2015-03-30

無宗教自分が辛い

昨日、くだらないが

自分は死んだらどうなるんだろうか、何も意識が無いところから突然生まれて、今生きている。そして自分は何十年も経ったら間違いなく死ぬ。もしかしたらそれより早く突然死ぬかもしれない。でも死んだ後俺はどうなる?意識が無くなって、そして、どうなる?その後に何が起こる?何も起こらないまま、何百年も何億年も過ぎていくのか?その後それが終わったらどうなる?そもそも終わりはあるのか?自分が生まれる前、自分はどこにいた?意識はどこにあった?」と、高校1年生のようなことを考え始めた。

その時、自分にはそれを解決して、1つの仮説を持ち、安心を得るための手段が無い事に気がついた。宗教である

自分(というか、ほとんどの日本人)は無宗教である

それを当たり前のように受け入れていたが、

1年前に祖父が死んだ時にお寺で葬儀を行った時や、

この間結婚式の挙式会場の下見で歴史あるとあるカトリック教会に行った時からそれについて考え始め、

無宗教であることがとても悲しいように思えてきた。

それについて泣いたり、いろいろ考えてたら朝になってしまっていた。

自分が何を基準に生きればいいのかは、それは過去経験でなんとかなる。

だが死んだ後にどうなるか。それだけはわからないのである

自分が死んだ後、名前自分が行ったことは書類や、インターネット上など、どこかに必ず残り続ける。

だが、それを自分視点から観測することはできない。意識は外に持ち出すことはできないし、移すこともできない。

まり自分視点からだと、自分死ぬと、その瞬間世界は消えて無くなり、「全てが無かったこと」になる。全てが消えていく仮初めの世である

その「1人の人生」という壮大な物語が数十年語、あるいは場合によっては今すぐにでも気軽に消えてしまうようなあまりにあっけなく、脆い物語に対して、

1つの視点や答え、仮説を提示し、安心と生きるための行動基準定義するのが宗教だと考えている。

だが、自分は悲しいことに無宗教である

まりに長い時間無宗教だったため、

何を信じたらいいのかわからないし、後から何かを信奉することがとてもむずかしく思える。

いろんな宗教Wikipediaで調べて、まるで家電のように比較検討して、

「じゃあ俺は●●を信じる」という手段なんか取れるわけがない。

どうやって信じたらいいのかがわからない。

あと、今の日本はあまり宗教に対してアレルギーが強すぎる。

某価学会や、某福の科学とかはわからなくもないが、ヘタすると普通カトリック仏教でも白い目で見られそうだ。

俺はどうしたらいいんでしょう。

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