2015年03月29日

ラファエルのバースデイ

昨夜は、去年の年末から店を手伝ってもらっている
最年少のラファエルの誕生日を
店内で祝わせてもらった。

店が始まってから、スタッフの誕生日は
本人には言わず、サプライズとしていたけれど、
誕生日に近くなると、本人も
何となくわかってしまうので、
それなら、と今回から本人にも知らせる、
ということにした。

とは言っても、誕生日当日が
週末にあたる、ということもなく、
結局、バースデーの前後にずれてしまうこともありがちだ。

ラファエルはブラジル生まれのハーフで、
10代まではあちらにいた。
海外では、バースデイの前にお祝いする、
というのは、どうやらあまり縁起が良くないとか。
ってなワケで、昨夜は本人の誕生日の3日後となった。

それにしても25歳。
僕が始めてこの街に出た年齢だ。
今の人だと、少し遅いのかも知れない。
と言うことは、若い、若いと思っても、
この世界では25歳は、決してすこぶる若い、
というワケじゃないのかも。

前にも書いたと思うけれど、ラファエルは
二十歳前後からポールダンスを勉強している。
多くのイベントなどに出ている彼は
身体はガッチリしているけれど、
身長は低く、小顔。
いわゆるちびマッチョの部類に入るのだろうか。
かつ、童顔だったりするから、
実際の年齢よりも若く見える。

ポールダンスも含めて、これから
彼の人生には学ぶべきものもたくさんあるだろうし、
多くの人との出会いも多いだろう。

当然ながら、僕が決して見ない50年後の
世の中がどうなっているかを知ることが出来る世代でもある。
2050年なんて、気が遠くなるけれど、
それを支える素敵な中高年となり、
世の中が少しでも今よりは良くなっていることを祈ると共に、
ラファエルの25歳を祝いたい。

たくさんのお客さん、ありがとうございました。


posted by みつあき at 18:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月28日

「完全ノンケ生活」とは

昨日、出張帰りに寄ってくれたヒロシ君が
「僕はここ数年、ゲイバーなどに来るようになったんですが、
前から気になっていたことがあります」と
切り出した。

出会い系のアプリで、よく顔写真や身体画像と一緒に
プロフィールで「普段、完全ノンケ生活」と
書いている人がいるけれど、
「それって、どういう意味だと思います?」
と尋ねられた。

「普段」ということは、そう書いている人の
「普段じゃない時」はどういう時なのか。
ベッドに入れば、という意味か、
それとも平日以外という意味か。

また「ノンケ生活」ということは、
彼らの「ノンケではない、ゲイ的な生活」というのは
どういう事なのか。
そこにはジムに行ったり、
洋服を買いに行ったりすることは入っても、
「ゲイの友人と」という形容詞が付かない、
ということなんだろか。

少なくとも「ノンケっぽい」とか「ノンケ風」とか
という事じゃないとすると、
少なくとも見てくれは、髭坊主やガチムチなどでも
生活スタイルがそうじゃない、ということだろう。

もちろん、ゲイバーや、クラブ、
ゲイが集うような場所には行かない、というだろう。

思えば、昔も、ゲイの雑誌などの投稿欄に
「2丁目などには行かない人、募集」と
書かれていたりした。

2丁目などに行くような人は、ノンケっぽくない、
プロっぽい、擦れている、そういう事なんだろう。

確かに2丁目に来たこともなかった僕自身も
そんなふうに思っていたことがあったから、わからなくもない。

「ノンケっぽさ」
それはある意味、ゲイシーンの性的ファンタジーの中では
最上級の褒め言葉なのかも知れない。

その性的ファンタジーを最も刺激するのが
「普段完全ノンケ生活」や
「2丁目に行かない人」という言葉に
凝縮されているのかなあ・・・
posted by みつあき at 20:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

介護施設で考えたこと

母の介護施設に行って、今回も
色々考えたことがあり、一昨日来てくれた
介護士をやっているリョウジ君と
話をした。

これからどんどん増えていくだろうお年寄りの数。
僕自身が介護施設に厄介になるだろうことは
あまり想像していないのだけれど、
それにしても、母の介護をしてくれる人たちの
手厚いもてなしは、いつも本当に頭が下がる思いがある。

