これらの記事は、元々韓国の雑誌「ハンギョレ21」誌の記者が自ら取材し、韓国・ハンギョレ21誌の決定で掲載したものです.当"風窓"webに翻訳・掲載しているものは2001年12月17日現在では以下の通りです.

2001年9月374号
[報道 その後] 大統領も “ごめんなさい ベトナム”
2001年4月356号
[特集] ‘ごめんなさい ベトナム’ ファッション登場?
2000年12月339号
[特集] ‘ごめんなさい ベトナム’ 世界へ!
2000年6月312号
勲章を捨てた父
99年12月287号
ベトナムの熱い感動!
99年11月282号
兄さんの重荷を減らしてください
韓国とベトナムの読者の手紙 
99年10月278号
報道 その後‘ベトナムの怨みの霊を記憶しなさい’
99年5月256号
ああ, 震撼の韓国軍!

99年12月ハンギョレ21 287号

ベトナムの熱い感動!

過去に掲載され、"風窓"で紹介された関連記事は99年5月256号ああ, 震撼の韓国軍!/99年10月278号報道 その後‘ベトナムの怨みの霊を記憶しなさい’/99年11月282号兄さんの重荷を減らしてください- 韓国とベトナムの読者の手紙 


‘韓国軍 良民(註:民間人)虐殺’謝罪努力, 韓国に対する先入観を払拭する 

(写真/'ク・スジョンとの交流'が終わるころ、ベトナム青年達の花束が渡された) 

“ベトナム僑民(註:在ベトナム韓国人)たちの ‘なぜ’.” 

ホーチミンで事業をしている朴某(38)さんは、到底理解することができない. <ハンギョレ21>が、ことごとに僑民たちの邪魔をしているという被害意識のためだ. さる5月‘シンライタイハン問題’を 提起した時は、それでも耐えるだけのことはあった. 一度くらいは警鐘を鳴らすだけの僑胞社会の現実ではなかっただろうか. ところが、6ケ月も経たないうちに、‘ベトナム戦での韓国軍 良民虐殺’問題がまたさく烈した. しかも、この記事は、ベトナムの有力 言論である<トゥオイジェ>と <日曜トゥオイジェ>が‘受けて’大きく報道し始めた. 一ケ月も経たないうちに、ホーチミンのベトナム人の中でこの問題を知らない人がいない程になってしまったのである. “30年も過ぎた過去のことをいまさらのように暴くのが、果してだれの助けになるのか、鬱陶しい”と、彼は話す. 


そうだ. <ハンギョレ21>が、9月2日附(273号)で報道した‘ベトナム特別ルポ-ベトナムの怨みの霊を記憶しなさい’は、それからベトナム国民皆の関心事になった. ホーチミン国家大学で会ったノッ(21・新聞放送学科 2学年)は、<ハンギョレ21> ルポを紹介した<トゥオイジェ>の記事をコピーして手帳にはさんでもっていた. “初めて報道された時は、二人以上が集まれば‘韓国軍の良民虐殺’の話をしました. 北部地方出身の友人たちは‘初めて聞く’と、そして、実際に良民虐殺があった中部地方出身者たちは‘既に父母から聞いていた話’といって討論が絶えなかったのです.” <日曜トゥオイジェ>が、関連記事を3週連続報道するのはもちろん、日刊紙<トゥオイジェ>も、この問題を扱いながら、その威力は増した. シクロ(自転車の人力車)の運転手たちの間でも, 市場通りでも, 美容室でも‘韓国軍の良民虐殺’が、話題に浮き上がった. 


