「日曜美術館」です。
さて「日曜美術館」は1976年に放送が始まりこの4月40年目の年を迎えます。
それを記念しまして今日は懐かしい映像を特別アンコールとしてお届けします。
1981年といいますと…34年前になりますね。
34年前の「日曜美術館」とても興味深いですね。
今でも岡本太郎先生のアトリエというのは記念館で感じる事はできますけれどもその生きたアトリエでご本人が芸術を語ってらっしゃる姿というのはとても貴重な映像だと思いますね。
まさにこの番組ではですね岡本太郎さんが大きなキャンバスと格闘しているさまそして芸術への思いを自ら語っていらっしゃる姿が記録されています。
「日曜美術館」が残してきた貴重な映像の一つです。
それでは最後までご覧下さい。
壁を覆うレリーフはもとより椅子テーブルライター灰皿そしてコーヒーカップに至るまでこの部屋に置かれたもの全てが岡本太郎自身の作品である。
今年の夏山梨県立美術館で大規模な個展が開かれる。
今岡本太郎が描き始めた絵はその出品作の一つである。
明治44年岡本太郎は東京・青山に生まれた。
父・一平は漫画家母・かの子は作家。
強烈な個性を持った芸術家二人の間で太郎は奔放な自然児として育ったのである。
昭和4年東京美術学校を半年で中退パリに渡る。
そこでピカソの作品に触れ感動した彼は抽象芸術の道を進み「アプストラクシオン・クレアシオン協会」に参加する。
アルプカンディンスキーモンドリアンなど世界的な抽象芸術家たちの中でただ一人の日本人である21歳の岡本太郎は最も若いメンバーであった。
1937年昭和12年日本近代絵画史上の記念碑的名作「傷ましき腕」はパリで生まれた。
この作品の誕生を彼はこう記している。
「スペインの内乱などをきっかけにようやく外部の世界は変動していった。
人民戦線の結成があり新しい現実への若い情熱がフランスの青春を捉え始めていた。
そのざわめきは私の内部にも異様なリズムとして響き返るのだった。
私は青春のリリシズムと甘美な苦悩をひるがえるリボンの形でひらめかせた。
造形的には抽象的感動だがそれはあくまでもリボンである。
具体的なものなのだ」。
「絵空事ではないせっぱ詰まった表現。
無限に浮遊していたリボンが突然結ばれた。
そして傷ついた時が現実に耐えて拳を握り締めたのだ。
これは純粋抽象との決別であった」。
(金井美恵子)岡本さんの事を考えるといつも子供がそのまま大人になっちゃって子供の単純さというのがそのまま残っててそれを…。
僕だから年が変わらないような気がするね。
僕が13歳の時に描いた絵を偶然戦後見つけたらねその時はピカソって名前を誰も知らなかったですよね。
大正末期だったですからね。
それでモダンアートなんて全然知られてなかったと思う。
その時に僕が描いた絵が今の僕の絵とおんなじなんです。
ああなるほどね。
その間にセザンヌとかピカソとかいろんなね抽象芸術運動に入ったりそれからアンドレ・ブルトンと一緒に展覧会に協力した事もある。
そのくらいの事をまだ世界中に認められなかった時代にモダンアートをやったくせにそれよりかまたずっと前にたった一人で図画のようなふうにして絵を描いてあってねそれが今の絵とそっくりなんだから人にいろんな影響を受けても受ければ受けるほど自分に戻ってくるって感じね。
で一番必要な事は人間の根源に返る事だっていう気持ちもあったわけだ。
だから私は原始時代のね始原と言ってもいいな人間の始原に戻るという意味で僕はその…人の目を気にしたりただのリアリズムであって写真で写したような絵を描いたり美女を描いたりそっちじゃなくて人間とかそんなもの超えた人間像とかそういったものをね描くようになったわけですよ。
だから…いわゆる一見下手な絵だという事をむしろ目的にするがいい。
でも下手じゃないですけどね。
だから下手に見えるような絵ね。
絵を描いて。
その方が本当の根源的な人間の感動をね突き止める事ができる。
え〜と…。
