心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

自死遺族としての思いや日常のことなど徒然なるままに

ときどきこのままの生き方で良いのだろうかと不安に思うときがある。

ときどきこのままの生き方で良いのだろうかと不安に思うときがある。

何がきっかけというわけでもない。人生をガラリと変えるような出来事があったわけではない。仕事を無心で頑張ることが通常、休みのときには友人や好きな人と会ったりしたり、ひとりでフラッとどこかに出かけてみたりする。留年して不不登校だったころと比べれば、今の私は随分健全な生き方をしていると思う。


しかしこの健全な日々が当たり前だというわけではないと私は知っている。人は突然死ぬ。仕事だってリストラがあったっておかしくないのが現代だ。愛し合う人がいても、明日も愛されている確証など誰も持ち合わせてはいない。

私達の日常は突然変貌を遂げる可能性を秘めている。そのことに気づかない人々は実はいっぱいいるのだ。身近な誰かが死にました。それは他人ごとで自分には降りかからぬことだと思っている人の多いこと多いこと。しかしいつ誰が死んでもおかしくないのだと意識しながら生きるのは想像以上にしんどい。これが最後であるかのよいに喜び、別れても悔いのないほど愛を伝えるのなど、そんな生き方など、自分も相手も苦しめるだけだ。

私達はどう生きればいいのだろう。愛を伝える術を知らぬまま大人になってしまった。それにすら気付かずになんとなく結婚し、上手くいかずに離婚する。何千何百と人間は生きてきたのに。愛しする術はいつも自分で学ばなければならない。
あぁ、不器用なり。人よ。

愛し方を知らぬまま、愛することを望んでいる。そんな人間がとても愛しい。