(写真/ホーチ ミン国家大学 韓国語学科 3,4学年 学生達. 韓国人の良民虐殺の謝罪努力で韓国に対するイメージが良くなり、自分たちもうれしいと話した) 

韓国の青年達, 頭を下げる 

韓国軍の良民虐殺. それは、本当にベトナム僑民らに有害なだけの問題なのだろうか. しかし、記者が会ったベトナム人の中には、僑民たちの考えとは正反対の反応が多かった. “韓国人が、そのように美しい人々とは知らなかった.”“韓国が何故、経済発展を成し遂げたのか、いまわかった.” 何かの間違いではないかと反問するかもしれない. しかし、これが事実だ. 多くのベトナム人は、今、韓国人に穏やかな感動を送っている. 

何故、そうであろうか. ここで一つ‘事実’を明確にしておく必要がある. 今、ホーチミンで話題になっていることは、正確に言うと‘韓国軍の良民虐殺’ではない. ベトナム言論が30年の間ただの一度も注目しなかった、この問題を‘韓国言論人が最初に勇敢に暴露した’という点を、彼らが高く評価していることだ. 合せて、この記事以後、今、韓国で‘謝罪の寄付運動’が進行しているというのにも驚くことだ. 

11月28日 日曜日 午後3時, ホーチミン青年文化会館 2階 交流館. 外国人との交流行事が頻繁に開かれるここでは、いままで見ることができなかった、異色の内容の討論会が開かれた. テーマは‘ク・スジョンとの交流’. <ハンギョレ21>273号に‘韓国軍 良民虐殺 現場ルポ’を書いた、ホーチミンのク・スジョン通信員が、この日の主人公だった. “韓国人傭兵は、何故、そのように残忍に, 子供たちまで殺す程に理性を失わなければならなかったか”, “韓国は相変らず米国に隷属しているのか”, “韓国がノグン里事件(註:朝鮮戦争当時、米軍がノグン里で行ったとされる民間人虐殺事件)に対して賠償を要求するならば、ベトナムにも謝罪しなければならないのではないか.”会場をぎっしりと埋めた、200余名のベトナム青年たちが投げる質問は重かった. しかし、ク・スジョン通信員の話は、彼らの気持ちを落ち着かせた. “過去の私たちの民族の誤ちを話すということは、私にとっても苦痛でした. しかし、私がしなくても、遠くない時期に誰かがすることです. 過去は自ら門を閉めることはありえないのです.” 韓国留学生代表は、謝罪文を朗読して、頭を下げた. ベトナム青年たちは“あなた方の勇気を愛します”とした. そして“わたしたちは、いつでも赦す準備ができています”と話した. 30年の歳月を逆上って、父の世代の傷と恥を知って会った韓国とベトナムの若者達が‘和解の胸’を開けてひとつになったのである. 


“想像出来なかったことです” 


“外国人と政治的主題で討論会を開いたのは、会館ができて以来初めてです.” ホーチミン青年文化会館長ウンウェン・スオン(42)は、この日の席が“ベトナム青年達の要請”でなされたと話した. “<日曜トゥオイジェ>に記事が載った後、多くの青年達が‘どのようにすれば、ク・スジョンに会うことができるのか’と、尋ねてきたんです. わたしたちは、ベトナムの青年達が記事を通じて知ったク・スジョンに直接会って、深い感興と教訓を得ることを希望しました.” 

おかげで、ク・スジョン通信員はベトナムで‘有名人’になった. あたかも‘韓国の若者を代表する人物’のようになったのである. <トゥオイジェ>に彼の顔がなん回か載りながら, 彼の顔を知ったホーチミン市内のホテル従業員たちが、コーヒー代金を受けとらないことまであった. ホーチミンを出たところの、ナジャン・ニンホ等の中部地方でも、彼を見て知っている人たちは騒ぐ. 

<日曜トゥオイジェ>の記事を作成したツイウンア(37)記者は“<ハンギョレ21>の記事紹介と韓国人たちが謝罪のために寄付を集めているという文が載った後、党委員会から称賛と激励を受けた”と自慢した. 彼は、この記事でトゥオイジェ新聞社全記者が選ぶ‘今月の記者賞’を受賞した. 賞金は、その月の月給を二倍で受けること. 

