東日本大震災から4年。
福島に通い続ける神戸の高校があります。
私立灘高校2年生の佐野海士くんです。
自分ごとで考える。
学校で教わるのは答えのあるような問題ばっかりですけど答えがある問題ばっかりじゃないというか。
でもやっぱり自分はどうなのかというのは常に考えとして持ってないといけないのかなって。
佐野くんが代表を務める灘校東北企画。
3年前から春夏冬の休みごとに生徒有志が東北の被災地を訪れ合宿を続けています。
被災地に来てくれたという事ですね。
被災地の現実に向き合い同世代の若者と語り合い自分たちに何ができるのかを考え続けています。
神戸と福島の高校生の出会いからどんな未来が生まれるのかその可能性に期待しているのが柳澤秀夫解説委員です。
福島出身の柳澤さんが灘高校の生徒に出会ったのは今年1月の番組でした。
東北合宿をきっかけに20年前に自分たちの学校を襲った阪神・淡路大震災について調べた高校生たちは2つの震災を通じて自分の生き方を見つめ直していました。
自分から一歩踏み出して人の声に近づいて耳を傾けるという事と単に聞こえてきたり誰かに言ってもらえるといったら違うな。
神戸と福島の高校生たち。
今それぞれがしっかりと一歩を踏み出しました。
彼らのこの1年間の交流を通して一体何が見えてきたのかその姿を一緒に見つめてみましょう。
福島から神戸へ神戸から福島へ。
互いに学び合い共に歩もうとする高校生たちの物語です。
神戸市にある私立灘高校。
毎年100名前後の東大合格者を出す進学校です。
自由な校風でも知られクラブ活動も盛んです。
5月。
この日は学校の一大イベント文化祭です。
生徒たちの趣向を凝らした展示ブースが並びます。
東北企画も毎年出展しています。
これまで気仙沼や相馬など宮城と福島の被災地で合宿を行ってきました。
僕今年の春に行きました。
去年は行ってないんですか?はい今年の春が初めてなんですけど。
被災地の現実を「知る」そしてそれを「伝える」のが東北企画の大きな目的です。
いい事してるんやな。
すごいな。
大切にしているのは自分たちの言葉で伝える事。
ただ写真を展示するだけでなく一人一人が来た人に説明します。
しょせんひと事みたいな部分があったと思うしあっちに行って思ったのはそういう感覚が全然違って現在も災害の爪痕というか解決してない問題って山積してるじゃないですか。
間もなく東北企画の講演が始まります。
講演を行います。
是非いらして下さい。
福島県福島高校の高校生3人に講演して頂きます。
1年前の冬休みの合宿で交流が始まった福島高校の団体あいでみです。
福島を高校生の力で盛り上げようと活動を始めおととし12月には自分たちで資金を集め中国を訪れ同世代の学生たちと交流しました。
中国の学生が知ってる事は津波が来たっていう事と原発が爆発したっていう事が大きいです。
そのほかそのあとの事はやっぱ知らないんですよね。
人が原発の地域に帰れなくなってる事とか2011年から2013年の時にもう2年たってるのにまだ帰れないという状況は中国の子は知らなかったです。
もし私たちがつながったあとにその先に復興というのがあればいいなとも思ってて。
例えば中国の学生が福島日本のために何かしてくれるとかそういうのがあればいいなって。
こうやってわざわざ来てくれてほんとありがたいです。
まさか灘校でこんなあいでみのプレゼンができると思ってなかった。
遊びに行くと思ってた。
ありがとう。
ありがとうほんとに。
いえこちらこそ。
同じ高校生なのに自分なんかと比べたらよっぽどすごい積極的に活動されてるという姿に「高校生でもそんな事できるんだ」とか「俺何やってるんだろう」と思って。
やっぱり微力でもやる事が大事なのかなと思ってすごいインスパイアされましたよね。
去年8月。
灘校東北企画11回目の合宿が福島県で行われました。
同じ東北でも津波の被災地へ行く学校が多い中で灘高校は当初から積極的に福島に関わり続けています。
参加者は3年間で延べ200人を超えます。
生徒を引率するのは前川直哉さん。
去年の春まで灘校の教師をしていましたが教育の力で福島の復興を支えたいと福島に移り住み中高生の教育を支援する団体を立ち上げました。
