二村ヒトシさんの著書はいつも読んでおりますが、特に『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』は素晴らしかった。
そこまで他人のことを分析メスでずっぱずっぱ切りまくっているのに、自分のことについてはいきなりメスが30センチ定規になっているところがすごい。そしてそれをさらに文末の対談でめっちゃ血まみれ解体されているところがものすごい。
なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂)
- 作者: 二村ヒトシ
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: 文庫
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「女の人は怒ってるから怖い!」「深い関係になると絶対怒られるからその前に逃げるんだ!」「怒らないで!こんなダメな自分でも怒らないマリア地母神でいて!」という欲求を、対談相手にがんがん解体されて、それを二村さんが「女を美化しすぎですかね」と表現したところ、返す刀で「美化じゃなくてバカにしてるんですよ。「女性は人間じゃない」ってことの裏返しの表現。自分を美化してるんですよ。」とバッサリ。
いや、本当この対談はものすごかった。みずからの身体にメスをいれて精神解体ショーを実況中継。全力のフリークスショー。あれ、「指摘」とか、つんつんこーらやめろこのイタズラ猫めっ☆みたいなかわいいもんじゃありません。ばさーずぱーどかーんばきゅーんなメカメガマグロの解体に近い。
でもこの解体ショーがなかったら、読後の「うーーーーん」感が拭いきれず、「とはいってもこいつ自分のこと棚上げしてんじゃねーか」感がどっぺりと付きまとったことでしょう。 まじで読むべし。すごいよ。
自分の精神解体ショーをするということ
さて、今回のテーマは「精神解体ショー」です。メンヘラとか自信がない見下し系男とかスピリチュアル女とかいろいろこれまで書いてきましたが、彼らに共通しているのは「自分とちゃんと向き合ってない」ということ。
で、よく誤解されているのではっきり言っておきたいんですが、「自分と向き合う」ってことはつまり「自分を解体してその内蔵と汚物を見つめる」ことですからね?
もうね、いい加減にしてほしいんですよ。「自分を見つめる」とか「ありのままの自分を受け入れる」とか「レリゴーレリゴー」とか。きらきらワードとかゆるふわワードで「自己肯定」を語る書籍や記事はすべてもれなく焚書しましょう。Webだと焚書できないって?なら誰か「Funsho」というサービスを作って誰か。
「自分と向き合う」=「精神解体ショーをすること」。
ありのままの自分=「ずっと見たくないから目を背け続けてきた汚物」。
まずはこれを頭にねじこみましょう。痛みと吐き気なくして自信など得られると思うな。
臭いものにふたをする、それがエセ「自己肯定」の正体
人間は見たくないものを見ないで生活できます。「自分」なんてその最たるものですね。それは例えていうなら、部屋の奥にある10年間あけていない押し入れです。
そこに生ゴミ承認欲求、食べかけのコンビニ弁当嫉妬、ビールの空き瓶自意識過剰などをぶっこんでいました。たまに激しくにおうので自己啓発消臭剤も何個もぶち込んでいます。押し入れの中でがさごそエサをあさっている音がするので、ゴキブリホイホイと鼠コロリも入れました。それでも音がうるさいときは、ありのままの自分を認めるソングを爆音で聞いて眠りました。
そのあいだも生きている以上、生ゴミはどんどん出るのでどんどんつっこみます。そしてとうとう扉が歪み始めました。隙間からは耐えがたいにおいが漏れ出てきます。変な自意識汁も出てる。
でも、怖くて開けられない。こんな醜いものを人に知られたくない。だから家の外見だけはやたらきれいに飾り立ててみる。
アラサーあたりで生きづらくなっている人たちの精神状態は、だいたいこういう感じです。
で?
この惨状をありのまま認めるの?
自分のすべてを受け入れるの?
無理だろ。
もしこの状態のまま好きになろうとするなら、その方法は「精神ブリーチ&洗脳」以外ありえません。ネズミ講自己啓発とか新興宗教はもれなくこのタイプですね。
「自分のことを好きになりましょう」という自己啓発本をゴミだとののしる人はある意味まっとうな感覚の持ち主で、「そうね!わたしはわたし!」と鼻の穴にファブリーズつっこんで耳栓して五感を遮断しているエセ自己肯定者よりよほど正常です。
でもこういう人ってくそマジメなので「みんな感動できて自己肯定できているのにできていない……自分はやはりダメなんだ……」と落ち込みがちなので、そういう落ち込みは無視し「いや、すっごいにおってね?これ汚物じゃね?」という野生のカンを信じましょう。
衛生班!衛生班!
さて、見ないようにし続けていた腐海、においと音と見た目でいやがおうにも気づいてしまったときにどうするか。選択肢はいくつか考えられます。
引っ越す
家ならそれがいちばん手っ取り早いですが、残念ながら「人間は自分からは絶対に逃れられない」という有史以来の絶対的真実があるので、100%不可能な選択肢に固執する時間は3秒まで。潔く諦めましょう。カモンネクスト!
