昨日、くだらないが
「自分は死んだらどうなるんだろうか、何も意識が無いところから突然生まれて、今生きている。そして自分は何十年も経ったら間違いなく死ぬ。もしかしたらそれより早く突然死ぬかもしれない。でも死んだ後俺はどうなる?意識が無くなって、そして、どうなる?その後に何が起こる?何も起こらないまま、何百年も何億年も過ぎていくのか?その後それが終わったらどうなる?そもそも終わりはあるのか?自分が生まれる前、自分はどこにいた?意識はどこにあった?」と、高校1年生のようなことを考え始めた。
その時、自分にはそれを解決して、1つの仮説を持ち、安心を得るための手段が無い事に気がついた。宗教である。
それを当たり前のように受け入れていたが、
1年前に祖父が死んだ時にお寺で葬儀を行った時や、
この間結婚式の挙式会場の下見で歴史あるとあるカトリックの教会に行った時からそれについて考え始め、
それについて泣いたり、いろいろ考えてたら朝になってしまっていた。
自分が何を基準に生きればいいのかは、それは過去の経験でなんとかなる。
自分が死んだ後、名前や自分が行ったことは書類や、インターネット上など、どこかに必ず残り続ける。
だが、それを自分視点から観測することはできない。意識は外に持ち出すことはできないし、移すこともできない。
つまり、自分視点からだと、自分が死ぬと、その瞬間世界は消えて無くなり、「全てが無かったこと」になる。全てが消えていく仮初めの世である。
その「1人の人生」という壮大な物語が数十年語、あるいは場合によっては今すぐにでも気軽に消えてしまうようなあまりにあっけなく、脆い物語に対して、
1つの視点や答え、仮説を提示し、安心と生きるための行動基準を定義するのが宗教だと考えている。
何を信じたらいいのかわからないし、後から何かを信奉することがとてもむずかしく思える。
いろんな宗教をWikipediaで調べて、まるで家電のように比較検討して、
「じゃあ俺は●●を信じる」という手段なんか取れるわけがない。
どうやって信じたらいいのかがわからない。
某価学会や、某福の科学とかはわからなくもないが、ヘタすると普通のカトリックや仏教でも白い目で見られそうだ。
俺はどうしたらいいんでしょう。
よくわからないけど、哲学を勉強するといいんじゃないかな
ならもう今すぐ死んだほうがいいような気がするんだけど辛いのに生き続けるのはなぜ?
つ 最高の入門書を一冊で『そうだったのか現代思想』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2015/01/post-be16.html
あなたが苦しんでいるのは、己の無知ゆえです。 宗教はあなたを救いません。 あなたに必要なのは、そう思うに至った原因を知ることです。 そしてそれを解決できるのはあなただけで...
なんかその文面が宗教っぽいね
神道はどうだろうか。