母の施設の介護士の方たちはアルバイト的な人も含めても
それほど人数が多い訳ではなく、いつもバタバタと動き回り、
僕が上り下りするエレベーターのボタン
(誰もが動かすことが出来ないように、
パスワードを入れるようになっているのだが)
を押す人をお願いすることさえ、はばかられるほどだ。

そもそも、介護の方たちや、
病院の看護の方の給料について
リョウジ君に尋ねると、決して高くはないことが
よくわかる。

その内容や、これから多く入られるだろう
お年寄りの数を考えると、航空会社のCAなどと
同じくらいの金額を払ってもおかしくはない、
個人的にはそれくらいに考えてしまう。

また、そういう事とはまったく別に
行くたびに考えるのが、
母も含めてお年寄りに対しての
スタッフの方たちの関わりかたや、
リクレーションの内容だ。

これはスタッフ個人というよりも
日本の介護の在り方の問題だと思うが、
どうしてもお年寄りを子供扱いしてしまう傾向がある。

接し方ひとつ取ってもそう思うことも多いし、
何よりもリクレーション時の歌の内容だ。
「キラキラ星」やら「チューリップ」やら
「手のひらを太陽に」などを
振り付け付きでやったりするのだ。

恥ずかしいと言うより、
少し馬鹿にされている感じがすることもあるのではないか。

もちろん、スタッフや施設もまったく
そういう気はないのだろうけれど、
日本の文化的な何かがそうさせているんだろう。

つい先日観た「陽だまりハウスでマラソンを」
というドイツ映画は、まさに老人ホームが舞台だった。
そこではお年寄りがオルガンを弾いたり、
クラシックを歌ったりしている。
そう言えば「カルテット」や「アンコール!」という
映画に出てくるホームも、
まったく日本の施設の風景ではなかった。

そんな事を考えると、お年寄りだけではなく、
日本では、子供も「子供らしくあるべき」
という図式も見えてくる。

アメリカのTV番組など観ると
大人が子供を決して子供扱いせずに、
同じ目線で話そう、としている。
(当然、性的なことは除いてだけれど)

あちらの子供が妙にませているように見えたり、
下手すると、5、6歳の子が
腕組み、亜仕組みをしている姿さえ
お目にかかる。

しかし、日本では「子供らしさ」を要求され、
知らず知らずのうちに、子供たちも
そういう姿を演出しているかのごとく見えてきたりする。

長くなってしまったけれど、今回
母の施設に行って、色々見えて、考えた
そんな日本の文化の姿だった。

posted by みつあき at 05:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

母の幸福とは

数日、お休みをいただき、また母の施設に
行って来た。
月に一度行こうと考えており、
そのたびに店のブログにそんな私事を書くのもなあ、
そうは思いつつも、行くたびに
少しずつ変化がある。
そんな母の老後の記録として、
そして行く行くは、自分も同様な思いをするだろう、
その時のためにも何か役に立つかと
書き留めておきたい。

母は、多少考えがおぼつかないような事もありながらも、
「自分はこうでありたい」
そう思う気持ちは強い。
「前はこうじゃなかったのに」と
悔しさをつぶやいているから、
まだまだボケやアルツハイマーには
ならないことを少しだけホッとしている

まあ、90を半年後に控えて、
「いつもお父さんに早く呼んで、と
言っているのだけど」と言う。

そんなクセして、僕がiPodに入れていく
好きなオペラのアリアや、母の若い頃に流行った曲を
ヘッドホンで聴きながら
「ずっと聴いていたいわ。とても幸せ」
などとはずれた声で一緒に歌ったりしている。

僕が今回、行く直前に
元カレのお墓参りで関西に行った友人のタダシが
また母の元に寄ってくれた。
彼が持って行ってくれた
見たこともないような数々の花を目にして
「うちでは毎日、お花の手入れをしていたから、
こんなお花に囲まれて、これも幸せ」と言っていた。

また、施設から歩いて10分ほどのところにある
県立美術館には去年の秋に続いて行った。
僕自身、東京で見逃していたフェルディナント・ホドラーの
美術展をやっていた。
車椅子で一枚、一枚、絵を見上げている母を観て、
背が低かった子供の頃の僕を
父と共に、こうやって美術館に
連れて来てくれていたことを思った。

