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【社会】

元外務省局長 沖縄密約を証言 「歴史歪曲国民にマイナス」

 「正義感にかられたわけではありません。私のサインしたイニシャルが出てきて『あなたのではないのか』と言われたら否定できない」「(真実を)違った形で歴史に残してはいけない」。吉野文六氏は二〇〇六年二月、横浜市の自宅で、自らが担当した沖縄返還交渉で密約があったことを静かに認めた。

 一九七二年の外務省機密漏えい事件の公判では百八十度違った。無罪を主張する西山太吉さんの前で「覚えていません」「分かりません」とあいまいな証言を繰り返し、密約を否定。三十七年後、密約文書の開示を求めた訴訟の法廷では、米側が保管する密約文書の署名を「私のイニシャルです」と認めた。証言後、歩み寄った西山さんと握手し、肩を抱き合った。

 個人的にうかがった歴史の生き証人としての話も興味深かった。一九四一年、語学研修先のドイツでユダヤ人が排斥される状況を目撃した。「ある日突然、胸にユダヤ人を示す印を着けることを義務づけられ、子どもにも着用させた。『差別だ。けしからん』と思っていたら、ユダヤ人の姿が街から消えた」

 当時の大島浩大使から「ヒトラーから独ソ戦争が始まると聞いた。驚くな」と告げられたことも。四五年五月のベルリン陥落では、タイピストの女性二人を地下室に匿(かくま)い、日本大使館に押し寄せたソ連の兵士に機関銃を突きつけられた。シベリア鉄道を経由し空路で羽田にたどり着くと、東京は新宿付近まで見渡せる一面の焼け野原だったという。

 「過去を忘却したり歴史を歪曲(わいきょく)しようとすると国民のマイナスになることが大きい」。〇九年の証言後の記者会見で吉野氏は語った。情報公開を軽視し、秘密隠しにひた走る政府への痛烈な批判に聞こえた。

 一三年十二月に特定秘密保護法が成立した時、吉野氏のことが浮かんだ。秘密指定の解除は最長六十年だが、政府の判断で永久に秘密にできる。国家の秘密を漏らした公務員の最高刑は懲役十年だ。もし秘密保護法があったら吉野氏は証言できただろうか。亡くなる前に聞いてみたかった。 (社会部長・瀬口晴義)

 

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