で豪遊をする人たちが出てくる。
そういう人たちが大勢になると金曜日の夜になると銀座でタクシーが拾えないという状態。
これがバブル。
バブルの頃は今じゃ信じられないような話がたくさん。
4650万円の高級車が1年間持っているだけでおよそ2億5000万円に。
およそ2億円の福袋がなんと売れた!ちょっと庶民には遠い話ですがこんな体験談も。
入社すれば土地がもらえた企業も。
そしてこんな言葉も流行語になりましたよね。
送り迎えいつどこへでもタダメシ食べるなら好きなものなんでも購入タクシーチケット歩いて5分もへいタクシー!忘年会ビンゴの景品札束登場。
接待ゴルフ移動はヘリコプターでひとっ飛び!接待は会社の金で高級クラブ。
カクテル1杯100万円なんて店も。
株でもうけたお小遣い。
色違いのドレスまとめ買い。
ブランド品を買い求め海外旅行が大ブーム!嘘か本当かバブル時代の日本はとにかく異常だったんです。
思わなかったからとにかく…。
(スタッフ)…というと?要するにその…。
そう思いますよ。
バカですよね。
こういうバブルってねバブルが弾けてあれはバブルだったって思うんですよ。
あの頃は空前の好景気だと。
この好景気はこれからもずーっと続くんだ。
日本経済は世界に冠たるものだからってみんなが思い込んでしまったという部分はあるんですね。
そんなバブルもいい事ばかりではなかったのです。
実は銀行が困った事に。
会社の株が上がっていくでしょ。
そうすると自分の会社の株も上がりますよね。
そうすると新たに株を発行するんですよその会社が。
そうすると高い値段でその株が売れるでしょ。
そうすると会社がものすごくお金が入ってくるわけですよね。
そうするとわざわざ銀行からお金を借りなくてもよくなるわけですよ。
結果的に銀行は優良企業にお金を貸す事が出来なくなるんです。
優良企業はみんないやいやうちが自分で株を発行して資金を集めますから…。
さあ困った銀行はどうするのか?っていう事になるんですね。
どうするのか?当時銀行員たちがとった行動はバブルをさらに加速させたのです。
空き地を探して回るわけですよ。
空き地を探すとあっここが空き地だってなると土地の登記謄本をとって持ち主が誰かという事を見つけて持ち主のところに銀行員が訪ねて行くんですよ。
アパート建てませんか?お金貸しますよってこうやって積極的に銀行が色んなところにお金を貸していく。
その結果当時億ションと言われる豪華マンションなどが次々に建設されたのですが時にはこんな事件も…。
例えば住宅密集地だったりするところをここを再開発をしてうんと広い土地を作ってそこに大きなマンションを建てたりビルを建てればいいよっていう事になるとそれまで古くから住んでいる人のところに行って…。
っていう事をやる人たちがいるわけですね。
先祖代々の土地を売るわけにはいかないってずっと頑張ってる。
…となると突然夜不審火が起きたり無人のダンプカーが突っ込んできたりみたいな事が起きて怖くなるから土地を売りますみたいな事がある。
そういう事をやる人たちを地上げ屋という。
これは実際地上げ屋によりトラックに突っ込まれた店舗。
店内はめちゃくちゃ。
恐喝とも言える事件が頻繁に起こったのです。
こうしたお金もうけのための事件が多発。
空前の好景気の一方で夢を潰された人たちも大勢いたのです。
バブルが起きてね喜んでいる人もいる一方でこれでとんでもないって怒る人がいるわけですよ。
特にサラリーマンですよね。
サラリーマン一生のうちにはマイホームを持ちたい。
土地の値段がどんどんどんどん上がっていくでしょ。
いくら頭金を積み立てても政府はなんとかしろ!っていう事になり政府はじゃあこの土地が上がるのをなんとか抑えましょうとやる事になりました。
サラリーマンの夢を叶えるために行われた3つの政策。
政府が銀行に対して土地を買うためのお金を貸しすぎないようにという制度を作ったりたくさん土地を持っている人に税金を納めさせたりさらに日銀が金利を引き上げるという手段を一気に行ったのです。
その結果…。
買いたいっていう人がいなくなったら土地の値段は大暴落するわけですね。
これがバブルが弾けたっていう事になるわけです。
