子ども支援について

学校にソーシャルワーカーとして入るとはどういうことなんだろう。4月を直前に控えてかなり不安の色が濃い。


学生時代、恩師は都市部を離れた谷間に古民家をかり、一時間かけて通勤していました。二度ばかり、その谷を訪ねたのだけど、荒涼とした風景に、かえって心が落ち着きました。自然とは揺らぎのある空間です。そこに身をおくと、迷っていてもいいんだと思える。だから、恩師は谷間でくらすことで、生徒に自然とふれさせる機会をつくろうとしたのかもしれない。

子どもの貧困という言葉をよく聞くようになりました。昨日、あるNPOが主催する報告会に参加して、その意味が少しわかりました。すなわち、お父さん、お母さん、あるいは両親が働きどおして、子供が夜一人を過ごすことを言うのだと思いました。食事はもちろん一人、なれば、誰に何も相談できず、困難を抱え込む。

なぜに学校ソーシャルワークなのだろう。私の学生時代の経験より、自然という揺らぎのある空間で、もし子ども達が時間を過ごすことができれば、心にスペースをつくれるかもしれない。何より、農村のお年寄りは自然を相手にいきてきて、一人一人が役割をもっています。100才ちかくのお年寄りがいまだ働いていて、そんな姿に心うたない人はいない。


学校では、自然体験を外の業者にまかせがちであるという。しかし、外に任せてしまえば、楽しかったという体験だけでおわってしまう。子どもの心が揺らげばこそ、子供たちの様々な思いをきける機会です。一つ一つがつながっていません。学校の行事、自然、地域をつなぎ、子供たちの居場所をもう一度、再考したい。そんな役割をつくってみたくSWとして学校にはいろうとしていたのだ。


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ある里親さんの話から

昨日、里親さんと長く話をすることができました。男女が出会って結婚し、されど、家事に、育児におわれたとき、二人はそれぞれ別の人格をもっていることに気づく。家事や育児は簡単なように思われていて、しかし、家族規模を小さくなり、孤独のなかで行うとすればストレスです。若いカップルが破たんしやすくなっています。

上の話をきいたとき、少子化の意味が少しわかったような気がしました。すなわち、少子化の意味とは、子育て文化が継承されないということです。子供の数がへり、公園等で遊ぶ子供がすくなくなれば、誰も親子を気にしなくなります。そう、文化とは人の接触のなかで育まれるものです。


また、育児に関わる本は書店にいっぱいあふれているともいいます。すると、お母さんがたは熱心に本から子育ての知識をえようとする。たくさんの本をよんだものの、どれが正しいのか選択にまよう。本で学ぶことも大切なのだけど、やはり、経験ある方に聴くことが一番のようです。

これに関連したことで、ある農家さんが面白いことをいっていました。新しく農業を始める方で、本を頼りに栽培していく人は必ず失敗していると。むしろ、農家さんを見様見真似で栽培していく人が、不勉強にみえて成果を出している。ベテラン農家は、作物知識を、その土地にもっとも見合った方法で教えます。なのに、なぜか熱心な人ほど農家に聞こうとしない。

里親さんの話、農家さんの話をききながら、育児問題とは、私たちのコミュニケーション能力の問題でもあると気づけました。私たちの世代は、なかなか人に相談しません。相手を傷つけまいとして空気をよむことを第一義の価値においています。さらに、地縁血縁よりも、趣味をもとにしたサークル的人間関係を重んじます。


育児の問題を介して発見したことが二つ。少子化が意味すること、私たち世代の自尊感情の低さ。






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人が成長するとは

今、一冊の本を読み終えました。本のタイトルは「学習塾が面白い。学生スタッフの塾が試みた自由な教育」。著者はアウラ学びの森の理事長、北村信也さんです。読み終えて、一つ感じたことがあります。人が成長するとはどういうことなのでしょうか。

冒頭の本は、北村さんがフリーディ学園というフリースクールでの「自由と教育」を模索した記録です。フリーディ学園で起きたこと。子供達が学力をのびるとき、決まって子供達に生活の変化がみられるという。子供達は、様々なアクシデントに迷えばこそ、自らの人生を自らの力で生きようとする。

人が成長するには、人生に揺らぎが必要だと思います。人生が揺らげばこそ、生き方をまよい、必死に道を探そうとし、人生を太くして行くのだから。


なのに、だけど、私たちの社会はひたすらに効率を競い合う。機能だけを求められた人間の集団は一見、仕事ができる集団に感じられます。しかし、実際は逆です。財務の視点だけで経営をかんがえてしまい、その結果、職場のコミュニケーションは悪化し、個でしか働けなくなった職場をみてきたばかり。