ツイウンア記者は“今回の報道が、韓国に対するベトナム人の意識の根底を覆した”と話した. ベトナムの人々の心の底辺には、韓国人に対する憎しみの感情がうずくまっていたという説明だ. 基本的に‘ベトナム戦 参戦’という歴史に、最近では韓国企業管理者たちの現地労働者殴打事件まで絡まっている状況だ. 

こういう中で、何年か前からベトナムに輸入された‘韓国ドラマ’が、その否定的イメージを相殺する役割をしてくれている(最近では<私達は本当に愛したのだろうか>が大ヒットだ. ハノイ放送とホーチミン放送はもちろん、主要地方放送の黄金時間帯は、皆韓国ドラマが占領している). ツイウンア記者は“ドラマは韓国に対する印象のきわめて一部を‘改善’したのに終わったとするなら, 韓国の‘韓国軍 良民虐殺’寄付運動は、韓国に対する既存の先入観を‘払拭’した”と分析した. 自分も国の歴史的罪悪を自ら告白して謝罪する姿で、韓国の‘美しい底力’を感じるということだ. 

良民虐殺がおきた地域でもそうだ. 2ヶ月にもまだならなかった乳飲み子を抱きながら家に侵入してきた韓国軍に往生して, まさにそばでベトコンでもない米軍所属の夫が射殺されるという、とんでもない場面を見たといカンホアソン ニンホアヒョンのジョムティ・ユックおばあさん. 韓国人たちの寄付運動に対して、“想像出来なかったこと”とし、目をまるくした. 彼女にとって、韓国はあまりにも‘苛酷な記憶’としてだけの位置を占めていたせいであるだろうか. 


ロイター通信も関心を表明 


<ハンギョレ21>が提起した‘ベトナム戦の韓国軍 良民虐殺’問題は、小さな台風になって、ホーチミンを襲った. そして、大きくなりながらベトナム南部から中部に, 中部から北部に静かだが、早く北上している. いや、今はもう、全世界に向かうのかもしれない. 世界有数の通信社である英国の<ロイター通信>までが、この問題に関心を表明しているためだ. <ロイター通信>側は、まもなくク・スジョン通信員をインタビューした後、12月中旬から取材に入る予定だ. <ロイター通信>のハノイ駐在事務所関係者は“ビンディンソンでだけでも1千余名が死んだというからには…. ミルライ虐殺でも504人ではないか. このように大きな規模の虐殺が、どうして世界に知らされないのか”と、驚いた. <ロイター通信>は、しかし“虐殺自体に対する告発が目的ではない. わたしたちは、韓国人が自らこの問題に言及すること自体が、ものすごく意味のあることだと考える. 美しい韓国人の顔をカメラに収めて、全世界に知らせたい”と話した. 

次の問題は、韓国政府だ. 政府次元の‘謙遜な謝罪’が行われないならば、ベトナム人の感動は背信感に変わるかもしれない. しかし、政府は戦々恐々するだけだ. むしろ‘ベトナムのノグン里’にならないように隠すことにだけ及々としている状態だ. 韓国をたどり、ホーチミンを襲って, ハノイを越えて、全世界に向かう‘韓国軍 良民虐殺’の台風は、いつか津波になって韓国政府を飲み込むかもしれない. 

ホーチミン=コ・ギョンテ記者 
k21@hani.co.kr
ハンギョレ21 1999年 12月 16日 第287号 .



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これらの記事は、元々韓国の雑誌「ハンギョレ21」誌の記者が自ら取材し、韓国・ハンギョレ21誌の決定で掲載したものです.当"風窓"webに翻訳・掲載しているものは2001年12月17日現在では以下の通りです.

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2001年4月356号
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99年11月282号
兄さんの重荷を減らしてください
韓国とベトナムの読者の手紙 
99年10月278号
報道 その後‘ベトナムの怨みの霊を記憶しなさい’
99年5月256号
ああ, 震撼の韓国軍!