(英エコノミスト誌 2015年3月28日号)
高等教育に投じられる金額は増える一方だが、それだけの出費に見合う価値があるか否かについては、ほとんど分かっていない。
「神の導きで無事にニューイングランドにたどり着いた我々は、これまでに自分たちの家を建て、生活に必要な品々を備え、神の崇拝にふさわしい場所を建立し、市民による政府を据えた。次に我々が望み、求めたものの1つが、高等教育と、それを後世に伝えることだった」
これは大学への寄付を求める史上初のパンフレットの文面で、資金集めのため、1643年に新大陸植民地のハーバード・カレッジからイングランドに送られたものだ。
高等教育に対する建国期から今日に至るまでの米国の熱意は、世界で最も大規模で豊富な資金を持つ教育システムを築き上げた。
となれば、ほかの国々が中等教育を終えた生徒に大学教育を受けさせ、米国のモデルを真似しているのも決して意外ではないだろう。
しかし、本誌(英エコノミスト)が特集で伝えているように、米国式のシステムが広がると同時に、この仕組みが多額の出費に本当に見合うのかという懸念が広まっている。
世界に広がる米国流の高等教育
オックスブリッジに代表される英国式の大学制度と、ドイツの研究機関を融合させた、研究活動に重きを置く近代的な大学は米国で生み出され、世界の標準的なあり方となっている。
大衆向けの高等教育は米国で19世紀に始まり、20世紀には欧州と東アジアに広がり、現在ではサハラ以南のアフリカを除く世界のほぼ全域で見られる。
世界全体の高等教育進学率(大学に通う年齢の若者全体に大学生が占める割合)は、2012年までの20年間で14%から32%に上昇した。同じ期間に、この進学率が50%を超える国の数は5カ国から54カ国までに急増した。大学進学率は、究極の消費財である自動車への需要をも上回るペースで上昇を続けている。
こうした学位への熱意は理解できる。最近では、学位はまともな仕事に就くための必須条件であり、中流階級への入場券と化しているからだ。