家の中にいないことにする
飲み会と仕事に逃げて外出しまくり、腐臭と一緒にいる時間を極力減らすパターンですね。メンヘラにあるあるです。ですがやっぱりそのあいだも腐敗と発酵は進み続けています。状況は悪くなるだけの最悪の選択です。ひとりがさみしいエセリア充、「趣味がないの0」というモテ女子はだいたいこれ。広がれっ腐海☆姫ねーさまは来ないよ!
清掃業者を呼ぶ
自分で掃除したくないなら、誰かに頼んじゃえばいいじゃない☆まあ、上よりは合理的な選択肢です。しかし、業者を呼ぶには対価が必要です。スピリチュアルや新興宗教、自己啓発といった清掃業者たちは「なるべく顧客と長期間の関係を維持し、長い間お金をとる」ことを目的としているため、腐臭の根源を排除はしません。彼らがやるのは10の生ゴミを9とか8とかに減らす作業だけ。ちょっとした成果が出ているように見えますが、自分で片付けることができないのでまた業者を呼ぶ、の無限地獄ループ。お金と時間をしぼりとられるだけとられても、問題は解決しません。
ファブリーズをぶっかける
業者を呼ぶのはプライドが許さない!という人は自分で「他人からの賞賛ファブリーズ」「エセ自己肯定ファブリーズ」をぶっかけるでしょう。まあ、30分ぐらいは持つんじゃないでしょうか。でもやっぱりそのあいだに生ゴミはたまるし腐敗も進みます。特にこの手の人は「自分が困っている状態、弱ってる状態を他人に見られたくない」プライドの高い人が多いため、とにかくセルフマインドコントロールへ走って問題をなかったことにしがち。あと、見下し系の人はだいたいこのタイプ。
人を呼んで腐臭をまぎらわす
「ひとりで向き合う腐臭も、ふたりいるならくさくない☆」をモットーにした現実逃避です。人と一緒にいることで腐臭への注意を分散させる方法です。おもにメンヘラや共依存、空虚ヤリチンがここに該当します。
自分を責める
自己肯定感が低い人、自己否定しがちな人は、自分の攻撃に走ります。「皆はきれいな家に住んでるのに、自分はこんなにだらしなくて片付けられなくてくさくてやばい」と徹底的に自分のせいにしてしまう。「家はきれいでなければならない」という強固な理想にしばられているか、「他の家もだいたいくさい」ということを知らないために攻撃が起こります。
集中瞑想してZEN状態に入る
腐臭に気が向いてしまうからいけないんです。だったら腐臭に気を取られなくなるぐらい、なにかに集中しよう!というわけで趣味に激はまりするのがこちら。オタク趣味に人生すべてを突っ込んでる人はメディテーション・モードが強すぎて、ナチュラルに腐臭に気がつかなかったりします。好きなものがあることは素晴らしいけど、たまには外界も見てみてほしいところ。
五感を遮断する
五感があるからくさいと感じるんだ!よし、すべてを遮断して不感症になろう!ある意味、根本的な対策ですが、これをやってしまった人はもはや人間なのでしょうか。人間としてせっかく持ってうまれた感覚を放棄することの恐ろしさは、失ってみてはじめて気づくものです。そもそも五感を失うと、毒ガスが漏れてても気づかない、電車が進路にあっても見えない、銃撃戦の音が聞こえないなど、まじで生命維持を困難にするだけです。究極の逃避ですが、おすすめしません。
まあ見てればわかると思うんですが、みんなびっくりするぐらい「腐臭の元をちゃんと確認する」という超・超・超基本的なことをやってない。怖くて見れないから。
でも、正体を知らないものへの対処法などこの世には存在しません。
もし本当に自分と向き合うなら、「腐臭の根源を見つめる」「解体する」「必要なら除去する」という作業が必要です。
あせるな、解体しろ、ひとつずつ対処するんだ
さて「腐臭の根源を見つめる」とさらっと書きましたが、自分が人生をかけて避けてきた生ゴミと汚物なんだから、そりゃ年期もので莫大で「え、対応むりじゃね?」てなるんですよ。
そこで、第二次世界大戦と3.11を思い出してみましょう。徹底的な惨状、腐臭、死、瓦礫の山。まず人はボーゼンとする。「復興?無理じゃね?」ってなる。でも、「問題ゼロのオールグリーングリーンな状態にな0れ☆」なんて魔法なんて存在しない。
徹底的にボーゼンとしたら、人間はけっこう諦めがつくもんです。もう現実逃避ができないとわかったら、たとえどんなに非力でも自分で動くしかない。この「自分がやるしかないんだ、誰もやってくれないんだ」という諦めこそが覚悟で、覚悟さえできちゃえば人間、どーにか動けるようになる。
目の前に転がってる瓦礫を拾って道をあける。不必要なものは撤去し、使えるものは再利用していく。それを10回、100回、1000回と繰り返していけば、ちょっとずつきれいな場所ができていく。そうやって人類はなんども破壊から立ち直ってきたわけです。
だから諦めろ☆楽な道など一片たりとも存在しない☆10の腐臭源があるなら10回、100の腐臭源があるなら100回、ひとつずつ手を動かすしか道はありません。
精神解体ショーには筋トレ&指差し確認
じゃー解体どうやるんだよって話ですが、これ言い出すとまじ心理学とかカウンセリングとか認知のゆがみとかの話になるんで、ものすごいざっくりした話だけ。
まず必要なのは体力です。精神解体ショーは死ぬほど体力と精神力を消耗するので、疲弊してるときにこれをやると命に関わります。まずは少しでも体力をつけて、太陽を浴びて、ビタミンをとって、運動しましょう。
