“遅咲き”の逸材、高木勇 恩師2人が語るメンタルの成長
◆巨人11―3DeNA(29日・東京ドーム)
プロ初勝利を挙げたルーキーの高木勇は三重・海星高時代の07年、プロ志望届を出したが、指名されなかった。社会人の三菱重工名古屋には7年も在籍し、プロ入りを待っていた。巨人の開幕ローテに入れるほどの逸材がなぜ“遅咲き”だったのか。2人の恩人、社会人時代の監督・佐伯功氏(39)、見いだした巨人・藤本茂喜スカウト(50)の証言から探った。(取材・山崎 智、中村 晃大)
後に恩人となる2人が高木勇を初めて見たのは、くしくも同じ、高校2年の時だった。両者とも、第一印象は体の線が細く、プロに入れるような存在ではなかったと口をそろえる。佐伯監督は「3年の夏も見ましたが、直球は140キロ前後。球質も軽い。(印象は)子供でした」と証言する。
そのため、入社後は食事の量を変えさせた。今では佐伯監督が「あのケツはすごい。なりたくてなれるものではない。(新人研修で)野球殿堂博物館を見学したときは、スーツのお尻のところが破けたらしいですよ」と話すほど。体が大きくなり、次第に球質も重くなった。球速も上がった。しかし、肝心の投球術は上達しなかった。
「プロに行きたいという気持ちが強い子。それが過剰になりすぎていた」(佐伯監督)。ピッチングは自滅する試合ばかり。社会人野球を2、3年やっていても、成長の足跡は見られなかった。
同世代の選手が徐々にプロ入りしていく。高木勇も“プロ適齢期”を超え始めた。ドラフト解禁となる社会人3年目から毎年、巨人の獲得候補リストには挙がるが、指名には至らなかった。藤本スカウトは言う。「投球がストレート一辺倒で、ボール、ボールとなって、甘く行って打たれることが多かった」。それでは、プロでの活躍は見込めない。一昨年の社会人6年目にはついに「リストから外した」ほどだった。
プロをあきらめかけた頃、右腕の精神面に変化が見られた。それまで俺が、俺が―の姿勢が目立っていた男が、チームの勝利を第一に考えるようになった。「最後の1年はチームが勝つために投げていた。今まではどこか自分本位のところがあった」と佐伯監督。会社のために。そして応援してくれる人のために。勝つための投球に徹した。
その変化を藤本スカウトは見逃さなかった。「変化球でストライクが取れ、組み立てが良くなった。カットだけじゃなく、カーブ、フォーク、シュート。どの球でも打者を打ち取れる」。欲しい。巨人に必要な逸材だ。すぐに上司の山下スカウト部長へ電話を入れた。「見てもらいたい選手がいます」。高木勇にとって、プロ入りへのラストチャンスが到来した。
ドラフト直前の9月だった。大阪ガスとのオープン戦。藤本スカウトは山下スカウト部長とともに、ネット裏へ陣取った。もうかつての高木勇ではない。スカウトが熱視線を注ぐ中でも、自然体を貫いて右腕を振る姿があった。救援の3イニングで打者9人を相手に6奪三振。文句なしの内容だ。
藤本スカウトは振り返る。「ここでダメだったら、指名はなかったかもしれない。まさに一世一代の投球。今まで見た中で、一番良かった」。巨人の評価は定まった。3位指名で入団は決まった。
ポテンシャルは元来、高かった。だが自分本位の投球が、プロへの道を閉ざしていた。チームの勝利を最優先するようになったメンタル面の成長こそが、「巨人・高木勇人」を誕生させた。まず1勝。遅咲きの男はこれからも、多くの白星をもたらしてくれるだろう。