バブルが弾けると土地の再開発っていうのが止まっちゃいますでしょ?そうするとそこだけ空き地がぽつんと出来ちゃうわけですよ。
そこに今何が出来てると思います?はい。
そう。
コインパーキングってあるでしょ。
このかなりの部分が地上げの途中でバブルが弾けてしまった後の祭りというそういう状態だという事なんですね。
あの頃意図的に起こせたなら今もバブルを起こせるのでは!?今アベノミクスで円安になっていたりゼロ金利と言われるほど昔よりも金利が低いのにあの頃のようなバブルは起きていません。
でも実は…。
一昨年から去年にかけてデパートの宝飾品売り場でものすごく宝飾品が売れてるわけですよ。
一部でバブルが起きてるんですすでに。
でもまさにあの時と一緒ですよ。
お金がない人からしてみたら関係ないですよ。
最初の株式投資の元手がない人はダメでどんどんもともと持ってる人が上がる。
そうなんですね。
弾けたって思わんようにするには株を買わない土地を買わないじっとしてるっていう方が…。
そうですね。
バブルの崩壊の恐怖みたいなのがなんか植え付けられてるから本当にそういう知識がある人は別ですけど聞きかじりだと踏み込めないっていうところありますよね。
そうなんですよ。
そう!バブルで痛い思いをした事でお金の使い方が慎重になっていたり…。
土地神話のように絶対に値上がりする!とみんなが思い込むほど過熱するものがないため…。
あの頃のようなバブルは今は起こせないと言われています。
しかしバブルは二度と起きないわけじゃないと言う池上彰。
このバブルっていうのは実は大きなものや小さなものありますけど大体30年ごとにバブルって起きるんですよ。
バブルの事を知らない世代が中心になってくる大体30年後ぐらいそうなるんですよね。
そうするとそういう人たちはまたバブルに引っかかってしまう。
…とまたバブルが起きるっていう事。
環奈ちゃん世代がじゃあ引っかかりそうな…。
かもしれないですね。
ねえ。
この若い世代が経済の中心になってくると何それ?って言ってまたバブルが起きるかもしれないっていう事をちょっと考えた方がいいんだろうっていう事ですね。
株などの財テク以外にもOLを中心に広がったブームがありました。
当時女性たちのバイブルと言われた雑誌の『Hanako』。
その特集がきっかけでデザートの新定番と言われたのが…。
イタリア生まれのティラミス。
1992年には台湾生まれのタピオカが大流行。
翌年にはフィリピン生まれのナタデココが大ヒット!続々と海外のスイーツが日本に上陸しOLを中心にスイーツブームに火がついたのです。
続いてのキーワードはバブルとともに一気に噴出した…。
アンケートでは政治家はお金に汚いイメージがあると答えた人が60パーセント以上に及んだ。
政治とカネの問題。
最近よく耳にしますが昔はもっとひどかったって知ってますか?街の人に聞いてみるとこんな意見も…。
そう昔の方がひどかったと感じるのはこの事件があったから。
田中元総理が逮捕されたロッキード事件。
アメリカロッキード社製の航空機を買うよう日本の会社に働きかけた見返りに賄賂を受け取ったとされ裁判に。
その額日本列島改造論と銘打ち高速道路や新幹線で日本中を結ぶ政策を行った田中元総理。
50代60代以上は政治とカネと聞いて人気も実力もあった元総理が逮捕されたこの事件を思い浮かべた人が多かったみたいですが…。
政治とカネを象徴する時代と言えばバブル真っ只中の80年代後半。
そんな時代に戦後最大級の贈収賄事件と言われたのが…。
当時就職情報誌などを発行していたリクルート社。
バブル時代企業が人手不足だった事から会社は急激に成長。
しかしビジネスを有利に進めようと学生の就職活動の解禁時期に影響を与えるため有力政治家たちと繋がりを持とうとしたのです。
そこで当時一大ブームだった株を利用し買えば上がると言われた未公開株を政治家や官僚にばらまいたのだ。
捜査の結果90人を超える政治家が受け取っていた事が発覚。
しかし職権を悪用したなどの証拠がなくほとんどの政治家がさらにバブル崩壊直後こんな大スキャンダルも。
大物政治家金丸信自民党副総裁が…。