月に一度、それもかなり限られた時間、
母を喜ばせてあげることが出来ない。

刺激がない施設の生活を思うと、
一緒に生活をしたほうが母のためには良いかも知れない。
そう何度も考えてみたけれど、
現実を見据えると、母にとっても、
僕にとっても、今はこの生活がベストなのだろう。

もう少し暖かくなる来月は、何をすれば
母に喜んでもらえるだろうか。
そんな事を考えながら、東京に戻った。
posted by みつあき at 05:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

同性婚 既婚者たち

同性婚に通じるパートナーシップ法が
渋谷区で可決されるかどうか、まで
ほぼあと10日ほどになった。
試行されるかどうかはわからないが、
いずれにしてもこれほどの早さで
こういう話が進んでいくとは想像もしなかった。

そんな中、昨夜は、海外で同性婚をしたカップルが
何と別々に3組来てくれた。

ひと組は、前からよく知っている
ニュージーランド人のパートナーがいる
ヨシヒコさん。
彼らはニュージーランドに双方の親族を集めて
盛大な結婚式を挙げたことは
前にここでも書いていたことがある。

もうひと組は、フランス、日本という国籍で
一時期住んでいたアメリカで結婚をした、という
ジャンさんとヨウヘイさん。
二人はパリ、トウキョウ、ボストンなど
あらゆる場所を転々としており、
今後の住まいはまだ決めていないと言う。
当然、彼らとしては結婚していることを
認めてくれる国に住みたい、というのは
当然の希望なのだけれど。

最後のひと組は、イギリス人と結婚した
ショウ君で、30歳なのに付き合って8年となるようだ。

ただ、ショウ君の場合、
その長年の付き合いの中で、どうしても
彼に対して性的要求を感じられなくなってしまった。
これが日本人同士ならよく耳にする話だが、
比較的長く肉体関係が続くと言われる外国人のせいか、
それは二人にとって大きな問題となったようだ。

ショウ君のパートナーはそれが理由で浮気をし、
それを知ったショウ君はひどく落ち込み、
今回、とりあえず日本に帰国したと言う。

男女の間ではよくあるだろうこの手の話だけれど、
ゲイ同士の場合、上にも書いたように
どこか、性的関係はなくなっても仕方がない
と思っている節がある。

セックスが長く続き、
お互いに愛を確認する、という事は
本当に素晴らしいことではあるけれど、
それでも長く続けることは難しい。

それは僕自身も、わからないことはない。
それだけに、このデリケートな問題については
色々と調べてみたいものだ。

何故、日本人は特定のパートナーと
性的関係を長く持つことが出来ないのか。
逆に、西洋人は何故、続けようと努力
(?ではないのかも)するのか。
そこには宗教的なことや倫理観、
それとも単に愛情の確認の仕方、などが
横たわっているのかも知れない。

ちなみに、昔から知っている
20歳くらいから40年以上付き合っている友人カップルは
いまだに数ヶ月に一度、セックスがあると言う。
これには、多くの人が驚いている。
ストレートカップルでは、
それほど珍しいことではないのかも知れないけれど。

まあ、セックスがあるか、どうかは
同性が結婚する、しない、ということは
まったく関係ないことではあるのだけれど。
posted by みつあき at 16:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

ラファエル バースデイのお知らせ

明日、3月28日はスタッフ、ラファエルの
バースデイをお店でやる予定です。

お店は通常営業となりますが、
お誘い合わせの上、お越しください。

ケーキと乾杯は22時半過ぎくらいの予定です。
posted by みつあき at 20:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お花見宴会のお知らせ

恒例のお花見の季節となりました。
Bridgeは毎年、新宿御苑でやってきましたが、
御苑がアルコール禁止であったり、
天気や開花の問題もあるため、
今年は店とベランダでの花見をしながら
まったりと、また、ワイワイと春の宴をすることとなりました。

4月5日(日曜日)
16時から19時まで、2500円で
ビール、ワイン、焼酎 飲み放題
(それ以外は別料金)
19時以降0時までは通常営業となります。

それでは、たくさんの皆さんのお越しをお待ちしております。

image1.JPG
posted by みつあき at 15:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お知らせ

