ホテル街に残る花街の名残「渋谷円山町界隈」
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渋谷円山町といえば今や鶯谷と並ぶラブホテルのメッカとして知られるが、明治時代から昭和40年代頃までは渋谷三業地と呼ばれ、東京を代表する花街であった。
そんな花街の名残を探しに円山町を訪ねた。
道玄坂を登りきり、右手の道玄坂交番を入るこの通りの北側一帯がかつての渋谷三業地の中心部。
奥に見える料亭の右手前のビルがかつての見番であった。 ここ渋谷円山町が花街として栄えはじめたのは明治の中頃。 今の井の頭線・神泉駅の脇に弘法湯という浴場があり、そのまわりに次々と芸者屋や料理旅館ができて、関東大震災直前には芸妓420名を数える一大三業地となった。 見番のあった通りの北側に花街であった当時の面影を残す路地がある。
路地の中程にある旧料亭「三長」は当時の雰囲気をもっともよく残す建物。
その「三長」の塀に取り込まれるように立つ「道玄坂地蔵」。
かつては豊沢地蔵と呼ばれ、300年の歴史をもつこのお地蔵さんは夜ともなると明かりが灯され、その明かりを頼りに14年前に起きた東電OL殺人事件の被害者の女性が夜な夜なここで客引きをしていたという。 「三長」の斜め向かいにあるかつての料亭「おむろ」。
路地を抜けた正面のおでんやさんは昭和40年代まで「斗美田」という料亭だった建物。
三業地の中心部から神泉駅に通じる通りにもぽつぽつと古い建物が残る。
このあたりで3曲100円の流しをしていたという北島三郎も立ち寄ったろうか。 神泉駅近くで見つけた花柳界の名残り「日本舞踊稽古場」。
栄華を極めた渋谷三業地も高度成長期にはいると、連れ込み宿に転身する料亭や旅館が相次ぎ今のホテル街へと様変わりしてった。
三業地の中心部に残るこの廃屋ももとは連れ込み宿だろうか。 その頃の渋谷円山町をモチーフにした歌謡曲「円山・花町・母の町」。
芸者の子として生まれ、この町で幼少期を過ごした歌手・三善英史さんの1973年のヒット曲。 |
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「〜レトロ散歩〜花街・色街」書庫の記事一覧
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2011/12/26(月) 午前 0:12
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2010/12/7(火) 午後 8:33
あ〜これ、昔、よくカラオケで歌いました〜あの界隈は秋にお祭りが多いので、その時くらいしか歩かないなぁ…あの方、円山町だったんですね。
2011/10/9(日) 午後 6:29
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あ〜、今にも崩れそうな廃屋ですね。
時の移ろいと共に、栄える場所も替って行くんですね。
2011/10/9(日) 午後 8:59 [ sas**a105 ] <<コメントに返信する
こんばんは。
やあやあ、この歌懐かしい。昭和のメロディです。
ちっぽけな我が町にあった色町街も寂れてしまい、数年前に二業組合もなくなりました。
2011/10/9(日) 午後 9:16 [ Joker ] <<コメントに返信する
長崎の検番にはまだ芸者さんの名前が掲げてありました。あちらも丸山ですね。花月は料理屋さんでした。ポチ
2011/10/9(日) 午後 10:10 [ 白いカラス ] <<コメントに返信する
円山町、もう何年も行っていませんが、ここも元は花街だったんですね。
そして、その当時を偲ばせる建物や店が今でも結構残っているのですね。
最後の廃墟のお写真は衝撃的でした。
今後の街歩きの参考にさせていただきます。pochi!
2011/10/9(日) 午後 11:01
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このあたりは、なかなか行きにくい街、いや誘いにくい街・・・いや・・・じゃないかしら・・・いろんな意味で(笑)。
東急デパートから道玄坂に抜けるには1番速いのかなぁ・・・。ちょっと逸れているのかなぁ・・・。
そんな訳で、街自体をしっかり見た記憶がなくて・・・。
写真を見ているといろいろ考えさせられます。
今は渋谷は行かなくなった街なので、このあたりも変わったのでしょうね・・・。
2011/10/10(月) 午前 3:45 [ rahyale ] <<コメントに返信する
いやぁ〜東京レトロですね!
