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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2010年8月16日

ガラパゴスに咲くあだ花:英文解釈

英文解釈が大事だよなどと聞かされると、それが英文の文法構造を解明して読み解くことである以上、英語の仕組みを理解し、使えるようになる上できわめて大事なことのようにも思えます。事実、そう強調する英語教育の専門家がおおぜいいます。

しかし、こういう人たちが言うとおり、英文解釈をやると英語の仕組みがわかるようになり、英語で書いたり、話したりするための基礎能力がつくというなら、「Aだけでなく、Bでもある」といった凝った作りの英文を読み解く力を鍛えた受験生たちは大学入学の時点で誰しも英語を話すための基礎力がついているはずです。しかし、そんな話は聞きません。また、書き言葉の作りさえわかれば、あとは応用で自分から書いたり話せたりするという理屈が通るなら、漢文を勉強した人はみな中国語の基礎力がついているはずですが、これまたそういう事実はありません。英文解釈が「あだ花」すなわち咲いても実を結ばない花であることの証拠です。

そもそも、英文解釈で取りざたされる「構文」なるものは、"not only X but also Y"というパターンが来たら、「Xだけでなく、Yもまた」で処理すべしという、訳す上でのコツのたぐいでしかありません。この点、伊藤和夫という受験英語の神様と呼ばれた方は『予備校の英語』という本でこういったノウハウは「公式」なんだと明言されています。いわく「英米人にとっては本来は熟語ですらないものを、日本人の理解しにくいという理由、極端な言い方をすれば、自分が訳語を見つけるのに苦労したというだけの理由で「公式」として取り上げていることが多い」のです。なんのことはない、ひとことで言えば、translation skills ということにほかなりません。

そもそも伊藤先生に言わせれば、英文解釈という名の下に取り扱われる表現が「英語の次元で多数の表現の基礎または母胎になっているということではない」のです。そうとすれば、英語学習の基本は英文法と英文解釈だと強調している向きはまるで見当違いのことを言っていることになります。

いずれにしろ、上の伊藤先生と同じスタンスで、「英語青年」という専門誌の編集長を長く務めたことでも知られる外山滋比古先生は、『現代の英語教育』という論文集に収められている「英文解釈法」という論考の中で、「英文解釈法は珍しく国産である。それに似たものすら英米になかった」と、ずばり痛いところを突いています。英語はひとごとのように研究するものでなく、英語は自分から使えてなんぼであり、したがって英語教育の目的はどうすれば使えるようになるかを追求することだとする世界的トレンドに抗しての「国産品」なのです。

要するに英文解釈の世界というのは、英文を「英語はどういう仕組みを持ち、どういうふうに使われているのか」という問題意識に立って英文の操作法を勉強するというのではなく、日本語としてどう解すべきかという視点から英文を日本語に合わせて組み換えているわけで、その結果、勉強の対象は meaningful Englishではなく、meaningful Japanese になってしまっています。その意味では、英文解釈の授業は英語の授業ではなく、日本語の授業と言うべきものです。ですから、英語力ではなく、国語力で英文解釈を切り抜けるといった芸当が成り立ちもします。

思うに、こうしたわが国独特の英文解釈というのは、英語を通じて西洋のものの見方、考え方に触れることができればいいという姿勢にその由来を求めることができそうです。換言すれば、英語を学んで、英語を通じて日本人のものの見方、考え方を伝えられるようになりたいという視点がないわけですから、英語を日本語に解した場合にどう解するのが通りがいいのかばかりを取り上げる結果となるのは当然の帰結です。端的に言えば、英文解釈を一生懸命やると英語の仕組みがよくわかると言うよりも、われわれが漢文を日本語流に読み下して中国文化を自己流に吸収してきたのと同じで、単に英文を通りのいい日本語に置き換えて、英語に親しんだような気になれる・・・それが英文解釈だというのがわたしの理解です。

