ウチナーグチ:古里の戦争 一人芝居でつむぐ
毎日新聞 2015年03月28日 12時43分
◇沖縄出身、大阪・豊中の比嘉さん
1945年4月1日に沖縄本島へ米軍が上陸し、住民を巻き込んだ沖縄戦が本格化して70年がたつ。沖縄戦の体験談などを基に「ウチナーグチ」(沖縄の方言)で芝居を演じてきた大阪府豊中市の比嘉陽花(はるか)さん(32)はこの春、故郷の沖縄に戻ることを決めた。大阪で過ごした4年間、痛感した本土と古里との落差。溝はまだ深いが、自分はまず沖縄らしさを大切にしたい。「沖縄戦を生き抜いてきたおじいやおばあが元気なうちに、もっとウチナーグチの芝居を見せたい」と思っている。
沖縄県うるま市出身の比嘉さんは高校3年の時にウチナーグチに関心を持ち、琉球大で言語学を学んだ。ウチナーグチによる芝居を始めたのは大学院生だった2008年だ。方言をテーマにした芸術展で「何かパフォーマンスを」と頼まれ、一人芝居に挑戦したのがきっかけだった。翌年、高校の同級生ら3人と演劇集団「比嘉座」をつくり、思い出話や沖縄戦の体験を高齢者から聞いて脚本を書き、学校や公民館を回って公演した。「おじいやおばあが喜んでくれるのがうれしかった」
11年春、言語学研究者を目指し、島を出て大阪大大学院の研究生になった。大阪で思い知ったのは沖縄との意識の落差だ。米軍基地の問題では「沖縄から基地がなくなれば中国が攻めてくる」と言う人も多い。沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなった事実も十分伝わっているとは思えない。芝居を演じる気にはなれなかった。「大阪で悔しさや悲しさはあったが、それを表現するのは怖かった」
13年春に2年間の研究生活を終え、博士課程に進む道は険しく、研究者になるのはあきらめた。「大阪に来て何も形にできていない」という思いが募っていた13年5月、沖縄出身の若者が企画したイベントに誘われ、大阪で初めてウチナーグチの一人芝居を演じた。「共感してくれる人もいる」と思えるようになり、アルバイトしながら沖縄や大阪で公演を重ねてきた。