テーマなんて事を気にしないでねまずその時の情熱その瞬間瞬間に沸き起こる情熱というのがテーマであるしいわゆる俗に言うテーマではないけどそのきっかけだしね。
それから絵を描いていてね逆に「なんだこんな絵はこんなの絵か!」というような自分自身がそう思うような絵を描きたくなるな。
「絵でございます」というようなもんね…とてもつまらない。
計算ずくの絵を描いちゃ駄目ね。
だけども衝動の中におのずと計算が入ってるかもしれない。
計算が前提じゃなくて衝動の裏に計算がそういうふうに協力してくれてるって事はありえるな。
計算が前提になって絵を描く喜びっていうようなものはあとからくっついてくるんじゃなくて無条件に表現するその後ろにちゃんと計算が協力して後ろからついてきてくれるという事があるしそれが本当じゃないかと僕は思うね。
特に僕の仕事のしかたはそう。
そうだと思ってる。
「形でない形色でない色を創造しろ」っていう文章になった。
なんだか禅問答みたいですね。
だからみんなつまり抽象芸術っていうのはね形と色ですよ。
だけどそういう形を意識したり色を意識したんじゃない作品を作るべきだと。
絵とか彫刻である以上形でない形色でない色といっても具体的に実際には色であり形でありというものを持ってるわけでしょ?そうじゃないんですよ。
僕の絵は色でもなきゃ形でもないですよ。
色…色を超えた色であり形を超えた形ですよ。
あまあ…そうですか。
でもまあいろいろ派手な色なんか使ってあって色がある事はあるし…。
だけどああいうのを色と思わないんですみんなねはじめ。
赤だとかね真っ赤だとか真っ黄色とかっていうのは。
で批判されたんですよ。
その時はね「わびさび渋み」というのが日本のインテリの基準で。
ふふっクスッ。
くすんだような色ばっかりだった。
それを僕は真っ赤真っ黄色真っ青ってやったら「あれは色音痴だ」っていううわさが出たぐらいです。
何言ってんだと思ってね。
だから私は嫌われるって事好かれないって事嫌われるって事を前提にして原色をボンボンぶつけたの。
嫌われるって事を前提に。
そうそう。
こんなつまらない基準であれしてるところでね好かれる必要はないんだと。
でもお好きな事も確かなわけでしょ?原色が自分の中で…。
原色は好きですよ私は。
子供の時から赤も紫も好きだったけども。
くすんだような尻込みしたような色っていうんでないバーンとぶつかってくるような色を形を出したいと思った。
なんだこれはというものをなんでこんな色を使うのかなんでこんな形を描いたのかという事を意味してるわけ。
昭和20年第二次世界大戦終結。
5年にわたる不毛の軍隊生活から帰った岡本太郎の活躍の時が訪れた。
敗戦にもかかわらず画壇の権威は依然として揺るがない。
若き前衛・岡本太郎はその権威を覆すべく闘いを挑んだのである。
花田清輝埴谷雄高野間宏らがその同志であった。
昭和29年現代芸術の入門書として「今日の芸術」を発表。
伝統的な美意識を打ち破る芸術観を明快に主張した。
いわく「芸術はうまくあってはならない。
美しくあってはならない。
ここちよくあってはならない」。
この主張は新しい芸術を模索する若い画家たちに決定的な影響を与えた。
46歳でスキーに挑戦。
がむしゃらな滑りっぷりは今も変わらない。
これもいいな。
これ。
うん。
みんないいからねえこん中から選ぶってとってもあれだけども。
これもそれも悪くないですよね。
う〜ん…。
これも面白いね。
うんうん…。
みんな面白いねえ。
どれって…。
やっぱり3つ4つ5つ6つぐらいの子供の絵が一番すばらしい。
だんだんねこのくらいになると人の目を意識するようになるとねだんだん絵がつまんなくなる。
平気でパーッと自分を外に突き出す感じのが一番いいよ。
これもいいし。
これもこれもいいな。
(打つ音)職業なんてないんだと人間だと。
人間だって誰も人間だからしょうがないから芸術だと。
「家」なんてもんじゃない芸術だと。
だから何もセクションの中に入ってる事が芸術じゃないんですよ。
全人間的に生きる事が芸術なの。