事実、外山先生は上記の論文において、英文解釈の古典的扱いを受けている山崎貞著『新々英文解釈』(an oyster of a manをなつかしむファンの多いことで有名な本です)を引き合いに出して、以下でご紹介するように、英文解釈法が取り上げているものが、not only X but also Y のような、一定の呼応関係がある語句や一定の順序で展開される語句のパターンに焦点を当てているに過ぎないと喝破しています。

学校も生徒も、英文解釈は「構文」を扱っていると信じている。しかし、実際を見ると、『新々英文解釈』が取り上げているものは主として、語句である。[中略]漢文の訓点読みの代用の働きをしているのは、相関語句の部分である。なかでも (35) Leaves are to the plant, what lungs are to the animal. といったものは、文法や辞書でうまく処理できないから、解釈法の独擅場ということになるであろう。



これを読んで、特に「漢文の訓点読みの代用」うんぬんのくだりを読んで、「なーんだ、そうだったのか、やっぱり英文解釈は教養教育のひとつであって、決して英語というひとつのスキルを習得させるための訓練法じゃないんだ」と納得しました。

と言うのも、Miyuki Sasaki という研究者が書かれた The 150-year history of English language assessment in Japanese education というペーパー (Language Testing 2008 25 (1) 63-83) で、戦前は海外渡航も簡単ではないとあって、英語教師たちもコミュニケートするための英語に触れる機会もなかったがために、英語教授ももっぱら日本語で英語の文法構造を教え、かつ、英文を和訳するという方法によっていたと指摘したのち、二つの文献を引用しつつ、日本における英語教育のひとつの柱が中国語の解読を通じての中国文化の吸収と同一のアプローチであったことをこう説明しています。

This "grammar-translation" method had successfully been used for teaching Chinese as a written form ever since the eighth century (Ohshima, 2006). People believed that such a method was useful for "cultivating" the learners minds by forcing them to analyze the differences between Chinese and their mother tongue (Watanabe, 1995). Cultivating students' minds thus became one of the major purposes of teaching English in Japan... このような「文法訳読法」は、漢文を教えるために8世紀以来、用いられてきており、成功を収めているとあって、人々は、こうした手法は、学習者に中国語と母語との違いの分析を強いることで教養をつけさせるということで支持してきたといういきさつがある。こうして学習者に教養をつけるということが日本での英語教育の大きな柱の一つとなるに至る[後略]



教養として漢文が読め、あるいは英語が読めるというのもいいじゃないという考え方もあるでしょう。しかし、こういう教養教育の結果、小難しい書き言葉はわかるのに単純な会話すらままならない、つまりはコミュニケーションに役立たない語学という結果をまねくのです。

ここでこのことをよく表している格好の例をご紹介しましょう。日中国交回復後、各国に駐在している中国大使たちもパーティーに日本の大使たちを招くようになりましたが、戦前の漢文「解読」教育を受けていたわが国外交官が中国大使の公邸にかかっている立派なかけ軸の漢籍をすらすらと読み下し、中国側を驚かせたりするといったことがありました。驚くのも当然で、中国の外交官たちは、簡略体の漢字しか読めず、かけ軸の漢文なぞ読めないのです。

しかし、漢文を読み下すのはいいとして、中国語を中国語として理解しているからではなく、それは飽くまで日本語風に変換し、日本語として理解する技術でしかありません。つまり、中国語の仕組みがどうなっているかを理解したうえで、それに従って、何か中国語でものを言ったり、書いたりする力など最初から度外視している世界です。したがって、格好よく中国語を読み下した人も結局、英語でそれを説明する羽目に陥ります。なんのための教養教育だったのかと考えさせられます。

してみると、英文解釈が英語学習の基本かのように言い、「一生懸命世話すればきれいな花が咲き、ご満足いただけます」と売り歩くのはどうかと思います。ガラパゴス特産のあだ花でしかありませんから、待とうが世話しようが、花など咲くはずがありません。受験英語に必要な限度で触れるのはいたしかたないとして、基本的に、英語を普通に使えるようになりたいという学習者は、あまり深入りしない方が賢明というものでしょう。