「花街」という文化は体験がありませんが・
そんな文化も・今残っていれば・・(笑)
2011/10/10(月) 午後 8:54
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AROMAさん こんにちは
たいへん興味ぶかい街ですが、ここも取材に行きたくともなかなか足を踏み入れにくい場所でございます^^;
すてきな歌が貼りつけてありますですね♪(なーんちゃって)
白い衣装を着た三善さん、これは紅白歌合戦に初出場の映像だわ♪
円山といえば当然のように渋谷とおもっていましたが、どうやら関西の方は「円山・花町・母の町」は京都がモデルの歌と今でも信じて疑わないらしいです
最近三善英史が出演した関西の番組でそういう話しが出てわたしは京都にも円山町というのがあることを初めて知りました そこも花街だそうで
凸
2011/10/11(火) 午前 1:56
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tempsさん
こんにちは!
pochi☆感謝です!
今日はあえてトップにリコメさせていただきます♪
三善さんのプロフィールについては自分なりにいろいろと調べてみましたが、三善さんのファンと思われる方のHPが一番信憑性がありそうでしたので、今回参考にさせていただきました。
円山町がどこかという点では、僕もこの曲が流行った頃は、渋谷の円山町とは思いませんでしたが、今では渋谷説が一般的のようでしたので書かせていただきました。
ただ、作詞家がどこをイメージして書いたかは今もって謎のようですね。
当時はご本人がこの曲を歌うことを快く思われていなかったことや幼少時のことをあまり語りたがらないということことも存じていますので、あえて深くは書きませんでした。
今回、この町を歩いてみて、当時は今のような猥雑なホテル街ではなくて、三味線の音が聞こえる情緒のある花街であったこと。
ある資産家がこの町に連れ込み旅館を建てたことから、花街が今のようなホテル街になってしまったことなどを知り、昔の円山町を知っていいただきたくてご紹介しました。
幸い三善英史さんの曲を皆さん懐かしんでくれたようで
2011/10/11(火) 午後 1:54
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むにゅさん
用?がないとなかなか歩くところじゃないですよね〜(笑)
この日も、ラブホ街のどん詰まりにある千代田稲荷神社の例大祭でしたが、スピーカーから笛太鼓が流れるだけの寂しい光景でした。
2011/10/13(木) 午後 8:11
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ささださん
渋谷の町中に今にも崩れそうな廃屋があるのには驚きました。
なぜ取り壊さないのか不思議ですね。
ここが昔は情緒のある花街だったとはとても思えない光景でした。
2011/10/13(木) 午後 8:13
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ZEROさん
今は芸者遊びをするのはごく限られた人たちでしょうね。
少なくとも僕は一生縁がないでしょう。
そんなお大尽になってみたいものです。
2011/10/13(木) 午後 8:17
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白いカラスさん
この渋谷円山町にもたった2人ですが、現役の芸者さんがいるそうです。
見たところ現役の料亭も数軒残っています。
花街の風情も風前の灯ですね。
2011/10/13(木) 午後 8:24
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あつdesuさん
ぼくもこの町はただのラブホ街だと思ってました。
鶯谷ももとは温泉があったという話だし、今スナック街の新宿ゴールデン街や荒木町ももとは赤線や花街だし、歴史をたどるともともとは色町だったところがすごく多いことに気づきます。
2011/10/13(木) 午後 8:30
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ラフャールさん
そうですね。
東急デパートから道玄坂に抜けるには円山町のラブホ街を通るのが一番早いです。
僕もたまに通りますが、なぜか早足になってしまいます(笑)
2011/10/13(木) 午後 8:34
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kazさん
今でもお金と時間と人脈があれば芸者遊びもできるんでしょうけどねぇ。
悲しいことに僕はどれもなくて、家族で居酒屋に行くくらいが関の山です。トホホ
2011/10/13(木) 午後 8:39
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AROMA様、こんばんは。お久しぶりです。
若者の町として親しまれている渋谷にはこういう雰囲気がかもし出されている町があるのですね。花街の面影が少し残っているのがいい魅力なのでしょうか。確か、占い師の細木数子氏は円山町付近で生まれ育ったとか。
2011/10/13(木) 午後 8:44 [ 今紫 ] <<コメントに返信する