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真実の歴史は、下層の民衆たちによって創られてきたことを人びとは忘れてしまっている。
かつてこんな「わびさび幽玄」本はなかった。
侘び然び をこうも明 瞭に解説し得たものは他にはない。
画期的な内容ということが出来る。
従来の学説を覆し、本物の侘び然び幽玄を語っている。
風は限りなく風らしく、光は限りなく光らしく、大地は限りなく大地らしく土の薫りを醸し出す。
その人生を癒やす為に日本人の魂に根付いてきた「侘び」観。
人々の苦悩を呑み込み、 悲しみを和らいで日本人の精神性と人格とを高めてきた。
日本人の歴史そのものとしての侘びは、天皇から民衆までも隔たりなく同位に包んで現代に伝えられ てきた。
禅の哲学を取り込み、無一物への志向を強めながら、人々の超越する想いを表象してきた。
日本史2670年の底辺に生きた民衆の悲しみとその忍耐性、そして1000 年に及ぶエリートたちの然(寂)びとを追究する知的ロマ ンの旅である。
果たしてデカルトやカントにも勝る程の哲学性が有されているのか、その侘びの源流にも触れていく。
日本人の精神の支柱と言われながら、日本人の大半がそ の説明が出来ないという恥ずべき現実と「侘び然び」の不可解さ。
このままで は この国から絶滅危惧種化しそうな勢いで、忘れ去られようとしている。
いま、ここで立ち止まり、日本民族としての精神について、真正面から 問いかけ てくる斯書に読者は腕組みをして、真剣に思索への道を歩み出すだろう。
これは日本人としてのアイデンティティを確立する為の必須の体験である!
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ちなみに、世界中で大ヒットした「スーパー・マリオブラザース」は、横スクロールゲームでした。
パソコンというのは、画面の走査線が横に走るものなので、画面が縦に流れるシューティング・ゲームのようなものは比較的つくりやすいのですが、画面が横に流れるという仕様は、実は当時の技術としては、とってもむつかしいものでした。
それがなぜ生まれたのかといえば、実は、あの「スーパー・マリオブラザース」というのは、日本の中世からある絵巻物の世界であるわけです。
これが実におもしろくて、私達は学生時代に、おそらくみなさんも同じだと思いますが、西洋美術は、たとえば道路なら、手前が広く、遠くが狭く、△のようなカタチ、つまり遠近法で描かれている。
ところが日本画には、遠近法がないから日本画はオクレた絵画であり、西洋画は進んだ絵画なのである、と教わったものです。
ところがよくよく考えてみると、日本画の世界は、西洋画よりも実ははるかに進んでいたのかもしれないのです。
なぜなら、日本画は意図して遠近法をとらず、視点そのものを移動する、つまりスクロールすることで、様々な位置から見た姿を描こうとしているからです。
西洋画が遠近法をとるのは、画家の視点が、一点に固定されているからです。
一箇所からだけでしか、風景を見ていない。
これに対し日本画では、絵の中で、まるで「スーパー・マリオブラザース」よろしく、画家の視点がが移動します。
もちろん、見る人の視点も移動する。
つまり、その分、幅広い世界を描き出すことができるわけです。
ですから画家の一点の視点だけからでしか絵というものを描けなかった西洋の画家たちが日本の絵を見て衝撃を受けたのも当然で、だからこそ日本が開国したとき、西洋画を代表するゴッホやセザンヌ、ピカソなどが、大きな衝撃を受けたのです。
いってみれば、西洋画が固定視点型であったのに対し、日本画は自由視点型で絵画が描かれてきたわけです。
そしてこのことは、19世紀の西洋に多大な影響を与えたし、20世紀の後半においては「ゲーム」の世界で、きわめて大きな世界的ゲーム革命を起こしているわけです。
同じことは、庭園建築にもいうことができます。
西洋の庭園の場合、たとえばベルサイユ宮殿なら、庭園は左右が線対称です。
それは広大でとっても美しい庭園ですけれど、その庭園が左右対称で最も美しく見える場所というのは、宮殿の玉座の、その一点だけです。
これが何を意味しているかというと、まさにベルサイユは、どこまでも王のための宮殿であり庭園だ、ということです。
ですからガーデンパーティの参加者からどう見えるかなど関係なく、とにもかくにも玉座から見たときに、もっとも豪華で華麗で美しく見えるように造園されているわけです。
ところがこれに対して日本庭園の場合、桂離宮から寺社仏閣、あるいはお城や武家屋敷の庭園など、どの庭園であっても同じですが、「この一点から」という発想がありません。