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Comments

2週間前のIELTSの結果が返ってきましたが、L6R7W7S6.5のoverall 6.5でした。以前にケンブリッジ英検CPEにC合格していますが、IELTSで7.5以上は駄目でした。Lietsningの空欄に単語を埋める問題は、ケンブリッジ英検でも練習したし、
出来たと思ったのですが、今回のIELTSではlisteningが悲惨でした。また、ケンブリッジ英検ではUse of Englishという点の取りやすいセクションがあった所為もあると思います。

ケンブリッジ英検CPEの成績はこうでしたが、今回のIELTSの成績はCPEのこの評価に値するものなのでしょうか?
・Reading: Borderline
・Writing、English in Use、Speaking : between Good and Borderline
・Listening: between Weak and Borderline

[返信]

Cambridge ESOL は英語全般の力を試すテストで、IELTSはアカデミック英語の世界ですから、両者を比べるのはリンゴとオレンジを比べるようなもので、比較すること自体に無理があると考えます。ただ、リスニングが弱い場合は、英語特有の音の表現のしかたがわかっていないということですから、Clear Speech のような基本書でおさらいをするといいと思います。

私のコメントのご掲載並びに、頂けたコメントこの上なく有り難く思います。
「フィッシングサイトがどうのという警告」 の件に関しましては、私も良く分かりません。
今週サーバー等に尋ねてみますが、問題ないと思います。
問題はイオンド大学の学位ですね。

おっしゃる通り私は、ペンネームとして 「思伝達衛門」 を使っております。
本名はもうご存知の通り、「平野 清」 というものです。

さて、イオンド大学の学位の件ですが、それがニセの大学でありニセの学位を出していたなどということは、事情あってご指摘頂くまでは、はっきりとは認識しておりませんでした。

「はっきりとは」 の意味は次の通りです。

何処からどう調べてきたのか私の出版物や業績を高く評価するという、今から考えると数々の甘言をもって、その勧誘を受けたのですが、もし金銭でその学位を買うという形になるのなら、私の性に全く合わないと言って、はっきりお断りしたのです。
しかし、そうではないとのことなので、当時一応、同大学 (?) のカタログについて質問したり、同大学 (?) ことを調べたりしてその年を越しました。
が、そんな折、長年NHKのテレビ英会話の講師をされていたある有名な大学の先生から頂いた年賀状に、同イオンド大学から名誉博士号を受けたとあったのです。
その先生は同大学 (?) の事務局のある東京あるいは、その周辺にお住まいで、きっとそこをよくお調べになってのことだと思ったのがいけませんでした。
未だ少しいぶかしさは残りましたが、金銭を一切払わなくても良いのなら、そこは真面目なところに違いないと思って同学位を受けることにしたのです。
結局はその実費というものだけは支払う羽目になりましたけど。
今考えますと、その後も同大学 (?) を信じたままで大変うかつでした。

又、ご親切に掲示下さった関連リンク先の 「ウィキペディア」 内 「イオンド大学」 や 「ディグリーミル」 はもちろん、この問題追求の第一人者と言われる児島先生についても勉強させて頂きました。

ありがとうございました。

そしてこの件深く反省し、早速今週中に同学位を同大学 (?) へ返還し、私の経歴から同学位を全て削除し、その使用を中止致します。

ところで、以上の件で、私とのつきあいを 「容赦願いたい」 とおっしゃっていますが、そうおっしゃらずに、是非ともお付き合い頂けませんでしょうか?

この世界では皆無に近い、英語運用や英語教育に関してあるべき姿を求めてやまず、正しいと思うところを信念を持って実践してお行きになる素晴らしい方と出会えたと、とても喜んでいたのですがね。

上のニセ学位の問題も重要です。
しかし今、いや多分明治以来 「英会話」 という言葉が使われだしてからずっと今も、ほとんどの人が気付いていない重大な問題があります。