東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取ったとされ辞職に追い込まれた。
皆さんなんか僕のイメージ違うんですかね?いやそうですよ。
昔は本当にずぶずぶだったんですよ。
それに比べれば相当きれいになってきたっていう事はあるんですね。
ではなぜ昔の政治は金に汚いと言われたのか?今よりも昔の方が政治家は金に汚かったと言う池上彰。
その訳は?昔から政治には非常にお金が必要だったと言われているんですが…。
大体選挙のない年でも若手議員で年間およそ1億円はかかるというデータがあります。
1980年代のある議員の年間支出額を見てみると1億円以上かかっています。
中でも一番かかっているのが後援会対策費。
そもそも後援会対策費ってなんのためのお金?どうしてこんなにかかったの?当時は中選挙区だったわけですよね。
そうすると同じ政党でもライバルになるわけですよね。
そうすると結局それぞれ地元のためにこの例えば道路をひきますとか鉄道を持ってきますとかいう利益誘導になったり…。
個人の選挙活動になると後援会で例えば観劇会に連れていったりですねあるいは温泉に連れていったりという旅行をしたりしていつも結束を強めて。
その後援会活動のお金を当時は…。
(一同)へえ〜。
(室井)まるで…。
でもそう…という事になるんじゃないかって事。
まあ逆に政治家にしてみれば選挙の時にはいつも…ね?こう…寝食を忘れて頑張ってくれてるんだからじゃあたまには慰労してあげましょうというまあそういう発想からなんですけど。
それって結果的には賄賂だよね?っていう事になるわけですよね。
さすがにこのままではよくないと政治家も考え改め直したのがこちら。
1つの選挙区で当選するのは1人だけという事にすればそうするとライバルがいるわけではなく政策をめぐっての争いになる。
それぞれの選挙区ではあるいはお金がかからない政治にするためにといってこの小選挙区制度を導入したという事ですね。
さらに政治にかかるお金の一部を国民の税金で補う政党交付金という制度も作りました。
赤ちゃんからお年寄りまで国民一人あたり250円が各政党に渡され政治活動のために使われているのです。
今年二十歳を迎えた志尊君からこんな疑問が…。
政治に使われているお金を透明化するために「せいじしきんきせい法」という法律があるのですが…。
「政治資金規制法」って書いてあるんですが実はこれ違うんですね。
皆さんこの中に漢字の間違いがあるんですがどこだかわかりますか?正解は…。
これだと政治資金をきちんとコントロールしよう「規制法」これだと思っちゃうんですけど正しくはこちらです。
(伊集院)ちょっと違う。
はい。
きちんと正しく報告をしてくださいね。
つまり政治資金をうんと使うのをコントロールしよう上限を定めようではなくてきちんとルールを作って正しく報告してくださいねというこっちなんですね政治資金規正法というのは。
漢字が1文字違っただけでこんな問題が…。
だから報告をしなくてもあんまり問題とされなかったっていう事になる。
政治家個人がお金をもらうって事になればじゃあその人のために何かやりましょうって事になりゃそれは賄賂だろうっていう事になってしまうわけですよね。
そこでこの法律がどんどん厳しくなっていったっていう事があります。
でも最近で言いますと…。
それぞれの政治団体を作って政治団体に対しての寄付ならいいですよっていう事になるんだけどその寄付するところのその企業が例えば国から補助金をもらってたら国のお金がぐるっと回って政治家にいく事になるじゃないか。
だから国から補助金をもらってる会社は政治献金をしてはいけないよっていうルールもあるのに最近次々に補助金をもらってる会社から政治献金受けてましたって事が明るみになっているわけでしょ。
ここでまた結局はザルになってるんじゃないか?といって大きな問題になってるっていう事なんですね。
そうですはい。
っていう事になるわけですよね。
でもまず車の黒いフィルムを外した方がいいですよね。
続いては…。
皆さんは皆さんはまあ私としては別に特に若い人はいい印象がなさそうですが…。
ちょっと前までは実はそんなに仲が悪くなかったのです。
