武蔵野の面影を探す旅です
関東に残る昔ながらの風景を指す表現として「武蔵野の面影」というものがある。たとえば、インターネットで「武蔵野の面影」と検索すると、住宅地や峠、公園、寺院など、武蔵野の面影を残すスポットがこれでもかと出てくる。しかしこの世はこれほどまでに武蔵野の面影だらけなのに、実際にどんな風景かといわれると具体的にイメージできない。
表現としては使い古された感もあるくらい浸透しているのに、どこかぼんやりしている「武蔵野の面影」。その風景を探しに行ってみた。
榎並紀行(えなみのりゆき)
1980年生まれ埼玉育ち。東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は全く話せません。
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Twitter (@noriyukienami)
そもそも「武蔵野」とは何か?
さて、そもそも「武蔵野」とは何なのか? どのあたりのエリアのことを指すのか? その範囲は明確に定められているわけではないが、一般的には東京23区西部から現在の吉祥寺、三鷹、小金井界隈、また、埼玉県の南部、川越あたりまでを指すようだ。その定義は、武蔵野の美しい風景を描写した名著『武蔵野』を以て語られることが多い。
武蔵野の美しさを描きつくす国木田独歩の名著。詩情に満ちた珠玉の名文にふるえる。敬意を込めて、以下「先生」と呼ばせていただきます
では、「武蔵野の面影」とは何なのか? 国木田独歩(以下、先生)は『武蔵野』の中でその独特の風景について以下のように述べている。
「林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこの様に密接している処が何処にあるか」
先生が語るところの武蔵野とは、自然そのままの姿ではなく、人の生活と自然が入り混じってつくられた里山の風景美。それは「北海道の原野にも、那須野にもない」唯一の特色であるという。
さて、前置きが長くなったが、そんな風景が本当に残っているならぜひ見てみたい。「武蔵野の面影」を残すといわれる場所に実際に足を運んで確かめてみることにした。
やってきたのは埼玉県のふじみ野
ふじみ野は埼玉県南東部のベッドタウン。駅周辺は東京都心部近郊の住宅地が整備されていて、武蔵野の面影は特にない。だが、ここから4kmほど離れた三芳町という地域に、武蔵野の面影を色濃く残す一帯があるというのだ。
駅前には特に武蔵野の面影は見当らず
蓮舫が来る!
駅近くはスタバもあるほどの都会
北京の面影
ちなみにグーグルマップで調べたところ、ふじみ野駅から目的の三芳町までは徒歩で50分とのこと。微妙にしんどい距離だが、武蔵野の面影に出合うためだ。それくらいの労を惜しむわけにはいかない。
5分咲きの桜に癒されつつ
ひたすら住宅街の中を歩く
駅から30分くらいはひたすら住宅街が続く。特に見どころらしきものはないのだが、そんななかでも小さな楽しみを見つけるのが武蔵野を散歩する者の心得である。独歩先生も『武蔵野』の中でこう述べられている。
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方向へゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」
それはたとえば「送電鉄塔と電線」だったり
コンビニの駐車場がでかいことに興奮したりすることなのかもしれない
さて、そんなこんなで40分も歩くと、武蔵野の面影を残すといわれる三芳町にやってきた。
三芳町に到着
トンネルを抜けると、
おお、武蔵野!
トンネルを抜けると、明らかに空気が変わる。住宅はめっきり減り、道路と雑木林、茶畑が広がるのどかな景色が開けた。
かつての産廃銀座が嘘のよう
ちなみにこのあたりを含む「くぬぎ山」と呼ばれる一帯はかつて、産業廃棄物処理業者が密集する「産廃銀座」として汚名を着せられた時代もあったそうだ。
しかし、産廃処理業からリサイクル業に転換した地元業者の賢明な努力によってゴミは資源に生まれ変わり、同時に荒れ果てていた里山も本来の美しさを取り戻したという。
のどかですな
どこまでも広がる茶畑
高さ10m以上、幹周り1.2m以上の樹木は町の保存樹木に指定され、手厚く保護されている
さらに歩を進め、上富地区と呼ばれる地域にやってきた。ここいら一帯には300年以上前から残る雑木林が保存されている。
突如現れる雑木林
かつての里山では雑木林から集めた落葉を肥料に、クヌギやコナラを燃料として活用していたという。人々の生活に欠かせないものだった希少な雑木林の群生を、人が里山から離れた今もそのままの渋滞で残しているのがこの一帯だ。
まさに独歩先生がいうところの「林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこの様に密接している処」である。
同地が開拓されたころから地域の菩提寺として信仰を集める、多福寺。その周辺に、見事な雑木林が広がっている
ザ・武蔵野の面影
20.1ヘクタールにおよぶ一帯が自然環境保全地域に指定され、周辺住民の手などによって自然保護が行われている
倒置法で保護を呼びかけ
特に観光地っぽい案内や施設があるわけではない。むしろ、ただただ鬱蒼とした雑木林が広がるばかりの、見様によっては無味乾燥とした風景かもしれない。だが、これが300年前から里山の暮らしを支え続けた自然遺産かと思うと、さすがに感じ入るものがある。
周辺住民によって受け継がれてきた自然遺産
罰金とかじゃなく祟りがあるのでご注意ください
往時の暮らしを今に映す、多福寺の穀倉
もともと自然林が極めて少ない武蔵野の一角に、これほどまでに広大な樹林が広がっていることは学術的にも貴重であるらしい。代々当地に受け継がれた保全の努力に脱帽である。
けっきょく武蔵野の面影とは何だったのか?
というわけで、これまで自分の中で曖昧だった「武蔵野の面影」の正体。景観としてはやや平凡かもしれないが、そこに存在していた人々の暮らしの息遣いに思いを馳せることで、その味わいは何倍も深いものになる。「武蔵野の面影」とは、そうした背景を知ることで初めて見えてくるものなのかもしれない。
観光資源に乏しいといわれる埼玉にも、こんなに素晴らしいスポットがあったなんて、県民としては誇らしい気分である。