それは、いわゆる 「英会話」 を金を出して習えば習うほど、よけい本番の英会話が
恐くてできなくなるか、よけいでたらめな英語を話すように成っているという現実です。

これは、1つには、 「英会話」 と称して、それとは正反対の方向の練習をすると言える、
台本を使っての 「英語劇」 とその応用を教えているからだと私は思っています。
それは 「剣術」 と称して 「芝居の殺陣」 とその応用を教え、金をとっているようなものでしょう。 
私はこれは詐欺だと思うのですが、これらにはもう少し説明が必要かも知れません。
(ちなみに、この 「英会話」 と 「英語劇」 の問題は、先生が8月27日に取り上げられた
EFLとESLの問題とも関係していると思います。)

それからもう1つは、「英会話」 と称して、私達が 「ホスト英会話」 呼ぶものを教えているからだと思います。

ところで、これらのたとえの説明は私のブログを見て頂くとして、
EFLとESLの問題、コメントさせて頂きたいと思いますが、よろしいでしょうか?

[返信]

今回のURLは問題なくアクセスできます。

イオンドの件、事情のご説明、ありがとうございます。よくわかりました。

コメントは歓迎します。

私はケンブリッジ英検のCAEとCPEを何れもGrade Cで取りましたが、中学高校の「受験英語」は、
ケンブリッジ英検のEnglish in useとかつてのTOEFL PBT,CBTの文法問題を解くうえでは非常に直接的に
役に立っていると思います。私の場合は中学高校で使っていた教科書がProgress in Englishで、
ケンブリッジ英検でいえば、教科書に出てくるような構文・言い回しを知っていれば、
English in useの言い換え問題に対処するのに役立つ問題がいっぱいあったように思います。
私の実感では中学高校の「受験英語」をしっかりやったからこそ、ケンブリッジ英検CAE,CPEの
English in useでGoodの成績が取れたと思うのですがその点は如何でしょうか?

[返信]

コメントありがとうございます。「受験英語」という言葉は大学受験のための英語という意味で使っていました。誤解させるような書き方、いたりませんで、お詫びします。ちなみに、日本人受験生はだいたいが English in Use はGood 以上だそうです。

あと、せっかく、Grade C まで行ったんですから、B, A を目指して頑張ったらいかがでしょう。TOEICの神様と呼ばれる神崎先生は、上を目指しているうちにものすごく力がついたと講演でおっしゃっていました。

初めてコメントさせて頂きます。
私は大阪を中心に京阪神で英語と英会話の学校や教室を経営している者です。
が、この度 「ビジネス英会話」 のコースをこの秋から開設することになり、盆休み中、参考のためにウェブでそれを検索していましたところ、『ウィキペディア』 を通して、先生がNHKラジオの 「ビジネス英会話」 の講師をなさっていたことを知りました。
そしてその外部リンクよりこのブログに入り、先生のNHKラジオ出演顛末記を非常におもしろく読ませて頂きました。

又、先生の興味深い数々の記事の中、最近のものではこの 「ガラパゴスに咲くあだ花: 英文解釈」 に特に強く感じる所がありましたので、こちらにコメントさせて頂くことにしました。
こちらで先生のおっしゃていること、ご引用の外山先生のおっしゃていること、どれもこれも興味深く同感です。 
特に、先生の 「英文解釈の授業は英語の授業ではなく、日本語の授業と言うべきもの云々」 や、そのご結論に全く同感です。

ところで、私事ながら、先生のご比喩お借りして申し上げますが、私は事情あって、ここ20年余りどうしても 「英語教育をはかなく散らず実を結ぶ花」 としたいと思い続け、あるべきだと信じる姿の 「英語と英会話の教授法や学習法」 を実践研究して参りました。
そしてそれをやっと近年完成に至りました。

そこで、お忙しいとは思いますが、まことに勝手ながらその一部でもお目通し頂け、ご批評頂けないだろうか、と思っている次第です。

それは私達のブログ 『英語英会話に悩む』 の中で 「究極の英会話法」 や 「『本物の英語』 での理解と表現」 や 「逆転合格 『英語受験五輪の書』」 等として掲載しております。
(ただ、「本物の英語」 という表現は誤解を招くかも知れませんので、近く変えたいと思っております。 それは 「本物の英文法」 と 「英語の語句の根本的な (= 本物の) 意味内容」 を併せたものを表しているつもりです。)