明日3月22日(日曜日)と23日(月曜日)は
みつあきはお休みで
22日は恒例タクヤのBridge六尺Day、
23日はミキヤが入ってくれます。

六尺Dayは通常の日曜日同様、19時から0時までで
六尺で飲まれる方も、着衣の方も混合で
エロく楽しい宴となっています。

23日は平常営業ですが
よろしくお願いします。





posted by みつあき at 15:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

起こされた自分の中の何か

ツネヨシ君は、40歳。
ストレートなら、子供の一人や二人
いてもおかしくない年齢だ。
そして、彼はつい最近まで、
ゲイの友人もいなければ、活動もすることなく
結婚もしなかったのが不思議なくらい
ストレートな人生を歩いて来た。

そんなツネヨシ君が、
つい先日、新宿駅構内に貼ってあった
フォトジャーナリストの文章が
載っているメッセージ広告が目に飛び込んで来たと言う。

そこには、4年前の震災について、
東北地方が再び、輝きを取り戻すために
これからも写真家として撮影し続けていきたい、
と書かれていたようだ。

ツネヨシ君は、自分の家族も友人も
前回の震災で、誰も被害を被ることはなかった。
そして、自分がした事など、
被災地にお金を送ることしか出来なかった。

自分には愛する人も、子供もいない。
この4年で40という年齢を越えたが、
自分のためだけに生き、
人の役にたつ、などということなど
まったく頭になかったと言う。

4年が経ち、仕事の途中に、
そのポスターを観た新宿駅で
身体が凍り付き、涙が出て止まらなかった。

人には、自分の中で眠っていた何かが
起こされる瞬間がある。
それは自分と直接繋がっていることや
トラウマを思い起こさせることもあれば、
まったく自分とは無縁の出来事からさえ
瞬間的に揺る動かされるようなこともある。

ツネヨシ君の胸の奥底にあった熱い何かを
その一枚のポスターが突いたのかも知れない。

「自分が出来ること。それは震災に関わることだけでなく、
何かをしていこう、そう、強く思いました。」

40という年齢を迎えて、そう思ったツネヨシ君の
一途な前向きさは、
僕自身にも何かを伝えてくれたような気がする。
posted by みつあき at 19:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

夢を追いかける

地方都市から来てくれているエイイチ君は45歳。
若い頃からずっとやりたい事があって、
30になった時に、東京で厳しく辛いアート系の
仕事に付いた。
しかし、人間関係の複雑さと
自分の弱さから、4ヶ月でその場所を去ったようだ。

その後、自分が生まれ育った地方に戻り、
色々試行錯誤したあと、独立して
少しだけ、昔自分がやりたかった事に
近い仕事をやることが出来た。

それから10年以上が過ぎ、
ここに来て、これでいいのだろうか、
自分はあの仕事こそ、
やりたい事ではなかったのか。
そんな思いが、ふと頭をよぎった。

今回、最初に自分を教えてくれた
先生の墓参りに東京にやって来た。
そのついでに、ふらりと4ヶ月で辞めてしまった
かつての仕事場に顔を出してみた。

新しい顔にまぎれて、懐かしい顔もたくさん
そこにあった。

昔、文句ばかり言っていたと思った
職人の人が「人間、わがままに生きなきゃいかん」
笑顔でそう言った。
そんな言葉が、実は当時とまったく
変わらなかったけれど、
若い頃は、きっと自分が悪いようにしか、
取ることが出来なかったということがわかった。
そして、その若さから退いたことを後悔した。

しかし、悔やむのなら、もう一度
挑戦してみたい。
この年齢から始めることが遅くはないか。
収入が半分以上に減るかも知れない。
そして地元でやって来たことへの
後始末、と考えることが多い。

なおかつ、自分が決めたからと言って、
戻って来て良い、そう迎えてくれるかどうかもわからない。

でも、一度きりの人生を悔いなく生きるために、
追っていた夢が夢でない証拠を得るために、
エイイチ君は、今日、改めて
もう一度、元職場に出向こうと思っている、
そう言っていた。

今頃、何らかの結果が出ているのかも知れないけれど、
どうであれ、前を向いて歩こうとする
彼の姿は、この僕にも多くの勇気を与えてくれた。


posted by みつあき at 12:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする