大震災4年:「子の成長に責任」郡山市から県外避難

毎日新聞 2015年03月29日 10時40分(最終更新 03月29日 10時49分)

「もう郡山には戻れない」と話す長谷川さん=静岡県富士宮市中央町で、平塚雄太撮影
「もう郡山には戻れない」と話す長谷川さん=静岡県富士宮市中央町で、平塚雄太撮影

 東日本大震災から4年。福島県郡山市から静岡県富士宮市に自主避難している長谷川克己さん(48)は「郡山の放射線量は子供が安心して生活できるレベルではない。戻りたくても戻れない」と話す。

 妻、長男(9)、長女(3)との4人家族。震災後、線量計を持って関東地方から北上すると線量がどんどん高くなった。周囲の人は「(郡山は)心配するほどではない」と避難を思いとどまらせようとしたが、被ばくの危険性を訴える市民団体の主張の方が正しいと思えた。

 郡山では介護関連会社の現地施設責任者だった。社長から「埼玉や千葉に転勤してもいい」と言われたが、「自分だけ虫のいいことはできない」と退社を決断した。

 静岡県に避難したのは、小学生まで住んでいた縁だ。2011年8月に転居した当初は、富士宮市内でデイサービス会社に勤務したがなじめず、自ら同様の会社を設立した。

 開業資金は銀行融資。返済や日々の資金繰りは楽ではない。両親を残してきた郡山出身の妻の気持ちは聞かずとも分かっている。それでも避難の決断に後悔はない。「子供の成長に責任がある。会社の経営は自分の才覚の問題。避難者だから苦しいなんて言い訳はしたくない」【平塚雄太】

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