(前川)やっぱり観光旅行普通の旅行ではないという事は常に留意しておいて下さい。
旅行だと君たちはお客さんのような気持ちになってしまいます。
まず向かったのは南相馬市。
福島第一原発から20キロ圏内の避難指示区域に入ります。
(前川)この定食屋さんまでは20キロ圏外。
この定食屋さんを過ぎてそこに釣り具屋さんが見えます。
ここが釣り具屋さんが20キロ圏内です。
今だから20キロ圏の境界線を越えました。
(久米)ここに降りて分かるのは生活の音がない。
案内してくれるのは地元NPOの代表久米静香さんです。
小高区では来年4月に避難指示の解除を目指しています。
しかし震災から4年住民の中には戻る事を諦め新しい生活を始めている人もいます。
避難指示が出されたあの日のままの風景。
答えは一つではない福島の現実です。
灘高校の東北合宿はハードスケジュールです。
毎晩遅くまで前川さんが招いた福島の人の話を聴きます。
福島高校の松村先生に本日お越し頂きました。
松村さんは原発に程近い浪江町で生まれ育ちました。
今も2万1,000人の町民全員が避難生活を続けています。
俺子供の頃から原発遊びに行ってたからね。
何で遊びに行ったかというと冷たい水飲めるから。
冷水がある。
うちの妻は浪江の人間じゃないんで浪江に嫁ぐ時に結構心配してたんだよ。
「原発爆発したらどうするの?」とか言って。
何でそんな話するのかという感じで俺は聞いたけどでもまあ爆発したらそれは駄目だろうと。
それはもうこの辺ちょっと逃げても駄目なんじゃないの福島県駄目なんじゃないのってそんな深刻に考えずに言ってたんだけどそれが何かね現実になりそうな感じでそれがすごいショックだったね。
震災当時相馬高校に勤務していた松村さん。
始業の日。
津波原発事故で傷ついた子供たちにどんな言葉をかければよいのか。
松村さん自身が教師として問われていました。
用意したプリントにはその時生徒たちに語った言葉が書かれていました。
「私たちはこの大震災でハンデを負ったのだろうか。
答えは『NO』だ。
私たちは間違いなく強くなった。
相変わらず私たちの目尻には涙が溜まったままだが私たちのハートは体は絆は比べものにならないくらい強くなった。
福島県人は被害にあっている。
人類が経験した事のない苦しみの状況にある。
しかし世界中から注目されているフクシマ人の生き方は生き様は世界中の人たちに希望を与えるものでなければならない。
勘違いをしてはいけない」。
(松村)ありがとう。
初めて再会してねもう少しねいたわりの言葉をかけてやる事もできたんだけども…。
でも自分の中でそれだけじゃ駄目だなというね。
とにかくもう若い人がねみんなもそうだけどとにかく宝だというのは心の底から思ったのね。
ほんとに子供らが入ってきた時にね。
それを本当に本当の宝にしなきゃなんねえなって思ったし。
松村さんが生徒たちに語りかけた言葉。
それはまさに20年前高校生だった前川さんが聞いた言葉でした。
灘校がある東灘区は神戸で最も多くの人が亡くなった地域です。
体育館には次々に遺体が運び込まれ学校は避難所になりました。
「大学受験どころではない」と思っていた前川さんに先生はこう言いました。
「でもな前川こういう時だから君たちは勉強するんやで」。
一瞬「えっ」と思って。
「ものは形のあるものというのは崩れてしまう。
震災とかあると町も壊れてしまう。
けども君たちが学んだ事とか人が人に伝えた事先生が生徒に大人が子供に人が人に伝えた事学んだ事というのはそれは壊れないんだよ」。
…という事を言って頂いてかっこいいなと思ったんですね。
この言葉がきっかけで教師の道に進んだ前川さんは母校灘校に赴任します。
そして東日本大震災が起きました。
前川さんは生徒と共に被災地に通い続けました。
震災の現実に向き合いそこに生きる人々の声に耳を傾ける事が子供たちの力になると確信していたからです。
どういうふうにすれば自分の目の前にいる生徒が幸せになるのかなというのはやっぱりずっと考えるわけですよね。
目の前にいる子供たちが力をつけて自分もこういう大人になりたいなって東北来てねいろんなかっこいい大人見てこういう大人になりたいなと思って。