翻って私たちの生活だけど、ヒトにあわせ、空気をよみながら生きています。だけど、それは本当に安心なのでしょうか。やはり、安心とは、人生を骨太く生きることです。失敗し、つまずき、苦しんで、自らつくっていくものが安心なのではないでしょうか。フリーディの先生や子供は、揺らぎながら、されど、自分の人生を生きているように感じられてなりません。

経営理念の大切さについて思うこと 

学生時代、ブラジルのある街に研修留学。
工業化の進展は、農村から都市へという人の流れをつくり、都市を膨張させます。しかし、あまりに早い人口流入は、行政の機能のおよばない地域をつくりだす。混沌。交通渋滞が慢性化し、貧民窟がひろがる。しかし、その街で学んだことは、都市の成長管理は可能です。

急激な人口流入に対して、都市の成長軸をきめ、そこを公共交通網でむすび、都心を生活者のゾーンとして車を締め出す。すると、都心から人がにげださず、それどころか、都心の求心力がたかまり、都市は規律をもって成長していきました。


学生のときのこの経験は、私が経営をみるうえでの原体験となっています。
経営とは組織をいたずらに膨張させることではないと思います。むしろ、組織の経営理念密度を濃くすることが大切だと思います。商いの機会があっても、この尺度から投資判断を行うべきです。さもないと、組織はばらばらになっていくと思います。

なぜに就労規則は必要なのでしょう?組織がヒトを機能としてみておらず、心がばらばらだからだと思います。心がばらばらであれば、組織を管理するために組織をつくられないといけません。これはパーキンソンの法則とよばれ、どんな組織も逃げられないとされます。

しかし、百田尚樹さんの「海賊とよばれた男」を読みました。主人公は就労規則のない職場をつくり、何百という社員を屋といっていました。理念密度を濃くすれば、職場はフラット化し、無駄な固定費を抱えないで済む分、価格競争力でも優位にたって事業展開ができます。


学生時代に学んだことが、いま、私をとても苦しめています。
経営理念を大切にすることが、損益分岐点の改善につながり、財務的にも意味をもつと思っています。しかし、これは重要だけど緊急なことではありません。さりとて、社会のテンポは速く、それについていこうとすれば、立ち止まることは許されない。流されていいのでしょうか?

相談支援

ソーシャルワークとは相談支援と同じなのかしら?社会福祉士の活動領域が急速に広がり、様々な社会的課題が扱われていることを感じます。今回、ある社会福祉士会の定例会に司会進行のアシスタントをする機会があって、テーマを共有しようとすれば、どれだけ問題の本質を見極められているかが問われることを感じました。言い換えると、社会に対する問いの力が弱ければ、自分の居場所を確立できないという厳しさを垣間見ました。


労働環境の変化が家族の在り方を大きく変えつつあります。家族の、お父さんは仕事、お母さんは家事と縦割りに役割りふれなくなっています。その混乱が、家族でともに過ごす居間という空間を消しました。その深刻さは、子供の発達に問題となって表れています。すなわち、子供の発達は自分の時間と親の時間という二つの時間を生きる過程だからです。

親支援なくして子供支援はできません。されど、労働環境そのものに変化が起きており、相談支援すべき対象の家族がとても多いです。もはや家族を個別支援していくことに限界があると思っています。なれば、時代という大きな流れに対していく必要があるのかもしれません。


家族への相談支援をおこなうにあたりNPO法人格の取得を急いできました。子供、障害者、高齢者という垣根を取り払り、それぞれの専門性をいかしたチーム支援をはじめる時代になったとの思いからです。されど、場が大きくなるとは、自分の社会に対する問いの力が問われてきます。経験が浅い分、私の問いの力はまったく足りませんでした。


ベテランの方に相談したところ、様々に子供のもつ問題をたいせつに扱っていくことが大切な時期だと諭されました。ファシリテーターの技能を学びながらであり、いつか、その技能の成熟にともなって場は広がります。焦らずとも、からなず自分が描いている支援ができる時がくることを信じて。
プロフィール

バタ

Author:バタ
この春、社会福祉士を取得したばかりです。農村福祉に関心があり、相談援助を深めながら、福祉事業と地域の活性化に併せて取り組んで行きたいと思っています。

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