万里の長城やシルクロードは当時憧れの人気観光スポット。
その他雑技団やウーロン茶中国武術などあまり知られていなかった中国文化が徐々に注目され始めた1970年代。
そしてあの頃上野動物園には連日大行列が出来そもそもパンダが日本にやってきた理由皆さん覚えてますか?実際にこの目でパンダを見たって…皆さん見ました?並びました。
ホントにちょっとだけチラッと見えたぐらいではい進んで進んで!って言われた記憶があります。
橋本さんや志尊さんは?パンダ見た事あります?パンダ…?見た事あります上野動物園で。
日本では妊娠や出産でも大きな話題となるパンダ。
1972年中国からパンダがやってきた背景には日本中国ソ連アメリカの4か国の政治的な思惑が関係していたのです。
ではちょうど1970年代っていうと実は中国かなりまだ鎖国みたいな状況で中国の情報ってあんまり日本に入ってきてなかったんですよね。
当時の中国は建国の立役者毛沢東のもとある改革を行っていた。
それが…。
文化大革命と。
毛沢東っていうとねそれこそ中国をつくったカリスマ的な指導者だったんですけど彼の指導が色々災害を引き起こしたりして大勢の人が亡くなる事件が起きたもんですから権力を失ったんですよ。
失った権力を取り戻そうとした時に紅衛兵と呼ばれる若い連中を使って権力者たちを次々に打倒していった。
その情報が全然日本に入ってこなかったんですよ。
なんか毛沢東のもとで大胆な改革が行われているらしい…ぐらいのイメージしかなかった。
それが終わって今になってみるととんでもない事だったっていうのがわかる。
そんな乱暴な時代だったという事なんですが。
ではなんでパンダをもらうほど良好な関係になったのでしょう?それはこんな時代だったから。
その文化大革命の最中実は中国がですね…という事があります。
それがこちら。
中ソ対立というのがあるんですが…。
資本主義のアメリカと社会主義のソ連がにらみ合っていた中国は社会主義なのでソ連の味方とお思いでしょうが…。
1950年代後半から戦略や政治上の対立が目立ち始め…。
国境紛争に発展するほど実は仲が悪かったのです。
この中ソ対立がその後の日中関係と大きく関係していた!?でどんどん仲が悪くなっていってそれぞれが核戦争を覚悟するんですね。
様々な都市の下に巨大な核シェルターを作る。
つまりそれだけの核戦争を覚悟していた。
そういう時代があったんですね。
これが当時中国が天安門広場の下に10年かけて作った核シェルター。
およそ30万人が収容出来たと言われている。
核戦争は回避したものの対立はその後も続き中国はある事を考えたのです。
ソ連と対立している国と仲よくする事によってソ連包囲網を作ろうと考えました。
さあ当時ソ連と対立している国はどこか?それから?もう一つ。
日本北方領土問題を巡って対立してたでしょ?つまり中国にしてみると…。
という動きを中国はするようになるんですね。
そして日本政府は中国と手を組む事で友好関係を築き国内経済の安定を図ろうとしたのです。
中国との国交が結ばれていなかったので国交を結べば経済活動が活発になるだろう貿易で利益が上がるだろうと考えた日本と中国の利害が一致をして日中友好へ動き出す。
それがこの日中友好の証しとしてパンダが2頭日本に贈られたという事なんですね。
これを機に中国の伝統文化が次々と日本に流れ込み友好的な交流が続いたのです。
ある事件をきっかけにその関係が一変。
世代によって中国のイメージを変えるきっかけとなった事件とは!?1989年当時の中国共産党に対し学生や市民が民主化を主張。
これに対し中国共産党は…。
(発砲音)多数の死者が出る大惨事に。
ちょっとわからない…。
ですよね。
むしろ中国人が中国共産党を嫌いになるならわかるけど…。
でそれを中国共産党の人が弾圧したわけですがこの時に中国共産党なりに反省したんですね。
学生たちが共産党を尊敬しない。
共産党を愛そうとしない。
これはけしからんと。
で共産党を愛しましょうという一大愛国教育を始めるんですね。
いかに…って事を強調する教育を始めるんですね。
結果的にそれが反日教育になっていくという事なんですね。
だから中国で民主化運動が起きないように教育をした事が反日教育になったという事なんですね。