それは別にこの先災害があろうがなかろうが何らかの形で多くの人のためにというふうに動いてくれたらそれで社会に人々の間に笑顔とか幸せが増えていくわけですよね。
東北合宿では毎回同世代の若者と語り合う時間を大切にしています。
合宿2日目。
訪れたのは1回目から交流を続けている相馬高校です。
津波の被害を受けた人原発事故で避難を経験した人。
同じ学校の生徒でも震災の影響はさまざまです。
やっぱり一番予定外というか想定外だったのは原子力発電所の爆発が一番やっぱりきましたね。
やっぱりすごい安心してました?あんまり眼中になかったという感じですか?そうですね。
絶対に安全だって言われてきてたので大丈夫だろうと思ってたら…。
こういう事って同じ学校同士でしゃべる事ってあるんですか?たまに。
でも相馬って結構津波があったじゃないですか。
私たちは原発でこっちは津波でどこまで触れていいのか分からないから自分から話しだすという事はしないようにはしてます。
暗く話しちゃうと本当にそのあと誰もしゃべんなくなるような感じになっちゃうんで「私あの時ああだった」「私も。
アハハ」みたいな感じで。
半分笑い話にもして軽く笑わせないと暗くなっちゃうんで。
うちは津波というよりどっちかといえば原発の方が被害あったから。
一回お父さんの職場の人と会津の方行ってそのあと福島でずっと中学校2年間過ごしてて。
地震を経験したっていう経験があんまりないから申し訳ないけど実感があんまり…。
聞くという事でしか分からないからなかなか難しい。
こういう事知ってもらいたいみたいな事とかってあります?やっぱり自分の安全とかも考えてみんな避難するんですけどやっぱりここ地元で残って頑張ってる人がいるという事は知ってもらいたいなってすごい思います。
例えば被災地でつらくても部活動とかでも相馬高校はバレー部も結構県で優勝とかしたり吹奏楽も去年ここは東北大会に行って。
被災地で大変だ大変だって言われてるけどそんな状況でもいろんな事に頑張ってるという事はみんなに知っといてほしいですね。
(歌声)
(拍手)東北の俺ら世代って活気あるよな。
どうにかせなあかんみたいな。
そう。
大変な状況なんやけど明るいみたいな。
(神田)大変やからやと思う。
一回友達できて東北を身近に感じてしまったら東北について考えないという方がしんどいというか。
考える事が自分にとって当たり前になってもうてもう何か死ぬまで関わり続けるんやろうなこいつらとみたいな。
かっけえ。
えそうじゃない?だって友達づきあいしてる時にさ友達づきあいが消える時の事とか考えへんやんか。
高3で終わるなみたいな。
(笑い声)そういう事考えて俺はお前と今しゃべってないし。
東北の人としゃべってたら一生この人と関わり続けるんかなみたいな気分で…。
何でこいつ寝とるの。
代表!いや何かみんないい感じで話してるなって。
聞いてへんのかよ。
眠たくなった。
いいよ寝てて。
気持ちいいなと思って。
最終日。
飯舘村を通って帰ります。
原発事故で6,000人の村民全員が避難生活を送っています。
ふるさとに帰るのか帰らないのか。
原発とどう向き合うのか。
福島の人たちが直面する現実に佐野くんたちは戸惑っていました。
(戸取)何でもそうやけど自分に置き換えたら全然分からんよな。
自分に置き換えたらと思うけど置き換えても実際どうなるか全然分からんもん。
(戸取)勉強の問題みたいに答えがあるわけじゃないからさどれが正解っていうのが分からんし。
自分のした選択が後々間違ってたなって後悔してる事めっちゃあると思うし。
答え合わせはできないから。
そう。
ほんまそれが難しいなって思うな。
合宿の締めくくりに前川さんが生徒たちに送ったメッセージです。
いつでも遊びにおいで。
高校になっても大学になっても大人になっても。
やっぱり好きになってもらえるようにこっちも今度はあそこはおいしい料理があるから大人になったらこんなおいしい酒があるから何よりこんなかっこいい人がここにはいるからって君らには最大限のもてなしするからさ。
夏の合宿から3か月。
自分たちに何ができるのか改めて考えた佐野くんたちは近くにある小学校にお願いして東北の被災地について教える特別授業を行う事にしました。