先生のブログに突然お邪魔をし、勝手なことをお願いして申し訳ありませんが、このことよろしくお願い致します。

[返信]

コメントありがとうございます。

http://info@hucom-inter.net/

と入力すると、フィッシングサイトがどうのという警告が出ます。どうしたものでしょう。

「達衛門」さん、もしかして、こちらの「思伝 達衛門」さんでしょうか。

http://cplus.if-n.biz/5001407/party/11353?sid=85d9abc77d62a0192279b21b003b356f

そうとすれば「2001年 米イオンド大学より英語学名誉博士号受ける」とあるので、おつきあい、ご容赦願います。あの有名なニセ大学からのニセ学位を看板にかかげるような方は信用できません。

イオンドをご存じないかたはこちらをどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/イオンド大学

http://degreemill.exblog.jp/i3/

先生お元気ですか? 暑いですね。
私も大昔に大學の英文科というところを出ましたので、日本の英語教育に関しては少しだけわかっており、英語を話すこととはかけ離れているのは承知してます。 先生の言うとおり言葉は千本ノックは当然です。 私も昔は高校球児でしたのでよーくわかります。 私も親戚のおばさんがアメリカ人の人と結婚していたので子供の頃から関心がありいつか英語が話せるようになりたいとずっと思ってました。でも常に英語に接していなければ英語を話すのは難しいのは当たり前ですよね。 私は田舎に住んでいるので英語を話すことは殆どありません。 趣味の英語に留まっています。 先生みたいな方がもっとはっきり英語は話してなんぼと世の中に伝えていただきたいのです。 話せてなんぼです。 では。

[返信]

コメントありがとうございます。

英文解釈とか英会話とか単語とか「受験英語産業」独特の用語が存在します。外人?だとかぺらぺら?とかもその類だと思います。
本来は翻訳の基礎みたいなことなのでしょうが、奇妙奇天烈な日本語が英語の教室から聞こえてきたり、参考書に溢れることにはあきれるばかりです。

英語を教える立場にあるものとして、英文の理解のパラメーターとして大学受験の伝統的な要請の産物なのでしょう。または受動語彙を大量に一気呵成に詰め込むには最良の方法でしょうが。

問題はその後です。言語の習得は高度になればなるほど独学が重要視されます。動機と知的興味ですよね。学校をでた後に、その二つがなくなり、せっかく培った英語の知識が情報みたいになくなるのは悲しいことです。

海外で英語を教えているものとしてこのサイトは非常に有益で、日向先生の意見に様々な賛否両論があるのも興味深いです。どれだけ英語を教えておられる方々が読まれているかわかりませんが、英語以外の言語をすこし勉強されたら如何でしょうか。かならず、勉強になるはずです。

故米原万理さんが英語通訳の世界の狭さを痛烈に批判なさっておりました。お隣の韓国ではインド人の先生を大量に雇用するそうです。日本ではいまだににJETプログラムですから。英語話者を上回るノン英語話者が多い時代にまさに時代錯誤も甚だしいです。英語の現場ではいろんな英語が飛び交っています。デスクと
現場の乖離はどこでも同じなのでしょうか。とりとめのない意見で申し訳仕分けありませんでした。多謝陳謝

[返信]

コメントありがとうございます。おっしゃるとおり「日本ではいまだににJETプログラムですから。英語話者を上回るノン英語話者が多い時代にまさに時代錯誤も甚だしいです」という点、気になっています。そのうちJETについても取り上げてみますね。

高校の時に習った「クジラの公式」を思い出しました。

A whale is no more a fish than a horse is.