絵を描くだけとか彫刻をやるだけとか政治をやるだけとかそういう社会分業の中から飛び出しちゃって全人間的に生きるって事が本当の人間的あり方だと思うんだね。
岡本太郎はいわゆる玄人の芸を嫌う。
職人的な専門家であるよりは常に専門家以上の決意を持った猛烈なシロウトであろうとする。
絵描きの絵彫刻家の彫刻書家の書ってのは僕は好きじゃない。
そんなもん抜けてしまったね「なんだこれは」って思うようなものをいいと思うし音楽だって決まりきった声を上げて決まりきったジェスチャーで歌を歌ったりなんかしてるの見るとどうも納得できないんで。
なんだこれはこれが音楽かこれが書かこれが絵かこんなのが彫刻かって思うようなものを作る事がそれが僕は芸術の道だと思う。
毎日6時半起床。
寝るまでほとんど休息は取らない。
ひとしきり絵を描くと次は彫刻に取りかかり今度は原稿を執筆。
そして再びキャンバスに向かう。
岡本太郎は書斎と3つのアトリエを一日中駆け回るのである。
はぁ…。
万博で…まあ一番面白かったのはね造形作家が出してる作品の中で面白かったのは岡本さんだったって事はありましたね。
万博ってものがそもそもそういうものなんだけど非常に肯定的な進歩主義みたいな形になっちゃっててね批判の精神というのがないような。
芸術家の一番こう…企業とかお金持ちと結び付いちゃう嫌らしさみたいなものが非常に感じられてね。
その中で岡本さんのがこう…。
好き嫌いってのがありますからね私はあの「太陽の塔」って好きとはとても言えないものなんですけれども非常にその逆説的な感じで面白かったですね。
反万博的な感じがしましたね。
好かれないように作ってるから逆説的に感じられるんだけど全く逆説…逆説的って言葉は嫌いだけどもつまり私はプロデューサーのテーマの…あれでやってたんですけどねあのテーマに反対なんですよ。
「進歩と調和」。
進歩ちっとも人類は進歩してませんよ。
いろんな事を発明して生産はね工業関係はどんどん発達して生産はね驚くほどの発達をしてるわけですね。
だから人口はどんどんそれに見合って増えてる。
それに見合ってまた生産が拡大される。
それでどんどん人間は本当の生き方をしてないですよね。
会社に勤めていろんな…大会社に勤めろってだけども本当に自分のやりたい事は一つもやらない。
一日中システムの中に組み込まれちゃって本当の生き方してませんよ。
自分の生身で生きてるって事ない。
みんなシステムの中でやってる。
だからそれで実際に芸術の面で見てもね古代のものって実にすばらしい。
現代芸術っていうのはそういう問題があると。
それで私は全く進歩と反対の今から何千年前何万年前の石器時代の人間が作ったんじゃないかと思われるようなものを作った。
それから調和反対。
調和って本当に自分がやりたい事を遠慮しちゃって向こうも少し頭を下げてお互いにごまかし合うのが調和ですよ。
あれを見た時に恐竜の骨か何かが飾ってあるような感じがしました。
嫌われるように作ったの。
そんなのいないですよね。
美術家でもその他いろんな職業でも嫌われる事を前提としてものを作るっていうのはね。
僕は嫌われるようなつもりで作ったんだ。
そんなにでも…。
そしたら好かれちゃった。
でしょ。
それはいいんですよ。
誰でもが好かれようと思ったり誰でもが成功しようと思うってのが現代の一般常識ですよ。
だけど成功しない好かれないって事を前提としてやって好かれるならそれは結構。
最初嫌われるようなものを作りたいって思ってたのが好かれちゃったのはご自分の意図と反するんじゃないですか?反しやしないですよ。
いいんですか?それで。
人に好かれようって事は人の目を気にしてるって事でそういうものみんなぶち壊してるわけ。
とかえって本物が出来る。
それに共鳴する人がいればそれで結構。
そのために作ってるんで。
好かれようが成功しようと誰だってそうじゃないですか。
普通一般社会ではね成功しようとかうまくいこうとか好かれようとか人の目を気にして何でも行動してますよ。
そうじゃなくて僕は逆をやってる。