福島で出会った人たちを思い浮かべながら何をどう伝えるべきか前日の夜まで話し合いました。
その結果たどりついたテーマが「東北に行きたくなる!」。
津波の被害について授業を行った1年生の山下純平くんです。
「東北に行ってほしい」という願いを込めて山下くんは授業の最後をこう結びました。
(山下)一番皆さんに伝えたいなと思うのは…福島については放射能について分かりやすく説明した上で観光名所も紹介し子供たちが東北に行ってみたいと思えるように工夫しました。
自分たちの地域を見つめ直し大切な事を次の世代に伝える。
高校生たちが自分で考え自分で見つけた答えです。
どうですか?皆さんにはどういうふうに神戸の高校生たちの姿が映ったでしょうか。
私には実に頼もしく映りました。
福島の厳しい現実を目の当たりにして真剣に考えている神戸の高校生たち。
福島への旅福島の同じ世代の高校生たちとの交流を通して今自分たちに一体何ができるのか懸命にその答えを探し出そうとしています。
そして震災を語り継ぐという事はどういう事なのかその事を大人たちからしっかりとバトンを託されてそれを次の世代にも今託そうとしている。
その姿は実に私の目には頼もしく映りました。
神戸ルミナリエ。
震災で亡くなった方の鎮魂と復興への願いを込めて震災の年から続けられています。
去年12月19回目のルミナリエが始まった神戸に福島の高校生を迎え交流イベントが行われました。
どう?こっちより全然都会っすね。
というか思いのほか寒いっす。
彼らを待つのは灘校の東北企画そして日本で初めての防災の専門学科舞子高校環境防災科の生徒とその卒業生たちです。
こんにちは。
こんにちは。
よろしくお願いします。
福島県からやって来たのはOECD東北スクールの高校生たち。
東北の復興を担う人材を育てていこうというプロジェクトで被災地の中高生100人が集まり東北の魅力を世界にアピールするイベントを去年8月パリで実施しました。
福島県から来ました佐藤陸です。
高校3年生です。
最近はまってる事は…。
まず自己紹介。
仲良くなるために今好きな事をジェスチャーなどで伝えるゲームです。
山から流れ落ちている水のそばで足と手を交互に動かす運動をする事です。
よろしくお願いします。
誓人って呼んでもらえれば。
最近はみんなが普通の光景の中で急に踊りだしたり歌いだしたりするような事をするのがちょっと好きで。
(拍手)ちょっと誓人さんリスペクトで想像でいきなり踊りだすというのをやってみました。
6,434人の亡くなった方々を思いともされ続けている希望の灯り。
市民の手によって守られてきました。
阪神・淡路大震災で亡くなってしまった方の名前が中に彫られてる。
今回の交流イベントのねらいは震災から20年神戸が育んできたものを共に学び合い絆を深める事です。
(吉岡)そう1年しないうちに始まった。
ルミナリエとか。
ほんとにね。
そうだよね。
1日目の夜は神戸と福島の若者が本音で語り合う事を目指すワークショップです。
この20年の間に神戸が育んできた大切なものが防災教育です。
今から13年前舞子高校環境防災科を立ち上げた諏訪清二さんです。
もともとは英語の先生ですが生徒と一緒に国の内外の被災地で汗を流しながら独自の教育を作り上げてきました。
まず最初にワークショップの目的を具体的に説明します。
災害の遺構記憶を残すか残さないかという話ありましたね。
意見はもう真っ二つに分かれてます。
僕の個人的な意見を言うと残したらいいと思います。
神戸でも残さない残さないっていっぱい潰して10年たったら残したらよかったなと言いだしました。
残したくないと言う人は「見るとつらいから残したくない」と言うんです。
そんならそれを潰したらつらくなくなるのかというとやっぱりつらいんです。
だから何やってもつらいんです。
だから消す残すとつらさが続く無くなるとは別問題なんですね。
だけどなかなかそれは言えないんですけど。
まあいろんな意見があるでしょ。
そのいろんな意見があるという事を今からバッとぶつけてほしいなと思うんですね。
ここで諏訪先生はある図を描きました。
横軸には福島の人がしてもらってよかった事逆に嫌だった事。
縦軸には神戸の人がしてよかった事反対にしてはならない事。
それぞれ色分けした紙に書いて貼り付けていきます。
5つのグループに分かれ意見をぶつけ合います。
神戸の高校生がやってはいけないと思ったのは「頑張れ」という言葉を安易にかける事でした。
「俺たち共同体だぜ」みたいなここぞとばかりに言うのも何か押しつけがましい感じがして。
絶対俺が東北の人やったら腹立つやろうなというふうに。
応援してくれてる気持ちはありがたいとはいえどだって例えば震災から1年と言わずもう3か月もたてば福島と言うと「大丈夫?」とか心配してもらえるけど実際に学校に行けば同じように友達と会えば笑うし一緒に遊ぶし普通の生活に戻りつつあってもまだ…というのが残るのはうれしい反面ちょっと嫌だという気持ちもあると。
東北の子たちって自分たちの事かわいそうって見られるのがあんまり好きじゃないから。
だったら「大変だったね」のひと言があってそのあと普通に好きなバンドの話してもいいと思うし。
なまはんかな気持ちで関わるのはタブーだというのはちょっと皆を硬くしちゃってる要素になってて。
福島の高校生がされて嫌だと書いたのは「遠慮がちに質問される事」でした。
ちょっとこれ聞いたらかわいそうかなって思いながら聞かれるのはすごく嫌かな。
聞きたいけど聞かないでのみ込んだ事とか実際言ってある?何かあるかもしれないです。
う〜ん…確かに遠慮は確かにしちゃったところはあったかもしれないです。
これ聞いたら傷つくんじゃないかなって思ったりとかして。
さすがにツイッターとかで回ってる心ない言葉は遠慮なさすぎて傷つくんですけど全然本気で聞きたいと思ってくれてる事で聞いてくれるならもう全然。
感じ方の違いが明らかになる事で互いにどう関わればよいのかを自分たちで考えてゆきます。
被災地の情報が正しく伝えられていないという福島の高校生からの問いかけに佐野くんのグループでは「伝える」をテーマに議論が盛り上がりました。
顔知ってる人から被災地の現状というのを話聞いて特に被災地に住んでない人が自分の地元でその話をまた他の人にできると思うので。
あとしてもらってよかった事としては実際に被災地に来てくれたという事ですね。
自分たちもやっぱり伝えられるのに限界があるんで実際に来て見て感じた事を持ち帰って定着してるものとは違うんだよという事を伝えてほしい。
(久保)その伝えた先に何を求めてる?伝えた先に何を求めてるかによって伝え方というのはすごい変わってきて。
ただ状況を知ってほしいだけやったら福島こんなんでした宮城こんなんでしたよと言うだけで終わってしまってその先に何を求めてるかによってすごい変わってくるのかなと。
そこがあるとそれを伝えてくれると俺らもすごいやりやすいというのがあるから。
みんなの意見を全体で共有するためグループごとに発表します。
みんな人それぞれ感じ方が全然違うから例えば行って本当に来てくれただけでありがとううれしいって言ってくれる人もいればほんとはそうは思わずに自分の生活の邪魔してほしくないんだけどって思いながらもにこにこしてる人もいるかもしれないし。
支援する側もいろんな人おるし受ける側もいろんな人おるしだからそれが合う者同士かもしれないし合う者と合わない者があたるかもしれないし合わない者同士あたるかもしれないし。
一概にこれしかないんだみたいな言い方はできないという事をさっきの「感じ方が違う」という表現でしてくれたのかなと。
それはとても大事な事やと思いました。
情報の伝え方について話し合った佐野くんのグループです。
正しい知識を自分で足を運んで得たりだとか実際に足を運んできた知り合いから話を聞いて正しい考え方を持ってほしいだとか。
被災地の人と友達になるだとか被災者の人と継続的な関係を持ち続ける事が大事なんじゃないかなというふうに僕たちは結論づけました。
(諏訪)ええと答えの出なかった事なかった?結論出ちゃったけど。
結論出たのはええ事やねんけど。
例えばねここから見て赤と青と黄色と緑が重なってるでしょその辺。
いろいろ議論したと思うんよ。
その議論の結果もうみんな納得したわけ?
(竹山)東北は被災しているんだと思う人もいればまだ被災してるからあんまり近寄れないなってそういう一人一人の考え方が違うというのがあるので情報の流れというのに関してみんなで話してたら結局報道関係による情報って結局何が正しくて何が正しくないんだろうねという事で行き詰まりました。
行き詰まった中で何か意見なかったの?こう理解してみようとか。
行き詰まって行き詰まった?行き詰まって終わっちゃいました。
(諏訪)宿題やから行き詰まっといて。
行き詰まり続ける事が宿題。
行き詰まったからもうええわってほったらかすんじゃなくてとりあえず行き詰まり続けて下さい。
はいありがとうございました。
(拍手)今日の目的は何かというと議論をしてもらって答えが出ない事があったという事さえ分かってもらったらいいのかなと思ってたんです。
だから考え続けて下さい。
戸惑いがある人はその戸惑いを解決するために課題を設定して勉強します。
そうじゃない人はいや〜今回よかったなええ思い出できたええ話聞いたって言って聞いた話の受け売りをするだけです。
どっちになるかは皆さん次第ですので自分でどうするか考えていってほしいなと思います。
じゃあこれから頑張って下さい。
どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(拍手)
(諏訪)机を直す。
答えが出ないという事に関してはすごい共感する部分があってやっぱり僕たちも実際今までいろいろイベントをしてきて目標っていうのはあったんですけどその目標を越えたあとに先に何があるのかやっぱりその一歩先を考えるとまだ自分たちも分からないっていう。
だからこそ今こうやっていろいろ学んでもっと自分たちで追求していってその答えのない先を自分たちでどんどん学んで突き進めていけたらなと思いました。
最終日は震災の時大きな火災に見舞われた長田の街を歩きます。
木造住宅が密集していたこの地区は街の大半が失われ住民たちの手によって10年余りの歳月をかけ新しい街に生まれ変わりました。
街の中心にある公園には震災の記憶を今に伝えるものが残されています。
福島チームのリーダー佐藤陸くん。
街や建物だけでなく人が元気になる復興とは何かを学びたいと神戸にやって来ました。
なりますね。
なるやん。
次に訪れたのは震災後の町づくりによって生まれた公園です。
公園では餅つき大会が行われていました。
中学生からお年寄りまで地域の皆が集まっていました。
お餅つき楽しいよ。
面白いです。
さっきちょっとやらせてもらってたんですけど腰が抜けてもうこんなんです。
いや面白いです。
楽しい。
ありがとうございます。
できればお餅も下さい。
福島県相馬高校の卒業生で今は奈良の大学に通う鈴木ひかるさんです。
中学生の時原発事故で九州に避難しましたがふるさとで暮らしたいと高校は南相馬に帰ってきました。
今は大学で学ぶ事に専念しいつかふるさとの復興の力になりたいと今回のイベントに参加しました。
ばね…。
うん。
バスで神戸を離れる福島の高校生たち実にいい笑顔でした。
実は私も福島の生まれ育ちです。
ですから福島の高校生たちが今何に戸惑いどうしようとしてるのか私なりに理解してるつもりです。
そんな彼らが神戸の高校生たちと本音で率直にその思いをぶつけ合っている姿これは我々大人たちも本当に見習うべきではないかとそれぐらいに思いました。
とかく神戸では震災から20年たって震災の記憶の風化という事が語られると聞いています。
しかし今回神戸を訪れた福島の高校生たちが神戸で目の当たりにしてる現実。
それを一体自分たちの中にどう取り込みそしてこれからどうすればいいのか。
ひょっとしたら答えはないかもしれないけれども一生懸命それを考えようとしている姿。
その姿には決して震災の風化そんな事はない。
まだまだ彼らのこれからの行動に私たち大人も期待を持っていい。
そんな印象を強くしました。
1月16日。
神戸・東遊園地では追悼の集いの準備が進められていました。
東北合宿をきっかけに自分たちの地域にも目が向くようになった灘校の生徒たち。
学校の近くの駅で地元東灘区を襲った災害のパネル展を行う事にしました。
駅との交渉も自分たちで行い実現させました。
阪神・淡路大震災から20年を迎えた1月17日です。
追悼の集いが行われる東遊園地に東北企画の佐野くんと神田くんの姿がありました。
お互いに…。
「行くやろ?」みたいな。
彼は去年も行ってたからもちろん行くみたいな感じで。
去年は僕誘ったんですけど振られちゃって一人寂しくいたんですけど。
今年は結構ちゃんと行きたいなというか。
(時報)「黙とう」。
佐野くんはこの1年自分が生まれる前に起きた阪神・淡路大震災についても考え続けてきました。
20年前無惨に崩れ落ちた高速道路に「安全神話が崩壊した」と言われました。
一方で被災地に全国から若者が支援に駆けつけ「ボランティア元年」という言葉も生まれました。
人も社会もこれまでの在り方を見直すきっかけとなったのです。
震災20年に向けて神戸では半年前から災害NGOが中心となって市民フォーラムを準備してきました。
震災を知らない若い世代も一緒に語り合いこれからの社会の在り方を考えようというものです。
高校生の佐野くんもスタッフとして参加してきました。
多くの人はそんな難しい事言ってきたから分からんかったんやという事かもしれへんな。
阪神・淡路大震災から20年。
ひと言インタビューを行っております。
よろしければご協力下さい。
佐野くんはこれまで阪神大震災の事は学校で習った知識しかありませんでした。
そこで体験した人に直接話を聞きたいとインタビュー企画を自ら提案したのです。
じゃあいいですか?ありがとうございます。
長く引き留めてしまって…。
どうもありがとう。
自分が阪神・淡路大震災についてどういうアプローチをしてもいいのか分からないのでとりあえずまず知ろうと思って。
阪神・淡路をどう生かすかというところをもっと突き詰めていければいいなというふうに。
1月末。
佐野くんが取り組んできた震災20年の市民フォーラムが開かれました。
防災活動や被災地支援に関わっている高校生や大学生など50人の若い世代が集まり意見を出し合います。
福島出身の鈴木ひかるさんも参加しました。
大きな災害というのは世の中が大きく変化する時なんです。
阪神・淡路大震災で最も大きな教訓は経済優先じゃなくて安全が優先なんだという事。
私自身原発の事故があって初めて原発の是非についてとかもいきなり目の前に現れてそこでじゃあどうしたらいいのみたいなそういう感覚がすごく私たちの世代にはまん延してるって思うんですよ。
みんな口にしないなかなか口にする場もないししても無駄だというような気持ちが広がっちゃってて。
20年たった今どういう事を伝えたいですかみたいな事をインタビューしたんですけど案外そこで多かったのは「ライフラインが止まって困った。
だから文明に頼りすぎないもうちょっと自然と調和したような生き方を目指したいって発災直後思ったけど結局20年たってそれ実践できなかったです」みたいな事をおっしゃる方がすごく僕が聞いた人は多くて。
世代を超えた議論を受けて一人一人が大切だと思うキーワードを書きます。
キーワードは神戸の高校の美術部が描いた大きな木の絵に貼っていきます。
これをもとに更に議論を深め宣言文とアクションプランを作り上げていきます。
その成果は3月仙台で開かれる市民防災世界会議で若い世代を代表して佐野くんが発表する事になりました。
防災世界会議に出席する前の日佐野くんはまず福島に向かいました。
初めて訪れてから1年余り。
春からは高校3年生。
受験勉強も本格化するためしばらく東北に来る事もできなくなります。
夏の合宿で「フクシマ人が世界に希望を与える」と話してくれた松村先生のふるさと浪江町です。
津波と原発事故で何も無くなった海沿いの地区で佐野くんは巨大な建物を見つけました。
浪江でこんなに大きい鉄骨を見るとは思わなかったです。
復興に向けて町内のがれきを処理するための施設の建設が始まっていたのです。
(佐野)一般の人があんまり立ち入らないような地域でこういう作業に従事されてる人ってすごい立派というかご苦労さまと言いたい感じがしますよね。
1年いろいろいろんな所に行って勉強したりとか震災について考えたり発表したりする場というのをもってきたんですけどやっぱり結構一生懸命やってたんですけど別にその事によって何か例えば浪江の復興が進んだかというと別にそういうわけじゃないじゃないですか。
何か自分の無力さというか。
別にそんなでかい事をする必要はないと思うんですけど。
答えを出せないっていう答えを出すんじゃなくて答えを出せないっていう状態で考え続けたいというか。
思考を停止させてしまうのはよくないのかなというのは結構思いますよね。
仙台で国連防災世界会議が開幕しました。
この国際会議に関連してさまざまな会議やイベントが開かれました。
神戸で共に学んだ福島の佐藤陸くんです。
卒業後は日本を飛び出しアメリカの大学に進学します。
一見難しそうな事に見えても中高生が一歩踏み出す行動してみる。
その事に大人の人はたくさんの元気をもらいそして巻き込まれたい応援してあげたいそういう思いになるようです。
次はあなたたちの番です。
私たちは見つけました。
だからこそ今日帰る前に「あれ?自分って何の役割を果たせばいいのかな」。
ちょっともやもやするかもしれませんね。
でもちょっとハテナを頭に思い浮かべながら出てもらえるとうれしいです。
そんな気付きのきっかけに僕の話がなったら光栄です。
同じ頃市民が主体となって行う防災世界会議の会場に佐野くんの姿がありました。
神戸のフォーラムで出来上がったアクションプランを自分の言葉で発表します。
「いのちを大切にしよう」から始まる10のメッセージ。
最後は「いまを大切に生きる」。
これは佐野くん自身の決意でもあります。
(佐野)僕たちは過去から受け継ぐという後輩としての立場と自分たちが次の世代の人たちのために今を頑張るというか未来のために今を頑張るという先輩としての責任どっちもの立場を若者だとかベテランだとかにかかわらずそういう意識を持つという事が大事なんじゃないかなというふうに。
覚悟だったり責任を持つ事が大事なのかなと思います。
ありがとうございます。
(拍手)陸くんどうだったですか?疲れた。
まあ及第点ぐらい。
結構甘くない?及第点って。
甘々。
激甘。
一番最初踊り狂ってたよな最初。
最初まじでこいつやべえやつ来ちゃったと思った。
俺もやって後悔した。
さあ皆さんの目にはこの神戸の高校生と福島の高校生の1年間の交流どういうふうに映ったでしょうか。
「答えを出せそうで出せない」神戸の佐野くんのこの言葉確かに戸惑いが感じられます。
そして仙台の国際会議で今すべき事今を大切に生きるそして世代を超えたそれが覚悟であり責任であるというふうに言い切っていました。
なかなか震災に向き合う若者たちにとってこれからどう自分たちの未来を切り開いていけばいいのか答えは確かに見いだせないのかもしれません。
しかしこの高校生たちの1年間の歩みを通して私の目には新しい一歩更なる一歩を確かに踏み出している。
私の目には若者たちの姿がそのように映りました。
あ〜っはるだな〜!2015/03/29(日) 16:00〜17:00
NHKEテレ1大阪
シンサイミライ学校「いま僕たちにできること〜神戸と福島をつなぐ高校生たち〜」[字]
神戸市にある私立灘高校では3年前、生徒有志による「東北企画」を立ち上げ、福島に通い続けている。被災地の未来のために何が出来るのか考え続ける高校生の姿を見つめる。
詳細情報
番組内容
神戸市にある私立灘高校では3年前から生徒有志による「東北企画」を立ち上げ、東日本大震災の被災地、中でも福島に通い続けている。力を入れているのが同世代との交流。神戸に福島の高校生を招き、ワークショップや町歩きを行うなど本音で語り合い、互いに学び合うことで絆を深めている。被災地の未来のために何が出来るのかを考え続けた灘高校「東北企画」の1年間の取り組みを見つめる。
出演者
【語り】杉浦圭子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:1458(0x05B2)