アメリカ班の南です。今月号の特集「『頭がいい人』の条件が変わった。」では、コンピューテーショナル・シンキングに関する記事を担当しました。
「コンピューテーショナル・シンキング」という言葉が耳慣れない人も多いかと思います。私もこの記事で初めて知ったのですが、デザイン・シンキングがデザイナーのものの考え方を非デザイナーが役立てるものであるように、コンピューテーショナル・シンキングはプログラマーの思考法を非プログラマーが学び、ビジネスや問題解決に役立てるというものです。
そして記事の筆者は、多くの人にとってはプログラミングそのものを学ぶより、コンピューテーショナル・シンキングを学ぶことのほうが大切だと主張しています。
アメリカには若いプログラマーやデザイナーを一定の期間、地方の自治体に派遣する「コード・フォー・アメリカ」という団体があります(ちなみに、日本にも「コード・フォー・ジャパン」があります)。派遣されたエンジニアたちはテクノロジーの力を使って自治体の抱えている問題の解決に協力するのですが、自治体の職員に話を聞くと、若いエンジニアたちが派遣されてきて最も良かったことは、彼らが問題解決のソフトウェアを作ってくれたことではない、と多くの職員が口を揃えるそうです。では何が最も良かったのか。それは「プログラマーたちのものの考え方がわかったこと」だそうです。
筆者は、コンピューテーショナル・シンキングが、ありあわせの材料で料理をすることに似ていると指摘します。冷蔵庫のなかの材料を見て、AとBとCがあるなら今日はこの料理にしようと考えるように、プログラマーも世の中にたくさんある「デジタル化された情報」をどのように組み合わせれば、どんな新しいものを作り出せるかということを思い描く力を備えていると言います。
コンピューテーショナル・シンキングを利用した問題解決の事例のなかには、プログラミングを必要としないものもあります。紙幅の都合で掲載時にはカットしましたが、もともとの記事では19世紀中ごろのコレラの事例がその一つとして紹介されていました。
1854年、ロンドンではコレラの流行により多くの人が命を落としていました。当時、コレラは「瘴気」と呼ばれる悪い空気に触れると感染すると信じられていましたが、内科医のジョン・スノウはその説を信じていませんでした。そこで彼は死亡した人の親族に話を聞き、故人がどんな生活をしていたのかを調査していきました。
スノウがその調査結果を地図に反映させていくと、コレラで死亡した人たちに共通する「水を飲むことに関する習慣」が浮かびあがりました。しかも、ある地域の井戸の近くで、死者を示す黒点の数が増えていることがわかったのです。この井戸にコレラの原因があると考えたスノウがさらに調査した結果、井戸の近くには汚水溜めがあり、その汚水が井戸に漏れていたことも判明しました。そして、井戸が閉鎖されるとコレラの流行もたちまち治まったそうです。
記事では、このスノウの行動がコンピューテーショナル・シンキングの古典的な例だと挙げられています。死者の位置情報と井戸の位置情報とを組み合わせて新しい事実を突き止めていることはもちろん、遺族に話を聞くという同じプロセスを何度も繰り返し、そのプロセスで出てきた結果をテストしたり、パターン認識を使ったりしているからです。
こうした例を見ると、テクノロジーの活用がビジネスをするうえで欠かせなくなっている今、たしかにプログラミングそのものはできなくても、プログラマーが問題を解決する際にどのように考えるのかを知っておくことが重要だと考えさせられます。ご興味のある方は、ぜひ本誌の記事もお読みいただければと思います。
◆過去のエントリー◆
・2015年に注目を集めるテクノロジーのトレンド予測(前編)
・幼い頃に読んだ1冊の本が、グーグル創業者の人生を変えた
・「全国民がプログラミングを学ぶべきだ」と呼びかける話題の動画