トップページ国際ニュース一覧リー元首相 戦後日本の経済発展を手本に
ニュース詳細

リー元首相 戦後日本の経済発展を手本に
3月23日 7時32分

リー元首相 戦後日本の経済発展を手本に
k10010024871_201503230818_201503230819.mp4
シンガポール建国の父と呼ばれるリー・クアンユー元首相は戦後の日本の経済発展をみずから詳しく分析して学びシンガポール発展の「お手本」にしたことでも知られています。
リー元首相は戦後の日本の経済発展について、「徹底したこだわりをもって仕事に当たる日本の文化にある」として深く感銘を受けていました。みずからの著書には、訪問先で見た日本の料理人の包丁さばきや靴磨き職人の技などを驚きをもって見つめ、仕事に最善を尽くすその精神が日本の繁栄を築き上げたと記しています。
リー元首相は特に日本企業の生産性の高さに注目し、1980年代に入って、シンガポールの生産性を高めるため当時の日本生産性本部に協力を求めました。
リー元首相は生産性本部設立50周年のシンポジウムにビデオメッセージを寄せ、次のように感謝のことばを伝えていました。「日本の労働者の質の高さ、その仕事に対する責任感は素晴らしいものでこれが日本が戦後の廃虚から奇跡の回復を成し遂げた大きな要因の1つだ。当時、日本生産性本部の会長だった郷司浩平さんがお話になっていた『生産性はゴールのないマラソンのようなもの』ということばをよく覚えております」。
日本の経済界からは惜しむ声が挙がっています。経団連の前の会長の、住友化学・米倉弘昌相談役は1970年代に住友化学がシンガポールに進出して以来リー・クアンユー氏とたびたび交流してきました。
米倉相談役は「リー・クアンユーさんは独立当時、淡路島ほどの面積に250万人というシンガポール国民の生活をいかに保証していくかが重要だと認識していた。産業を興し、自由貿易を徹底するということが彼の国作りの思想だった。日本のことが非常に好きで、われわれがびっくりするくらい日本のことをよく知っていた。最近は日本の遅い動きを気にしていた。若い人が活躍できる世の中にすべきだと語っていたことを思い出す」と話していました。
また、リークアンユー氏は日本の企業経営者とも積極的に交流しました。大手エンジニアリング会社「日揮」の重久吉弘グループ代表は「非常に落ち着いた物腰で話しをする方でお話を聞くのが楽しみだった。中国で数多くのビジネスを手がけてきたがリー・クアンユーさんに中国ビジネスで重要なことは何か尋ねたところ『真の友人をつくりなさい』と教えてくれた。その後、中国のパートナーと真剣に交流するようになり事業を拡大できた」と話しています。

関連ニュース

k10010024871000.html

関連ニュース[自動検索]

このページの先頭へ