これこそ、先生のおっしゃられる「英文解釈」の典型ではないでしょうか? この文を見てすぐ、本来の意味を理解できるネイティブ、ノンネィティブは極めて少ないのではないでしょうか? 就職してから、このような文章をほとんど見たことがありません。実際、使用されているのでしょうか? 「苔の生えた英語」のように思えて仕方ありません。

[返信]

こんなものパーティーの雑談のときに出されたら一気に酔いがまわりそうです。それにしても、クジラの公式とういうのも言いえて妙ですね。

英文解釈が漢文訓読の延長にあるというのはその通りだと思います。
脇にそれますが「漢文」について少々コメントさせていただきます。

>中国の外交官たちは、簡略体の漢字しか読めず
外交官になるような知的レベルの中国人で、簡体字しか読めない人はいないと思います。大陸で簡体字が制定されたのは戦後ですので、日中国交正常化のころであれば、なおさらそうでしょう。ただ、いわゆる「漢文」は古典語であり、現代口語とは全く違うので、中国人であってもすらすら読めるわけではありませんが。


>中国語の仕組みがどうなっているかを理解したうえで、それに従って、
>何か中国語でものを言ったり、書いたりする力など最初から度外視している世界です
漢文(古典中国語)は数千年にわたって東アジアのリンガフランカでした。日本国内においても、武士の公式書簡は完全な漢文だったそうですから、コミュニカティブな側面も大いにあったと言えます。高杉晋作が幕末に上海に渡って、現地人と筆談で大いに議論したという話が残っていますので、「書く」ということを全く無視した教育ではなかったはずです。漢詩を詠むことが武士の嗜みともされていたわけですし。
近代でも、夏目漱石の漢詩が中国で高い評価を受けたり、湯川秀樹が幼少の頃漢文を漢文のまま読む教育を受けていたりと、戦前の漢文教育は実践的だと思います。「漢文訓読」は、果てしない漢籍の世界へのほんの入り口に過ぎないと思いますよ。

では、現代の高校で教えている漢文はどうかというと、入り口のさらに入り口レベルと言わざるを得ません。現代中国語の初歩を教えた方がいいのではないかとも思います。とはいえ現代中国語を勉強していますと、「不得不」(せざるをえず)のような表現がでてきて、あぁ高校の漢文で習ったな、と思わずニヤリとする瞬間が多いのも確かです。

[返信]

ためになる中国語談義、ありがとうございます。

ところで「中国の外交官たちは、簡略体の漢字しか読めず
外交官になるような知的レベルの中国人で、簡体字しか読めない人はいないと思います。大陸で簡体字が制定されたのは戦後ですので、日中国交正常化のころであれば、なおさらそうでしょう」とおっしゃる点、ごもっともな感じもしますが、1980年前後の中国の在外公館にいた中国人外交官に限って言えば、相次ぐ粛清も影響しているのか、漢字の素養はひどく低ベルだったと当の日本人外交官から聞かされました。

一般論ですが、「外交官になれるほどの知的レベル」というのはごく少数のケースにしか当てはまりません。国によっては、単に部族の長だというだけで大使に任命されたりもします。ですから、世間で言う、国連外交というのも、やらされる本人たちが泣きたくなるような低レベルの接待外交だったりもします。

漢文と英語教育の類似点、そして一般教養としての英語教育というご指摘には、ほんとうに「なるほどー!」と思いました。そして、以前、出会った某有名私立大学の英語の先生のことを思い出しました。彼女は、何らかの事情でロンドンの学校に留学していたのですが、なんと、授業のノートを全て日本語で取っていたのです。瞬時に訳して日本語で書きとめていたのか、英語をカタカナでそのまま書きとめていたのかは不明です。自分の英語にものすごくプライドを持っていた人なので、私は怖くて聞けませんでした。でも、あきれるとともに、どうしたらそんなことができるのか、と妙に感心してしまいました。

これって、日本語本位の英語教育をどこか象徴していませんか?

[返信]

いやーすごい話なのです。ここまで来ると、向こうが優秀なのか、変なのかすらわからなくなってきます。

おっしゃるとおり、わが国の英語教育は英語本位ではなく、日本語本位であるがために、知らぬ間に換骨奪胎されてしまった趣があります。英語で授業を進めることに反対する向きも、言い分を聞いていると、日本語での理解が先だと、要するに日本語本位なわけですが、本人たちがそのことをわかっていないようにも思えます。

ここでいう英文解釈は文字通り英文の解釈というより精読と呼ばれているものだと理解しました。

 精読や訳読というものは授業形態としては残っていても、現在では入試との結びつきは強くありません。入試で高得点を狙うためには文意をはやくくみとることのほうが重要になっています。

