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レーンの向こうの、裏側はこんなだったのだ! すごい!
田町ハイレーンが明後日(2015年3月29日)を最後に閉館になる。東京を代表するボウリング場だ。1972年にオープン、43年目だ。ぼくと同い年だ。
ボウリングはまったく得意ではないが、ずっと気になっているスポーツだ(どう気になっているかは後述)。なので、取材に行ってみた。そうしたらやっぱりボウリングはおもしろかった。 そして田町ハイレーン、すごかった。それについて書こう。 > 個人サイト 住宅都市整理公団 ボウリングにおけるガッツポーズ問題東京を代表するボウリング場・田町ハイレーン。見納め。さびしい。
ぼくのボウリングへの興味はゲームそのものへというよりもっぱら建築とか空間に向けられている。ゲームはどちらかというと苦手だ。へたくそだから、という理由だけではなく投げ終わった後のアクションが性に合わないからだ。
入り口のこのゴージャスな感じがすてき!
みんなが背後から見守る中プレーして、うまくいってもガターでも、結果が出たあと振り返ってなにかリアクションをしなければならない。ハイタッチとか。こんな過酷なスポーツがあるだろうか。
現在は3〜5階がボウリング場だが、かつては2階と6階にもレーンがあったという。その数110レーン! 左にあるかわいらしい看板に「日本ボウリング資料館」とある。
あと、いま書いてて思ったけど、子供のころは「ガーター」っていってた気がする。いつのまに「ガター」になったんだろうか。「ジャグジー」もいつのまにか「ジャクージ」になってるし、「カルティエ」は昔「カルチェ」って言ってたはずだ。「カルチエ」時代もあったように思う。
ハンチング帽がいつまでもハンティングにはならないようにカルチエ表記にもがんばっていてほしかった。そろそろ「イニシアチブ」があぶないと思う。 ここが6階のボウリング資料館。日本のボウリング史の資料から各種グッズ・装置が展示されている。
あと、アルキメデスがお風呂から飛び出して叫んだ言葉、あるじゃないですか。"eureka" と表記されるこれ、日本語だと「エウレカ」だったり「ユーリカ」だったり「ユリイカ」だったりするよね。もとはひとつの言葉なのに、日本では言い方によってアニメ作品だったり鹿島工業地域をゆくすてきな遊覧船だったり、こむずかしい雑誌だったりする。
これとかすごくかわいい!
えーと、何の話だっけ。
で、実は3年前にここ田町ハイレーンでひさしぶりに友人たちとボウリングをして、つくづくやっぱり投げ終わった後のアクションが難儀なスポーツだと思って(そのときこうつぶやいた)、その結果開催されたのが「ガッツポーズワークショップ」だった。 心置きなくボウリングができるようにガッツポーズを学ぶ。
講師キンさんの懇切丁寧なガッツポーズとハイタッチ指導の下、見事ボウリングアクションを習得した。記事の最後にもあるように「ガッツポーズができる人生が始まったのだ。履歴書に書きたい」という高揚感があった。そのときは。しかしいまはすっかり元通りだ。
履歴書に書かれるTOEICの点数のように、定期的に訓練しておかねばガッツポーズはあっというまにダメになるのだ。一日5分でいいから毎日ガッツポーズを欠かすな、とかそういうことだろうか。そんなの耐えられない。 ボウリング "場" はすごく好き!こういう「ゴージャス」感(「あの『ハトヤ』に行ってみた」より)
そんなわけでプレイは苦手だが、ボウリング場はすごくおもしろいと思う。まずゴージャスだ。日本中にある1960、70年代のボウリング場はハトヤのようなゴージャス感を漂わせている。
そして田町ハイレーンロビーのこの照明。ちょうかわいい。ゴージャス!
ロビーにはシャンデリア、なぜか螺旋階段。その階段の下には謎のオブジェ。通路には緋毛氈。「カルチェ」が「カルティエ」になったのは80年代の終わりごろだそうだが、同時期に我々はこういった「ゴージャス」をなくしてしまったと思う。それが身近に残っている空間、それがボウリング場だと思うのだ。
しかし、今回田町ハイレーンのを運営する吉川社長に館内を案内していただき、お話をうかがってボウリング場の建築的・空間的魅力はそれだけではないことを痛感した。そのハイライトがレーンの後ろのあの装置だ。 「ボウリングは装置産業」という言葉にしびれました。
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