今後日本と中国は友好的になる事はあるのだろうか?これは悪いイメージというよりは共産党を維持するためには反日キャンペーンをやっておいた方がいいと考えて政治的な判断をしてやってるわけですね。
だから逆に言えば中国経済の事を考えると日本との関係を改善した方がいいと思えば共産党の力を誇示するために…。
こちら。
今ですからこちらでこう関係を強めようとして結果的に日本外しをしようとしているという事があります。
最近日本と仲が悪いと言われている近くの2か国が手を組もうとしているのです。
という事は…。
特に韓国にとっては中国って今最大の輸出先になりますからね。
昔はやっぱり日本との経済関係が非常に密接だったわけですが今中国がどんどん経済が発展してくると中国の方が貿易相手国として重要だよっていう事になってくる。
日本的にはまああの中国との関係で言うと日本外しをしているという事はもちろんねいい事ではないんですけどどうも韓国との関係がなかなか改善されないからもう日本の方から働きかけてもしょうがないというなんとなく無力感みたいなものはありますよね。
もう安倍政権の周辺で言うと放っておけばいいんじゃないのみたいな…。
そんな部分もまたあるという事ですけどじゃあ果たしてそれでいいのかっていうと日本のすぐ近くの国ですからね。
何らかの形で関係を改善しなければいけないけどそこがなかなか見つからないという今それぞれの時代が新しいキーワードを生む。
そして新しいキーワードによってその時代が象徴されるっていう事はあるんでしょうね。
だからほらその年の流行語大賞ってありますよね?で流行語大賞だけど翌年になると消えていってしまうものもある。
一方で残るものもありますよね。
それぞれの時代を…時代を画すると言うか時代を象徴するキーワードっていうのが毎年生まれてくるんだろうっていう事だと思いますけどね。
それでは皆さん今日はどうもありがとうございました。
4月からは毎週月曜放送の『池上彰解説塾』が『池上彰のニュースそうだったのか!!』にリニューアルされ毎週土曜日よる7時54分からの放送になります。
土曜の夜8時という事ですからねお子さんからお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんまで家族みんなでこう見てあっそうかニュースってそうだったんだってこう思わず手を叩くようなそんな番組に出来ればなと思っています。
4月から土曜の夜です!よろしくお願い致します。
お願いします。
初回は4月11日土曜よる7時54分から3時間スペシャル!2015/03/30(月) 19:00〜21:48
ABCテレビ1
池上彰3時間スペシャル 戦後70年 キーワードで比べてひも解く日本[字]

「ネット社会」「戦後復興」「オイルショック」…その時代を色濃く表すキーワードを元に今の日本の成り立ちを池上彰がひも解いていく3時間!

詳細情報
◇番組内容
高度成長の時代、日本はなぜあれほどまでに景気が良かったの?バブル時代とは一体何が違う?また好景気が日本にやってくることは・・・?学生運動、どうして学生たちはあれほどまでに熱かった?当時と今では何が違うのか、池上彰が時代を彩る「キーワード」を元にわかりやすく解説します!
◇出演者
【ニュース解説】池上彰
【進行】宇賀なつみ(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】前田吟・岡江久美子・伊集院光・室井佑月・有野晋哉・千原ジュニア・優木まおみ・志尊淳・橋本環奈(Rev. from DVL)
◇おしらせ
☆番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/ikegami/

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – 解説
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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