逆をやってそれがプラスに返ってきたら大いに結構。
「太陽の塔」に対して反対運動が起こったんですけどあまりにも岡本太郎的だと。
国の広場を使い国の金を使ってなんであまりにも岡本太郎的なものを作るのかって。
それはどなり返したわけですよ。
「個性的なものの方が普遍性があるんだ」と。
はあはあなるほど。
それで随分いますいろんな思想家やインテリでね僕の知ってる人が「はじめなんだあれはと思ったけど見てるうちにだんだん良くなってきたねえ」なんてね。
それからインテリだったら特にそうですよね。
欧米であるもんならOKで独自なオリジナリティーを持って全く純粋に芸術的なあれでもって信念でもしやったとしたらば日本人は通じないですよ。
通じない事を前提として随分耐えて長く闘い続けて随分つらかったですよ。
つらかったけどだんだんだんだんそういうものに惹きつけられてる大衆もいるしあまりこだわらないつまんない事にこだわらないインテリでも僕に協力する人が出てきているんでそれでまあ今日まあどうやら生活を貫いてきてますよ。
好かれようと思ってなんかやったらおしまいですね。
どうなんですか岡本さんはご自分の作品に対して。
ご自分の作品が古びるとかそういうふうな不安というのは…。
全然ないですよ。
瞬間瞬間が絶対なんだから。
だからあとの事はどうでもいいっていう気持ちはあるわけね。
そうですね。
もちろんご自分ではそういう気持ちってお持ちにならないだろうってこちらの方でも想像できますけどただ…。
見る方がね…。
やっぱりだって岡本さんって前衛芸術家だったわけでしょアバンギャルドだったわけでしょ。
であるわけですいつでも。
であるわけですよね。
だけどあの…そうですね…。
作品なんかを見ると…。
「かつてのアバンギャルド」っていう感じがどうしてもしちゃうって事はあるんですよね。
いやねあの…。
そうするとアバンギャルドでも何でもなく岡本太郎でいいんじゃないのかと。
そうなんです。
だから俗に言えばアバンギャルドであるけれどもその瞬間瞬間に人間は絶対感で生きていてその絶対感をバーンと外にぶちまける。
それがたまたま絵の具や筆やなんかで表現される事と何にも目的なしに空に向かって全宇宙に向かってワッと叫んでもいいし。
(足音)
(パレットを置く音)
(足音)構想が浮かんでからおよそ半年。
150号の大作は2月26日完成。
岡本太郎満70歳の誕生日であった。
生まれたばかりの作品は「遭遇」と題された。
(クレーンの音)
(クレーンの音)もうちょっともっとこっち。
はい。
はい前。
前進。
はいストップ!逆!下げ。
下げ。
(クレーンの音)はいそうそう。
(クレーンの音)下げる。
下げて。
(キャンバスに描く音)既成の美意識と闘い続ける岡本太郎。
あらゆる分野にありったけの力で挑み続ける岡本太郎。
ある若い画家はその貪欲さに共感を込めてこう言う。
「岡本太郎よ永遠に高貴なダボハゼであれ」。
2015/03/29(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館 特別アンコール「アトリエ訪問・岡本太郎」[字]
日曜美術館放送40年を記念して、1981年に放送した岡本太郎さんのドキュメントを特別アンコール。アトリエでキャンバスと格闘する貴重な映像と芸術への思いを語る。
詳細情報
番組内容
この4月、日曜美術館が放送開始から40年目を迎えることを記念し、懐かしい番組を特別アンコール。1981年に放送した岡本太郎さんのドキュメント。アトリエで大きなキャンバスと格闘する姿、そして芸術への熱い言葉。日曜美術館が記録してきた貴重な映像の中でも、選りすぐりのシーンをお届けします。
出演者
【出演】岡本太郎,小説家・エッセイスト…金井美恵子,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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