次に、「自分が見ないようにしてきた汚い感情ってこんななんだ」と知り、思う存分ボーゼンとしましょう。「こんなのわたしじゃない」とか「怖いから逃げる」とかいう白痴モードに入滅したくなる自分ぐっとこらえて、汚い感情と嫉妬と身勝手さとずるさをひとつずつ解体し、指差し確認し、ラベル貼りして「こういう真っ黒いものがあるんだ」と諦めましょう。
汚いものがあるのが人間です。うちら臓器ないと生きていけませんからね。うんこすることを否定してたら生きてけないということを諦めましょう。アイドルじゃないんだから、フローラルうんことか愛されベビーピンクうんこなんて出るわけないです。汚物イズ汚物!でもそれがないと人間じゃない。闇があるから光があるって事実を拒否することをやめましょう。
ラベルを貼り終わったら、仕事の半分以上は終わったよーなもんです。正体が明らかになった問題の解決法を探すだけ。
世の中これだけ人類がいてあらゆる人間が悩みを持っては解決方法を模索して発表しまくっている中、「あなただけの解決方法」なんてスペシャルなものがあるわけない。すべての悩みはだいたい「誰かが経験済み」「誰かは解決して誰かは苦しみ中」です。
自分だけが特別なわけないだろ♡
自分を特別扱いするのはやめて、適切な処置方法を探しましょう。人類、けっこう知見ためてるよ?オーケーオーケーノープロブレム。
自信は能力ではなく「生き延びたプロセス」と自分への信頼
「自信」ってすごく勘違いされやすい概念だと思うのですが、わたしは、自信とは上記のプロセスをある程度までやった人間のみが持つものだと思っています。
「自信」とは、「クソみたいな苦難を乗り越えた自分への信頼」です。
けっして「自分は平均より優れている」「これだけの能力がある」といった「結果」じゃない。生き延びた「プロセス」、「次は転んだとしてももうちょっとうまく転べるし受け身も取れるよね」という自分への信頼です。
だから「失敗したことのない優等生」はもれなく自信がないんですよね。だって「挑戦というプロセス」を避けてるんだもん。(ヾノ・∀・`)ムリムリ
つーわけで、「自分は優れてる」だの「知識がある」だの「人よりモテる」だのと相対評価をしているうちは100%まちがったエセ自信です。まっコンサル男とか見下し系ヤリチンはほとんどこれなんだけどねっ☆☆☆☆☆☆
思考=人生税は永久リボ払い。滞納すればするほど後で死ぬ
自分を認めるって、瓦礫の荒野を歩くようなもので、すさまじい苦行です。だからやりたくないの、すごくわかる。死ぬほどめんどい。
でも、自分の心の荒野は自分でどうにかしない限り、誰も助けてくれないし、これから逃げ続けてると後でどんどん生きづらくなる。
思考=人生税は永久リボ払い。滞納すればするほど後でマジ死にますよ。
なんか周りのアラサー見てるとそこらへんのヤバさをどー見ても低く見積もってる感あるし「どーにかなる」「時が解決する」とか言ってる人もいるけど、思考から逃げたアラフォーは容赦ない現実と加齢にもみくちゃにされてマジマジ大変になるだけだからな。ぶっちゃけあそこまでいっちゃうと、もう対処できないんだよ。見ないふりし続けてきた結果の末期がんみたいなもの。
はい復唱!
「思考は人生税!(人生税!)永久リボ払い(リボ払い!)」
「遅らせれば遅らせるほどツケはたまる!」
「できるだけ早く終わらせろ!ベストは10~20代、MAXリミットは30代!」
おのれの臓腑をのぞく時、臓腑もまたこちらをのぞいているのだ。
醜い自分と向き合うために必要な本
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
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「ガタガタいわずにまずこれ読んで♡」と言わざるをえない、名著中の名著。ナチスの強制収容所にぶちこまれた心理学者が、極限の地獄で人がどう生きるか、どう醜態をさらけだすか、誇りとはなにか、愛とはなにかを書いています。
- 作者: V.E.フランクル,山田邦男,松田美佳
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 1993/12/25
- メディア: 単行本
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『夜と霧』作者が「それでも人生にイエスという」。あれだけの地獄をのぞいた人がそれでも人生を肯定する、その理由が書いてある。
- 作者: H.S.クシュナー,Harold S. Kushner,斎藤武
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/03/14
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「どうして自分だけこんなに苦しいのか?」ということを自問したユダヤ教のラビの記録。「神」という視点が入ってくるので慣れない人もいるかと思いますが「苦しみの意味」について哲学してるので、「神」や「宗教」のことをあまり知らない人にこそ読んでもらいたい。