 また精読は文学研究の流れをくむものですから、教養や漢文との関連性はあります。しかし日本の英語受容の源流はエリート教育にあって、少なくとも最初の段階では英語は実学以外の何者でもありませんでした。

 いわゆる学校英語といわれるものは戦後昭和のそれという印象です。それより昔や後の時代は志向としては実学ですね。

[返信]

何をもって英文解釈とするかは人それぞれで、「精読」とするのもそのひとつですが、本文では、伊藤先生や外山先生のような「公式」「熟語に準ずる言葉の組み合わせ」「相関語句」というほどの意味で用いています。要するに世間で考える英文の解釈とは違うのだということを申しあげたかっただけです。

高等教育を受ける人が少なかった以上、「しかし日本の英語受容の源流はエリート教育にあって、少なくとも最初の段階では英語は実学以外の何者でもありませんでした」というのはごもっともです。ただ、条約改正運動のあおりで、ネイティブが教壇に立たなく(立てなく)なった頃から、英語教育、わけても英文解釈が独自の発展を遂げて行くようになったのではないでしょうか。

通訳学校の生徒さんでも、oftenを受験参考書にあるように
”しばしば”とコンテクストにかかわりなく無神経に訳す人が沢山います。
きっと英語学習の過程で染み付いているのですね。
英語を英語で理解をしなければ良い訳は出てきませんが、定型的な訳が受験参考書等で定着しているということは、大学側の採点の都合もあるのでしょうか?

[返信]

大学側の都合というより、受験指導する側がブラックボックスでしかない受験英語をあれこれと研究し、こういう定型を知らないとまずいといった教え方をする結果ではないでしょうか。一方、大学側も高校までの英語とは無関係に、うちに来る学生はこのぐらいの定型は知っておけという姿勢で問題を作成したりするのかも知れません。ただ、自分では入試に関わったことがないので飽くまで推測です。

なお、この先、予備校に入試問題の作成を外注する傾向が強まれば、ますます浮き世離れした英語が世に定着し、often と来たら、「しばしば」と答えるメンタリティーがまかり通るようになるのではないかと懸念されます。

英文解釈=英語を日本語で理解できる能力と錯覚していることが、おそらくガラパゴス英語の悲劇の始まりなのかもしれません。もともと「英文解釈」という熟語そのものが、interpretationに対する直訳語に使われており、原本の英語をまず日本語に変換することが第一の基本であるかのような前提を打ち出しています。そして、日本語に訳せなければ、英語を理解していない、英文を雑に読んでいるなどという不可解な意見が英文法・語法重視派の言語学者や英語教育者から飛び交うという有様です。この論理に従っていくと、「日本語を母国語としない外国人(英語ネイティブを含む)はみんな雑に英文を読み書きし、雑に英語を聞き話している」などという頓珍漢な結論がでてくるでしょう。

欧米をはじめとする海外諸国では、英語を英語のまま理解することを前提として教育を受けてきていますし、日本でもインターナショナルスクールに通っている日本人の子供は、英語を英語で理解するように鍛えられています。アルクのヒアリングマラソンやTOEIC/TOEFLなどの英語教材もしかりです。そして大多数くの英語学習者の英語力向上に大きく貢献していることは、誰も目にも明らかです。

英文解釈派の見解をさらに切り詰めると、最終的には、「どんなに英語が堪能で、洋書がたくさん読め、切れのあるエッセイが書け、Ciceroのように雄弁な英語を話す日本人でも、日本語に訳せなければ英語を理解したことにはならない」という結論に達するのでしょうか?余りにもばかばかしくて、もう笑いが止まらなくなってきそうです。

[返信]

何々から何までおっしゃることに強い共感をおぼえます。ところが、不思議なもので、漏れ聞くところによると、「英文法・語法重視派の言語学者や英語教育者」の方々というのは大変な勢力があり、英文解釈礼讃のシンポジウムを開いたという話もあります。わからないものです。

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