庭園内に通路があり、その通路のどの位置から見ても、そこが一番と美しいと思えるような工夫が凝らしてあります。
もっというなら日本庭園は、庭園を「巡りながら」風情を楽しむことができるように造園されています。
ここに西洋と日本の思想上哲学上の大きな違いがあります。
西洋では、すべては支配者である「王」のためのもの。
日本では、すべてはおおみたからである「みんな」のためのもの、という違いです。
そしてそんな、どこまでも「みんな」を大切にする日本人の心は、風景などにおいても、ワビ、サビ、幽玄といった、景色そのものに溶け込み、一体化するという心を大切にするという方向に発展し、進化しました。
ではそのなかの「ワビ」とは何か、「サビ」とは何か、「幽玄」とは何か、ということを、この本は西洋哲学も比較に加えながら詳しく平易に説明しているわけです。
かなり和歌も出てきます。
よろしければ、みなさの愛蔵書に加えてみられたらいかが、と思います。
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- 関連記事
http://ameblo.jp/kororin5556/entry-11993995330.html
固定視点型は王のため、自由視点型はみんなのため・・・・。
スゴくわかりやすい。
ゴッホは、日本が好きで奥さんと来日したかったんですよね。
ねずさんの、引き出しの多さに驚きます。特注、職人技仕様の引き出しではないでしょうか。。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150330_13019.html
東北地方太平洋沖大震災と津波の被害は様々な事柄がうやむやにされてきた。
民主党最後の野田政権では災害収束宣言を出す始末であった。 自民党安倍
政権ではオリンピックの誘致活動で確認されたように、災害の実情を隠蔽して
放射能汚染が管理されていると言明している。 被災地住民が真相究明を求め
ているのは東北地方太平洋沖大地震災害に対する様々な疑惑の解明である。
詳細は
【東日本関東大震災の真相は!の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj13.cgi
証拠記事を集めた簡約版はこちらをカッチとね
平成24年(西暦2012年)5月19日のUEFA CL決勝のPK戦の前にチェフ(チェルシー)と握手するノイアー(バイエルン)は、わざわざグラブを外して握手してたよ。ドイツ人は、礼儀正しいね。ドイツ人は、流石だ。
まずアイレベル発見がありました。
最初期のアニメーションに巨人の星がありますが、この中で主人公が地平線の彼方へ走り去るシーンがありました。
実はこのとき試行錯誤があり、何回描き直しても、主人公は地平線はるか手前の土の中に走り込んでしまっていたのです。
そこから湖川氏はアイレベルという概念を見つけ出しました。真正面アップから地平線のかなたに去ってゆく者にも3点透視図法が応用できることに気づいたのです。
これで主人公は地平線はるかかなたに無事に走り去る動画が完成しました。
ちなみに鉄腕アトムのオープニングはさすが天才手塚治虫、そんなものは苦もなく描いています。
しかし秀才が苦労した技法を苦労話とともに伝えてゆくことでしか技術は伝承されてゆかないことも同時に示しているのです。
さてつぎに空間パース発見がありました。さらば宇宙戦艦ヤマトというアニメ映画です。
長大な全長をもつ宇宙戦艦が画面の点として出現し、みるみる迫ってきて画面いっぱいに勇姿を見せながら通り過ぎてゆくシーンです。
このとき遠くの宇宙戦艦は奥行きを短く、手前になればなるほど誇張して長く描く必要性に気づいたのです。
これにより、先行していた特撮映画スターウォーズでスーパーレンズを用いて望遠→広角で撮ったような効果をアニメーションで再現することに成功したのです。
巨大ロボット物や宇宙物がたくさんあるジャパニメーションには遠近法は不可欠ですが、なんと源氏物語絵巻の建物は不完全ながら等角法で描かれています。しかも毛筆で直線が描かれています。
これは樋引きといって箸を持つように棒と筆を持ち、定規に掘った溝に棒を滑らせて描いたもので、日本の学用定規の溝はこの千年前の技法を使うために今でもわざわざつけてあるのです。
斜投影法、1点透視図法、2点透視図法、3点透視図法、空間パース技法は今ではアニメーション作成本のコーナーにたくさん見つかります。漫画を描いたりアニメを作ってみたい人には必須の教養といえましょう。